No.06「新幹線での事情」

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「おねぇちゃん!」
「みなと……」
 トイレを飛び出した岬へ、港が駆け寄ってくる。港はトイレの中で岬が排便を済ませて出てくるのを待っていたのだが、突然走っていなくなるから驚いて追ってきたのだ。
「ど、どうしたの?」
 岬はべそをかきながら嗚咽を漏らすだけだ。
(おねぇちゃん……。理由を話すのはいつになるかわかんないし)
「ね、なにかあった?」
「うっ、ぐすん」
「まだお腹いたい?」
「んっ……」
「別にうんちくらいしょうがないよ」
 岬が塞ぎ込んだ時は、適当な理由らしき事を問い質すのだ。正解なら頷くなり細かな事情を話してくれる。
 これも羞恥心から来る説明すらできない少女との接し方だ。
「私だって……お腹いたくなるもん」
「ぐす、ひっく……」
「だれも怒ってないから、ね。車いこ?」
 岬が首を横に振った。
「行きたくないの?」
「……ぅん」
 心細げに返す岬。港にも言える事だが二人は排泄中、言葉遣いや仕草が子供っぽくなる。岬はまだ癖が延長しているのか、いつにもまして弱々しい。
 これではお姉さんの言っていた「港が姉みたい」という発言が妥当な光景になるのも頷ける。泣き止まない妹と、必死で慰めるお姉ちゃんのように周囲は見ているだろう。
 実際、岬はそんな状況を知る由もなく顔を真っ赤にして泣きじゃくっている。港もよもや粗相をしかけた妹を諭す姉になっているとは思ってもいない。
「まだトイレしたいの?」
「ちがうの……」
(トイレはしたくないのに車に行けない……?)
 同じ女の子である以上、ピンときてしまった答え。
 予想通りであるなら、港にも経験のある事だ。
港は訊いてはいけないと思いつつも、解決の道がこれしかないのを悟り、意を決して尋ねた。
「おねぇちゃん、おもらし、したとかじゃ、」
  こくり。
 岬が素直に頷いたのだ。
「がまんできなくて、ぱんつ……」
 下着を汚してしまったらしい。
 港もおしっこの後、拭き足らずに尿の残滓が下着に染みて、恥丘越しに伝わるおしっこの冷たさを感じたのは何度もある。ただ流してから気付く場合が多いので、また拭くのが面倒である。大概は染みた分だけで残滓が消えるか、それでも残っている場合は下着を縦筋に押し付けて乾かせる事もあった。
 だが今回は下痢を我慢してトイレに入った以上、事情が違うのだろう。
「ならもう一回並んで拭いてきなよ」
「うん。でもいっぱい時間かかったのに」
「え? うんちじゃないなら時間かかったって……」
「お母さんとお父さん、待たせちゃう…………」
「大丈夫、私が言っておくから」
「え、うん」
 時間よりも今は自分の事を優先すればいいのに……。
 港は小走りにまたトイレへ入っていく岬の背を見つめながら、ふと呟いた。


