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明くる五月四日、月曜日。
暦の上ではみどりの日と改正された一日。
この日一番にトイレを使ったのは、岬だった。
しぃ――――しゃぱしゃぱしゃぱ、じょぼぼっ
目ぼけた頭でゆっくりと放尿していく。普段は朝食の準備のために早起きする母よりも早く目覚めたので、岬が一番だった。
じょぼ、ちょろろろ……ぴちゃ
いつもは力を入れてさっさとトイレを済ませる岬であったが、まだ誰も起きてきていないようだと知ってか、ゆっくりとしている。
「ふぁ……」
陰部を丁寧に拭いてパジャマを穿き上げる。
ふと耳を澄ます…………トイレの換気扇の音以外、何も聞こえない。
「今日は、うんちできるかな……」
まだ誰も起きてこない。岬は再びパジャマとショーツを下ろし、腰かけた。
「んっ、ふぅーん!」
お腹をさすりながら思いっきり気張る岬。
おしっこを済ませる余裕はあっても、うんちを済ませる時間はない。それは平日だろうと休日であろうと朝の変わらない予定であったが今日は違う。
早起きは三文の得とはよく言ったものだ。順番待ちをする人がいないからゆっくりできる。
岬は例え出そうな時でも、廊下の足音だけで排泄を止める癖がある。大便をした後のトイレを使わせるのは恥ずかしいし、待たせてしまうのも悪い。だから急いで終わらせ、半端な便意を堪えてしまう。
ぷす、ぷすっ
「ふ、ふっ!」
僅かなガスが肛門から漏れるだけで一向にうんちは降りてこない。朝に排便する習慣ができていないので体が慣れていないのかもしれない。
ちょうどその頃。
岬と同じく待ち遠しさで早起きしてしまった港が部屋を出た。
「トイレ……」
朝一の尿意を開放しようと歩き出す。
その時の岬と言えば、
「んーっ、うーん」
大便を出すのに集中していて、港がトイレに来ているのに気付かなかった。
おしっこの最中ならば僅かなフローリングの軋みを聞きつけられたのだろうが、排便に集中し過ぎてそれすら聞こえないのだ。
「ん……」
みち……
ようやくうんちの頭が出てき始めた。なのに、
(おしっこ、おしっこ)
中の事情を知らない港は、いつものようにトイレの照明のスイッチを入れた。
ぱちん!
「きゃっ!」
(あれ、誰かはいってる)
扉を開けようとすると、中から短い悲鳴が飛び出す。ふと視線を落とすと、鍵の閉まっている合図である赤い印が目に入る。
なんと岬はトイレの照明を入れていなかった。朝は窓から差し込む光で充分に明るいので、点ける必要はない。
(うそっ、外にいたの!?)
ガラガラガラ、ビリ!
岬はお腹を抱えるのを止めて、紙を千切り取った。もう大便の先端は引っ込んでいた。立ち上がりながらも肛門を乱雑に擦り、汚れ具合も確かめぬままに便器へ落とす。
ごぼぼ、じゃ――――
黄色く濁った水とふた千切りの紙が流されていく中、岬はそれに目もくれず外に出た。
「岬!?」
「あ、おねぇちゃん」
そこにいたのは、もじもじと震えている港だった。
「ご、ごめんね!」
「う、ううん。ゆっくりしてても……」
「ごめんね!」
岬は俯きながらトイレから去っていった。
(おねぇちゃん……)
(――どうしよう、明かり点けとけばよかった!)
