No.03「お薬の事情」

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 港が帰宅路の商店街を歩いていると、ある記憶を呼び覚ますものが目に入った。
「あっ、薬局。そういえば……」
 港は昨日テレビでやっていた便秘薬のCMを思い出していた。
 11歳の子供から使えるという便秘薬。それは便秘に悩む港にとって、かなり興味を引かれるものだった。
 その時は母親が一緒にいたこともあり、あまりリアクションも取れなかったが心中では、
(あれ使えれば、楽になるなぁ……欲しい!)
 と興奮していたのだ。だがその関心もすぐに始まったバラエティー番組に飲まれ、薄れていっていた。
(そうだ、売ってたら買いたいなぁ。でも……)
 便秘薬を買うのは、恥ずかしい。
 一度市販の便秘薬に手を出そうとした港だったが、対象年齢が及ばない上、店員に私は便秘です。とわざわざ伝えるようで嫌だった。
 実は私のじゃなくて、お母さんのです。と言えればよかったのだが、嘘をつくのは後ろめたいし、何だかお母さんを使うのは嫌だった。
(でも新しいやつは子供向けだし、大丈夫だよね。それとお腹痛いままは……嫌だから)
 港は小さな決心を胸に抱き、薬局に入っていった。
 あまり大きなお店でないことと、便秘薬の場所へは一度訪れているのですぐに目的の薬は見つかった。
「あった……」
 箱のパッケージには確かに「11歳からでも飲めるタイプ」と書かれていた。値段も今持っているお小遣いで充分に足りる範囲だった。
 ちらり、とレジを見ると店員は若い女性。男性だったらどうしようと思った港だったが、懸念は外れたようだ。小学五年生の港にも、便秘薬=うんちの公式――男の人に便秘薬を見られるのは恥ずかしいという羞恥心は生まれていた。
 港は心の中でそっと呟き、店員に便秘薬を差し出す。店員は特に怪しんだり笑ったりもせず会計に通した。やはり同じ女性同士、苦しみが分かるのか、単に興味がないだけか。
 ビニール袋に包まれた薬を丁寧に受け取り、港は薬局を出た。

 港は部屋に入るとさっそく便秘薬を開封し、説明書を取り出した。
 それによると、服用してからだいたい8時間で効果が表れるらしい。
(じゃあ朝に飲んで、ちょうど放課後には出せるかな?)
 今すぐ飲んで一秒でも早くひり出したかったが、現在午後5時から8時間後は――深夜1時。
 さすがに夜更かしするのはためらわれた。
「明日登校する前に飲む……と」
 港は便秘薬を机の引き出しに隠し、うきうきした気持ちのまま宿題に取りかかった。

  しゃーーじょぼぼぼぼ……ちょろろ、ちょぽっ
 寝る直前に尿意を感じ、港は便座に腰掛けておしっこをしていた。
(こんな風にうんちも出てくれたらなぁ……)
 尿意は完全になくなり、夕食後から強くなった腹痛が際立った。
 便秘のせいかあまり食欲がなく、ご飯も普段よりも喉を通らなかったが、腸を圧迫するには充分な量だったらしい。
「んっ……うぅんっ」
 トイレに来た試しにきばってみるが、相変わらず大便はビクともしない。
 自宅でうんちをする恐怖が身に染み付いて、お尻を強ばらせる。
「ふぐう、うぅぅぅぅん!」
 お腹に手をあてがい、背中を九の字に折り曲げる。
「んーっ、んんっ!」
 膝におでこが付かんとばかりに縮こまる。りんごを素手で割るように、尻たぶを左右から強引に開かせる。
 しかし――五分ときばり続けた成果は、何もなかった。
 港はトイレットペーパーを巻き取り、軽く恥部を拭く。
 いくら《大便がしたい》という気持ちがあっても、本能的などこかで自宅での排便を拒んでいる自分がいるのだ。それはいかにお腹のモノが蓄積し肥大しようとも揺るがない。
 生み出したカタマリが水の渋滞を巻き起こし、親を困らせた。