 何分か並んで空いた個室に入り、そっと鍵を閉める。
 タンクに水を注ぐ音がまだ聞こえる。岬の前に入っていた人が流してすぐに出て行ってしまい、早く不快感を取り去りたい岬もさっさと個室に入ったからだろうか。
 綺麗になったばかりの便器を跨ぎ、パンツを下ろしていく。
(うーん、まだおなかいたい)
 器用に立ちながらパンツを脱ぎつつ、お腹の調子に気を配る。
(何かへんなもの食べちゃったかな? それとも炭酸でおなかひやしちゃって……)
  するする…… ぐうぅ
 僅かだが便意が生まれてきた。下痢の原因を考えていたせいなのかもしれないが、便意を起こさせるきっかけはもう一つ。
 岬は脱ぎ切ったパンツを片手に鼻をしかめる。
 前の人が残していった便臭だ。
(前のあの子もお腹いたかったのかな)
 嫌悪を示す感情はなかった。そういう子なのだ、岬は。むしろ心配すらしてしまう。先ほどまで自分も便器にしがみ付いて汚物を吐き出しまくっていたのだから同情の気持ちもある。それでも、同情を抜きにしても第一に他人の都合と気分を考慮して我が身を犠牲にする。
 他人を尊重する、すなわち遠慮の心。
 紙を何重にも巻き取りながら溜息を吐く。
 扉越しに響く少女の爆音。
 苦しみをそのまま委ねた唸り。
 個室から漏れて広がる排泄物の臭い。
 岬はそれらを忘れようと、パンツの染みを紙で擦る。
 渇き切っていない水っぽい染みを入念に拭き取っていく。
(前の子も恥ずかしかったよね、やっぱり)
 岬と身長の変わらないほどの女の子だった。限界を隠すことなくお尻を押さえ、苦しそうにしていた。
 それでも便意を堪えていたとは思えない速さで排泄を終えていた。おそらく一気に踏ん張って出し切ったのだろう。
 うっすらとした染みの残るパンツを貯水タンクに置き、また紙を巻き取る。パンツの汚れは今以上に落ちないと観念したらしい。
 立ちながら肛門を拭こうとするものの……
(拭きにくい……)
 立ちながらだと尻たぶが閉じた状態なので、なかなか肛門まで紙が届かないのだ。仕方なくワンピースの裾を脇に挟んで、ゆっくりとしゃがんでいく。
「うぅっ」
 紙を当ててみて、伝わってくる水っぽさに不快感を覚える。その汚れも二度撫でる程度で完全に取れた。
 岬は念の為にも紙の綺麗な部分で肛門の周りを撫でて汚れがないか確かめていく。
(ふぅ、これで……)
 立ち上がろうとした瞬間――
  グギュウゥゥゥ!
「ひっ!」
 ようやくお尻を綺麗にできた安堵感からか、息を潜めていた便意が唸りを上げる。
(え、そんな、やっときれいにできたのに――)
 岬の悲痛な嘆きにも妥協せず、強まる便意。どろどろの汚物で直腸が満たされていく。
「やあっ!」
  ブビュ! ブチュチュチュ! ブジュイィィ!
(やだ……また、うんち……)
  ブジュ……プピッ プププッ
 さすがに大質量の排便の後だったので、ガス混じりの渋り便しか出なかった。
 それでも、下痢をしてしまった事には変わりない。
 だから岬は後始末して水を流すなり、次の人の顔をみないように颯爽と個室を飛び出したのだった。


「おねぇちゃん、もう大丈夫?」
「うん……」
 内側から熱されているような痛みがあったが否定はしなかった。余計な心配をかけたくないのと、下痢による腹痛が恥ずかしいからか。
「もうお父さんたち車に行っちゃったから、もどろ?」
 岬は無言で頷き、港の後についていく。
 母にはお腹の調子を心配され、父にはトイレに気後れしていた事を窘められた。トイレの事を訊かれる事で、岬は更に心が閉じ込んでいく気がした。
 手に握らされたお茶の缶の暖かさが、車に辿りつくまで顔の青ざめていた岬には心地よかった。


