No.15「Don't say“baby”」

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 冬の兆しも空に色づき始めた秋、11月。
 木の葉を浮かせて吹き抜ける秋風には冬の冷たさが混じり、本格的な寒さを予感させていた。青一面を覆う灰色も心なしか泣きそうだ。
 乾燥した風の音ばかりの外と違い、桜が丘高校の校舎内は五時間目が終わったとあってあたたかな歓声が溢れている。

「うぅー……」
  ビチッ ビチブリブリブリ!
 女子トイレの6つならんだ個室の最奥、和式便器にかがんで苦しむ少女が一人。
  ブチュビチチチチ! ビィ――ッ!!
 弾けるような噴射に堪らず肛門をすぼめたが、
  グリュリュリュリュル!
「うぐっ」
 急かすような便意が猛烈に痛い。
 扉越しにまだ聞こえる声に苦悶の表情を浮かべる。悪臭に対する文句、大便への生理的な嫌悪、あからさまな非難の感嘆。心無い誰かの苦言だった。
(おなか、いたいもん……)
  ゴボッ ジャジャ――――ッ!!
 右手側にあった水洗レバーを手で下げる。流したばかりであったが臭いが気になって仕方がない。たちまち少量の下痢が流されていった。
  グルルルル! ゴポボボッ!
「はぁー、ふぅ」
  ブリブリブリ、ビチチチッ! ブポポポッ!
 新たに下された汚物が水流にさらわれ飲み込まれていく。やがて緩やかになった流れでは押し流しきれず、金隠し下の窪みに滞留してしまった。妖しく浮かぶ藻屑のようなものは、大便の崩れた欠片に他ならない。
(うんち、止まんないよぉ……っ)
 気配りと家事に長けた少女、平沢憂は誰が言うまでもなくお腹を下していた。

 時間は少しさかのぼり、五時間目の数学。
 明確な便意を感じたのは授業の終わり際だった。
 食後だから、と特に気にもしていなかったがそういう訳にはいかなくなった。
  グウゥゥゥゥ……
「うぅん」
 憂は伏せていた顔を上げ、時計を見上げる――まだ終わるまで二分。
(お腹痛いっ)
 まだ二分もある、と教室の中で憂だけが思っていた。
 明らかに下痢を伴った痛み。憂は久しくやってきた痛みに真面目に取っていた板書を放棄、ひたすらにお腹を抱えずっと黙りこんでいた。
 この痛みは食後によくある圧迫感ではない。緊急アラートとでも言えるだろうか、内容物が急激に動き出した刺激である。
(どうしよう、トイレいきたい……)
 まさか学校で催してしまうとは、憂も考えてはいなかっただろう。それにただの便意ではなかった。ゆるゆると目覚めてくるようなものではなく、突然跳ね起きるような異常な便意。
「下痢、かな……」
 そっと呟いて、耳の先まで茹でたみたいに赤くなる。言葉にするだけでも十分に恥ずかしさを突きたててしまった。女の子として、言うだけで。
 さっきまでシャープペンシルを握っていた右手は女々しくも弱々しいお腹に行っている。
 今すぐ手を挙げて白い陶器に会いたかったが、女の子の羞恥心がそれを許さない。今開放と我慢を天秤に掛け、辛抱することを放棄してしまえば楽だ。しかしもう数刻で授業は終わってしまう――激しく排便している最中にトイレが混雑していくことは明白だ。それに終業間近であるのにトイレへ経つ……誰しもが大きい方だと悟るに違いない。なら我慢しよう、もう少しだけ。とあと少しの辛抱という分単位との駆け引きが、彼女を我慢へと決心させていた。
  ゴキュグルル!
「ふぅー、ふぅ」
(あ、あと一分)
  グルグルグル! ぎゅるるる〜
(もう三〇秒! ウン、チ……)
  ゴロゴロゴロ――! ゴポポポポッ!!
(あ、あと少し……。トイレ行きたい、ウンチしたい!)
 もう脳内には汚物と陶器しか渦巻いていなかった。テストに出ると大声で指摘している問題なんか一切意識に持ち込めない程に、熱く、ひどく排泄を渇望していた。
 終業のチャイムが、鳴る。
 遂に憂は無限に等しい六〇秒を耐え抜いた。
 先生が教室を出て行くのも待ちきれず教室を飛び出す。
(と、トイレ……早くおトイレ!)
 目指すは、トイレ。
 もう人目を気にするだとか恥ずかしいという障害感情は忘れ去っていた。今だけは。
 待ち望んだそこへ憂が駆け込んだ時にはまだ誰もいなかった。
(は、早く! ウンチ……)
  グルグルゴポポポポ!!
「んぁっ……」
 最寄の個室を前に楯突く便意。憂は歩みを止め、苦しげに顔を歪めた。
 その時、憂はトイレ入り口からの声を聞いた。
 授業から解放された生徒がトイレにやってきたのだ。たちまちに忘却されていた感情が沸と思い出されてしまう。
(別のおトイレに行く? 体育館のとこなら誰も――)
 排泄を逡巡して一瞬、憂は引き返さなかった。もう限界なのだ。いつ下着にシミを作ったっておかしくないほどに。
(下痢、恥ずかしいから……せめて奥に……!)
 我慢するという選択肢も残されていなかった。憂は痛むお腹をさすりつつ、6つ並んだ個室の奥に入った。
 せめて大きいのをするなら、できるだけ入り口に遠い場所へ。緊急を目前にした女の子の、最後の抵抗だった。
  ギイィ――ガタン、ガタガタッ! ガチャン! バサバサバサッ
(やっと、おトイレできる!)
 立て付けの悪い扉と鍵を強引に閉め、ショーツを下ろしかがみこむ。我慢を重ねて汗ばんだ色白の尻を便器に晒す。口を噤んだ肛門は今にも爆発しそうに盛り上がりかけていた。憂は加減も鑑みず力を込める。
(ウンチ――うんち、でるっ)
 蕾が一挙に硬質の弾頭に押し拡げられ、隆起し――
  ミチミチミチミチミチッ! ミチミチュブリブリッ!!
  ミチ……ミチュブリニュルルルッ! ニチニチニチニチッ!! ブリッ!
「ううぅぅぅぅ! ……はぁっ!」
 憂のお腹に眠っていた硬質便が生き物のように吐き出されていく。便器の河を滑り、縦に走って折れ曲がり、水飛沫を跳ね上げながら止まった。実に四日ぶりの排便であった。ここ数週間は軽く便秘気味で、姉が寝静まった頃にトイレに篭り、奮闘しているぐらいだ。今日の朝も姉がノックをしてくるまで必死にきばって、出なかったのだ。
 便秘にしては割と細めで、その分長い。実に30センチもの一本が熟成した異臭を放つ。
「あぁぁ〜……んんぅ。はぁぁ〜」
 憂は女の子の部分に背徳的な快意を味わっていた。異常な質量が《きばらない》という点では苦心もなく排出されていくのだから無理もない。腸壁を摩擦し、性に敏感な部分が触発されていたのだ。
 元から便秘に慣れておらず、排泄時には10分超の格闘を余儀なくされていたのだ。600秒の苦戦が10秒足らずの枠に収まったとあれば、快感の凝縮も計り知れない。
(出たぁ……)
 しかし、快感に浸るのも束の間、
  キュ――――ッ キュルグルグルルッ!
 せき止める杭が無くなり、流動性に満ちたそれが急降下してきた。
「あっ、やっ……!」
  ブッ! ニュルミチュミチュミチュ! ブビビ、ブリブリブリブリ!!
 粘土のような軟便が次々と便器に積み重なっていき、先の大便にもたれかかっていく。
  ブリニュルルルル! ビリブリブビィ――――!!
「あ、んぅ」
  ブリビチビチビチ! ブビビビビッ!
(やだ、とまんないっ)
 憂はふと意識を外界へと向け、便意に抗い括約筋を閉めた。聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさで嫌悪を示す声が耳に入る。隙間だらけの仕切りなど、女の子の音を防ぐには役不足も甚だしい。
 腸内で発酵した硬質便のみならず、吐き出したばかりの軟便でさえ鼻を摘みたくなる悪臭を撒き散らしているのだ。個室の扉下の隙間や上の空間から臭いが流れ、順番待ちをしている女子にも届くのは明らかだ。
「やだ、くさい……」「しっ。聞こえちゃうでしょ」「音消しぐらいしなさいよ……」「あーあたしもお腹痛くなってきたぁ……」
  ギュル、ゴロゴロゴロ……ごぽぽっ
 心無い声に憂は胸を痛め、盛り上がる便意を精一杯に締めざるを得なかった。直前まで限界に大口を開けていた菊花が、ばくばくと蠢きながら腸液をしたたらせる。
(もぉ、はずかしぃよ)
 とりあえず悪臭の元を流そうと、手元に近い水洗レバーを倒した。
  ゴボッ ジャ――――――――ッ!! ゴボボボボッ!