 小学生と言えども高学年、親に大便を見られた、それもトイレを詰まらせる程の巨大なモノ。確かな自我に刻まれたほんの小さな溝、羞恥の隙間。それは少女の脆い心にとある戒めを杭にして打ち込んだ。
《お家でうんちをしたら、詰まらせる》
 心の傷は、今も港を苦しめていた。


 港は跳ね上がるように布団を押しのけて上体を起こした。冷や汗に濡れる顔を拭う暇もなく腹痛に唸る。
「ん……んあああぁっ」
 ついに便秘状態が七日目に突入した。当然、溜まりに溜まった汚物の圧力は前日の比ではない。
 時計は六時の方向を指している。早朝からこの具合では昼には倒れるんじゃないかとさえ港は思えた。
(そうだ、お薬飲まなきゃ)
 港はベッドから降りて机の引き出しを探った。乙女心ながらに奥に押し込んだ一つのビン。状況改善を図ろうと、勇気を振り絞って購入した便秘薬。それをパジャマのポケットに隠し、台所へ向かった。
 願わない早起きが幸いして、両親や姉はいなかった。お気に入りのコップに水を注いで、港はコップの海の水面に映る自分の顔を見た。
 ひどく、やつれているのだ。
 精神的にも肉体的にも疲れきったのが、はっきりと目の隈や頬の張りに反映されている。
(だいじょうぶ……これさえ飲めば、治るの)
 港は決意を胸に、指定数の錠剤――三粒を口に放り、一気に水で胃袋に流し込んだ。朝一番の水は冷たくて、体の芯から冷めていく感じがした。
(これで放課後には効いてくるよね……おしっこしてこよ)
 胃へ流れた冷水で刺激されたのか、尿意を催したらしい。港はパンパンに膨れたお腹をさすりながらトイレへ向かった。
(ちょっと汗臭いかも)
 パジャマは汗を吸って少し重かった。これも便秘の弊害なのかもしれない。
 便器を叩くのは緩やかな水流だけで、真っ黄色だった。

 腹痛と闘いながら午前中の授業をくぐり抜け、給食の時間になった。便秘のせいで食欲のなかった港は、ほとんどの給食を隣席の早紀や、クラスの男子に分けていた。それでも牛乳だけはお腹に効くかもと、吐きそうな気分を押しのけて飲み干した。

 便意の混ざった腹痛を抱えたまま五時間目の算数を迎えた。
  ゴロロ……ギュルルルル〜〜〜ッ
(やだっ)
 お腹の底から腸が胎動した音が響く。あまりにも音が大きいので港は身をすくめた。幸い誰も気付いていないようで、周りの友達は板書をしている。
 下痢の経験がここ一年ない港でも、お腹が下ってしまったのがよく分かった。そう、便秘薬が効き目を表したのだ。
(おかしいな……放課後に効くはずなのに…………あっ!)
 港は自らのやってしまった失敗に嘆息した。
 便秘薬の効果が発揮されるのは服用してから約八時間後。それに対し服用したのが午前六時……つまり、港は飲む時間を誤ったのだ。
(八時に飲むはすだったのに……うう、痛いよお)
  ごろっ、ぐるるるる
 次は自分にしか聞こえない程度の唸りだったが、着々と溶かされた汚物が下ってきているのを伝えている。
 更に腹を圧迫するような腹痛は、何かに腸をかき乱されたような、荒々しくも鋭い痛みになっていた。
(早くうんちしてこよっかな……でも授業中は恥ずかしいな)
 うんちは恥ずかしい――小学校での暗黙の了解として知らず成り立っている悪しき風習――というのは小学生の誰でもが持っている本音である。個室という閉鎖空間であれど、占有時間や流す回数、更には臭いで事はばれるのだ。男子よりは気軽に大便に望めようとも、女子はお互いの様子に敏感だ。ちょっとした事で男子にバレたものなら、即座に辱めが待っている。
 名前に《うんち》と付けられたり、事ある毎に排便の件をなじられたり……そんな他人の被害を目の当たりにしている港。排便にコンプレックスを抱く港だからこそ、排便への抵抗は一層強い。
 そんな事情からしばらく逡巡していると……
  ギュルギュルギュギュ〜 ゴロロロロッ!
