No.05「翼をください」

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  ブッ、ブリリブピピピッ……ブチュッ!
  ブリュブリュブブブブブ、ブピッ!

 ある六月中旬の早朝、緑に囲まれた賃貸マンションの一室、その廊下に、汚らしい音が響きわたっていた。
 ぼんやりと薄暗い廊下に、強烈な異臭が漂っている。隅にあるトイレのドアが固く閉ざされていた。

  グゥゥ〜〜ゴロゴロゴロゴロ〜〜
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
 綾瀬未悠は、真っ青な顔色をして、洋式便器に座り込んでいた。
 切なく険しい表情で腰を曲げ、両手でぐるぐるとおなかをさすっている。
 暑いわけでもないのに額から大粒の汗が流れ、ふくよかで愛らしい頬は心なしかやつれていた。肩下で切り揃えられた栗色の髪が汗と寝癖で乱れ、小さな体は寒いわけでもないのにぶるぶると震えていた。

  グキュゥゥゥゥ〜〜……
(おなか、痛い……!)
 ……下痢をしてしまったのだ。
 激しい腹痛と便意が治まらない。水粥のような形状の大便が次から次へと出てくる。完全に下していた。それも、いくら出しても腹の具合が一向に良くならない。おなかの調子は最悪だった。
 昨日、寝る前につまんだお刺身の味が変だった。一昨日の夕食の残り。……どうやら、中ってしまったらしい。

「ん……っ!」
  ビチュブポポトポポポポ、ブーーーッ!!
(……やだ……。ひどい音……)
 ゴロゴロと荒れ狂うおなかを必死になだめながら、苦しげに目を細めてうなだれる。
 今は六時半だが、彼女はもう、二時間もトイレに篭っていた。激しい腹痛と便意に眠りを打ち破られ、大慌てでここに駆け込み、そのままずっと下痢と格闘しているのだ。
 足元まで下ろされた下着とパジャマ。彼女のか細い足は、ほとんど絶え間なくがくがくと痙攣していた。
 白いふとももがぬるりと汗に濡れ、その間から黄土色の下痢便が覗いている。ミートソースのように均一に溶け、泡と混じりながらぷかぷかと水面に浮かんでいた。未消化の食べ物のかけらのような物も見える。もう五回ほど水を流したというのに、便器の中は下痢便でいっぱいだった。もちろん、悪臭も酷い。

「……、」
  ジャアアアアァァァーーーーーーーッッッ……
 腐った卵のような、生々しい刺激臭。自身の大便の臭いに耐えられなくなり、未悠はおよそ十数分ぶりに水を流した。これで六回目だ。……が、
  グウウゥゥゥゥッ!
「ぅぅっ!」
  ブジュジュッ! ブビチビチビチーーーーッ、ブビッ!!
  ビリュジュゥゥーーーーーーーー、ブポッッ!
 激しい腹痛に腸を締め付けられ、水洗音さえ止まぬ内に、またもや悪臭の元を水面へと叩きつけてしまう。
 今度はほとんど、おしりからおしっこをするような感覚だった。肛門がヒリヒリと痛い。
 本当に酷い下痢だった。ここまで酷くおなかを壊したのは、三年生の夏に好物のスイカを食べ過ぎて以来だ。

  グピ〜〜……グキュウウウゥゥ〜〜……
「ううぅぅぅ……っ!」
  ブリブリブリブリブビッ!!
 さらに、軟便が短く滝のような勢いで噴射される。
 おなかの中を苦痛が渦巻いている感覚だった。便座カバーが汗でじっとりと湿っている。パジャマもだ。

(こんな……こんな大切な日に……)
 悲しげな瞳で、きゅっと唇を固める未悠。
 彼女の表情が切羽詰った様子なのは、ただ下痢が酷いだけではなかった。
 今日は、学校で、全校合唱コンクールがあるのだ。
 そして本来は喜ばしいことだが、今は最悪にも、未悠はピアノの伴奏者であった。
 指揮者と並んでクラスの顔を務める、極めて重要な役割である。幼児期から習い続けクラスで最も上手だった彼女は、学級会において満場一致で選ばれた。他に、代わりになる生徒はいなかった。

  グリュリュリュゥゥゥ〜〜〜
「ぅぅぅ、ぅぅ……っ……」
  ブブビィィ〜〜ッ、プリュブポトポトポトポトポトポ……
(どうしよう……。わたし、こんな下痢しちゃって……、どうしよう……!)
 猛烈な腹痛に身体を縮こまらせ、情けなく弱々しく震えながら、口元に皺を浮かべる。
 暴れ狂う腸。緩み続ける肛門。全く治まらない便意。
 もしも、本番になっても下痢が治まらなかったら。もしも、本番の最中に下痢に襲われてしまったら。
 茶色い不安が無限に渦巻き、責任感溢れる未悠の心をなじり続けていた。

 昨日の夜。前日は早く寝るよう帰りの会でも言われたというのに、どうしても完璧にしたくて、未悠は自室のピアノで夜遅くまで練習を繰り返した。
 ふだん床に入る十時を一時間半も過ぎて、ようやく満足のゆく演奏ができるようになった。
 その達成感と共に急に強い空腹を覚え、無人の台所で冷蔵庫の中をこっそりと漁った。
 そしてラップのされたマグロの刺身を見つけ、それをもそもそと食べた。
 にちゃにちゃとした食感。どことなくすっぱい味。子供心に違和感を覚えたが、いつにない食欲に負けて三切れを全て胃に送ってしまった。……駄目だった。愚かだった。食中毒の季節。完全に傷んでいたのだ。

「ぐぅぅぅぅっ!」
  ブジュビーーッ!! ジュボボボボブビーーーッ!
 生まれて始めての食あたりだった。
 皮肉にも、その真面目な性格ゆえの無理な夜更かしが、この最悪の事態を招いてしまったのである。

「ぅふ……っ!」
  ブーーーッ! ブブゥゥーーーーッ!!
 腹がへこむような感覚と共に、わずかの自発もなく、勝手に屁が噴出する。
 猛烈な食あたりを起こした未悠の腹は、その彼女の意思に関係なく、狂ったように肛門から内容物を吐き出していた。火山と化した汗だくのおしり。まさにピーピーとしか表現のできない、壮絶な下痢である。
 体中に響く脱力感。ぐるぐると視界が回り、まるでめまいがしているようだ。

  グギュルルグウウゥゥゥッ!
「っぁ、ぁぁっぁ……」
  ブピッ! ブビビピピピピピピッ!
  ビジュボポポポッ! ブポジュルルビチュビチビチチチチッ……ッ!
 ありえないぐらいに止まない下腹の雷鳴。
 地獄の腹痛に悶え、うめきながら、未悠は水のような下痢便を便器へと注ぎ込み続けた……。


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「はぁ……あ……、はぁ、はぁぁ……」
 あれから三十分後。未悠はげっそりとした表情で、台所に座り込み、コップで水を飲んでいた。
 ようやくトイレから出ることができると、彼女はまっさきにここに来た。激しい喉の渇きにせき立てられて。――脱水症状を起こしていたのだ。しゃがみながら水を飲んでいるのは、ふらふらで立っている体力さえないからである。足の痙攣も治まらない。

  ジャアアァァーーー……
 飲み干すと、未悠は立ち上がり、すぐに再び水を注ぎ込んだ。
 いくら飲んでも体が満足しないのだ。もう、一リットルは喉へ流し込んでいた。
 顔面蒼白で震えながら水を飲み続ける未悠。立ち上がるたびによろよろと近くの物に寄りかかるその姿は、もはや病人のそれであった。体中が汗でべとべとして気持ち悪い。肛門が灼けるように痛く、拭く時は地獄だった。