どことなく後ろめたさを感じながらも、港はトイレに入っていった。
ゴールデンウィークの嫌な所と言われて渋滞を思い浮かべない者はいないだろう。
各都市を結ぶ主要高速道路はどこも渋滞騒ぎなのだ。
無論、森嶋家の自家用車も、車のひしめく混雑地帯に巻き込まれていた。
「おいおい、この先一〇キロの渋滞かよ……」
運転手を務める父・洋平が半ば驚きながらも呟く。
「けっこう長いのねー」
助手席では母の波江が電光掲示板を窓越しに見上げている。
その後ろで。
じっと黙っている岬と本を読み耽っている港がいる。
「こりゃあパーキングまでまだまだだな」
それを聞いた岬が苦悶の表情を浮かべる。
「どうしたの? おねぇちゃん」
「な、なんでもない……」
それだけ言うと、また黙り俯いてしまった。
港は怪訝に思いながらも、高速道路へ入る前に買ってもらった炭酸ジュースを喉に通した。シュワシュワと弾けるチープな果汁と言ってしまえば俗だが、港の大好きな味である。
二人とも同じペットボトルのジュースを買ってもらったのだが、もう港のジュースがなくなりかけているのに対し、岬のはまだ半分以上もあった。
「あー、もうぬるくなってきたなぁ」
底の部分を手で覆ってしまえば残量が丸ごと隠れてしまうぐらいだ。港は冷たさを惜しむようにボトルを擦る。
岬も少しだけ口につけようとボトルを手にして、やめた。
(まだ、つめたい……)
それもそのはず、港はずっとボトルを持っていて、かつ減りが早かったので温くなりかけていたのだ。岬は買ってもらってすぐに飲んだだけで、もうホルダーに入れっぱなしだった。
(やっぱ、炭酸飲まなきゃよかった)
岬は内気だ。
「おねぇちゃんは何飲みたい?」
と港に訊かれた岬は少し逡巡した後、
「なんでもいいよ」
と消え入りそうな声で答えたのだ。港が買ってきたのはオレンジジュースで、それも炭酸飲料。
(本当はお茶がよかったな……)
リクエストを訊かれた時にそう答えればよかったと後悔。
別に誰も怒ったりしないような事でさえ気を遣ってしまう。もとい気を遣う事柄でもなかったが。岬は主張が苦手なのだ。
せっかく選んでもらったんだし……。とがぶがぶ飲んでしまったのがいけなかった。
ぎゅるるるる……
(やっ……おなかいたいっ)
冷たくて、それに慣れない炭酸を一気に流し込んだせいで、お腹を下してしまったのだ。
(トイレ、といれいきたい!)
腹鳴りを悟られまいとお腹を押さえ付けて嘆息する。
(どうしよう、トイレいきたい……)
高速道路に乗って一〇分弱、迫る便意を開放したくなる。
(パーキング、いつだろ……)
ふと顔を上げると、見えた。
《ニキロ先 ○○サービスエリア》
という表示が。
(やった!)
と喜ぶのも束の間。
「トイレだいじょうぶかー?」
と父が誰にともなく訊いたのだ。
岬は「いきたい!」と言おうとした。言おうとしたのだ。
(でも、はずかしい……)
主張の苦手な女の子が。
例え家族でもトイレに立つのを見られたくない羞恥少女が。
トイレに行きたい! と顔色の悪い状態で言えるだろうか。
言えなかった。
「いないんなら、いいか」
《行きますか?》と尋ねるという事は《希望者がいないのなら行きません》という意味でもある。岬はそれを知っていた、十二分に言葉の真意を察しようとする心配性だから理解できた。
結局、すがりたかったサービスエリアを通り越してしまった。
もしも催してしまったのが港だったのなら、恥ずかしさよりも我慢に耐えかねて多少は迷いながらも「行きたい!」と言えただろう。
恥ずかしくてトイレが出来ない少女と、したくても排泄できる機会の少ない少女の違いはここにあった。
グルル、ゴホポ
(うぅ……)
前後にひしめく乗用車がじりじりと、のろのろと動きを進めるものの、車にとっては牛歩の速さだ。
(トイレ、まだ来ないの……?)
岬は恨めしげに空を見上げた。待ち遠しい表示は立っていない。
岬の肌は総立つ鳥肌に、顔色はまさに病人のように真っ青。カチカチと震えながらも必死に体を抱えるように縮こまる。
そんな娘の様子に、洋平も波江も気が付けなかった。
洋平は運転に集中していて気を配る暇がない。余裕もあり気配りのできる波江はと言うと、真後ろの岬の様子が見て取れない位置であった。岬は前座席にもたれるように頭をもたげ、膝を抱えている。つまりその座席にいる波江からは死角にいるのだ。
ゴロゴロゴロ〜ギュルギュル!