「ひぁっ……」
 さっきのゴロ音を凌駕する音量で腹が鳴り響いた。さすがに聞こえたのか、隣の早紀が港を見つめていて、二人は目があった。
 早紀とは時々遊ぶような仲良しで、休み時間はたいてい彼女とお話や予習をしている。
「どうしたの、港ちゃん……」
 黒板で分数の式を書いている先生に気付かれないようヒソヒソ声で尋ねた。
 港は気恥ずかしそうな表情で答えをためらっていたが、
「もしかしてお腹痛いの?」
 早紀が港の気持ちを変わりに代弁した。港は隠しきれないと悟って頷いた。
「我慢してないでおトイレ行ってきたら?」
「だって…………恥ずかしいもん」
 港は首を振って言った。
「なら保健室一緒に行ったって事にしておトイレ行けばいいよ」
「でも……」
「大丈夫、誰にも言わないっ」
 早紀は思ったら即行動という行動力のある女の子で、みんなが手を挙げにくい質問なんかに率先して答えるほどだ。すぐさま先生ー、と言い、
「港ちゃんが気持ち悪そうなので保健室連れていきます」
 先生は特に怪しむことなく、
「そうか、なら任せたぞ」
 と言って黒板に向き直った。多少の私語や忘れ物には目を瞑るいい加減な先生なので、怪しまれたり詮索される事はなかった。
「さあ行こ、港ちゃん」
 早紀は港を促し、教室を出た。窓越しの視線が気になった港はお尻を押さえるような真似は出来なかった。激化する排泄衝動、肛門を貫こうとする硬質便にせかされつつもトイレへ向かった。偶然にも保健室へ繋がる廊下の途中に、トイレがあって良かったと港は思った。
「だいじょうぶだよ、早く行ってきて」
「う、うん……」
 早紀が嫌そうな顔をせず、微笑んでいるのを見た港は、急いでトイレに走った。
 猫背みたいに曲がった後ろ姿を見送る早紀は、おもちゃを与えられた子供のように笑っていた。

 今にも決壊しそうな肛門に指をあてがい、一番手前の個室に駆け込む。洋式へ向かう猶予はあったが、七日分のうんちなんかしたら詰まるかもしれないし……という切ない思いがあって和式にした。
(いつも放課後に和式から洋式へ移るのは、詰まり対策だったっけ。最近は気持ちいいから和式なんだけど……うぐっ)
  ゴポポ、ゴギュリュリュリュルル!
 今までに聞いたことのない大きな音でお腹がなった。港のお腹にはどろどろのうんちが溜まっている。
 今日はスカートにしてよかったと思いつつ、パンツと一くくりにして膝まで下ろす。腸を刺激しないよう慎重に腰を落としていく。
「んあっ、あああぁあああっ!」
 お尻が便器を捉えた途端に腸が目覚めきったかのように暴れ出す。
 一気に肛門が熱くなって広がって痛くなって――
「でるっ――」
  ミチミチミチミチュミチミチミチチチ!!
 今の今まで港の中に潜み続けていた硬質便が、事も無げに吐き出されたのだ。
「うぐうぅぅぅぅぅぅ!」
  ミチニチニチニチニチニチニチニチ!!
 港が必死の限りにきばってなお、一向に顔すら出さなかった便が、するすると露わになっていく。港はひたすらに感動と快感を覚えていた。
「あっ、あぁぁぁぁぁぁ……」
(すごく、きもちぃ……)
 真っ黒い粘土のような便の進撃は止まらない。港の小さな肛門をいたずらに押し広げ、白いように見える便器に盛られていく。港は波のように押し寄せる快感と、排便に伴う激痛――矛盾した感覚に踊らされる。
「うぁ、ふううううう!」
  ニチニチニチ……ズズ…………
 金隠しの上側を走るパイプを握りしめ、肛門の裂けるような痛みに耐える。
 いつしか、糠に杭を打ち込むような流れの良さで排出されていた硬質便の動きが止まった。――そう、肛門を限界以上に拡げたままで。
(いたい、いたいよぉ)
  ウギュルルルルル!
 腹は鳴動せども、便は降りず。
 三〇センチはあろう極大便の先端は便器の前方に横たわり、やや後ろ側に跨っている港の肛門に繋がったまま。途切れない一本のモノが、今更になって抵抗しているのだ。
 排泄快感だけが失せ、相殺されていた痛みが港を襲う。今までにも太い大便を幾多も出し、鈍痛に苛まれていたが一週間に渡って港の中に鎮座したモノだ。太さは過去の比ではない。
「うぐ、うぅっ」
 港は耐えきれずへその前に畳まれた膝で、お腹を抑えつけるようにした。つまり、お尻を持ち上げるように後方へ突き出したのだ。すると、勢いを忘れた硬質便に動きが見られた。
  ズズッ、ニュル……
「んっ、うぅぅううん!」
 港はチャンスを逃すまいと、一挙に力を――お腹に込める。
  ミチミチ、ブチュアッ!!