「……はぁ……」
 さらに四杯か五杯ほど飲むと、ようやく未悠はコップを台に置いた。
 憔悴しきった面持ちで、しくしくと痛み続けるおなかを、乾いた手の平をゆっくり動かし老人のようにさする。
 すでに七時だが、室内はなお薄暗かった。じめじめとした空気。外からはしとしとと雨の降る音が聞こえていた。

「未悠……おなかの調子が悪いの……?」
 その時、後ろから母の声が聞こえた。
 おそらく、トイレの前の廊下に漂う便臭で気付いたのだろう。明らかに下痢だと分かる臭いだ。
「ううん。ちょっと、具合が悪いだけ。大丈夫だから」
「うそ、だいぶ具合が悪そうじゃない……。どうしたの、こんな大切な日に下痢だなんて……」
 未悠が振り返るなり、母の表情は変わった。その言葉を聞いて、未悠は切なげに唇を押し合わせた。
「……お母さん、わたし、休まないからね」
「大事な役目だし、行けるなら、行くべきだけれど……。とにかく、まだ時間はあるから。お粥を作ってあげるから、部屋で横になってなさい」
「うん……」
 そうして、未悠は沈んだ表情で部屋へと戻っていった。
 そのよたよたと力ない歩きを見て、残された母はいっそう胸を痛めた。


  ……ゴロゴロゴロゴロ……
「ぅぅ……うぅぅ……っ……」
 鳴り続けるおなか。未悠はベッドの中で体を「く」の字に曲げ、おなかを抱えて震えていた。
 便意は治まっているというのに、寒気のする腹痛は少しも落ち着いてくれない。加えて胃まで重苦しく、口の中がすっぱくて吐き気さえした。不快感が全身を波打っている。もはや、おなかというより内臓が痛い。

 普段なら歯を磨いて顔を洗い、そして服を着替える時間だったが、未悠は何もする気が起きなかった。
 昨夜立てた予定では、そんなものはさっさと済ませて最後の練習をしているはずだったのに。
 ただただおなかが苦しくて、泣きそうな表情で汗を流して小さな身体を震わせていた。

「未悠、」
 やがて、ガチャリという音と共に母が入ってきた。あれから十五分ほどは経っただろうか。
「お粥。無理して全部食べなくていいからね。それから、これは下痢止め、お粥のあとに飲みなさい」
 そう言いながら、側の机にお盆を置く。茶碗の中から湯気が立っているのが見えた。
 未悠は体を起こそうと、ぐっと腰に力を入れた。……が、
「……未悠。冷蔵庫の中にあったお刺身を食べたわね」
 重ねられた母の言葉に、びくりと瞳を見開いて止めた。
「昨日の時点で駄目だったから、捨てようと思っていたのに……。馬鹿ね。どうしてあんなもの食べたの……」
 そして目を合わせられずうつむく。さらに、悔しげに唇を噛み締めた。
「あなた、完全に食あたりよ。下痢も相当酷かったんじゃないの? やっぱり、無理しないで休んだ方が、」
 言葉を遮るように、未悠は首を大きく横に振った。

「……でも、そんなにつらそうじゃない。これからだって、たぶんまた何度もトイレに行きたくなるわよ」
「行くの……っ」
 うつむいたまま小さな声で、しかし強く未悠はそう答えた。
「他にピアノができる子はいないの?」
「いないよ……。わたしがひかなくちゃダメなの。わたしがいないと台無しになっちゃう。……みんなに、嫌われちゃう……!」
 もはや行ける状態でないのは、本人が一番よくわかっていた。
 だがそれでも、未悠は頑として譲らなかった。クラスの期待を裏切ることになるのが、怖かった。

「未悠……」
 困りきった顔で、蒼白くやつれた娘の頬を見つめる母。

  グキュルゥゥグウウゥゥゥ〜〜ッ

 その時、未悠の身体を包む薄桜色の可愛らしい子供用布団から、不気味で重苦しい音が聞こえた。
 「やだ……」と手を口に当てる母。汚らわしくも痛ましい、惨めな下痢腹のうなりだった。

「ぅぁ……」
 一瞬遅れ、小さくうめきながら、未悠はがばりと布団をはねのけた。
 大慌てといった様子で、震える足をベッドから床へ下ろす。
「未悠?」
  グリュリュリュリュゥゥッ!
「うぅぅ〜っ!」
 そうするなり両手で肛門を押さえつけ、おなかを鳴らしながら、へっぴり腰で部屋を飛び出していった。
 また、トイレだ。

  バタンッッ!!

 母が後を追いかけて廊下に出ると同時に、ドアの叩き閉められる音が聞こえてきた。
 そして、

  ブリュブリュブビビビビビィィィーーーーーッ!!
  ブビチビチビチブポッ!! ブジュポブビビブピピビビビビッ!!

 猛烈な下痢の音が響き始めた。
 音の激しさだけで、並大抵の下り具合でないことが分かる。母は顔を白くした。

  ブビッッ!! ブリブリブリブリブリブピッ!
(なんて音……鍵もかけないで、何やってるのよ……)
 鳴り響く爆音。ビチビチで暴力的な下痢便噴射の音。食あたり。喘ぎながら腸の中身を吐瀉する未悠の肛門。

  ブチュチュビヂヂビチブーーーーーッッ!!
(そんなに下痢して、どうやってピアノなんて弾くのよ……)
 さらに、まるでトイレのドアが振動するかのような、壮絶な放屁。
 母は眉間に皺をよせてうなだれた。未悠の放屁。しかし娘が出した音だとは思えない。

  ブウウゥゥゥゥ〜〜〜〜ッ ブオオオオブオオオオオ〜〜〜
 重ねて、壊れたラッパのような、野太く汚らしいおならの音が連発された。
 もう数時間の内に指先から美しい旋律を奏でなければならない身体が、今は肛門から最低の轟音を奏でている。
 あまりにも……哀れだった。こんな大切な日に食あたり。下痢をしておなかをピーピーにしてしまった未悠。

 廊下に悪臭が渦巻き始めると、母は沈みきった表情で未悠の部屋へと戻った。

 ……結局、遅刻ギリギリの時間まで、未悠はトイレから出られなかった。
 そして冷めきったお粥を一口だけ流し込み、規定量の倍の下痢止めを服用し、慌てて家を出発した。


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「みゆちゃん、おはよっ」
 早足で教室に入り、奥の窓際の席に座ると、前の席の少女が声をかけてきた。
 上原奏さん。赤いカチューシャのよく似合う髪の長い娘で、クラスでいちばん歌が得意。未悠の親しい友達の一人だ。
「おはよう……」
 息を整えながら返す未悠。頬をひとすじ汗が伝わった。
「いよいよ今日だね。がんばろうねっ!」
 奏は気合の入った表情で、ぐっと手を握った。いつもとは違う、よそ行きの服装を着ている。
「う、うん」
 未悠もそうだ。白いフリルのついた可愛らしく上品なブラウスを着て、下には紺色の形美しいフレアスカートを穿いている。黒い靴下を履き、乱れていた髪の毛もわずかな時間で母にきっちりと整えてもらった。
 今日は父兄も多く見に来るのだ。もっとも、未悠の両親は予定を空けられなかったのだが。

「ところで、みゆちゃんがこんなに遅く来るなんて珍しいね。家で練習でもしてたの?」
「えっと、そうだよ」
「さすがだねー。名ピアニストさん、頼りにしてるよ。未悠ちゃんあっての五年二組だもんね」
「うん……」
 その時、ガラガラと扉の開く音が聞こえた。
 見ると、担任の前田先生が教室の中に入ってきていた。
「あっ、先生きたね」
 前を向く奏。先生が教卓に着くと同時に、日直の生徒が立ち上がった。