 押し寄せる水流が便器を占拠していた便を前方の溝へ押し込み、さらっていく。幸いにも憂の出した大質量は詰まることなく消えていった。
 こうしている間にも他の個室からも水洗の音が高々と渡り、扉が鳴いて開く音、叩きつけるように閉める音、施錠の音が響いている。
 その中で、最奥の個室だけが、動きを止めていた。
 憂はトイレの人だかりがなくなるまで、我慢をするつもりなのだ。
(早く、出したい、っ)
 人並みの羞恥心を持ち合わせる憂としては、腹痛からの解放よりも排便、それもまだ吐き出されぬ下痢の悪評の回避を優先としたいのだ。
 後頭部でくくられたポニーテールがお腹を擦る動きに合わせ揺れる。便意に抗う肛門が赤々と充血した肉をヒクヒクとしている。様々な感情の入り混じった吐息は荒い。
 授業中に堪えていた便意とは比較にもならない痛みが直腸から発せられている。気を緩ませれば一挙に爆発させかねない程の勢いを秘めている証拠でもある。
 早く大便がしたかった。なのに羞恥という障害がそれを抑制している。
(うんちしたいっ、うんちさせて!)
 自ら辛抱しているという矛盾に関わらず、誰にともなく憂は懇願した。もしその願いにベクトルがあったのなら壁の向こうの外野たちに向けられているのかもしれない。
「ここ、空かないね」「だってうんこしてるじゃん」「やだぁ〜」「私もウンチしたいかも」「えーやめてよ〜」
(うんこ……。ウンチ…………)
 扉越しとは言えうんこだの、ウンチだと公言され、憂の頬が更に赤く染まる。
「あ〜もれちゃう」
 憂の個室に並ぶ女子がいたらしい。外から足踏みが聞こえるのを無視し、憂は目を瞑った。
 憂もまた、限界なのだ。『我慢の限界』を我慢していたんだから。
「おなか、いたいっ」
  ギュル〜〜ギュルギュル〜〜〜
(ああ、だめ、でちゃう! うんちが――)
 今までにない激痛が憂のお腹を棘のように突いた。思わず括約筋が緩む。ひくつく肛門が盛り上がり、ついに蕾を開かれていく。
「やぁ……」
 憂はお腹にあてがわれた片手を即座に水洗レバーに差し向けたその時、
  ブビィ――! ブジュブゴボジャァアアア――――ビビ――ッビビビィッ!!
「んん――っ!」
  ブジュブボボボボボビビッ! ビリビジュジュジュジュビ――――ブビビッ!!
 不恰好なラッパを吹かしたような雑音がトイレ中に響き渡る。激流が壮絶な排泄音をかき消していたが、憂は激痛のためにレバーを深く倒しきれず、半端な水量しか流せなかった。隠しようもなくなった濁った爆発音がトイレ中に拡散する。
 手も動かせない程の激動が、憂を襲い、レバーを倒す余裕すら奪う。
  プピィ――ブチュブチュプピピピピ! ビヂヂヂヂッ!!!
  ブボッ、ブババババビビビビィッ!! ブリビチヂヂヂヂヂッ!!
「くさい……」「さきに行くね」「ちょっと、待ってよー」「うわ、下痢ピーじゃん」
 臭いと音に耐え切れず、洗面台で髪を整えていた女子数人が立ち去っていく。まさに臭いの粒子から逃れるように嫌悪感を露わにして。
(はずかしい……こんなにうんち、しちゃって。それに、げりぴー……)
 下痢という単語が憂の心を大いに痛めつける。これが小学校のトイレだったら、憂はたちまちにイジメの対象となっていたに違いあるまい。
 男子に囃され、女子からは侮蔑の視線。汚物そのもののあだ名。腫れ物扱い。お腹の不調一つがもたらす屈辱を思うだけで、憂の精神は荒んでいった。
 それからも憂の恥辱に満ちて、抑えるような排泄は細々と続いた。
 憂がお腹をさすりながら痛みと戦う最中にも、小便が便器を叩いている音が止まなかった。憂のいる個室に並んでいた女子も、他の空いたところに駆け込み、盛大な音消しをしながら用を足していた。
 また、乾いたおならやおしっこのついでに催したような大便の落下音など、女子の忌避する音が別の個室から聞こえてきた。だが憂の事情に比べれば些細なもので、誰も咎めるような声音は出さなかった。むしろ隣のおかげで都合がいいとばかりに女子たちの排泄が堂々としていた気がしたのは、憂だけだ。
 もう憂も女子から隠すようなことを諦め、お腹の暴れるままに排泄を続けた。
 時折隣の個室から聞こえてくる落下音を耳で拾いながら、下痢と戦う。
  ポチャッ、ポチャン
(隣も、うんちかな……)
 同じ行為なのにどこか近しさの感じない感覚が憂にはあった。かけはなれた親近感、とでも名状できそうな単純な想い。
  ボチャン! プゥッ……
(かたいうんちだ)
 憂はそんなことを考えながら水っぽいうんちである自分に劣等感を覚えてしまうのだった。
 それから数分。渋ったお腹を片手でさすり、耳を外に傾ける。……もう休み時間も終わりに近いのか、トイレに人はいない。ついさっきまで隣のトイレに入っていた女子はもう済ませて出て行っている。憂とは違って、きっと食後の蠕動で催したのだろうから時間がかかっていたのも頷ける。他に大便をしている人がいるという気兼ねの無さからか、一切音消しをしていなかった。それでも憂は音消しを欠かさなかったが。
 さすがにトイレは憂を除いて無人となっていた。
  ビジュ! ブピピピ、ブビュ――!
「はぁ、ふぅ」
 もう汚らしい音を非難する女子はいない。
(い、今のうちに……)
 憂はきばる力を盛大に込め、一気に力んだ。
「ふうぅぅぅん!」
  バブッ ブリビチチチチブチュッ! ブビピピピビビィッ!! バププブピピ!!
  ブジュブゥ――――ッ!!
 外にいる人を気にして加減気味の排泄しかしていなかったが、今ようやく思いっきりきばる事ができた憂。肛門を焦がすようなおならを最後に便意は引いていった。
「まだお腹いたい……」
  ぷびっ……
  がらがらがらがぷりっらがら びり
 憂は紙を巻き取りながら下した原因を思い浮かべる。
 昼に食べた卵焼きの味がおかしかった。
(どうして傷んだ卵に気付かなかったの……)
 ちょっとしたアレンジにと、砂糖を効かせすぎて味の違和がよく分からなかった。
 流動性の高い便でずたずたになった肛門を優しく拭い、ちらりと紙を見やる。粘性のある黄土色がねっとりと付着している。憂は堪らず便器に落とし、新たな紙を巻き出した。
(なんだか熱っぽいし、どうしたんだろう)
 憂は朝から風邪のような気だるさを覚えていたが、自分がしっかりしなくてはお姉ちゃんを見ていてあげられない! と無理をして朝食を作っていた。朝の内に卵の異常に気付けていれば、お腹を壊さずに済んだのに、と今更ながらに後悔。
 しっかり者の憂でさえ風邪には負けてしまうのだ。これがのん気な姉だったらどうなっているか……。
 四度ほど尻を拭いて足元を見る。散々流しながらしていたのでもはや水様便が便器の河に滲んでいる程度にしか残っていないが、水流のさらっていけない側面には水玉模様の下痢の飛沫がしっかりと付いていた。
 もし流していなければ便器を往復しかけるほどの硬質便と軟便、そして消化し切れていない下痢がありありと便器を埋め尽くしていたことだろう。とても一人の少女が生み出したとは思えない量になっていたはずなのだ。
 憂が念のためにと紙を取ろうとしたその時、
  キーンコーンカーンコーン……
「え、遅れちゃう!」
 始業のチャイムが一つだけ閉まっている個室にまで高らかに届く。憂は休み時間の10分全てを個室の中で過ごしていたということになる。ゆっくりと後始末をしていた憂は慌てて水を流し個室から駆け出した。急いで引き上げたショーツに拭き切れなかった尻たぶの下痢の残滓が染み付くのには気付かない。
 まだお腹が痛むのも省みず、流すように手を洗って歩を早める。
「お姉ちゃん、大丈夫かなぁ……」
 憂は姉、唯の苦しそうな表情を想像して胸を痛める。
 そう、唯の弁当にも卵焼きは入っていた。
 この後も憂は授業中に催し、
(おなか痛い、うんちしたい……下痢が)
 五分間の決死の忍耐も虚しく便意に負け、顔を真っ赤にしながら「保健室行って、いいですか」と嘯いてトイレに立ち、食中りの中身を前回は躊躇った手前側の個室で噴出させた。誰の目にも便意を我慢していたのは明らかだったが、指摘するような生徒はいなかった。憂の切迫した表情に生徒たちは何も言えなかったのだ。
 若干腰を下ろす位置が下がりすぎていて下痢をタイルにぶちまけ、後始末をしながら顔を赤色に塗りつぶした。そして数刻、火照る赤は一気に青ざめていき、未消化の食べ物を混在させた吐瀉物を下痢塗れの便器に吐き出してしまった。
 異なった黄色の織り成す混沌としたグラデーション。流されてなお、臭いがしばらく残留していた。まるで憂の具合でも誰かに示すかのように。
 卵がもたらした食中りは、徹底的に憂の健康にダメージを与えていたのだ。
 数十分後。「おなか、こわしちゃって……」保健室のドアが弱々しい力で開けられていた。