 長く滞在していたパーキングを後にして昼過ぎには、県内で最も栄えている市に到着した。
 港たちの町は都市圏からかなり離れており、高速道路を経由しないと辿り着けない。加えて、各都市と直結する駅もここにしかない。
 これから新幹線に乗って有名な動物園のある場所まで移動する事になっている。
 道が混雑していると分かっている以上、わざわざ車で行くよりも新幹線の方が早い上に、県を一つ跨ぐ所に動物園があるのだ。
「わぁー、はやいねー」
 岬は何度か新幹線に乗った事はあるが、港は初めてだった。
 新幹線の席も予約していたので、自由席の不便さを味わう事なく外の景色を眺める港。
 岬がお腹を壊し、想定外のタイムロスを被っていたのだが、それでも予約した時刻まで余裕があり、各々好きな駅弁を買ってもらい昼食とした。
「さ、お昼にしましょうか」
 母が手にしていた駅弁を、通路を挟んで座っている二人に渡す。
「わあ、おいしそう!」
 地元の野菜や魚をふんだんに使ったというちらし寿司らしい。八角形の箱のなかにぎっしりと、彩り鮮やかな具を盛られたご飯が詰まっている。
「いただきまーす」
「いただきます……」
 並の弁当よりはいささか量の多いものであったが、育ち盛りの子供にとっては何ら障害となるボリュームではない。
 特に港はクラスメイトの誰よりも食欲旺盛で、給食を残さないばかりか、時々食べ切れない子から分けてもらっている程だ。その分一度に消化される食物の量も凄まじく、結果として並々ならぬ排泄量を誇る便秘に悩まされているのだが。
 港が余裕で食べきった中、岬の食べる手は休みがちだった。
(あまり食欲ないよ……)
 気の小ささと食欲は比例するものでない気がするが、性格にあつらえたような少食である。給食時間を若干オーバーしながらも食べ切る事はできるが、それは残す事に罪悪感を感じての無理であった。食べ物に、そして作ってくれた人に申し訳ない……どこまで行っても「いい子」である岬らしかった。
 しかしそんな岬でさえ、今日はギブアップを宣告せずにはいられない状況。
 体調を崩しお腹を下してしまったからだ。衰弱した腸が食べ物を拒んでいる。
 まだお腹もいたい。
 このお弁当、どうしようか……と悩む岬に港は、
「おねぇちゃん、食べないの?」
「え、食欲なくて……」
「じゃあ、ちょうだい!」
 まだ食べたりない港は食べ切れない姉の分まで欲しがった。岬は二つ返事で弁当を渡し、一息つくことができた。
「そんなに食べられるの?」
「今日は調子いいから大丈夫」
 今までの港なら食べあぐねる量であったが、以前とは決定的に違う点があった。
 それは、お腹の許容量だ。
 便秘の港の食生活は、排泄を終えた当日から日が進む毎に食べる量が少なくなっていく――つまり、排泄物が溜まれば溜まる程に食欲を失う典型的なタイプだった。
 それでも普段の便秘ならば排泄直前でも一食分はたいらげてしまう。
 便秘薬を使うまでに至った酷い便秘の時は例外で、ろくに食べる事もできなかったのだが。
 案の定港は苦に感じる事もなくたいらげ、満足そうにお腹を撫でている。
「はぁ、ごちそうさま」
「すごいね、二人分も……」
「これくらいなら食べられるよ」
 虚勢を張っている訳でもなく、当然そうに答える。
「お母さん、動物園まであとどれくらい?」
 通路を挟んでくつろいでいる母に問い掛ける。
「そうねぇ…………一時間はあるかしら?」
「まだまだかかるね」
「それまでゆっくりしてなさい」
「はぁい」