「きりーつ、礼っ!」
「おはようございますっ!」
 教室に響く挨拶の声はいつもよりも明らかに大きかった。

「よーし。今日はみんな気合入ってるな。じゃあ、朝の会を始めるぞ」
 生徒たちが着席すると、先生は嬉しそうににっこりとした。
 三十台半ばの熟練した教諭である。生徒への思いやりが深くて人気があり、この先生のもと、五年二組は見事な団結を見せて日々の練習に励んできた。
「まずは、コンクールの時の並び方の再確認からいこう」
 そして先生の話が始まる。その内容が、いよいよ当日だということを生々しく感じさせた。
 教室に満ちる心地良い緊張。誰もが、全力で成果を発揮できるその時を待ち望んでいた。

  ……グゥゥキュルルルルゥゥゥ……
(おねがい……せめて、うちのクラスが終わるまでは、トイレに行きたくなりませんように……)
 ……ひとり不安に胸をいじくられている未悠を除いて。
 下痢止めが効いたのか、今のところ便意はない。が、その下腹はしくしくと痛み続けていた。まだ体内に毒が残っている証拠だ。いつおなかの中の時限爆弾が動き始めるとも分からない。
「なあ、綾瀬、おまえ、なんだか顔色悪くないか?」
「え……、ううん、そんなこと、ないよ……」
「そっか……」
 そんな中、隣の席の男子が不安げに声をかけてきた。
 ごまかしながら、未悠は指摘された色を変えて手の平で隠した。


「――よし、以上だ。じゃあ、先生はもう行くから、時間までに体育館に集合するように」
 十分ほどで朝の会は終わった。
 連絡事項は一分ほどで済み、残りは先生からの励ましの言葉だった。
 裏方の仕事で忙しいため、コンクール中、クラスについていることができないらしい。それで、この時間を目一杯に使って、伝えるべきことを伝えることにしたのだった。メッセージはいずれも力強いもので、クラスの盛り上がりは最高潮に達した。目指すは、全学年の中で一クラスだけに与えられる最優秀賞だ。

 あとは、集合までの時間で最後の練習である。
 そうして先生は教卓を発った。

「ああ、ちょっと綾瀬、廊下に来てくれないか」
 と、ドアを開けるなり、先生はふいに振り返ってそう呼んだ。
「ぇ……っ?」
 驚く未悠に視線が集まる。突然のことに、目を丸くして固まってしまった。
「ピアノの演奏についてじゃない?」
 と、奏。
「……あ、う、うん」
 静かにドアが閉められると、すぐに未悠も後ろのドアから廊下へと出た。

 未悠が外に出るのを見ると、先生はそのままついてくるように手振りで伝え、歩き出した。
 そして、教室から十メートルほど離れた階段の側まで連れて行かれた。どこのクラスも練習に夢中で、周囲に生徒の気配はなかった。

「あ、あの……なんですか……?」
 真剣な先生の表情を見て、未悠は少し脅えた。
 先生は未悠の大きく愛らしい瞳をじっと見つめ、おもむろに口を開いた。
「……綾瀬、下痢してるんだって?」
「えっ……!?」
 それは信じられない言葉だった。未悠は再び目を丸め、頬を真っ赤に染めあげた。
「今朝、おまえのお母さんから電話をもらってな、刺身に中って腹を下してしまったと聞いた」
「……っ!」
 そして納得する。未悠は頬を膨らませてうつむいた。服の裾をぎゅっと掴む。母を怨んだ。
「だいぶ調子が悪いと聞いたが、大丈夫なのか?」

「大丈夫です……」
 わずかに遅れ、うつむいたまま、上履きを見つめながら、未悠は答えた。
「本当に大丈夫か? 顔色が悪いし、頬も少しやつれているぞ。今朝はかなり酷かったと聞いたが。……恥ずかしがって隠すようなことじゃないぞ?」
「本当に大丈夫です。薬が効いて……、もう止まりました」
 胸がきゅうっと痛んだ。恥ずかしさに加え、自身への情けなさと惨めさが込み上がってくる。
「そうか……。今は落ち着いているんだな。腹は痛くないか?」
「……はい……大丈夫です……」
 嘘だ。だから先生の目を見られない。

「分かった。このまま落ち着いていてくれるといいんだがな……」
 そう言いながら、先生はため息をついた。
 先生が真に自分のことを心配してくれているのが解り、未悠は申し訳なくてたまらなくなった。

「ただ、いちおう万が一のことも考えて、音楽の神谷先生に事情を説明して、いざという時には代わりに弾いてもらうことになったからな」
「っ……」
 さらに先生は続けた。今度は驚くべき内容を。
 聞くなり、未悠は唇を噛んだ。そんな惨めなのは絶対に嫌だ。

「だから、もしコンクール中に腹が痛くなったら、無理せずちゃんとトイレに行けよ。うちの番の前に神谷先生が来て、もしおまえがいなかったら、うまく下痢のことを隠してみんなに説明して、ちゃんと代奏をやってくれるからな」
「……」
「おい、聞いてるか?」
「はい……」
「気持ちは分かるがな。変に我慢したら、本当に体に良くないからな」

  キーンコーンカーンコーン――
 ――その時、鐘の音が鳴った。一時間目の予鈴、今日においてはコンクールの予鈴だ。

「つらかったら、保健室で休んでいてもいい。腹痛が酷くなったりするようなら、早退だってするべきだ」
「はい……」
 いかにも不満げに目を伏せ、つぶやくように小さな声で、字面だけの答えを重ねる未悠。

 最中、想像する。
 自分がいなくて音楽の先生がピアノを演奏している、奇妙な発表の光景を。
 それが終わったのち、「どうしていなかったのか」と、クラス中が浴びせてくるであろう疑問と失望を。
 思い描くだけで、胸が潰れそうだった。

「あのな、綾瀬、」
 未悠が小さく震えると、ふいに先生は、それを抑えようとするかのように細い肩に両手を置いた。
 同時にそっとつかまれる。未悠は目を大きくした。
「先生は、おまえが人一倍に努力してきたことを知っている。その成果を発揮して、クラスの期待に応えたがっているのも分かる。先生だってそれを楽しみにしていた」
「……っ……?」
 これまでの分かってくれなさに、悲しみと憎しみさえ感じ始めていた未悠。唇を緩め、ふわりと顔を上げた。

「――だがな。それでも、もしものことがあったら、やはり今回ばかりは仕方がないぞ。おまえは今、身体を壊しているんだ。周りの期待に応えるのも大事なことだが、何よりいちばん守らなければならないのは自分自身の身体だぞ」
 けっきょく繰り返しだったが、今度の言葉は胸に響くものがあった。
 また胸がきゅうっ、とちぢこまる。先生の眼差しは真剣だった。大きな手が暖かかった。
 なお受け入れがたくも、未悠は初めて首を縦に動かした。

「よし。じゃあ、先生は行くからな。とにかく無理だけはするんじゃないぞ。……おまえのお母さん、えらく心配していたんだからな」
「……はい……」
「もちろん先生は、おまえが元気で伴奏できることを祈っているからな」
 先生は最後に未悠の頭を撫でると、優しく笑い、階段を降りていった。
 未悠はその後ろ影を追い、いま撫でられた髪の毛を、そっと切なく指先でいじった。


「あ、みゆちゃん」
 教室に戻ると、ドアの側に立っていた奏が、笑顔で声をかけてきた。
 ちょうど歌い終えたところだったらしく、生徒たちは雑談を交わしていた。
 教室にはピアノがないので、ここで練習をする時は、未悠は合唱に混ざってみたり、後ろから鑑賞してクラス全体にアドバイスをしたりしている。