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 憂が苦しんでいる最中、時をを同じくしてその姉、平沢唯は。
 古典の授業に退屈を覚え、落書きに勤しんでいたのだった。
 角張ったギターを描くその顔は半ば上気し、とても体調を壊しているようには見えないのだった。
 事実、唯はお腹を壊していなかった。
 弁当を残さずたいらげたにも関わらず、だ。
 それでも快調な理由は昼休みにまで遡る。

「唯―っ。おかず交換しようぜっ」
 そう箸をカチカチさせなから笑うのは軽音部部長・田井中律だ。唯の返答も聞かない内に箸の先端はおかずを見定め始めていた。
「さすがにりっちゃんでも交換はだめだよ〜?」
「なんでっ!? 昨日もしてたのにー」
「冗談だよー。じゃあ私はから揚げもらっちゃう!」
 唯はいち早く箸を動かし、面前にある律の弁当箱に差し向ける。ただその軌道は緩く、止められることを前提としたような、じゃれあいの意味合いの篭った仕草であった。
「なにぃー! じゃー私は卵焼き貰うもんねっ」
 と互いに箸でにじり寄ったり離れたりと牽制を幾度か掛け合いつつも、最後は大人しく交換しあうのだった。
 ちなみに最初の交換では卵焼きは半分ほどしか渡されなかったのだが、後の牽制掛け合いが白熱して最終的には卵焼き全てが律の胃袋に収まったという経緯がある。
 かくして本来は妹と同じ運命を辿るはずであった姉は平然と五時間目を過ごし、不遇ながらも傷んだ卵を材料としたそれを食した律は――。
(あーだめだ。お腹いてー……)
 授業時間を残り半分残した辺りから腹痛に苦しみだしていた。
 平生から元気の有り余ったふるまいで生活しているような律であるが故に、弱った時の反動は並ではない。あまり親しくない便のトラブルに見舞われ困窮している次第だ。
 軽快にドラムを叩き鳴らす細身の指はごろごろとうねるお腹に差し込まれ、叩くのではなく撫でるというドラマーには必要とされない動作を余儀なくされていた。
 上半身の倒れ掛かった姿勢から時計を見据える。残り二十五分ほど。
(やっべートイレいきたい……)
 普段からあっけらかんとしている律とはいえども、根本は女子である。衆人環視の中でトイレに行くことを宣言できるほど図太くはなかった。さりとて、保健室に行くなどと嘘を吐いて窮地を脱するような案を思いつける状況でもなかった。
 他人と比べ健康優良児な律は『授業中にトイレに立ちたい』状況に縁がなかったがために経験が少なく、ただ羞恥と時間との葛藤に蹲るだけだった。
  グルギュルゴロゴロゴロッ
「うっ」
 お腹で暴れる大波にうめく。毒物を緊急に排しようと昼に食べたものが急激に肛門を目指しているため痛みは計り知れない。
(トイレっ、ウンコしたいって)
 お腹の不調に覚えのない律はただ嘆くのみだった。
 ましてや他人からもらったおかずで食中りだとは疑念に抱くこともない。
(もしかして澪に風邪もらったかなー)
 三時間目に別クラスの親友・澪に会いに行った時に律は彼女が風邪に見舞われていることを知った。なんでも風呂上がりに薄着のまま軽く寝入ってしまい……という経緯だ。
 目覚めた翌日の軽い倦怠感と頭痛で風邪を引いたのだと気付いたとか。そんな状態でも登校してきたのは、症状が軽めだと思えたからという油断が関連していた。
(でもすぐに風邪になんかなんないって……ううっ)
 普通に座ることすら苦痛だとばかりに律は姿勢を崩し始めた。椅子を引いてまるで居眠りに入りかけたような、睡魔に抗っている様子を彷彿とさせた体勢になる。机に空いていた肘をつき、机に寝かせた腕に額を乗せる。
(もうトイレ行くって手挙げちゃおうかな……う〜)
 トイレ。トイレしたい。でも恥ずかしい。
 ウンコ。ウンコもれそう。でも言うのはいや。
 何回戦わせたか数えるのも煩わしいほどの葛藤。
 その時、五時間目最大級といえるビッグウェーブが律の腸内で荒れ狂った。
  ギュロゴロゴロゴロ〜〜ギュウウゥゥゥ!
 律は悪夢にうなされたかのように頭を起こし、迷惑も顧みず立ち上がった。
「先生っトイレ行ってきます!!」
 まるでシンバルが鳴り止んだ後のような静けさだけが教室にはあった。
 律は構わず教室を飛び出し、なるべく目立たないことをぼんやりと考えながら駆け出した。
 津波のような激痛は律に我慢の限界を訴え、瞬く間に便意が羞恥を打ち負かした瞬間であったのだ。もう律は迷っていられなかった。
(トイレ! ウンコもれる!!)
 早足気味にトイレ――構造は憂の使ったトイレと同じ――に到達する。
 一番近い個室に入り、便器をまたぐ。あとは下着を下げてしゃがむだけ。なのに律にはそれができなかった。
  ゴロゴロギュ――ギュルギュルッ!
「あ、だめ!」
(やだっウンコっ――)
 咄嗟に律は膝を折りしゃがみこんだ。下着をよかすことをせず。
(だめっでるっ!)
  プジュ――ッ! ビブブブブッ! ブビッ!!
 液便を伴ったガスが締め付けられていた肛門をこじ開け、噴出した。
 律はパンツを下ろす暇もないことを悟り、排便に至るまでの過程をたった一つ、たった一つだけ飛ばしてしまったのだった。
「あ、ああ……やっちゃったぁ」
 律はお尻に生温かい感触が広がっていくのを感じながら、深い失望に呑みこまれた。
(ウンチ、もらしちゃったよ……どうしよ……)
 もう排泄に焦るほど便意は切迫していなかった。今の粗相で少しだけなりを潜めたということだ。
 律は妙に冷静になった。
 スカートをまくりあげてからパンツの腰紐に手をかける。幸いというべきか律は紐パンだった。ゆっくりと紐を解き、外すと、
  ベチャッ
 パンツが傾けられ、僅かに形づいていた便が便器に落下する。指先程度の軟便だったとはいえ、溶けた粘土のようなそれの大部分は律の尻たぶに付着しているのだ。本当に僅かにしか落ちなかったのだ。
(あーウンチしたい)
 沈みかけていた便意が再発し、律は片手で紙を巻き取ってパンツに巻きつけた。水色のチェック柄の中心に泥のようなものがこべりついているのを眺めながら。
 そのおもらしパンツを一旦後方に置き、深い溜息と共に姿勢を整える。
「う、でる……」
 お腹に力を込める。
  ブリブリニチュニチュニチュッ! ブリリリリリリッ!!
 黄土色の大便が充血した菊花から迸る。律は毎日排便リズムがあるため固まりかけた便が少しだけ先駆ける。
 ブリブリビチチチチッ! ビビッ ブブボッ
 それからは断続的に下痢が出てくる。直腸に注がれる傍から下され白かった便器に吹き付けられていく。
(うー、くっさーい。ほんと、下痢だ)
 おもらしのせいで律らしい元気さはとうに消え失せ、惰性のままに動いているといった印象をもたせる。
(もっと早くトイレいけてれば、もらさなかったのに。ウンチ我慢しなきゃ……もう)
 おもらしなどいつ以来だろうと律は思い起こす。きっと小学生、それも一年生の時点で克服してからだ。それも小便のはずで、大便おもらしなど初体験。他人のおもらしをなじった経験はあれど、自分で自分をなじることになろうとは思ってもいなかった。
  ギュルルルル〜〜
「ふ、んんっ」
  ブチュッビビビビビチッ! ブリュブブピピピッ!! ブババッ!!
 薄黄色の液状便がきばりに応じるように排泄されていく。便器に叩きつけられたそれの中には消化されていないニンジンの欠片などの鮮やかだった野菜の残骸が浮かんでいた。
「あう、ふうんんんっ!」
  ビィ――――ッ! ビシャビシャシャシャッ! ブチュブチュブチュ! ビピピピッ!
(くさい……おなかいたいっ)
 ガス交じりの排泄は律のいたいけな腸壁も無残にも擦りながらも止まらない。
  ビビィッ! ブボボババッ!! プゥ――――――ッ!!
 最後に伴う下痢便もなくなり、できそこないの笛みたいなおならを終止符に、律の腹痛はなくなった。
「はぁ……ふぅ」
 律はふと自分がドアを閉めずに排泄していたことに気付いた。顔を横に向ければ個室入り口の延長線上に壁のタイルが見えていた。しかし今は授業中なので誰にも咎められることはないと知り、閉める意欲もないままにトイレットペーパーを取ろうとした。
「うっ!」
(気持ちわるっ! うえ……吐きそう!)
 律はさっきのおもらし直前のような危機感を再度感じ取った。それも上の方に。
 姿勢を崩すように床に手をつき、お尻から個室の外へ出るような体勢を取る。両手を便器の淵につき、そして顔を下痢便のにまみれた便器に向け、近づける。
 汚泥に濡れた尻がブルッ、と震えた。
「げぇ――――――っっ!!!」
  ゴボドボボボボボチャチャチャチャッ!! ビシャビシャビシャビシャビシャ!!
 途端に律は大口に昼食もろとも逆流させ、嘔吐。間近で炸裂した濁流が跳ね散っては便器を、青ざめた美顔を汚していく。
「オエェェェッ! ごほっ、ウエェエェェッ!!」
  ベチャビシャドボボボボッ! ベチャベチャビシャッ!!!