 ――それから三〇分。


 港は長らく休ませていた腰を上げ、通路に出た。

「どうしたの?」
 船を漕いでいた岬が、動く姉に気付いて声をかける。
「あ、えっとね、トイレ行ってくるだけ」
「うん、わかった」
 特に気にするまでもなく再び眠りに落ちようとする岬を横目に、港は車両を繋ぐデッキへと足を運んだ……。
 港たちが乗った新幹線は、一両おきにデッキがあり、そこにトイレがある。
 男子用小便器、男女共用の和式と洋式の構成だ。
(あ、誰も並んでない)
 デッキに入り、搭乗時に確認したトイレの扉の前には誰もいなかった、が、
 鍵がかかっていた。それも、両方とも。
 隣接する和式と洋式両方とも誰か入っているらしい。
 特に港はそれほど切迫した状況でもなかったので、待つ事にした。
(はぁ、お腹いたいな……)
 多量の食べ物を押し込まれ、便意を催しているのだ。
 一年ぶりの下痢に耐えられず腸の機能が衰弱したために起こる排泄欲求。
 ご飯を食べればお腹が活発になってトイレをしたくなるのが常だが、排泄を抑制してきた港はあまり感じた事がない。
 間もなく、施錠の外される音に遅れて出てきたのは幼い女の子だった。見た目七歳ほどの可愛らしい子である。
「あ……」
 女の子はトイレ待ちをしていた港を見るなり駆け出し、瞬く間に車両の方へ行ってしまった。
(? まあいっか。洋式がよかったなぁ)
 先に空いたのは和式トイレの方だった。
 港は排便の時は決まって和式トイレを選ぶが、それは洋式を詰まらせかねない硬質便を出す時の話で、柔らかめのうんちの時は楽な姿勢で望める洋式を好む。
 このまま洋式が空くのを待っていてもよかったが、早くうんちがしたかった事もあって、和式の個室へ入った。
 そこで港は、え、と驚きの声を漏らした。
 便器に排泄物が残っていたのだ。
 新幹線のトイレは《真空吸引式》という、飛行機でも用いられるタイプがほとんどだ。大きな特徴は洗浄時の流し方である。
 水洗トイレは勢いのある水流で排水管に押し込むのに対し、真空吸引式は排水管の圧力を下げる事により、圧力差を利用して汚物を瞬時に吸い込むのだ。利点は二〇〇CCほどの水でも衛生的に処理する事が可能な点で、加えて詰まりが起きにくい点も挙げられる。
 強いて欠点を挙げるならば、洗浄をしない限りは便器の底の弁が排泄物をせき止めたままなので、排泄物の臭いが直接立ち込める事だろうか。おまけに便器に一定量の水を貯めている訳でもないので水洗便器の並の臭いではない。
 ボウルを縦長にしたような便器の底に、流し損ねた、いや流す事ができなかった大便と小便が残っている。
 うさぎのウンチのような丸いうんちが何個か、湯気を立たせるおしっこに浸かっている。その上に一ちぎりの紙が乗っかっている。紛れもなく、さっきの幼女が排泄していったものなのだろう。
(うんち残したままで、どうしたんだろ?)
 港は怪訝に思いながら洗浄レバーを探し、合点がいった。
 どこにも見当たらないレバーの変わりに、壁に洗浄ボタンがあった。
 恐らくさっきの幼女は、洗浄ボタンを見つけられず、やむなくトイレから出てきたのだろう。そこで運悪く港に出くわし、駆け出したのだ。
(まあこんな場所じゃわかりにくいかな)
 ボタンは側面のペーパーホルダーとは反対側の壁に取り付けられており、初めて使う人は少なからず迷うだろうなと港は思った。
「さて、と」
 段差を乗り越え、便器をまたぐ。さっさとスカート、パンツを下ろし、普段とは勝手の違う便器、慎重にお尻の場所を確認しながらしゃがむ。
「ふ、っ」
  しょお――――、じょぼぼぼぼぼっ
 一筋の尿が鈍く蛍光灯の光を反射する便器にぶつかり、音を立てる。ボウル上の便器の引力に沿って中心におしっこが流れていく。
  じょぼぼぼぼぼぼぼ ちゅい―――― じょぼぼ
「はー」
  ちゅ――っ ちょろろろ……
 最後に力を込め、おしっこを出し切った。
 おしっこが終わると、待ちかねていた便意が強くなる。
「ふ、ふん、んっ」
 肛門がゆっくりと盛り上がり、先端の尖った便が降りてくる。
(あああ……うんちでる)
  ずず、にゅるる…… みちみちみち! にちにちにちにち! ぶちゃ!
 円滑に一直線のうんちは排出され、便器に積み重なる。それだけで先客のうんちをまるまる覆い尽くしてしまう。
  にゅる、にゅるる ぼちゃ! ぶりぶりぶり!
 息を吐く間もなく軟便は吐き出されていく。
「はぁあああああん」
 お腹が急に軽くなっていく感覚に、扇情的な喘ぎが自然と漏れる。
  にち、みちみちみちみち! ぼちゃん! にち、ぼちゃ ぶりゅりゅりゅりゅ
「ふぅん」
  むりむりむりむり! みちみちゅむりゅりゅりゅ! ぶりゅびゅるるる!
 留まる事を知らないうんち。肛門をするすると下っていく解放感が幼い少女にはまだ早い気持ちよさを与える。
「んん〜〜〜! ぷはぁっ」
 息の続く限りきばり、肺に空気を吸い込む。同時に逃げ場のない便臭が直に鼻腔を直撃するのだが、それすら港には気持ちよかった。腐ったような下痢とも熟成した便とも違う、中途半端な香りとでもいおうか。
「ふん、っ!」
  むりゅ、むりゅむりゅ…… みちゃっ
  ぼちゃぼちゃぼちゃ
「んんっ、はぁ〜」
  ぶーっ! ぶびぃ!
(あ、おなら……)
  ぷしゅ――……
掠れたおならを最後に、肛門の隆起は引っ込んでいく。
「はぁぁぁぁぁぁ、んんっ」
 港はしばらくしゃがんだまま、緩んだ笑顔で排泄の快感に浸っていた。
「うんち、いっぱい……」
 首をかかめて便器を覗くと、溜まりに溜まったうんちが湯気を濛々と立てているではないか。
 健康な薄茶色のとぐろが、便器一杯に広がっている。
(こんなにうんちが、でたっ)
 トイレの時に考えが幼くなるせいか、抱く感情も素直だ。
(まだうんちしたい!)
 港は再びお尻を突き出し、きばりだした。とにかくうんちが気持ちいいのだ。
 しかし、出せるだけだしきったのか、おならしか出てこない。二分も頑張って、港はきばる事が無意味だと悟る。
 お尻を三回ほど拭いて、立ち上がる。
 隠すことのできない悪臭が個室一杯に立ち込める中、港は惜しげに洗浄ボタンを押す。すると……
  じょぼお――――っ ジョバッ!!
 便器の周囲を洗い流すように青い水が噴出し……瞬く間にうんち共々吸い込まれていった。港の圧倒的排泄も、真空吸引式トイレを目の前に事も無げに洗浄されてしまった。
(すごぉい。学校もこれなら詰まらないのに)
 立ち上がり、下ろしていたスカート、パンツを上げて段差を降りる。目の前には、きれいさっぱりになったボウル状の便器。
「また帰りも、つかお……」
 港の一〇分近くまで続いた排泄は、心残りな呟きを最後に、終わった。