「けっこう長かったねー。何を話してたの?」
「え、えっとね、本番にピアノを弾く時の注意事項とか」
「そっかー」

「たいへんだよね、ピアニストさんは」
「本番、がんばろうね」
「最優秀賞、ぜったいにとろうね」
 さらに、仲の良い少女たちが集まってくる。みな、一様に未悠へと期待の眼差しを向けていた。

「うん……」
 固い、複雑げな表情でほほえみを見せる未悠。

「みゆちゃん、緊張してる? 大丈夫だよ。みゆちゃんのピアノは、六年生よりうまいよ」
「そうだよ。みゆちゃんがピアノだからこそ、最優秀賞が狙えるんだよ」
「みゆちゃんがうちのクラスにいなかったら、絶対に無理だったよ」
「……ありがとう……」
 未悠は思いつめた表情を見せ、それを隠すべくうつむいた。

「そろそろ二回目いくよ。みんな姿勢整えて」
 その時、指揮者を務める学級委員の少女が大きく声を上げた。
 再びクラスが真剣へと包まれる。

「じゃ、わたし、後ろで見てるね。がんばって」
 未悠はさっと歩き出し、後ろに寄せられた机の一つに腰かけた。

「では、いきます」
 その声と共に、少女は教卓の上にあるラジカセのスイッチを入れた。
 録音されてある未悠の演奏が流れ始める。五年二組の選んだ曲は、「翼をください」だ。
 そのピアノの旋律を聞くなり、未悠は胸を痛めた。いつもならもっとうまく弾けるはずだと考えるのに、今は、それが自分のものだとは思えないほどに美しく感じた。最後に鍵盤に触れたのは昨日の夜だ。あれから今までは、ただトイレに篭っていたばかり。今の自分にちゃんと弾けるのか、急に不安になってきた。

『いま、私の願いごとがかなうならば――翼が欲しい』

 そして合唱が始まる。完璧だった。昨日までよりも遥かに良く聞こえた。
 ひとり未悠はうつむき、眉間に皺を寄せて膝を掴み、その小さな体を震わせた。
 こんなにも情けない想いをしたのは、生まれて初めてだ。

  グキュゥゥゥ〜……ゴロゴロゴロォォ〜〜……
 痛み続けるおなか。下痢をしている。おなかを壊している。
 この曲のように、いま、願いごとが叶うのなら。普段の未悠ならピアノの上達でも願うのだろうが、"いま"は、ただ下痢からの解放を願いたい。というよりも、すでに願い続けている。……だが。

『この大空に、翼をひろげ』
「……ぁ……」
 続く節が歌われた時、その最中、未悠は小さく声を震わせ、左手をおなかへと押し付けた。
(やだ……)
 痛ましく揺れていた表情が、今度は一気に険しくなる。
(また、きた……!)

  グウウウゥゥゥゥッ!
「っ……ぅ……!」
 そして腹が大きくうなる。激しい腹痛と発作。
 未悠はぎりりと歯を噛み締めた。――また、便意が始まったのだ。猛烈に。滝が下るように。

『飛んでゆきたいよ』
(だめ、がまんできないっ!)
  ガタッ!
 ものすごい排泄欲求。未悠は青ざめ、即座に立ち上がった。
 背を曲げたまま、両手でスカートを掴んで飛び歩き、すぐ前にいた奏の肩を叩いた。歌っている最中にも関わらず。……それでも、もう、そうせざるをえなかった。

「え……? な、なに?」
 驚いた表情で振り返る奏。周囲の生徒たちも、歌いながら不思議そうに未悠を見つめた。
「あの、ごめんね、実は音楽室に急用を思い出しちゃって」
 全身から汗の噴き出る感覚を覚えながら、慌てて口を動かし始める。
「それで、今すぐいかなくちゃならなくなったの。みんなにそう伝えておいてくれる?」
「あ、うん。分かった」
 目を丸くしたまま、首を縦に振る奏。
「もしかしたら、音楽室から体育館に行くかもしれないから。わたしが戻ってこなくても気にしないで」
「みんなに言っておくね」
「お願い」
 言うやいなや未悠は歩き出し、教室の隅を通り、後ろのドアから廊下に出た。


(もお……! おくすりぜんぜん効いてないじゃない……っ!)
 素早くドアを閉め、無人の廊下を小走りに駆け始める。
 すぐ側にいつも使っているトイレがあったが、それは咄嗟に回避した。
 体育館に向かう前に、みんなトイレに行っておくだろうと気付いたからだ。自分が下痢をしていることは、絶対にクラスメートには知られたくない。

  グゥゥギュルギュルギュルルルッ!
(うううぅっ!)
 走りだすなり、さらに便意が加速を始めた。
 足が震え、表情がいっそう険しくなる。
 未悠は両手をおしりに回しながらさっきの階段を下り、下の階の端にある女子トイレへと駆け込んだ。

  バタン……ガチャッ、
 中をきっと睨むや、いちばん奥の個室に入り、手早く鍵をかける。
 学校で大便をするのなど、四年生の三学期以来半年ぶりだ。あの時は授業中におなかを冷やした。
  ゴギュウゥ〜〜ッ!
(はやく……っ!)
  ファサファサファサファサッ
 腹を鳴らしながら、汗のにじんだ手で慌しくスカートをまくり上げる。
 普段の感覚ならたまらなく恥ずかしいことで、今も実際にそうだが、しかし状況は少しの感情さえ許さない。
 この堪え難い腹痛に加え、集合時間まではもう十数分しかない。それまでに、腹の中に渦巻く苦しみを全て排泄しなければならないのだ。

  プッ! プスッ、ププッ!
「っぅぅ……!」
 便器をまたいでしゃがみ込むと同時に、湿った白布に包まれたおしりからガスが漏れ出した。
 便意の方も限界だ。足の指を擦り合わせながら、両手でパンツを掴み力いっぱいひきずり下ろす。
 外気へと解放されるつるつるのおしり。充血してひくつく肛門――未悠の恥ずかしい排泄器官があらわになる。
 一瞬の静寂の後、
  ブブブブブリュリュリュリュリュリュブリュブプッッ!!
 その穴がぐばりと盛り上がって口を開け、まるで嘔吐のように激しく腸の内容物を吐き出し始めた。
 中り腹の下痢便噴出。未悠を苦しめていた未消化物が、物凄い勢いで尻もとの便器へとぶちまけられる。

  ブボポブピピビチビチビチビチビヂブパッ!!
  ジュドポブピビビビビピビビビビッ!!
 汗に濡れて鈍く光沢するおしりから、さらに次々と撃ち出される黄土色のお粥。
 大量のガスと混ざって爆音を放ちながら噴射され、白い陶器にべたべたと叩きつけられる。
 爆発する尻。脱糞のたびに飛沫がはじけ、肛門の周辺を派手に汚してゆく。
  ブーーーーーーーーッ!!
「っ、ぁ……」
 最中に肛門粘膜が裏返るほどに凄まじい屁が放たれ、それで未悠の排泄はいったん途切れた。

「……はぁ、はぁ、はぁ……」
 険しい表情で、肩を上下させて息を継ぐ。
 ぬるつく感触の肛門をひくつかせると、灼けるような酸性の痛みが粘膜を擦った。
 ひどい臭いが立ち上り始める。いっそう顔をしかめて股の間を見ると、小山さえ作れない軟らかさのビチビチの下痢便が所狭しと撒き散らされていた。……すごい量。わずか数秒でこれだ。便器中央の爆心地から飛び散り、その側面や縁、さらに周りのタイルにもぽつぽつと茶色が付着している。噴射の勢いを鮮明に物語っていた。
  ゴボボジャアアアアァァァーーーーーーーッッッ
 とっさに未悠はレバーを倒した。悪臭の源を下水に送るため、そして自分が産んだ汚物を否定するためだ。
 渦巻く腐泥が押し流され、同時に清冽な水飛沫が昇り、ほてった尻をかすかに冷やした。