「ごほっ、げほっ、うええっ……」
 弱々しく両手で体を支え、苦しみもだえつつもえづき続ける。
 便器の中はおぞましいまでの惨状となっていた。
 嘔吐の濁流によってたっぷりと横たわっていた軟便が押しつぶされ、黄色の汚物と澱むような色合いを見せながらも浮かんでいる。その中には下痢と嘔吐の原因ともなった卵焼きの欠片が混在しており、他にも食品の原型を留めたままのものもあった。
(あ、危なかった……)
 律はお尻を個室の外に突き出したまま、そう思う。
 もし律がトイレの扉を閉めていたら、体勢を取ることに手間取り上の口からも粗相をしでかしていたかもしれないのだ。そう鑑みれば、この情けない姿勢でもよかったということになろう。それがたとえ廊下からでも下痢に汚れた尻たぶが垣間見えるような状況でも、だ。トイレの構造が一直線の箱型なので、わりかし奥にある個室が使用中かどうかは男子でも見れるし、仮に一番手前の個室から下半身を出しているとなれば目に付かないはずもない。
  ププッ ププスッ
 情けない放屁。糸を引く粘液のようなものをせっせと吐き、個室に身体を隠した。今度は扉を閉め、施錠。
 水洗レバーを倒し、下痢便と嘔吐物を清流に押し流させる。三種の液体が互いに交じり合って便器の奥底へと消えていく。それでも二種類の汚濁が点々と白色を彩っている。
(これから汚れたお尻を拭いて、便器に収まれなかった汚物を拭って、パンツも捨てなきゃ)
「パンツの換えなんか、ないよ……」
 無気力な感情のまま丸めておいたパンツを摘み、もう何重にも紙を巻きつけて三角ボックスの中に押し込んだ。授業の状況から自分のものであると目敏い女子が勘繰るかもしれないが、どうでもよかった。
 律は閉めていない扉の下方に下痢の雫がついているのを目敏く見つけた。扉は閉めておかなければ便器の後方側にある状態だからついているのだろう。
 休み時間になるまでに、終わるかな……。
 結局律はチャイムの鳴る寸前に片付けを終え、こそこそと隠れるように保健室に駆け込んだ。スースーする下半身のままじゃ、気が気でない。トマトのように顔を真紅に茹らせながらも、赤裸々に下着を汚したことを告白し、無地のパンツを借り受けたのだった。
 それから教室に戻り、体調を崩すことはなかった。
 下痢便で再起不能になった下着は、後の掃除によってサニタリーボックスの生理用品と共に捨てられた。


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「りっちゃ〜ん。部活いこー!」
「う、うん……」
 放課後。能天気に元気な唯とは裏腹に、憔悴気味の律。
「まだお腹痛い?」
「いや、だいじょぶ……いこっか」
 不調の原因が遠からず自分に、引いては妹にあったとは露知らずの唯。
「……あれ? むぎちゃんは?」
 クラスメイトであり部活仲間の紬がいない。同じ教室だからいるとばかりに周囲を見渡しての一言。
「先行ったんじゃ?」
「そっか〜。じゃあいこっか」
 二人は紬の鞄が机に残されていることに気付かなかった。

 確かに先に行ったのには間違いないのだが、二人の意図する行き先とは異なっていた。
 琴吹紬。桜坂高校軽音部のキーボード担当。お嬢様。
 少女が向かう先はトイレ。それも――二年生の教室とはかけ離れた、西側の方へだった。
 各階には二箇所トイレがあるが、紬が向かったのは特別教室などが多い西側。東側は教室が集中している。当然、人気は西側の方が少ない。わざわざ遠い場所のトイレに訪れる理由はもう掃除の終わった放課後ならば言うまでもない。
 実は三階西側トイレの方が人気も少ないのだが、そこは音楽室に近い。
 トイレは前述が示したように無人だった。水の撒かれた形跡があり、掃除の後であることを窺わせる。西側のトイレは3つ並んだ個室の列が空間の左右に1つずつある。教室に近い東側トイレは6室×1列だが、西側は3室×2列だ。
 紬は右側の2番目に入る。扉は軋んだ音を立てて閉まりきってから施錠。左側3番目以外は全て和式で、紬は洋式には目をくれなかった。
 水撒き直後で床は濡れている。しっかりと水は切られているようだが、それでも気を緩めれば滑りかねない。便器は磨かれていたようだが、金隠しの裏側の汚れは落ちていない。目の届かない場所である上に長年にかけてこべりついた尿石だ、易々と落ちるものじゃない。
 琴吹紬。お金持ち。よくお菓子を持ってくる。
 彼女は高級そうな下着を膝まで下ろし便器に屈み込んだ。スカートをお尻にかからないように捲り上げた。すべすべで大きく実ったような桃尻が露わになる。前方は毛深く、奥に潜む亀裂を覆い隠していた。
 琴吹紬。天然気味で、そして――便秘体質。
 屈んだ場所から一歩前に出て、お尻を落とす。自然と片手が下着をくしゃっと掴む。もう片手はお腹に行っていた。かなり張り出したお腹を押してみると、鈍い痛みが返ってきた。
 紬は重度の便秘を抱えていた。それこそお金ではどうしようもならない程度の。
 お金で解決できるのは食生活だけで、それでは治らなかった。朝・夕食後に決まって家のトイレに座り、電車の時刻に間に合うぎりぎりまできばっていく。休日なら昼食後もトイレタイムを取るが、学校だと恥ずかしくてそれができなかった。家だと自分の使うトイレは完全個室なので人目を気にすることはないのに、と思う。
 ほぼ毎日溜まった小水と一切れの紙を流すだけで、大便を洗浄することはない。
 一度食後の蠕動の手助けもあって相当の便意を抱き、登校前に喜々としてトイレにこもったが、無惨にもレバーを小の方向に捻る結果。彼女は電車の時間に間に合うように家を出なければならないため、あと少しで出そうな所を振り切って退出した。
 出そうになるまで一〇分以上かかっているのだから便秘の程度が推し量れる。翌日は早めに食べて三〇分篭ってみたが、便意がない以上意味はなかった。
 きっと洋式だからダメなのだと家に和式便器がないことを悔やみながら、普段はトイレに篭る時間に駅に向かい、駅のトイレで用を済ませようとした。
 洋式よりは出そうな気配がするものの、時間をかけすぎて電車を一本逃してしまった。そのかいあって七日分の大便がむりむりと排泄できたのだが、出し切るのにまたまた時間がかかり、流すのと同時に個室を飛び出して学校に間に合う電車にぎりぎり駆け込む羽目になっていた。
 その際紬は流れきったかどうかを確認できるはずもなく、実はトイレを詰まらせていた。七日分の極大便は和式の勢いをもってしても流しきれず、後からトイレを利用しようとした女性が悲鳴をあげたくなる程の量が詰まりながらも半身をトラップからせり出させて鎮座していた。そのトイレは故障に追い込まれ、紬がまた利用する頃には直されていたので彼女は自分の罪に気付いていない。
 紬は洋式で出し切れば詰まらせてしまうことを知っているので、適量ごとに流すのを忘れない。一度排便の快感に騙されて流さずに溜めてしまった時のことは赤面ものだ。
 浣腸や下剤は使いたくない。朝に便意が来るように下剤を使ったら1時間もトイレから出られなくなってしまった。溜まっていた大便を出し切ってからはきりきりと痛むお腹を抱え、出もしないのにずっときばっていた。家の者からはひどく心配され、誤魔化すのも恥ずかしかった。幸いにも休日だったからよかったものの、もし平日に下していたら学校になんか行けはしなかっただろう。
 イチヂク浣腸に手を出してみた時は最初の一個ではなだらかな便意しか押し寄せず、二つ目を使っても楽に排便できるまで至らなかった。仕方なしにと三個目を挿し込んでようやく8日分の硬質便が出た。しかし使いすぎが祟って肛門が緩んでいるような違和感がつきまとい、怖くなってもう使えなくなった。
 繰り返すのもナンセンスだが、紬は便秘だ。これで10日目だ。最後に排泄したのは別荘のぼっとん便所で、自然を満喫していたら催した次第だ。盛大なお釣りにお尻がかゆくなった。強烈な落下音で耳まで真っ赤になった。でも詰まらせる心配のないトイレはとても気持ちよく、喘ぎともつかない溜息を深々とついた記憶は新しい。
 便秘だ。一週間出ないのは当たり前。今年の部活合宿前に便秘を解消できず、旅行に大便を持ち込んでしまった。不遇にも嬉しいはずの便意があるのに、人の目を気にして排泄できなかった。行き先で、駅で、新幹線内で、宿泊先で。
 どうしても排泄するのに十分以上はかかるので、そう易々と便意に従えなかった。
 朝食後に尿意を覚えて別荘のトイレに入ったら、先に入っていた唯が景気のいい排泄音を出していた時は思わず自分も大がしたくなった。けれど長時間篭ってしまうと痕から来るかもしれない仲間に申し訳なかったし、万が一にも詰まらせてしまったら……。トイレに充満した臭いは排泄の免罪符だというのに、受け取れない。
 尿意だけ解放し、洗浄音に紛れてガスを抜いてトイレを後にした。
 高校生ともなれば旅先で当たり前のように交わされる「出た」「出ない」の話題にとても共感できた。便秘仲間がいたことに少なからず安堵感を覚えた。一人でこそこそとトイレに入っていく子がちょっとだけ羨ましかった。
 唯は排泄にそこまでの羞恥を感じないようで、「やっとうんち出たよ〜」と呑気に呟いていた。律は便乗する形では赤裸々に「あたしも!」と言う。澪は律に出たのか問い詰められ、「しし、してないよっ!」と紅顔になって答えていた。
 澪が夜中にこっそりとトイレに立ち、唸りながらうんちしていたのを紬は知っている。廊下のトイレで下痢気味の便をしていた。夜に済ませようとトイレに行ったら先客としていたのだ。紬の足音に気付いて慌てて流したようだが、扉から漏れてきた臭いは誤魔化せなかった。扉越しに小さな声で「澪ちゃんでしょ?」と尋ねると数十秒後、「な、内緒にしててねっ!」との声。
 緊張と慣れない環境でお腹を壊してしまったらしい。皆が寝静まるまでトイレに行きたいのを我慢していたのだそうだ。
 結局紬は澪が駆け足でトイレを去った後も、どうしてか排便ができなかった。持ち込んだ大便を家に持ち帰り、帰宅早々トイレに駆け込んだ。すごくうんちがしたいのに、出てこない苦しみを味わった。
 しつこいが、相当な便秘だ。憂の症状なんか及ぶべくもない。
「んん〜っ」
 下腹部に力を込め、精一杯にきばる。
 不幸にも学校で催してしまったのだが、便意を一度逃しては次に排泄できるチャンスがいつ巡ってくるかわからない。便意がない時の排泄は、ある時の三倍以上はかかってしまう。紬は仕方なく学校で大便をするという恥ずかしい行為に臨むこととなっていた。
(今日こそうんこ、でてほしいの)
 このままでは部活に支障を来しかねない。もしも突然お腹が痛くなって演奏を乱してしまっては申し訳ない。それに途中でトイレに立ってしまうと、十分は動けなくなるので物凄い下痢だったのだろうと思われるのは必至。だからといって便秘だったの、と告白するのも筋違い。
「んん〜っ、ふぅ。ん、ふぅぅぅぅ〜〜ん。すぅ……はぁ」
 すぅー、と息継ぎをして嘆息。相変わらずお腹に変化は見られない。
「んふっ……」
  ぷしゅうー ぷぷぷっ
 そればかりか熱っぽいガスばかりが先駆ける。お腹の動いている証拠とは言え、本命が一向に動く気配を見せないのは辛かった。
(うんこ、でてぇ!)