「あぁん!」
 ついに港のお腹を詰まらせていた極大便が、完全に吐き出された。腸に生まれた久しぶりの解放感が官能的な喘ぎをもたらす。港は上げていたお尻を下ろし、安堵の息を吐く。
(やったぁ、うんち、でた――!?)
  ゴポギュルルルルル! グポポッ!
  ミチャニチビチ! ブリュルルルルルルルル!
 下剤の効果にうっとりする間もなかった。
 訪れたのだ、下剤のもたらす悪夢の時間が。
「くはああぁっ!」
  ビチャビチャビチャビチュッブリュルルルルル!
 水気を失い、汚らしいてかりを見せていた便から一変、軟便がほんの少量。そして……粘着質の、
(うんち、びちびち――ッ!? んっ――!!)
 水性絵の具のように中途半端な水っぽさのうんちが下ってきたのだ。肛門の粘膜を削るように走る便、痛みは硬質便の乾いた摩擦とは違い、熱い衝撃。港は思わず背筋を伸ばした。
 膝を抱えるような姿勢から僅かに体を起こした形に。便器を斜めに捉えていた肛門が、若干真下に修正される。
  ビチビチビチビチビチュビチュブチャッ! ブパ、ブュブブブブブ!!
 最後には粘性すら失った水便が迸る。便器の《底から縁に》伸びている極大便に、薄茶色のペンキが降り注ぐ。
  ゴギュルルルルルルル! ゴポポポポ!
「あふぅ! いやぁっ!」
(うんち、とまらないよぉ)
 港は目を塞ぎ、お腹をさすり、立ち込める腐敗臭に意識を飛ばされそうになりながら、パイプを握り締める。まるでそれがこの場に居続けるための手綱だとばかりに。
 若々しい桃尻は濁った汗が滴っている。痛みと悪臭に耐える形相・顔は青ざめ、脂汗に濡れる。
  ビュルビュルビュルビュルブチュアッ!! ブバッビチュビチビチビチ!
 水便は弾けるように飛び散って、白いような色の便器を茶に塗りたくっていく。うんちの水玉模様が所々に生まれ、白のような部分が散り散りになる。言うまでもなく散った破片は港の内履き靴やリボンの刺繍のついた靴下をも容易に汚す。
 便塊を舐めるように吹きかけられるうんち。港は垂れ流し続ける。もはや肛門を締める力すらなく、逆さにした水瓶状態。
「くはあっ! うぅぇぇ……っ」
  ギュルルルゴロゴロロロロロ!
  ブビブビブビピピピ、ブビュウ――――ブバッ!!
(いたい、こんなにびちびちだなんて……)
 いよいよ港は便秘薬の脅威を思い知らされる。
 ただ硬質便を下ろすだけではなかった、浅はかだったのかもしれなかった。
 ひくつく肛門は熱気にあてられて高熱を発している。全体重を一心に支えている両足は、疲労感を一挙に運ぶ排泄のせいで痺れるような痛みが走る。一〇分超の排便に慣れている港が、耐えられなくなっているのだ。
(うぇ……きもちわるい)
  グギュ――――ゴポ!
 直下から濛々と立ち込める異臭、異臭、異臭。発酵した悪臭に慣れきった港に、腐った悪臭は新鮮故に大ダメージなのだ。これには口の酸っぱくなるような悪寒を覚える。
  ブジュ、ブビィ…………ブッ
「はぁ、はぁ、はぁっ……。もう、でない?」
 相変わらず中から突き刺すような痛みはあるものの、トイレに駆け込んでからずっと感じていた便意は失せていた。ようやくお腹で渦巻いていた激痛の原因を出し切ったのだろうか。
 港はようやく冷静に状況を確認できるまでに落ち着いた。
「えっ!? なにこれ…………」
 白かった便器一面に広がる排泄劇の有様。
 便器を左右に二分するように伸びている一本糞――黒々として尚、粗く削られた岩石のようにごつい表面、油の塗られたような鈍いてかり。本当に小学生の少女が生み出したとは思えない大質量が、圧倒というべき重量をもって鎮座している。
「うわぁ」
 それほどまでに大きな大便をした記憶は、もちろん港は持ち得ていない。七日に渡って肥大していった結末は予想以上であったのだ。港は嗚咽にも似た感嘆の声を漏らす。さすがに自分が下ろしたとは信じられないのか、哀の響きはない。
「っぐ、うっ!!」
 それも一瞬の内に悲嘆に変わる。