  グルキュウゥゥ……
「はぁ、はぁ、は……っ……」
 しかし。治まるどころか、ますます重くなる内臓の痛み。
 未悠は泣きそうな瞳でおなかをぐるぐるとさすった。愛らしい薄桜色の唇をわなわなと震わせる。この小さな口からおよそ十二時間前に入った食べ物が、いまドロドロに溶けた汚物となって彼女の肛門から吐き出されたのだ。可憐な十一歳の少女の身体は、どうしようもなくその消化機能を乱してしまっていた。

「んんぐ……っ!」
  ブチュブチュブチュチュチュブポッ!
 そうして一息つくと、未悠は再び腹圧をかけ排泄を再開した。
 パンパンに膨らみ盛り上がった肛門から、高圧の下痢便が一直線に便器へと注ぎ込まれる。
 あれだけの量を出したのに、便意は少しも弱まっていなかった。それどころか、時間と共にどんどん膨れ上がってゆく。本当に、最悪の下痢だ。
  グギュオオオォォォォ〜〜ッ!
(もう、なんでこんな……っ! はやく、ぅぅっ!)
  ブリリリリブオッ! ブピピッ! ブピビピピップビピピピピッッ!
  ビジュルブチビチビチビチビチチチチブビッ!!
 荒れ狂うおなかを抱え込んでかばいながら、必死の思いで力を入れてふんばり続ける。
 切なく悔しげに眉を八の字に歪め、思いっきり尻を突き出し、爆音を放って肛門粘膜を震わせ翻らせながら、ぐちゃぐちゃに溶け乱れた腹の中身を便器へと叩きつける。
 しかめられた眉間から次々と脂汗が流れ落ちる。体の震えが治まらない。あまりにも苦しくて惨めだった。
「んぐっ!」
  ブビィーーーーッ!!
 さらに、どこまでも女の子らしからぬ、下品極まりない巨大な放屁。
 もう、情けなくてたまらなかった。こんな大切な時間に、ひとり汚らしくブピブピと下痢をしている自分の姿が。嘘をついてまでここに駆け込んで。今こんなことをしているのは、きっと学校で自分ひとりだ。
 未悠は自分の腹をうらみ、ぎっと唇を噛み締め、その肉を掴んで悶えた。

「ふんぅぅ、ううんん〜〜っ!」
  ブブブブブブオッッ!! ブオゥッ!!
 ただただ猛烈で、どうしても治まらない便意と腹痛。
 未悠はひたすら息み、毒を出し続けた。
 苦しげなうなり声、恥ずかしすぎる肛門の旋律。静かな女子トイレの奥まった個室で、ひたすらに格闘を続ける。
 この時、低学年の少女が一人トイレに入ってきたが、個室から渦巻く物凄い臭いと、そこから鳴り響く壮絶な屁に驚き、赤面して出ていってしまった。
  ブピッ! ブピピピッ! ブピピピブビビピッ……!
 食あたりを起こした女児が繰り広げる醜態。
 下痢。おなかがピーピーの下痢。人生最大の下痢。
 元気な歌声がこだまする校舎の片隅で、ひとり未悠は腹の中身を尻の穴から便器へと吐き出し続けた。

 ……そのまま篭り続けたが、未悠の下痢は止まらなかった。
 集合時間が近づくのを感じてもなお尻を便器から離すことができず、結局、集合と同時に鳴らされるチャイムを聞き、慌てて肛門を拭き始める羽目になった。
 ゆるみきった便意を無理矢理に押し止め、ひりつく痛みを堪えながら、荒々しく紙を擦り付ける。
 肛門の汚れはかなり酷く、この処理だけでも、想像以上に時間がかかってしまった。

 大慌てでパンツをひっぱり上げ、水洗音と同時に個室を飛び出す。
 乱れた髪を整えることも、手さえ洗うこともできず、未悠は体育館へ全力疾走することになった。
 下痢の飛沫にまみれた便器とタイルをそのまま残して……。


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 体育館に入ると、もう、校長先生の話が始まっていた。
 未悠は赤面しながら小走りで、ぽっかりと空いていた自分の椅子へと着いた。

 隣の席の奏を含め、回りの女子たちが怪訝な瞳で見つめてくる。
 無理もなかった。不自然な遅刻に加え、未悠は顔を脂汗でどろどろにし、その前髪をべったりと濡らして額に貼り付けているのだ。どう見ても様子が普通ではない。

「みゆちゃん……どうしたの……?」
 奏が小声で話しかけてきた。
「ぇ……、どうもしないよ……」
 逃げるようにしてごまかす未悠。しかし奏は何かに気付いたようだった。
「汗、すごいよ……拭いたほうがいいよ……」
「あ……」
「ハンカチ、持ってる……?」
「うん……」
 未悠はそっとハンカチを取り出し、顔を拭い始めた。
 奏はそれを心配そうに見つめた。未悠が来るなり、ぷうんと下痢の臭いが漂ってきていた。

 そうして空気は元の停止へと戻り、少女たちは再び前を向いて壇上へ意識を戻した。
 周囲の何人かも異臭に気付いていたが、敢えて指摘する者は誰もいなかった。
 静かに話が続く中、未悠はこそこそとハンカチを額に擦りつけ、手ぐしで髪を整えた。

 強引に抑えつけたのがかえって良かったのか、幸いにして便意は和らぎを見せ始めた。
 直腸の中の泥が、ゆっくりと腹の奥深くへ逆流してゆく感覚。鈍い腹痛こそ治まらなかったが、こちらもいくらか楽になってきた。ハンカチをしまったのち未悠は手を膝の上で重ね、ときおり腕をもぞもぞと下腹に擦り付けた。

 そのまま、休憩なくスケジュールがこなされていった。
 校長先生の話に続き、音楽の先生からの言葉。そして全校で校歌を歌った。
 歌いながら、未悠は遥か壇上でピアノを弾いている先生の姿を見つめた。
 今、あそこに全校生徒の視線が注がれている。――そう思うと、これから自分がすることは途方もなく大きな役目なのだと思われた。児童ピアノコンクールで受賞した経験もあるが、それよりもずっと大変なことのような気がした。

(わたし、がんばらなくちゃ……がんばるんだ……)
 未悠はそっと目をつぶり、ピアノを弾く自分を思い描き、精神を翼の旋律で満たした。
 研ぎ澄まされる緊張が腹痛さえ飲み込んでゆく。
 これなら、なんとか大丈夫――。


 ……だが、その"優しさ"は、未悠の腹に巣食う悪魔の遊興にすぎなかった。

  グギュルルゴロロロロロ……
(ぅぅぅぅぅ……)
 あれからおよそ二十分。三年二組の歌声が響く中、未悠は険しい顔でおなかから不協和音を放っていた。
 二年生の合唱が始まった頃から、また調子がおかしくなり始めたのだ。それが三年生の番になるや物凄い腹痛に襲われ、直後に未消化物の荒波がどどっ、と肛門に押し寄せてきた。