「ふーっ、ふぅ〜〜〜っ! う〜〜〜ん……」
 フラッシュバルブを掴み、遠慮がちに口を窄める肛門を突き出す。金属質のパイプに捕まり、強く気張るその姿に本来の気品は垣間見えなかった。聳える壁と気高いプライドに閉ざされた女の子の秘め事。誰にも見られない女の子の戦いがそこにはあった。
 排泄欲、生理現象に見舞われればどんな美人であろうともトイレの中では下品に成り代わる。たとえお嬢様であろうとも巨木の幹のような下世話なモノを相手では、社交界では大活躍の気品なぞ尻拭き紙にもならない。
 ばく、ばくと僅かに肛門が上下するだけで、奥に潜むであろう黒ばった巨体は頭角すらも顕わにしていない。いかな強烈な便意でも紬は五分前後の息みがなければトイレで言うところの『本番』には突入できないのだ。
「う、う〜〜〜ん……ふぅぅー、ん――っ!!」
  ぷー ぷすー ぷぅー
 息んだだけ開いた便と腸壁の隙間から肥えたガスが放出される。どんな極上の香水でも打ち消せない悪臭を直に浴び、その臭いにすら慣れかけた鼻腔で酸素を取り込む。
 放課後にも関わらず立地のよさが幸いして誰も用を足しにこないことが幸いだった。激臭の本体に侵されたガスを吸い込まれ、嫌悪感を持たれても困るだけだ。
 また誰もいないから声を出してきばれるのも心強い。家のトイレは完全防音で流水音すら遮断するので廊下で使用人が歩いていようとも気兼ねなくふんばれたが、あいにくと学校のトイレは上方下方ともに隙間だらけだ。
(せめて人が来るまでは思いっきりふんばらせて……)
 一刻も早く部活に行かなければ、という焦りが募る。大便してて遅れた、なんて大親友を目の前にしても言えるはずもない。
 トイレに篭って三分ほどが立ち、呼吸も荒く足腰に痺れが走り出した頃。
 今日は諦めて部活に戻ろうかと思いつつも、壮烈な便意に苛まれていた時。
  コツコツコツ……
(ああ、来ちゃった)
 早足気味にトイレへと入ってくる靴音だった。遂に人気のないトイレにも客が来てしまったのだ。これではおいそれと息めないし、本番に入ったら臭すぎて恥ずかしい。
 やがて足音はトイレに侵入。穏やかでない足取りが音だけで伝わり、化粧直しではなく排泄目的でやってきたことを告げている。ますます紬の気持ちは暗礁に乗り上げていく。
 靴音の主は個室ブースの手前、洗面台の所で立ち止まるものの、ためらいがちに濡れたタイルを踏み締めて紬の篭る個室を素通りする。その子は1つ閉まった部屋の隣ではなく、紬のいる列の向こう側に陣取ったようだ。どうやら洋式トイレに入ったらしい。
 きっとオシッコだよね、と高をくくって紬は小休憩に入った。
(1分もすれば排尿が終わるだろうから、それからうんこに戻ろうかしら)
 立ち上がっては微々ながらも降りてきた便が引っ込みかねないと、しゃがんだまま来客の動向に気を配る。
 その来客――真鍋和は急ぎ足で洋式トイレに駆け込み、スライド式の鍵を閉めた。便器に背中を向け、中腰でレースの美しい薄い桃色の下着をずらす。下着の内側にはナプキンが敷かれていて、中心が赤黒く汚れていた。それを一旦剥がして汚れた面を上にして床に置く。然るべき処理をしておきたかったが、まずはお腹の処理が優先だった。
(誰かいるけど――我慢できそうにないわね)
 女の子の一人として、排便の時間を誰かと共有したくはないが、お腹が限界そうだった。
 和も大便がしたかった。それは憂のように下して切迫しているのではないにしろ、ごく恒常的な生理的欲求に従ってのことだった。
 六限の授業間際から、
(ちょっとウンコしたいかな?)
 家まで保ちそうな程度には感じ始め、
(ウンコ出そうだわ)
 と掃除の手を鈍らせるまでに便意は成長し、
「ちょっとトイレ行ってくるわね」
 生徒会室に荷物を置くや否や、先にいた役員に一言告げ、程近いこのトイレにやってきたという訳だ。本当は生徒会室に来る前にトイレに行きたかったが、生徒会長が一番遅れて来るというのも面子が立たないので、顔出しだけはしておこうとの配慮から早足気味になっていたのだ。
 ふくよかなお尻をどっかりと着座させる。椅子に座るかのように足を慎ましやかに閉じ、体制を整える。一層競り上がる便意、排泄欲求はピークへと達する。和は背筋をピンと伸ばし、お腹に力を込めた。
  ミチ……
「んんっ――」
(ウンコ、3日ぶり、ね……)
  ミチ、ボットン!
 和の肛門が蛇腹のように蠢き、丸々とした便塊を打ち出した!
  ボトン、ボト、ボチャン! ミチチ、ボトッボトンボチャ!!
 直腸までは一本糞で在った大便は出来損ないのボールを固めたようなゴツゴツしたものだった。それは外気に触れた途端に分離し、小さな小さな便として落下していく。まるで産卵とも見える排泄シーンだった。
(う、つめたっ)
 そんな便塊が生み出す落下エネルギーは凄まじく、水に深く沈み盛大なお釣りとなって和のお尻にびちゃびちゃと跳ねた。すごい不快感に和は顔をしかめる。
(やっぱり和式にしておけばよかったわ……でも、クサいわよね)
 和式便器なら紙を敷いておけば水を跳ねさせたり、大きな音を立てたりすることはなかった。しかし自分の大便の臭さを自覚している少女は、排泄物が外気に触れやすいしゃがむトイレを使うことを良しとしなかった。
(今日の議題は『節水について』だったものね……音消しと臭い消しのために流すなんてもったいないわ)
 ならば逐一流せばいいという意見は即座に却下だった。生真面目な彼女は資源を無駄にすることなどできるはずがないのだ。
 だから結局、臭い封じの代償にお尻をびちゃびちゃされるがままにすることとした。
 できる限り声を出さないようにしながら、腹圧を強める。特段便秘でもないので、苦労もなく大便は落ちていく。
  ボトン、ボトン……ボチャッ ボトボト、ボトン、ドボッ!
  ミチュッ……ドボン! ドボッ ボチャン! ミチボチャッ!!
 大小に富んだ汚物の練り物がせきを切るように排泄されては、陶器の湖に沈んでいく。質量のある硬質便が分裂したようなブツなので、浮かぶこともなく底に溜まっていく。
(もう、早く済ませなきゃ)
  ミチミチ…… ボチャン ボトン! ミチッ ボチャッ!
 急いても焦りと便だけが積もるだけだった。
  ポットン ポットン ポチャ! トポン
  プ プスススス〜
 小ぶりの便が幾つも落ちては、後を追うようにおならが続く。
「ん、ん、んっ、うんっ」
(そろそろウンコ、出終わるかしら……)
 肛門の半径も小さくなり、ビー玉大のうんちが矢継ぎ早に繰り出されていく。今の和の直腸は、発砲を待つ銃弾が連なるマガジンだった。
  ニチチッ ボトン、ボト、ボトボトボトン! ポトポトポトポトッ!
「ん、んっ」
  ポトン、ポチャン ポトンポトンポトン……
  ブゥッ!