「ただいま、おねぇちゃん」
 自分の席に腰を下ろす。
(ふぅ、すっきりしたなぁ……)
 まだ快感の余韻に浸っている。
「そんなに混雑してた?」
「うん、してたよ」
 どことなく落ち着かない岬に、港は答える。
 実際混雑していたのは港がトイレから出た時で、それも港がうんちのために個室を長く使っていたからだった。
「そっか……」
 岬は足を組みなおして、溜息を吐いた。
 それからほどなく、新幹線内にアナウンスが響く。
「もうすぐ動物園だね。行こ、おねぇちゃん」
「うん……」


 宿泊先のホテルに到着した。
 エントランスホールはただっ広く、多くの宿泊客で混雑している。父と母はチェックインのためにカウンターへ出向いていた。二人はカウンターから離れたソファー――エントランスの一角に設けられた休憩スペースのソファーの一つ――に腰掛けくつろいでいる。
(だいぶ回復してきたかな。……でも)
 岬は優しくお腹をさする。腹痛が断続的にやってはくるものの、唸るほどの痛みでもなく、便意を伴ってもいなかった。
 ただ、落ち着かないのはお腹だけではなかった。
 時折腰を浮かせては足を内にすり合わせたり、挙動慌ただしく視線を巡らせている。
 車内では不調を呈にしていた岬に気付けた港も、経験新しいホテルのロビーの虜、隣の姉に気遣うゆとりはなかった。
 港の視線の先が輝かしいシャンデリア、至る所に優雅さを振り撒く装飾品なのに対して。目まぐるしく揺らぐ岬の見る先は……お手洗い、トイレだった。
(あーどうしよ、今のうちに行こうかな。でも……)
 新幹線では港がトイレに立った直後に催し、鉢合わせるのは避けたいと戻ってくるのを待った。ついでに混雑具合を訊けば、案の定だった。港が遅めに戻ったのも混雑のせいだと岬は思い込んでいる。
 我慢の内に催した意欲はなりを潜めたので、駅に着くまでは何とかなった。しかし、降りてからは再発、すぐにでもトイレに駆け込みたかったが、前の下痢我慢が尾を引いて一言が言えない。
(またうんち、って思われたら)
 それは嫌だった。
 歩いて程なくして到着したホテル。その僅かな道のりでさえ迫るソレがもどかしかった。
(あぁ行こうかな。でも今戻ってくるかも)
 チェックインの間にトイレしたい。だけどその間にチェックインが済むかも。そしたら……。
  もぞもぞ。
「はふぅ」
 生暖かい吐息が漏れた。
(や、やっぱりトイレに――)
「さ、荷物置きにいくぞ」
 チェックインを済ませた両親が岬たちの所へ戻ってきた。
 岬が愕然とした。決意した直後になんて。
 その手にある鍵は、二つ。
 順番待ちをしたエレベーターに揺さぶられ、ホテルの六階。その中でも岬は落ち着かない。
 L字型のホテルのやや奥まった場所のニ部屋が、森嶋家の借りた場所だ。
「港と岬はそっちの部屋だ。荷物を置いたらすぐに出てきてくれよ」
 父から鍵を手渡された港が尋ねる。
「ねぇ、どうして一緒じゃないの?」
 父はしばし逡巡してから、
「いや、ほら、港も岬も年頃だし、一緒は嫌だと思ってな」
「え、でも一緒にしてって言ったよ?」
 父がホテルの予約を取ったのはだいたい二週間ほど前で、父が雑誌でホテルを探していた時に居合わせた港は、
「一緒に寝れるおっきい部屋にしてね」
 と言っていた。父はまるで上の空の呈で「ああ」と空返事していたのだが。
「それがだな、一緒にいられる部屋が満席で……」嘘だ。
「ま、ほら気にしないで荷物置いてくるんだ」
 やや強行的な父に諭され、渋々と部屋に入っていく港。
 港と岬がいなくなって、父は嘆息した。
 母は父が質問される前から部屋に入って支度をしていた。
 大人の事情というものを、まだ子供な二人は知る由もなかった。