  グリュリュリュクゥゥゥ〜〜……ッ!
(……うんちしたい、うんちが、したい……!)
 額から脂汗を噴き出させ、ぎゅっと膝を掴み、体を縮こまらせてぶるぶると震える。
 最悪の状況だった。よりにもよって、この今に猛烈な便意をもよおしている。もう、あと十分かそこらで自分のクラスの番が始まるというのに。すでに未悠の小さなおしりは限界の様相を呈していた。
  ……グピィィィィィィ……
(おなか、痛いよお……!)
 足指と膝を擦り合わせ、密やかに悶絶する。
 便器を求めて数秒置きに盛り上がる肛門。そのたびに全力で括約筋を閉めつけてすぼませる。
 大質量の泥が鬼のように穴を圧迫していた。めまいさえ起こさせる狂おしい排泄欲求。とにかくこの苦しみを吐きたい。今すぐ便器にまたがり尻をむき出したい。
  キュルルグウウゥゥゥゥッ
(もうがまんできない……トイレに行きたい……でも……っ!)
 だが、いまトイレに駆け込んでしまったら、発表に間に合わない恐れがある。
 その最悪の可能性に脅え、限界線上で未悠は動けず迷い続けていた。
 青ざめて泣きそうな表情で。もう頭はおなかのようにパニックで、少しも思考が働かない。

 ――その時、三年二組の合唱が終わった。
 拍手と共に生徒たちが退場し、早くも四年一組の生徒たちが立ち上がる。
 各学年二組構成。これで、未悠の五年二組まで、もうあと三クラスしかない。駆け下る便意と歩を合わせ、状況はどんどんと切迫してゆく。満場の拍手が下痢腹に響き、衝撃で未悠はあやうくちびりそうになった。

  ギュグオオォォォ〜〜ッ!
(ぅぁ……)
 そして四年一組が列をなして進み始める。――最中、鮮烈に未悠はおしりの穴に危険な感覚を覚えた。
 たまらず全身をぞくりと震わせ、体を前屈みにして椅子から尻を浮かせる。
(……も、もうだめ……。このままじゃもらしちゃう……)
 腸内の下痢便が、一気に肛門から噴き出ようとしている感覚。
 三年生の時、下校中に我慢できなくなって下痢を漏らしてしまったことがあるが、その直前に覚えた感覚と全く同じであった。いよいよ限界だ。もう、どうしようもない。背に腹はかえられない。
 腹痛にもだえ肛門を痙攣させながら、なんとか十分以内に行為を終わらせようと決意した。

「ちょっと……わたし、トイレ行ってくる……」
「え? ちょ、みゆちゃん?」
 先生が裏方の仕事で忙しいので、もよおした時は勝手に行って良いことになっていた。
 未悠はすっと立ち上がると、奏の驚きの言葉を尻目に、背を曲げて体育館の出口へと疾走した。


  グウーーーッッ!!
「ぅぅっ……!」
 外に出るや、もう出せとばかりに、視界の溶ける物凄い便意が未悠のおしりを威圧した。
 身体が脱力して膝が折れ、たまらず両手で肛門を押さえつける。
  プスップスススッ!
(は、はやくっ……!)
 それでも穴が緩み、下痢ガスが漏れ始める。
 幸いにして、トイレの入り口はすぐ近くにあった。吸い込まれるかのように、尻を抱えながら突撃する。

 トイレ全体のドアをひっぱり開け、すぐ側の個室の中に体を丸めて飛び込む。
  バタンッ! ガチャッ!!
 今度は個室のドアを全力でひっぱり閉め、刹那の速度で鍵をかける。
  プピピピピッ!
(はやくはやくはやくっ!)
  ファサファサガササササズザッ!
 おそらく物凄い表情をしていた。震える手で慌しくスカートをたくし上げ、両手でパンツをずり下ろす。
 同時に、一気に股を開いてしゃがみ込んだ。すべき場所でむき出されたおしり。丸々とした双球の中央、赤く盛り上がった肛門が便器を捉えた瞬間、
  ブリュリュビチビチビチブビビビビビィィィィーーーーッッ!!!
 未悠は限界を迎えて脱糞した。少しも自発的ではなく勝手に物凄い腹圧がかかり、腸の中身が飛び出した。
 激烈な下痢便噴射。まるで便器の底をけずるかのような勢いで、肛門から茶色い滝が打ち付けられた。

  ビュルルブボビチビチビチブボボボボボブポッッ!!
  ブジュジュジュジュジュジュブボッッ!! ビチブブブブブーーーッ!!
 めちゃくちゃな勢いで、さらに次々と未悠を苦しめていた下痢泥が噴射される。
 腸が発狂したかのような下痢。まるで壊れたスプリンクラーだ。我慢したぶん勢いがすごい。下しきった未消化物が肛門粘膜を暴力的に振動させ、激しい爆音を立てる。
 大粒の脂汗が伝わり落ちる尻。白く愛らしいおしりが、泣きながら黄土色の汚物を吐いている。
「っふぅぅ……!」
  ……ブパッ!! ブビッ! ブビビボトッ!! ビトビトボトッ!
  ブウウゥゥゥーーーーーーッ!!
 ガスが弾けて噴出が止むと、今度は肛門が派手にひくつき、粥状の塊がボタボタと垂れ落ちた。
 乱れきった大腸がぼこぼこと蠕動し、その内容物をきりなく肛門へ押し下している。
 未悠の下痢腹は普段の幾倍ものガスを生産し、直後にはその気体分が大量に放屁された。

  ギュルルゴロゴロゴゴォォォ〜〜
「はぁー、はぁーー……、ううぅぅぅ〜〜……!」
  ブリュリュビチュビチュビチュボタッ!! ブピピビピピピブピピッ!
 問答無用で肛門を開かせる便意がなんとか治まり、力んで苦しみを搾り出す作業へと移る。
 地獄の腹痛。がくがくと痙攣する足。重苦しくうなり声をあげ、両手で下腹をぐるぐるとさすりながら、未悠は必死に腹圧をかけ続けた。
「……っうぇぇっ……」
 その声にえずきが混じる。鼻のねじれそうな物凄い悪臭が、股の間から漂いだしたのだ。
(くさ、い……きもち、わるい……っ……!)
 たまらず顔をゆがめる。眉間に深く皺を寄せ、今までよりもいっそうひどく。
 かつてなく重い内臓の苦痛に悶えている未悠。それが相まり、自身の便臭に吐き気までもよおした。
「お、ぉえっ……っぅん、うぅぐ……っ、」
  ブピッピピッブボッッ! ブプリュブリュリュビチビチブピッ!
 水を流したいが、腹が痛すぎて抱え込む手を離す余裕すらない。
 顔面蒼白で目を回しながら、未悠はピーピーの下痢を便器へと叩きつけ続けた。
 全身にまとわりつく腐った空気。じめつき、むしむしする個室。変な汗がどんどん出てくる。きもちがわるい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい……。

「……ぉぷっ!?」
 突然、強烈な吐き気がこみあげた。反射的に右手で口を覆う。
 喉の奥から何かがせり上がってくる感覚と共に、口内にすっぱい味が広がった。
(や……っ!!)
  ゴボボジャアアアアァァァーーーーーーーッッッ
 咄嗟に左手を伸ばして水を流す。全身が疲弊脱力し、レバーを倒すだけでも一苦労だ。
 バラバラに溶けて押し流される悪臭の源。その駆けゆく茶色い水流にまで、未悠の下りきったおしりはぶぴぶぴと下痢を注ぎ込む。

  ……ピビッ、ブピピビピッ……プポッ……
「ぅ、ぅふっ、……はぁ、はあー……はあー……は、ぁ……っ」
 しまりなき下痢尻。重ねて水屁を垂らしながら、未悠は荒く痛ましく息を吸い吐きした。
 肩をぶるぶると震わせ。なお顔を歪めて口元を抑え、つぶった目尻に大粒の涙を浮かべながら。
 なんとか戻してしまうのだけは避けられたが、この胃と腸と身体中を這いずる不快感はまさに地獄だった。頭がひどく痛い。視界がぐらつき、汗が絶え間なく噴き出してくる。