「はぁ、はー」
 和はもうお腹にウンコがないことを悟った。しかし、便とはまた違う排泄物が残っていることを理解し、辟易する。
 一方でかがんだまま様子を伺っていた紬だが――。
「あ、ふぅ……う」
  ググッ…… ギチ……
(やだ……うんこ、出そう)
 やる気のなさそうだった肛門の肉が、腸壁の目覚めに応じて大きく口を広げ始めたのだった。気張ってもいないのに降りてくるとは皮肉なものである。
(今なら、出せる……でも)
  ボチャン ボトッボトボト
 水面を打ち付ける排泄音が気になった。今汚物を空気に晒してしまえば、激臭が知らない誰かの元に届くのは明白だ。自分の便の頑固さと大きさと、何より臭さを知っている。吐き気を催す程の不快感に出会わせたくなかったのだ。
  ギチ……ギチュ
(もう……うんこ、しちゃいたいっ!)
「ふん〜っ」
 強烈な便意に逆らえるはずがなかった。何より、待ち望んでいた機会だった。
(あっちの子もうんこしてるんだし、お互い様よね?)
 紬はフラッシュバルブを砕かんばかりに握り締め、たわわなお尻を突き出し、全力でふんばる。きもち足幅を大きく取って震える姿で力む様は、同病者ならば鏡で自分を眺めているような錯覚に陥ることだろう。
  ギチ……ミチ グググ
「あっ……あ……う〜ん」
(すごい、大きいっ)
 見えざるそれは、徐々に肉の道を拡げ、ハジメテが引き裂けるような痛みを発している。普通の女子ならば切れ痔になりかねないダメージであるにも関わらず、もはや極大便排泄が日常となった少女の排泄器官には損傷は見られない。
  ギチチ……ミチ
  ぶふぅー!
 門が開かれるにつれ溜まったガスも噴出。悪臭源の本体から抽出した毒素を更に凝縮したような有毒ガスが紬の鼻を突いた。喉の奥が締め付けられると形容できそうな感覚が、嗅覚に警告を促して不快感を催させる。
(う……私の、くさいわ。でも、まだでるのぉ……)
「ふ、うふぅ!」
  ブブッ ブスー プスプスッ プシュー ププッ
 息むのに合わせて断続的なガス群が外気を犯していく。この量では同席している誰かの吐き気を煽るのも時間の問題だろう。
 近くから聞こえる排泄音に触発され、お腹が大便を押し出していく。
(うんこ、もう出そうなの!)
 会食で食べたステーキの残滓が、朝食で食べたパンの滓が、昼食に貰った惣菜パンの絞り粕が、夕食で飲んだスープの成分が、そして放課後に食べたお菓子やクッキーとかサブレとかエクレアだったり紅茶だったりシュークリームもようかんもおまんじゅうも、あとアイスにケーキ――甘いお菓子などの残骸か何かの凝縮物が、ムリムリと排泄されようとしている!
 1日目は特に気にしなかった何かが。
 2日目はまだ固まりつつあったそれが。
 3日目から溜まり始めた老廃物が。
 4日目から詰まってきた汚物が。
 5日目にはお腹を張らせ始めた便が。
 6日目から腹痛の要因になった大便が。
 7日目には遅刻の原因になりそうだった硬質便が。
 8日目には出るはずの便秘便も。
 9日目で便意もなくストレスであるのみの極大便になって。
 10日目にしてようやく、紬はうんこを受動的にしたくなった。
 家族と食べた朝食が、唯からもらった昼食のおかずが、放課後に梓が食したお菓子が、澪が味わっていた紅茶も、帰りに律と食べあいっこしたアイスも、豪華な夕食も。全てがろ過され固まり絞られて、みだらにうねるおしりのあなからとびだすのだ。
「あ……は、んん」
  ググ ギチチ ミチ ミチヂッ ミチ……
(10日もうんこしないなんて、はじめてなの)
 腸壁を牛歩の速度で擦り、不気味な音を奏でながらも遂に黒ずんだ頭を顕わにした。限界近くかっぴろげられた肛門を押しのけ、乾ききった大便がせり出てくる。
 紬は全力を、全開で腹圧に変えて追い込みへと馳せる。
 ふんばり過ぎて火照った尻からはうっすらと汗が滲み、濡れて甘美的に光る。薄く便器に張った水の鏡には、毒々しい便が映る。磨かれたばかりの器はその怪物を受け入れる準備はできている。
(私のべんぴうんこ、もうちょっとぉ!)
  ミチ ムチッ ミチムチムチ……
 数センチ、数ミリ、と徐々に産まれて行く紬のウンコ。おならを乾いた潤滑油のようにして、みち、むり……といやらしく音を立てて出していく。
  ミチ! ミチチヂッ!
(ああ、出てる! でっかいのぶらさがってるみたい!)
 針金でも通されているかのような硬くてしならない一本糞が、神聖な性的欲求をそそらせる美尻から垂れている。荒削りした彫刻の如く、粗くごつごつとした表面の乾いた大便。その先端はもう便器の縁に達するというのに、落ちる様子がない。
 大便の質量感、便器に吸い寄せられるみたいな重力に10日振りの排便の実感を覚えつつも、腹圧を緩めない。
 少しでも気を緩めればウンコが引っ込んでしまう。勢いが失せてしまえば気張り直しで、最悪直腸に溜め込んだまま時間切れということもありえるのだ。
 以前、家で排便に勤しんでいた時のこと――紬は太い大便を洋式便器の水面に浸らせたまま、5分間も煮え切らない便意に苦しんだことがある。使用人が不躾にもドアをノックしたせいだ。遅刻しそうになるまでトイレをしていた紬にも問題はあるのだが、仕えるお嬢様がご不浄に立ち入っている時に近付くのは不用意に他ならなかった。時間を伝えるという善意が逆に排便に時間をかけさせるという無駄を呼び寄せたのは言うまでもない。
(今のうちに、出さなきゃ……っ。うぅぅぅぅんんっ!!)
 紬は極力声を出さないよう、心の中で息みながらひたすら気張る。声をひそめる以外に外界を気にする余裕なんかない。
(う〜ん! うぅ〜〜〜〜んっ! ふうううん、う〜〜ん!!)
  ググッ グググ…… ミチ、ミチチチッ
  プッ プスゥー ププププッ シュ〜〜
(あと、ちょっとぉ……)
 やっとのことで便の先端が便器の底を突いた。尻から便器まで一直線に伸びる大便は千切れるとも折れるともしそうにない。
(あとひと踏ん張りなのっ! 私のうんこ、出る――)
  ミチッ ミチュッ ミチチ――
  コンコンッ!
(ひゃぁっ!!?)
  グググググ……ッ
 突然のノックに身が竦んだ紬。その拍子に入れ続けていた腹圧が、途切れてしまった。拡がっていた肛門が萎み、僅かにうんこが戻ってしまう。その衝撃でお腹が唸る。
(え、なに、だれ!?)
「和でしょー? まだなのー?」
(の、のどか? 和ちゃんのことかしら!?)
 違います、と言おうか言うまいか悩んでいた最中、
「ちょっと! 私はここよ!」
 洋式トイレに入っていった子が返事をしたのだった。その声の持ち主を紬は知っていた。
(和ちゃんだわ!)
「あれぇ、そっちの方だったんだぁ」
 誰か知らないけどゴメンねー、と言って洋式の方へ駆け寄っていく女生徒。
(和ちゃんも、うんこしてたんだ……)
 親近感を抱きつつもぶら下がる便を思い出し、嘆息。
(また、おもいっきりきばらないと……。うぅん、お腹いたいわ)
 間違って呼びかけられたせいでお腹が痛くなった。下痢のようなチクチクする痛みではなくて、全体的な圧迫感。
(すごい、おならしたいのぉ……)
 紬は便秘症以外に悩みの種がもう一つあった。それこそ、多量の放屁に他ならない。
 排便し切った後に必ずと言っていいほどおならがしたくなり、腹痛を起こしてしまう。そのガスも本体に劣らない臭気と量であり、しっかりとした密室空間で放屁しなければ激臭と大音量が紬に辱めを与えることだろう。
 実はそのガスこそが排便の起因でもあり、おならの圧力のおかげで排便できていると言ってもいい。
(うんこよりおならしちゃいたい! おなか痛いの、早く、出さなきゃっ)
 大便よりも屁がしたい。猛烈な腹痛がそう訴えさせる。
 早いこと大便を出して、おならを直腸まで下ろせば腹痛を和らぐ。後は外の二人が出て行くまで、最悪知らない女生徒がいなくなるまで我慢したいところだ。
「和ぁ、先輩たち待ってるよ?」
「ちょっと待って、もう行くからっ」
 どうやら生徒会役員が同じ役員の和を探しにトイレに来たらしい。恐らく常時から扉の閉ざしたタイプである洋式に、和がいるとは思わず、和式にいると勘違いしてノックをしたのだろう。
(もう、どうしてこんな時に……)
 和の歯噛みは女生徒に伝わっただろうか。
(もうちょっとでトイレも終わるはずだったのに)
「先行っててちょうだい」
「……もしかして和、ウンコなのぉ?」
 図星な和は赤面し、ガタッと便座を揺らした。
「ち、違うわよ!?」
「だってぇ、クサいし長いんだもん」
 確かにおしっこにしては時間がかかり過ぎているし、何よりも便臭がトイレに充満している。女性同士であることも悪い意味で功を奏しているのだろうか、デリケートさに憚りのない女生徒であった。
(いや、私の臭いもあるけど……ほとんどはあっちの子が……)
 とは言えなかった。
「え、えっと私生理なの! だから時間かかってるだけ!」
 床に放置されたままのナプキンが何よりの証明だが、扉の外の女生徒が判断する材料にはなり得ない。和はせりあがってくる便意を堪えながら慌てて答える。
(やだ、我慢できるかしら)
 しかもただの便意じゃない。というより"便"意ではなく、造語するならば『屁意』。猛烈に熱っぽく毒っぽい気体群が降下し始めた。
「会長もう来ちゃったんだし、早く済ませなよ〜」
「うん、わかったから早く行ってよ!」
 彼女らしからぬ焦りよう。女生徒の嗜虐心を大いに逆撫でた。
「えっとぉ、もう終わるの? まだお腹イタイなら会長に言っとくよ?」
 おおよそ気遣いと取れそうにない声色に、和の焦燥感は更に燻っていく。
「もう済むから早く行ってちょうだ――ッ!?」
  ボブブブブッ!