「はぁ……」
おなかがいたい。うんちがしたい。といれいきたい。
でも渋滞に捕まっていては、ましてやサービスエリアに辿り着けなければ。
できない。
(だれかきづいてくれないかな)
岬は他力本願を思うようになってきた。
前向きな主張ではなく、後ろ向きな主張。態度や仕草で気持ちを伝える、所謂ジェスチャーのようなもの。
自分で主張してしまうより、誰かに便乗してしまえば楽だから。
(港、気づいて……)
ちら、と横目で港を見やる。視線を一心に本に注ぎ、物語の世界にのめり込んでいるようだ。
ゴロ……
なお濁流の蠢きは止まらない。寒気に震える外側とは裏腹に、体の中はあったかい。いや熱い。
(いたいよお、もぉ)
ギュ……
(――え)
ギュルギュル! ゴポゴポゴポゴポゴボッ!
「はんっ!」
濁流が腸を胎動、胎動、胎動。今まで我慢で押さえられた流動が跳ね上がるように勢いづいたのだ。岬はたまらず悲鳴を漏らす。
ゴポ、ゴポッゴポゴポ!
液状だ……。岬はいよいよ我慢の限界が近い事を悟る。
(といれ、はやく……)
(おねぇちゃん?)
港が異変を理解したのはたったさっきだ。
岬が明らかに調子の悪そうな様子で呻いたので、ようやく姉の信号が届いたのだ。
(どうしたんだろ)
本から目を離し、横目で観察。
(かお、真っ青だ……)
頬を鳥肌が覆い、健康的な色を忘れたような青白さ。誰が見たって気分が悪そうなのだ。
ゴロゴロ〜
かすかに耳に届く腹の音。港も最近になって味わうようになった痛み、それに伴う響き。
(お腹、壊してる……?)
下痢がお腹をのた打った激痛は思い出すだけで身震いを起こす。
今もお腹の唸りを押さえんとばかりに縮こまる岬。
(いつからあんな風に……)
おねぇちゃんの事だ、きっとトイレに行きたくても行きたいって言えないんだ……。
「ねぇお父さん」
「ん、どうした?」
「トイレいきたい」
見かねた港は手を差し伸べる事にした。
「ジュース飲みすぎちゃって」
「仕方ないなぁ。じゃあ次のサービスエリアで停まるか。まだ我慢できるか?」
「私は我慢できるよ」
もとより尿意はない。
「おねぇちゃんも一緒にいこ? ね」
岬は首を傾け、港に安堵の表情を向けた。それに笑顔で応える。
(ありがと、港……)
トイレの心配が多少なくなり、気分が軽くなる。僅かな余裕が生まれた事でお腹の痛みも和らいでいった。
それから一三分――やっと、やっとサービスエリアが見えてきた。
サービスエリアでも混雑は極めていた。
洋平は車の間を縫うようにして、トイレに最も近い場所に一旦停車させた。
「おねぇちゃん、いこ!」
港が岬側のドアに先回りして、ドアを開ける。顔面蒼白、カチカチと歯を鳴らし寒そうな岬を支える。
運転手の洋平でも岬の容態を知ったのは三分前。皮肉にも我慢しきれなかったガスが鼻を突いたからだ。
ここでだが、ゴールデンウイークにつき物な欠点として渋滞の次に外せないのが、
「トイレ、混みすぎ……!」
港が唖然とした面持ちで見渡し、そう言った。
何度か利用した事のあるトイレだから覚えている、確か個室は十数個あったはず。それが全て埋まっているのだ。無論、どこも三人以上列を伸ばしている。
「ハァッ、ハァッ」
ゴロゴロゴロゴロ! ゴキュキュキュキュ!
「やっ、もう出ちゃう」
とりあえず一番近い個室の前に並ぶが、いつ長蛇は捌ききられるのか。
(どうしよ、おねぇちゃん限界そうだよ)
ぷす、プシュー
防ぎきれないガスが肛門から漏れ出す。「ごめんね…………」と掠れた声で謝るのを港は、「いいの」と返す。
港にはここ最近の経験だからわかる。
肛門が制御できなくなり始めたら、数分ももたないと。
便秘薬にお腹を犯された帰り道、公園で渋り便を吐き出した後に港は壮絶な便意に襲われた。
公園からはかなり離れ、コンビニよりも自宅が近い状況だった。
激痛に引きずられつつも何とか自宅に着いたのだが、ついに決壊を招いた。
おならすら我慢できなくなってからものの数分の出来事だったのを、港は鮮明に覚えている。
(このままじゃ出ちゃうよ、どうしたら……あつ!)