 一本糞が海面よりせり出した岩礁ならば、これこそが海面――どろどろとした下痢便が面妖な色と滓を浮かべて便器一杯に広がっているのだから。
 黄色からかすかな黄緑色の海に、ただただ港は吐き気を伴った本物の嗚咽を漏らすしかなかった。
 広がるほとんどが水状の水様便で、粥状、泥状、軟便は溶けていてよく分からない。しかし固まりきらなかったうんちの滓や、未消化の食べ物の欠片が散り散りに見られる。
(げりするのって、いつ以来だろ……)
 それを思い出すのが困難なほど、お腹が強く故に苦しんだ港。片手でお腹をさすりながらもう片手はパイプを握る。握っていなければしゃがんでいられないぐらい不安定な状態でもある。
「うん、うーん」
  プチュ…………プッ
 ふらふらになりつつも残る痛みの元をひり出さんときばる。
  グウゥゥゥゥ
「おかしいな、おなかいたいのに……」
 きばりに反応してお腹が鳴る。便意が徐々にこみ上げてくる。
 まだうんちがしたい。なのに。
 下痢特有の症状・渋り便である。
 排泄欲があるのに、出そうとしても排泄物が下りてこない症状だ。
 便秘の大便と違って水分が九割を占める下痢だと、うまく排泄し切れずに便意が続くのだ。
 それから。
 トイレに駆け込んで二〇分が経とうとしていた。
 港はまだ、渋るお腹に苦戦していた。
(そういえば、どれだけたったんだろう……。授業、あと何分でおわるのかな?)
 港はずっとお腹をさすっていた手を離し、上に伸ばした。その先にあるのは、水洗レバー。
(こんなにくさいの、みんながきたら笑われちゃうよぉ)
 もしこの瞬間にでも授業が終わり、友達がトイレにやって来たら。
 そう思っただけで心が蔓で締め付けられる錯覚に襲われる。
「はやく、ながして……くさいの…………」
 悪臭の根源を流せば間に合うかも――港は困憊し消耗した体力を振り絞って手を伸ばす。
  ゴボジャアァァァァァァ――――ッ!! ゴボボ!!!
 やっとの事で《大》の方にレバーを捻ると、清浄な水流が吐き出した大便を一切流してくれる――ハズだった。
(え――うそ!?)
 港は驚愕の表情を隠せなかった。
 鎮座する極大便が微動だにせず、残ってしまったのだ。
 流されていったのは下痢と、固形になれなかった欠片のみ。
「うそ、どうしよ……」
 港は何十秒か唖然として、また水を流す。しかしそれも徒労に終わり、岩の如き糞を流すには至らなかった。
 港はニ、三回と流す行為を続けたが、結果は変わらず。
(そんな……。いつもなら、だいじょうぶなのに)
 港は学校での排便習慣を始めてから幾度も流しきれない事態に遭遇していた。そんな時は二回ほど流す事を繰り返せば何とか流せたのだ。
 しかし今回ばかりはそうもいかないようだ。
(はやくきれいにしなくちゃ)
  からんからんからん
 港は便を拭う為に紙を巻き取る。肛門を一拭きした紙を見て、びっくり。びちゃびちゃの下痢がべっとりと付着している。しかも、太く長い大便をしたせいか、下痢の摩擦のせいか肛門が痛かった。
 それからゆっくりと何度も何度も拭き、やっと拭いても紙が白いままになってから尻たぶを綺麗にしていく。激しく飛散する下痢の飛沫が、いたいけで白かったお尻を水玉模様の姿で汚している。排泄劇が残した汚泥の総面積は肛門の比ではなく、港は足をがくがくさせながらも何とか拭き切ったのだ。
 そして祈る気持ちで水を流したが、紙をさらっていくだけで。
 やっとの事で立ち上がり、便器全体を見下ろして初めて気付かされた。
「やだ……」
 なんとうんちは便器に収まりきっていなかった。
 極大便の先端が便器の後方の白い縁に乗っかって、タイルの部分にまで及んでいるのだ。恐らく水流の圧力にやられたのか、はみ出たうんちは便器に収まったうんちから千切れている。
 明らかに嫌そうな顔をして港は恐る恐る外に出た。……誰もいない。
 悪臭はトイレ中に蔓延しており、個室の中と変わりない臭気が鼻を突く。
 ここのトイレは縦長の構造で個室が一列に五つ、並んでいる。港は最寄の個室に駆け込んでトイレをしていた。