 炸裂。
 沈黙。
 締め付けていたはずの括約筋が緩み、放屁。
「っあ……」
「ご、ゴメン!」
 状況を愉しんでいた女生徒は慌ててトイレから出て行った。トイレの仲の絶対的弱者をいじめる不謹慎さに、ようやく気付かされたのか。幸いにも便座と便器の隙間から漏れた悪臭を嗅ぎ付けずに、嗅がれずに済んだのだった。
「ぅあ……っ」
  ブボッブボボボボォ――ッ!! ブブブフフッ!! プシュ〜!
 密閉に近い空間の中でおならが氾濫する。便座に尻で栓をするように座っているがために、括約筋を操るのに充分な姿勢でない彼女は、足を開いた姿勢ならば制御できるはずの屁意すらにも耐えられなかったのだ。
(ううぅ、クサいわ……こんなの…………)
 のっぴきならない激臭に鼻を摘む。膝を合わせ、背を伸ばし、拳を握って膝に乗せた気品のある姿勢。いかな上品な姿であっても、トイレ中であることに変わりなく、排泄物は汚くて、臭う。
 その臭いは紬のそれに匹敵する強力さであった。紬のものが時間をかけて育てた一級品ならば、和のものは一気に成長させた特別製だろう。
(やっぱり生理中はイヤだわ)
 たった3日の貯蓄で10日の発酵に劣らない劇物に変貌させた原因、生理。
 本来は毎朝快便の和は生理中に限って軽い便秘に陥り、ものすごく不快な臭みを放たせる便を生み出すのだった。経血が便に混じっているのではないかと思うぐらいの匂いがする。故に彼女は臭い消しのために洋式を選んでいる。
(しちゃったものは仕方ないわ。今のうちに済ませましょ)
 和は上品そうな姿勢を崩さず、意図的に括約筋を弛緩させた。会議中にしたくなってはたまらない、という思いを胸に。
「ふ……」
  プゥ〜 プウゥ〜〜〜ッ! プッ! ブッ!!
(やっと、終わった、わ)
 軽くなったお腹を擦りながら、和はペーパーを手繰り始めた。
 一方で女生徒が立ち去る足音を聞き届け、紬は排便を続行していた。
「ん〜」
 いつもなら更に時間を要するはずだが、今日はお腹が従順だった。他人の排泄音がここまでトイレをしやすくしてくれるのか、と紬は思う。
 フラッシュバルブを握り締め、大胆に剛毛ひしめく股を開き、金隠しに密着してケツを突き出す。その尻からは木の幹みたいな便が垂れ下がり、和とは対照的に排便に狂う下品な姿だ。
  ミチ! ミチ! ミチチィ
(で、出るの! 10日分のうんこ〜!!)
  ミチミチミチニチニチニチミチ、ドバァン!!
 ようやく蟲の如き便が紬より離れ、便器に薄く張った水に叩きつけられる! 盛大に汚水が跳ね上がり、便器の縁を濡らす。
(で、でたぁ〜)
 実に35センチ、ただならぬ太さの極大便が白い受け皿に横たわる。根こそぎ水分を吸われ凝縮された有機物の絞り粕が、ありありと鼻のひんまがりそうな発酵臭を放っている。汚物の中でも特級品の質量感と、ゴツゴツとしながらも骨董品のような荒削りの表面、一介の女子が生み出したとは思えない一品だ。
 しかも、これで10日分を出し切ったわけではない。たった10日分が、これで終わるはずがないのだ。紬はただならぬオナラの音を方耳に聞きつつ、更に更に息む。
  ミチ、ミチミチミチ、ボトン!
 それこそ和の吐き出す便塊を一回り、二回りも太らせたような硬質便が落下した。
「ん、あぁ……」
  ミチミチミチ……
  プッ プス〜
  ミチュッ、ボトッ!
 (そろそろ、流さなきゃ)
 紬はバルブのレバーに手をかけ、引き下げる。途端に便器後方から勢いよく流水が放たれ、常人ならぬ便を押し流そうとする。水の流れをせき止めるように鎮座している3つの糞の内、2つの便塊だけを押し流した。あまりにも質量のある一本糞は、動きそうにない。
 これでだいたい7日分のうんこをした。そう、まだ7日分。
(うんこ、まだ、あるみたいだわ……)
  グググ……
(それに、早くおならもしたいっ)
 相変わらず腸の奥にある気体の圧迫感がひどい。お腹が破裂しそうだ。和が紙を巻く音を聞きながら、最後の仕上げへ。和に声を聞きとがめられないように、ふんばる。
  ミチニチミチニチ、ボチャッ! ミチミチッ! ミチブリブリッ!
「……んふぅ」
 最後は一気に、最初より苦労することなく出しきれた。もう一度流してみると、やはり最初の極大便だけが流れずに残った。
 そして、空になった直腸が気体で満たされていく。もう行く手を阻む物はない。休む間もなく吹き荒ぶそれを、紬は快感に似た安堵感を味わいつつ、解き放った。
  ブウウゥゥゥ〜〜〜ッッ!! ボブブブフ――ッ! ブッ!!
「っ、はぁ〜」
 そこに社交的なお嬢様の面影はない。
 そこに和に恥らう同級生の姿はない。
 あるのは琴吹紬の劣等感の本質のみ。
(くっさぁ〜い! でも、やっと部活行けそうだわ)
 悪臭に顔をしかめながら、トイレットペーパーを手早く巻き取る。雑に折り畳み、後ろ側からおしりのあなを拭う。一拭きしておおまかな汚れを取り、裏返してもう一度。乾ききったブツしか排泄しなかったので、たったの一枚で済んだ。
 鈍く痛みを訴える足腰を立たせ、便器の中を見下ろした。いつも排泄するのと同じくらいの大きさだ。
(私のうんこ流れるかしら)
 しゃがんだ体勢のままで疲れた足でレバーを踏み倒す。もう流れをせき止める便塊もなく、今度こそ巨大な紬のうんこを押し流していく。
 しかし――水音が芳しくない。
 うんこは完全に押し流されたが、流しきったという洗浄音ではないのだ。
(やっぱり、詰まっちゃった)
 不吉にゴボゴボと鳴るトラップの奥。目には見えぬとも奥底では岩のような大便が詰まって水の行く手を阻んでいるのだろう。
 ちょうどその頃、和はしっとりと床の水分を吸ったナプキンを汚物箱に捨て、新しいそれを装着し終えていた。尻たぶを閉じるような座り方だったので汚れがひどく、拭くのに時間がかかったようだ。
 タンクのレバーを倒すと便器内の水位が上がっていき、トラップに沈んでいた便塊が舞い上がった。そして呑み込まれて行く水に巻き込まれて流されていった……。
(早く戻らないと!)
 手早くスカートを直し、外へ出る。まだ先客の子はトイレらしい。オナラの音や臭い、ねっとりとした排泄音から相当キツい大便をしていたと推測できる。
「迷惑かけて、ごめんなさいね」
 和は扉越しにそう言い残し、手を洗って去っていった。
 もうトイレに残るのは紬と、二人が遺した汚物の悪臭だけだった。
 遠ざかる足音を再三確認し、とりあえず外へ。入り口を伺いながら掃除ロッカーへ歩み寄り、そうっとドアを開けた。中にあるアレを取り出して個室に戻る。
 それはラバーカップ――俗に言うトイレスッポンに他ならなかった。吸盤のような肉厚なゴムを先端に取り付けた掃除道具で、用途は言わずと知れている。
 家でも学校でもお世話になっているそれを、トラップを塞ぐように押し込み、一気に引く。
 勘違いされがちだが、ラバーカップの正しい使い方は『押し込むのではなく、引く』の
だ。詰まった便を押しやろうとするより、強く引くことを繰り返した方が効率が良い、と紬はインターネットで調べて実用的な知識を学んだ。調べている内に詰まらせた人の体験談や、解決方法、詰まらせた時の対処法を一挙に掲載した掲示板に行き当たり、同じ悩みを持つ仲間がいるのだと実感したものだ。
  ずっぽん…… ずっぽん……
 数十回と押し引きを繰り返し、ラバーカップを外してみる。トラップに一定量はあるはずの水は枯れたようになくなっていた。試しに紬は水を恐る恐る流してみる。すると――
  ゴボッジャバババシャァ――――――ッ!!!
 不気味な唸りを上げることなく水が流れ込んでいった。
(これで後の人も安心、よね。学校でうんこして詰まらせたのって、何回目かしら……?)