(あートイレしたい!)
 荷物を置く間でさえ脳裏に渦巻く生理的欲求。
(そうだ、今なら行けるんじゃあ)
「おねぇちゃん、もうお母さんたち待ってるよー」
 先送りされる排泄に岬はもどかしさを加速させる。
「さ、鍵預けてくるから」
 港が鍵を渡す。それを受け取り父は早歩きでカウンターへ。
(も、もうだめ……なの)
「み、みなと……」
「おねぇちゃん?」
 ぶるぶる震え、赤面している岬。
「どーしたの? もしかして、うん――」
「おしっこぉ!!」
 岬は叫ぶなりたちまち前を押さえ駆け出していった。
 周りを省みず尋ねた港への、羞恥心が弾けた一言だった。
「おねぇちゃん……」
 恥ずかしがり屋は恥の許容量が越えた時、思わぬ行動をする。
 それをまじまじと見せつけられた、港だった。

「はぁっ、はぁ……」
  バタン、ガチャ!
 最寄りの個室に飛び込み荒々しい物音を伴い施錠。
 普段は慎重に扉の開け閉めを心掛ける岬の、限界さが垣間見れる。
 しゃがみながら衣服をずり下ろし、屈みきった刹那であった。
(やっ!)
  プシュアアアァァ! チィィィィィ――! ジャボボボボボッ!
 飛沫を散らす水流――限りなく抑制され勢いのままならぬ――は一直線に便器を叩き、甲高い反響を返す。
(やだ、音が……)
 おしっこの音を消そうと水洗レバーに手を伸ばしたいが、電撃のように伝わる快感が無駄な動きを抑圧する。
  ジャボボボボボ! ジュイィィィィィ!
(おしっこ、止まんないっ!)
  ジョボジョボジョボジョボボッ!!
「あっ、ふぅぅぅん……んっ!」
 排尿に伴う本能的な開放感に、我慢を繰り返し目覚めた快感。どちらもかなり排泄を恥じて耐えかねた分、昂奮じみた気持ちよさを岬にもたらす。
「ふあぁ!」
  チュ――――ッ! ジュイィィ……ジョボボボッ
 何十秒に渡り甘美な音を奏でた排尿も、終わりの兆しを見せた。
  ジョボボボ……チャポン チョロ
「はあぁぁぁ…………」
 岬は先刻まで感じていた羞恥心を忘れ、鳥肌の立つような気持ちに打ち震えている。
(おしっこ、おしっこいっぱい……)
 呆けた頭で紙を巻き取り、拭き損ねるという失敗をしないように重ね重ね処理をした。
 快感も失せ、立ち上がった頃には壮絶な羞恥に見回れるのだが。
「やっ」
(やだ、お母さんとか待たせて……)
 岬はさっと水を流し、まるで排泄の後、排泄の証拠を隠すように個室を立ち去った。
 ロビーで待っていた三人に苦笑いをされ、岬は赤面を隠せないで髪の毛をいじくった。


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