 港はフラフラしつつも、入り口にほど近い洗面台に歩み寄って栓を捻り蛇口から水を放させる。その一直線な水流に、口を付けた。
「うぷっ、うぷっ」
 多量の下痢を排泄し、体内の水分が一気に失われた事から脱水症状を引き起こしていた。
 蛇口を噛み付くように水を喉に流すその姿は、がぶ飲みと言うに相応な振る舞い。
「ハァ、ハァッ、……」
 びちゃびちゃに濡れた顔を汗の染みた袖で拭う。その汗も必死にうんちを出し続け溢れたものだ。
 渇いた喉を潤し、洗面台のすぐ側にある掃除用具ロッカーの扉を開く。目的のものはすぐに見つかった。ステンレス製のゴミばさみである。
 港はそれを持って個室に戻り、居座り続ける便を見下ろす。圧倒的な質量で肥大した姿をありありと晒す一本糞。本当にこんなものを排泄したのかと港はまだ信じられていない。
 まずはゴミばさみではみだしたうんちを掴んで便器に落とした。
  べちゃっ
 中央の一本糞のすぐ傍らに落とされた。やっと本来収まるべき場所にもどったうんちは、一本糞の横では矮小な大きさで、それもそのはず――五倍も六倍もあるモノが並んで在るのだから。
「こんなの……」
 港はゴミばさみの柄を強く握り締め、はさみの先端をくっつけた。しゃがんでその先端を一本糞に突き刺す。
「えい、えい」
 発酵した便臭に鼻をしかめながらも一心不乱にうんちを崩そうとゴミばさみを上下に、突く。こうすることで分割させ、流しやすくしたのだ。
「よし」
 便器に沈むうんこが八つほどになった。港は満を持した面持ちで水を、流す。
  ゴボボジャババババ――ッ!
(おねがい――ながれて!)
  ゴボボボボボッ!!
「やったぁ……」
 圧巻の気持ちで、やっと白い底を見せた便器を見る港。
(やっと。おわっ――!?)
 安堵するも束の間、港はゴミばさみを放り出し便器を跨いだ。すぐさま下着を下ろし剥き出しにした尻を降ろし、
  ブビブチュブチュブチュ! ブ――――ッ!
「きゃあ!」
 難関だった一本糞の洗浄に気が緩んだのか、唐突な便意が襲い掛かってきた。
  ブリブピブピビビビビ ブブブブ ブビィ――――――ィッ!!
 高らかなおならがトイレに響き渡る。港は膝を抱え、目を瞑りながら荒れ狂うお腹のなすがままに身を任せる。
  ビッ ビビッ プウッ ブチュ……チュ
(せっかくきれいにしたのに……)
 それでようやく鈍い腹痛は消えうせ、お腹が楽になった。紙を巻き取り、何度か肛門を拭く。今回は尻たぶまで被害が及ばなかったみたいで、数回分の紙で事が済んだ。
 タイルに広がる下痢に気付いたのは立ち上がってパンツを穿いてからで、思いもよらぬ声を聞いたのもちょうどその時だった。
「大丈夫? 港ちゃん……?」
「え……」
(やだ、げりはみでちゃった!?)
 港ははみ出させてしまった下痢に驚き、まだ早紀が自分を待っていた事に慌てた。
「えっと、その」
「大丈夫だよ、私、誰にも言わないし。だから気にしないで」
 早紀は個室のドアを閉めないままでいた港に配慮し、港から死角の位置から話していた。港も気が動転していてドアの開いている事に気付いていない。
「でも……」
 港は後始末をするために紙を千切りながら答える。
「私だってウンチするし、お腹も壊すよ」
「……早紀ちゃんも、ぴーぴーになる?」
「うん」
 何重にも畳んだ紙で港は下痢を便器に押し流していく。惨めな片付けをしながら女の子同士のささやかな、秘密のやりとり。
「だから気にしないでトイレしてていいから」
「えと、終わったの」
「そっか。じゃあ保健室行った方がいいよ。私、先生にそう言っとくから」
「うん」
「じゃあ、教室に戻るね」
 早紀がトイレから出て行こうとする。
「あ、あの! ……ありがとう」
 早紀は無言で応えていなくなった。
  ゴボジャアァァァァ――!
 水を流してから、港はトイレの窓を開放してトイレから去る事ができた。
 およそ三〇分に及ぶ主役の少女の排泄劇は、幕を閉じた。


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