  キュルゥゥゥゥ〜〜ッ!
「ぅっ、ぐぅぅ……!」
 その弱りきった小さな体に鞭を打つかのように、再び猛烈な腹痛の波。
 腸のねじくれるような激痛が蠢き、未悠は目を見開いて悶絶し唇と手を震わせながら腹を抱えなおした。
  グギュルルルルルッ!!
「ぐうううーーっ!」
  ブビビビビビビビーーーーーーーーッ!!
  プビチブビピビチビチビチビチビチ、ブポッッ!!
 せつな雷鳴が轟き、突き出された尻から土石流が便器へ叩きつけられる。
 その唐突で強引な大質量の噴出は、まるでおしりが口の代わりに嘔吐をしたかのようであった。
 またもや便器の中が黄土色の未消化物で満たされる。未悠の下痢ウンチ。絵に描いたようにドロドロだ。

  ゴロゴログウウウゥゥ〜〜〜ッ!
「あぁ……ぁ……、あぅぅ……ううぐ……」
  ビリュリュリュリュリュッ! ブビチブジュリュリュリュリュッ!!
 さらにうめきながら、おしりの穴からビチビチの下痢を吐き出してゆく。
 なお吐き気に苦しみ顔を歪め、腹をへこませて顔を前に突き出し、口をすぼめて悶絶しながら。
 不気味な体の震えが治まらない。もう、内臓がぐちゃぐちゃになっている感覚だった。自分の体がおぞましい。おなかが痛い。おなかが痛い。おなかが痛い。……食あたり。腐った魚を食べて腹下し。まさに服毒の苦しみだ。

(はやく……早く戻らなくちゃいけないのに……っ……!)
 ぎっと唇を噛む。歌が聞こえていた。体育館の合唱だ。そろそろ四年一組が終わる。時間がない。
「……ううぅぅっっ!」
  ブババブッ! ブブブッ! ブブブブブーーーーッ!!
 なのに、腹が緩みきり、猛り狂う排泄欲求が少しさえも収まらない。
 どうしようもなく下痢。尻を便器に縛り付ける猛烈な便意。ことここにきて、未悠の腹具合は最悪に至っていた。
 ただひたすら、粥と化した腹の中身がおしりの穴から飛び出してくる。
(このままじゃまにあわなくなっちゃうよお……っ!)
  ブーーーーーーッ!!


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「ねえ……みゆちゃん……どうしちゃったのかな……?」
「おかしいよね……」

 五年一組が壇上に向かう中、二組の少女たちは怪訝な表情で小さく言葉を交し合っていた。
 その視界には、ぽっかりと空いた椅子。
 ……未悠が、戻ってこない。

「もしかして……みゆちゃん、おなか壊してるんじゃないかなあ?」
「え……?」
「こんなにトイレに時間がかかるのって、変だし……」
「ちょっと長すぎだよね……」
「それにね、音楽室に行ったらしかったけど、あのあと用事があって行ってみたら、みゆちゃんいなかったよ……」
「うそ……? じゃあ、なんで遅れてきたの?」
「だから、もしかしたら、あの時も嘘ついてトイレに行ってたんじゃないかなって」
「もしそうなら、完全に下痢じゃない……」

「ね、わたし、ここに来る途中で、二階のトイレ使おうとしたんだけど……、」
「だけど?」
「中に入ったら、すごい……ゲリの臭いがしてね……誰か、音立ててウンチしてた……もしかしたら……」
「そういえば、さっき未悠ちゃんが遅れてきたとき、……ちょっと、変なにおいがしたね……」
「じゃあ……」
「……みゆちゃん……だいじょうぶかな……」
 静かに続き発展してゆく会話。もう、バレバレだ。

「わたし、ちょっと様子見てくる」
 その最中、それまで沈黙を保っていた奏が、突然すっと立ち上がった。
 そして周りが言葉を止める中、そっと席を離れ、体育館の出口へと歩いていった。


『次は五年一組、指揮者は――さん、伴奏は――さん、曲名は――』
 司会生徒の声が響き聞こえてくる中、外の廊下を早歩きで進む。

(もう、時間ないのに……。みゆちゃん、そんなにおなかの具合悪いの……?)
 すでに感づいていた奏。女子トイレの前に立つや、焦りの思いと共にドアを開ける。
  ブリブリブーーーーッ!! ブウウウゥーーーーッ!!

「……っ……!」
 開けると同時に、両手で口を覆って目を丸くする。
 中に入るや意識に飛び込んできたのは、壮絶な下痢の噴射音だった。

  ブピッ! ブプポッ! ブビッビピピップビビビビビブボッッ!!
 さらに、大量のガスが混じったピーピーの脱糞音が響きわたる。
 入口最寄――固く閉ざされた個室のドア。赤い使用中の表示。爆音の発信源。ここに未悠が篭っている。
 そして臭ってきた。明らかに健康なそれとは異なる、強烈な便臭。……下痢の臭いだ。もしトイレに入った時にこの臭いがすれば、誰かが腹を下していると断言できる――それほどに酷い悪臭が、女子便所の中に充満していた。

  ビチビチビチビチビチブビッッ!! ブオッ!
(ゲリだ……。みゆちゃん、本当に……完全に、ゲリだ……)
 あまりの臭いに顔をしかめながら、異常事態に胸をざわつかせる奏。
(なにやってるの……こんな日にかぎって……)
 その時、美しい旋律と共に一組の歌が始まった。
 軽やかなピアノが力強い歌声を導く。一組の奏者もかなりの腕前だ。

  ブゥーーーーッッ!!
 同時に、トイレの中には巨大な屁が響きわたる。
 全校生徒が体育館にいるコンクールの最中、ただ一つだけ閉ざされた個室。
  ブビビビッ! プピッ! ブリブリブリブボッ!
 二組の奏者はひとり尻をむき出し、ひたすらに肛門から下品な下痢の音色を奏でていた。

  ブウウゥゥゥーーーッ!!
(……どうしよう……このままじゃ……。みゆちゃん、ちゃんと時間までに出れるの……?)
 またもや猛々しく放屁。鳴り止まない未悠の肛門旋律に、奏の焦りはつのっていった。
 歌声は個室の中にも聞こえているはずだが、まるで行為を終わらせる気配がない。
 しかし、無理もないことだった。「トイレの住人」という言葉があるように、本当に下痢が酷い時は、人は便器から離れられない。今の未悠はまさにその状態のようだった。

 ノックすべきか迷った。
 そうしないと一生出てこないような気さえしたが、しかし未悠は傷付くだろう。自身の下痢をひたすらに隠し続け、今でもそのつもりである彼女。それゆえに、ギリギリでなんとか出てくる可能性も高かった。

「……っ、」
 喉をごくり、と鳴らす。
 伸ばしたい手を堪え、奏はぐっと重くうつむいた。
  ブビィィ〜〜〜ブウウゥゥ〜〜〜〜ッ!!
 そしてそのまま――息を呑んで立ちつくした。


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「うううぅ……ぅんっ! っううぅ……!」
  ブピピピピッッ! ブウッ! ブリブピピピピッ!!