「おねぇちゃん、あっちいこ!」
「……ぇ、!?」
その時、並んでいた個室から洗浄音が響いたのを無視して港は列から離れる。後ろには新たに二人の子供が並んでいた。
(どおして、あと三人なのに、くぅっ!)
ゴポゴポゴポ! グリュリュ!
中からの圧迫感に言葉すら失いながら、港に支えられて来たのは――
「やっぱり、あっちより空いてる!」
入り口から最も離れた個室だった。
ここのサービスエリアは、横一列に数十の個室が並ぶ形だ。故に尿意に焦る女性たちは見落としがちなのだ。
奥ほど行列が少ない事に。
行列が視界を遮るので一番奥の具合まで見る事ができない。だから見える範囲で一番早く空きそうな列に着く。そんな心理行動が延々と繰り返されれば、後は並びに偏りが生まれる。
最も、余裕のある人は奥まで見に行って空いているのを見知って並ぶ。
港はテレビのゴールデンウイーク特集でこの小技が紹介されていたのを思い出したのだ。
まだ二人も前にいるものの、最前列よりは少ない。
「おねぇちゃん、あと一人だよ」
並んで数秒と経たない内に人が入れ替わった。
(はやく、はやくっ)
岬はなりふり構っていられない状態にまで陥り、そうっとお腹にあてがっていた片手をお尻に回した。さっきまではお尻を押さえるのが恥ずかしいと、この行為を躊躇っていたがもう耐えられない。
粗相の羞恥より仕草の羞恥を選べたのだ。
「はぁ、くぅ」
ギュルピー――――――! ゴロゴロゴポ!
(でちゃう、うんちしたいっ……)
一分が二倍三倍と体感できる中、岬は必死に肛門を押さえ続けた。
ぷすっ ぷす
(もらしちゃだめ、うんち、うんち!)
ゴボジャアアァァ――――
「おねぇちゃん、もう少しだからね!」
「うんっ、くふぅ」
(うんちしたいといれしたい! うんちうんちうんちうんちうんちうんち!!)
ピーゴロゴロゴロ!
(あっだめ、うんちでちゃうっ)
我慢に我慢を重ね、便器は目前だというのに。岬は決壊を予期した。
(もらしちゃだめ、はずかしいのに………………)
脳裏をよぎる粗相の記憶。
あんなのはもういやだ……。
「おねぇちゃん!?」
「ぃやっ……」
プチュ
お尻に広がる生暖かい何か。
岬は咄嗟にかがみ込み、お腹を膝を抱える。
(や……うんちでたっ)
ゴリュリュリュ〜 ゴポッ
それでも岬は我慢をやめない。お尻の穴を指で塞ぐのに力を注ぐ。お気に入りのワンピース越しに伝わるドロドロの、うんち。それに構わず指を押し付けた。
岬の大嫌いな、好奇の視線が四方から伸びる。幸いにも岬は顔を膝にうずくめている。もし自分が嫌悪を晒していると知ったや否や、放心して決壊していただろう。
(うんちうんちうんちといれといれしたい!!)
ついにその願いが通じた。
「おねぇちゃん! 空いたよ!」
洗浄音からすぐさまドアが開いたのだ。出てきた女性は後ろの状況を目敏く見てすぐにどいた。
「っ!」
岬はたちまちトイレに駆け込んだ。
「良かった、おねぇちゃん」
「ごめんなさいね、遅くなっちゃって」
出てきた女性が港に声をかける。
「あの子限界そうだったから、急いだんだけど――大丈夫かしら」
扉越しに爆発する排泄音に意識しながらも港は、
「あ、ありがとうございますっ!」
「あの子のお姉さんかしら?」
「いっいえ、」
「面倒見がいいのね、感心したわ。じゃ」
聡明そうな女性はそれだけ言い残して洗面台へと向かっていった。
港と岬の身長差はさほどない。だからなのか、間違われていた。
「おねぇちゃん……」
港は去っていく女性に一礼して、トイレを離れた。
「聞かれてるの、やだもんね」
バタン!! ガチャ!
荒々しくドアを閉めて施錠。便器を跨いで一気にワンピースの裾をたくしあげた。
「あっでるっ!」
裾を脇に挟みパンツを下ろしながらしゃがむ、そして――
ブチュチュチュ! ベチャアッ!