 下痢が……止まらない。

 個室の中、汗のしたたる白いおしりを全力で便器に向けて。
 遠く聞こえてくる一組の歌声に胸を焼かれながら、未悠は半泣きになって排泄を続けていた。
 どうしても、腹痛が治まらないのだ。焦燥感に胸をかき乱され、唇を噛みすぎて血を滲ませていた。

  キュルゥゥォォォォ〜〜〜ッ……!
(どうして……? どうしてこんなにおなかが痛いの、どうして……っっ!!)
  ブビッ! ビチビチビチブビビビビビッ!!
 先生との会話が思い起こされる。まさか本当にこんなことになるなんて。
 ここまで自分の身体が言うことを聞かないのは、生まれて初めてだ。
 ぎゅるぎゅると荒れ狂う下痢腹。無限に大便が出てくる感覚。
 両足が、がくがくと痙攣していた。じめつく個室で大量に発汗し、もう全身がぬちゃぬちゃだ。体からすっぱい匂いの湯気が立ち上っている。髪の毛は風呂上りのごとく濡れ乱れ、ほのかに膨らみだした胸に下着がべったりと貼り付いていた。特におしりがぬるぬるで、まるで誰かに舐められているかのような感触だった。

「ぅぐっぅぅぅぅううんっ……!」
  ブピュブビビビブリリリリブポッ! ブビビビビブウゥゥッッ!!
 喘ぎうめきながら、思いっきり尻を後ろに突き出して全力でふんばり続ける。
 腹を殴られるような腹痛に悶絶しながらも、未悠は両手で尻肉を掴み、左右に押し開いて息んでいた。
 汗だくの尻、まるまるとむき出された排泄器官。恥も何もない。……あまりにも必死だ。
  ブボッ!! ブポピッッ! ブウッ! ブビピピブビィッ!
  ビリュリュリュリュブビビビッ!!
  ブゥゥゥゥーーーッ!!
 次々と吐き出されてゆくピーピーの未消化物。
 すぼめた唇のように盛り上がった肛門から、ひたすらに噴射、噴射、噴射。
「ううっうぅぅぅ〜〜っ!」
  ブボポポボボピッ! ブビピピブピッ!
 物凄いうなり声を上げながら、腐臭を放つミートソースを便器へと叩きつけてゆく。
 ――その時であった。

「ちょっと……みゆちゃん、だいじょうぶ……?」
  ブオッ!!
 突然ドアがノックされ、奏の声が聞こえた。ついに痺れを切らしたのだ。
 はっとして未悠は肛門を締めたが、抑えきれず屁が溢れ出した。
  プッ、プピッ、ブピピ……ッ……
「……みゆちゃん、だよね?」
 さらに肛門をひくつかせて下痢便を漏らしながら、羞恥で口を押さえつける未悠。
 とうとう知られてしまった、と思った。
 その尻から産み出された汚物の臭いが漂う中、外からは小さな声が申し訳なさそうに続いた。

「……ごめん……、すぐに……出るから……」
 頬を赤熱させ、数秒遅れてようやく声を絞り出す。――が、
  グリュリュリュリュッ!
「ぅぅっ……!」
  ブポトポトポトポトポポポブビッ!
 その言葉の先から、腹痛に耐えられず下痢便を便器の中に注ぎ込んでしまう。
 未悠はほとんど肛門の感覚を失っていた。もはや、おなかというよりもおしりがピーピーな様相だった。

  ゴボボジャアアアアァァァーーーーーーーッッッ
 その恥ずかしい音と、濃密に漂う自身の下痢便臭に胸を灼かれ、未悠はいきなり水を流した。
 目を赤く腫らし、世にも惨めげに唇を震わせて。
 汗のしたたり落ちるほてった尻を、清冽な水飛沫がひやりと涼める。灼熱しきった肛門がきゅっと縮こまった。

「みゆちゃん……その……、おなか……ゲリ、ひどいの……?」
 心配そうに震える楓の声。腐った卵のような強烈な臭いは、源を下水に送っても、もはや少しも薄まることはない。
「だいじょうぶ、もうあとちょっとで出るから……っ!」
 腹をぐるぐるとさすり、肛門をひくつかせながら未悠は答えた。
 一組の歌が二番に入った。もう、本当に時間がない。

「もうすぐ始まっちゃうよ、はやく……」
「わかってるよおっっ!!」
  ブウーーーッ!!
 未悠は叫び、同時に激しく放屁した。
 その腹具合同様、心の安定も著しく乱れていた。奏の声がびくりと止まる。

「ぐうぅっ……!」
  ブビチビチビチビチ! ビチブビビビィィッ!
  ブポッ!! プビチビチビチブチュ、ブブボポポポッ!
 そして再び、うめき、尻を震わせて黄土色の粥をぶちまける。
 猛烈な腹痛も、滝のように下る便意も、気持ちの悪い発汗も――どれも少しも治まらない。
「みんな心配してるよ、みゆちゃんのこと、待ってるよ……!」
 噴射し終わるなり奏の声。未悠は瞳を見開いた。聞こえる歌は加速していた。未悠の鼓動も加速してゆく。
 言葉は胸を貫き、これが運命を決めたのかもしれない。

「ごめんねかなちゃん。今からおしり拭くから」
 小さく短く、しかし重くため息をつくと、いきなり未悠はそう言ってトイレットペーパーに手を伸ばした。
 まだおなかが痛くて痛くて、下痢を出したくて出したくてたまらないにも関わらず。
 ……もう、極めて単純に、こうせざるをえなかった。

  グキュゥゥゥゥ〜〜〜ッ……!
 欲求を訴える下腹を左手でさすり抑えながら、右手でびりりと紙をちぎる。
 巻き取ることはなかった。すでにペーパーはだらりと伸びていた。途中――四年二組の合唱の最中、未悠はいちど便意を抑え付けて肛門を拭き、個室から外に出たのだ。しかし洗面所で水をがぶ飲みしている最中に我慢できなくなり、再び飛び戻っておしりを出してしまったのである。

「っふぅぅ……ぅぅ……」
  プゥゥ〜〜ゥゥゥゥゥ〜〜〜〜……
 カサカサと紙を畳みながら、下唇を噛んで放屁する。
 熱く高いおなら。長々と搾り出しながら、心の中で「ごめんなさい」と先生に謝る。
  ……プッ、プピピッ、ピヒッ、
 折り畳んだそれを肛門に近づけると、さらに出てきた。
 その腹の下り具合を如実に反映している水屁、あるいは下痢屁。黄色い飛沫がペーパーに飛び、盛り上がった肛門に同色のシャボン玉が膨らんだ。

「……っ!」
 それを一思いに押し潰す。
 紙を肛門に当てると同時にじゅくりと激痛が走り、未悠はたまらず尻をすぼめた。
 自分の肛門が充血して膨れ上がり、固くなっているのが分かる。粘膜は酸便に貫かれ続け、痛く痒く腫れていた。
「ぅ……っ……!」
  ムリュ、ミュリュリュリュ……
 押さえているのに、腹痛を我慢できず穴を緩めてしまう。
 紙越しに伝わる、熱く軟らかい質量。まるでおもらしの感覚。
(だめ……っ!)
 しかしこんなことをしていては、永久に肛門を綺麗にすることなどできない。
 未悠は思いっきり中指を突き立てた。ペーパーが穴にめり込み、激痛が走る。不快感が腸にまで響いたが、それでもぐっと指を挿し続ける。

  ……ブリュリュ……ブリュ…………プリュ…………
「ぐ……、」
 気迫で耐えきる。未悠はそっと指を離した。
 今にも中身を溢れさせそうにひくひくと痙攣する肛門。もう感覚がないが、それでも必死に締め付ける。
 いまのうちに――!
  ガラガラガラガラガラガラガーーーーーッッ!!
 未悠は物凄い勢いでペーパーを巻き取り始めた。

  ガラガラガラガラガラーーーッビリィッ!ガサガサカササ……、
  ……ガラララガラガラガーーーッ! ビリリガサカサカサカサッ!!
 そしてほとんど痔にも等しい灼痛に耐え、狂ったようにして肛門を拭いていった。
「…………」
 外では、口に手を当てて見守る奏。
 あまりにも荒々しい――ある意味では脱糞の音よりも汚らしい壮絶な連鎖が、トイレ中に響き続けた。

 <続く>


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