下りきった液状便が放たれた。――便器の後方に。
岬は最後の最後まで耐えきれずにしゃがむ途中で吐き出して、しまった……。
ブリュビチャビチャ!
「はんっ――」
ピーゴロゴロゴロ! ゴポッ!
ムリムリムリ! ミチミチュミチャ!
汚れた穴から茶色の先端が、朝トイレで出しかけて引っ込んだ硬質便が排泄されている。
ミチミチミチ! ミチ ブチュ!
「はあぁぁぁぁあ……」
限界すら超えた後に駆け抜ける快感に岬は喘ぎを漏らす。苦痛と丸ごと飲み込む痺れに腹痛を今だけは忘れられた。
縦長の和式便器を一筋に伸びる大便。それは一五センチ弱はあろうという長さだった。
ムリュブチブチュブリュブリュブリュブリュッ! ベチャベチャブリブリブリ!!
泥状に溶けた軟便が横たわる大便に降り注ぐ。
(あ、いたい、うんち――)
「ふああぁぁぁぁあっ!」
ビジュビジュジュブッ! ビュイィ――――!!
軟便の欠片がガス弾のように噴き出され、便器いっぱいに飛び散った。
「ふぅぅ、んあぁぁぁっ!」
ビュルブゥーッ! ブビィ――――――!!
噴射されるガスがうんちを跳ね飛ばし、便器の側面をお尻を斑点で汚しあげる。
(やだ、きたないよ)
ぐる……ゴポ
(うんち、いっぱいでた――いやっ!)
濁流の翻弄から解き放たれた岬が見た、足元の惨劇。
崩れかけの一本糞に黄土色のソース、否、ドロドロのウンコが振りかけられている。まるでほぐされたミートボールのような汚物がコッテリと。
便塊の麓はドロドロからビチビチに下った下痢便が一面に漂って、壮絶な下りようを露わにしている。
なまじ白かった便器は跳ね飛んだ糞で侵されていて、見る影もない。これが一人の少女から生まれたウンコの凶行なのだろうか。
「いや……! はずかしいよぉ」
岬はたちまちにコックを捻り、流そうとした。
ゴゴォー ジャバアァ――――
清らかな水の奔流がビチビチウンコとドロドロウンコを押し流し、下水へと呑み込んでいく。ただおぞましい一本糞だけは、流れない。
「えっ、どうして……んっ!」
コックを捻るのに浮かしていた腰を急いで下ろす。
ブチュッ! ぷぴーッ!
「うぅ」
残っていたうんちが僅かに噴き出た。
(どうしよ……流れないの?)
岬は焦って《小》の方へコックを捻ったのだから世話がない。おしっこを流すだけの水量で、重厚な一本糞が流れるハズがない。
がらがらがら、びり
立ち込める悪臭に鼻をしかめつつ、お尻を拭う。弾けたうんちは臀部全体に広がっていて、二度三度拭いただけでは取りきれない。肛門もいつも以上に擦り拭い、それから水流の届かない便器の側面を、汚物を触るように拭いた。
「やだ、床が……」
水を再度流そうと立ち上がって後方の爆撃跡を目の当たりにした。硬質便より先に下った液状便が一面に飛び散っているのだ。
(私、みんなのといれ汚しちゃった……)
今更押し寄せる罪悪感と、個室を下痢便で占拠し続ける羞恥心に押しつぶされそうになる岬。
後ろの後始末を済ませ、今度は大のコックを捻った。
ジャババババ――――ッ!!
(よかった……流れた)
今度は圧倒的水量が熟した一本糞を何とか流してくれた。
(そうだ、はやくでなくちゃ!)
どれだけ個室に籠もっていただろうか。岬は順番を待ち続ける人の事を思い出して焦りを覚える。
(はやくしないと――うわっ)
パンツを上げた時に広がった冷たい感触。
岬はトイレに駆け込む寸前に、漏らしていた。
(やだ、ふかなきゃ)
コンコン!
「まだですか!」
「はいっ!」
岬はビクッとなり慌てて個室から飛び出した。きっと怒っている次の人を見まいと、振り返らずトイレから逃げ出した。
――パンツ、汚しちゃった……。
旅の恥はかきすて、とよく言うが、それは岬には通用しない。
森嶋家の長い旅行は、まだ始まったばかりだ。