 家でラバーカップを握った回数よりは遥かに少ないが、和式・洋式ともに詰まらせて自力で解消させた経験がある。ここ2年間で十数回程度だろうか。
「はぁ……」
(長いので出なければ、詰まりにくいのになぁ)
 そう独りごちて、紬はトイレを後にした。
 実に15分。トイレに激臭を充満させた少女の、排泄時間と掃除時間。
 二人の女の子の放った、豊満な臭いはしばらくの間トイレに来る女子を不快にさせる芳香剤として、漂い続けたのだった……。


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 大幅な遅刻を引き連れて音楽室に訪れた紬は、不機嫌そうな面持ちの唯の心情を、なじんだ感覚のように悟った。
「おーそーいーよー!」
 何かを待ちくたびれているような、気だるそうな声。待っていたのは紬であって、紬じゃない。
「ごめんね〜。先生に呼ばれてたの」
 鞄を下ろしすぐさま品の漂う食器棚へと向かう。
 唯が待ちくたびれていたのは『放課後ティータイム』のバンド名にふさわしい、毎日のお茶タイムに他ならない。いつもお菓子や飲み物を準備する紬がいなくては、いつもの楽しみは始まらない。
 いつもの紅茶を準備しながら、座っている面々を横目に見る。
 お腹を空かせている様子の唯と。
 元気印を不調に没収された律と。
 不健康な『青ざめた顔』の澪と。
 1人、そわそわとしている梓だ。
 いつも通りの唯はともかく、LEDライトばりの明るさを放つ律が萎み、緊張や怖がっている時の青とは違う青色でぼーっとしている澪が相手では、普段の叱咤も叫ぶに叫べまい。
 律が健在ならまだ雰囲気も保ちようがあっただろうし、だらしない唯をからかって具合の悪そうな澪を律の冗談から庇ったりして――今日の放課後は砂糖を入れすぎたミルクティーのような味わいで、誰の肌にも合わなかった。
「今日はカステラを持ってきたの〜」
 努めて明るく振舞いながら、切り分けられたカステラを載せたお皿とティーカップを机に並べていく。唯の顔がぱぁっと輝きを取り戻し、ちょっとだけ嬉々としてカステラをほお張りだした。梓も乗じておけとばかりに笑顔を作りながら紅茶を舌に馴染ませる。
 別に元気印は1人だけではなかった。唯の上り調子の機嫌に触発され、徐々にだが平生の空気が戻り始めていた。
 律も大分お腹の調子がよくなってきたのだろう、夢見がちな唯との雑談を並にこなしている。――と言っても、紬のいない十分間で苦し紛れの排泄に行っていたのだが。繰り返す便意の波もようやく引き潮を迎えたらしい。
 澪も目先のあたたかいのみものは嬉しいようで、寒気を住まわせている身体を慰める気持ちでハーブの香るお茶で喉を濡らしていた。
(よかった……りっちゃんもお腹よくなったみたいね。澪ちゃんはまだ気分悪そうだけど……おいしい紅茶で元気になってね)
 ついさっきまで発芽した悩みの種と向き合っていた紬も、陰鬱とした気分を持ち込まないで済んだことを喜ばしく思っていた。自分で感じる以上に便秘が辛い時の気分は沈みがちだ。キーボードの音色も弾まない。
「――でな、軽音部が受け継いでいたその『呪いのギター』は……夜な夜な歯軋りみたいな騒音をかきならすんだぁ!」
「ヒイィィィィッ!!!」
「えー? それって夜中にさわちゃんがギターの練習してただけなんでしょ?」
「待ってください唯センパイ。先生の時代のギターで、夜中のエピソードは数年先の出来事なんですから、別人か……えっと、まさか……」
「そうっ! それこそさわちゃんに歯ギターをされた恨みを持つギターの悲鳴だったのだぁーっ!!」
「ひゃあぁぁぁあぁぁぁぁあぁっ!!!」
「澪ちゃん驚きすぎよ〜。そのギターはもう捨てられたんだから」
「ムギの言うとおりだぜ。……その捨てられたギターは今も――丁重に扱われている同じベースギターを呪おうとしているッ!」
「エ、エリザベス!?」
 ちなみに澪のギターの名前はエリザベスである(唯命名)。
「なんか妙な歯軋りの音がしないかー?」
「ししっ、しししてない!! ほらっ、誰かの足音だって!」
「常々思ってたんだよなー……時々澪のギターが妙な音を出してるような気が、って」
「こう? こう!? きぃぃぃぃぃぃぃぃ〜〜!」
「唯、やめろぉ〜〜〜!!?」
 落ち着いて聴けばただの高音も、怖がりの深みにはまった澪にとっては呪いの音色に等しかった。仰々しい悲鳴を荒立て、生易しい歯軋りの演技に全力で歯をかち鳴らす。
(これはこれは……ぞくぞくしますなぁ)
「さわちゃんに歯ギターされて澪のベースもいわくつきに――」
 嗜虐心を大いにそそられ、自分の不始末を忘れて澪いじりに没頭する律。そんな後の展開も悔やまないってくらい全力で今を生きる彼女のこめかみに電撃が走った。
「あら〜? 私になにか用か・し・ら〜!?」
 律の背後に立つキレ顔の教師、山中さわ子の強烈な洗礼――こめかみグリグリだった。
 グリグリグリグリ……と擬音を当てはめたくなる刺激的な万力にさっきの澪に劣らぬ悲鳴で抗うが、猛攻も途絶えた頃には満身創痍とばかりに机に項垂れてしまった。
「失礼ね! そんなギターあるはずないじゃない」
「でっ、で、ですよね!」
「きっとまたりっちゃん(律センパイ)のでまかせだなー」と冗談程度に聴いていた3人は、全力で肯定し頷く1人を微笑ましげに眺めていた。
「で、こんなことしてる場合?」
 うんざりとした物言いの先生に激しく梓が順応を示し、
「そうですよね! 早く練習しないと――」
「私のお菓子も出しなさーい!」
 やっぱり……という気持ちがどこかにあった梓だった。
「早くしないと溶けちゃうわよ!」
「さわちゃんが?」
「私は溶けないわよ。溶けるのは、平沢さんのだ〜い好きなものです!」
「アイス!」
 ご名答、と密かに下げていたレジ袋から先生はカップアイスを5つ、取り出した。
「おぉ〜!」
 唯の歓喜が音楽室に響く。
「ちょっといいことがあったから、奮発してみました〜」
「食べていい? 食べていい!?」
「ちょっと! 何があったかくらい訊いてもいいじゃない!」
 なんにしろ、先生にどんな好機が巡ってきていたのかは話題に上がらなかった。

 まったりゆったりなティータイムを終え、充分すぎる食休みも取った。
「唯センパイ、練習しましょう!」
「え〜」
「えーじゃありませんよ! 文化祭が終わったからって気が抜けてるんじゃないんですか!?」
「だって私風船だも〜ん」
 ぷしゅ〜と空気の抜ける真似をする唯の隣で、おかしそうに真似る紬。
 それを見かねたのかどうかはさておき、何か踏ん切りをつけた面持ちで準備室(という名の倉庫)へと入っていく。
 数十秒後――ガラガラと転がる音と共に現れるのは大きなメタルハンガー。非生産的な口論もとい言葉遊びをしている面々は、遊べる言葉を失って、倉庫から出てくる先生を見据えるのだった。
 ハンガーにズラリと、並ぶ衣服の数々――中には彼女らがイベントでお世話になった衣装もあれば、全く見知らぬ服装までかかっている。
「どうかしら? 文化祭が終わってからまた作ってみたのよー? これでも着れば、やる気でるんじゃないかしら?」
 と、軽妙な手つきで掲げられたのは子猫を彷彿とさせるもっこもこした服。ビキニを流用したようなデザインで、冬も近付く11月に着込むには疎遠したい露出度を誇っている。
「いいねー! いいねー! 私これ着るーっ」
 衣服の森をかきわけ、白を基調としたセーラー服を選択するのは唯。青いタイと藍色のスカートは白と相まって清潔感と清楚さを前面に押し出している。
「ちょっとさわちゃん……あたしは体調的に拒否したいんですけどー」
「私も、寒そうだし……」
 病み上がりならぬ下し上がりの律と、風邪真っ最中の澪は弱々しげに辞退。さすがに先生も無理を通すほどわがままではないので、2人をいたわって意見を呑んだ。
「3人は元気そうだし、問題ないわよね!?」
 例外的に3人にはごり押しで、あれよこれよと抵抗する間もなく――ただし抵抗していたのは梓のみ――コスプレ紛いの格好をさせられてしまった。
 唯は手にとったセーラー服を。
 紬は先生チョイスの薄手なドレスを。
 梓は例の子猫風の衣装を着させられた。
「うぅ……恥ずかしいです」
「あら、いいいじゃない。とってもお似合いよ?」
「梓ちゃんのお肌すべすべ〜」
「あ〜ず〜にゃーん! かわい〜〜!!」
「ムギセンパイまで! ちょっと、やめてくださいよぉ!」
 とかく先生の見守る中、梓は渋々といった体で演奏の準備に取り掛かる。今回は制服参戦の律と澪も愛用の楽器のチューニングに取り掛かる。
(うぅ、寒い……大丈夫かな)
 いかんせん露出が激しいために梓は秋空のもたらす寒さをじかに感じていた。外的な寒さで演奏に支障が出ないことを祈るばかりだ。
 一方。
(はぁー、お腹冷えてきたかも)
 内的な寒さで若干顔色を悪くしているのは、唯。
 体調不良を訴えれば間違いなく槍玉に挙がるのは……アイスクリーム。
(3つも食べるなんて無理だったかなぁ)
 卓上に5つも並べられたアイスだが、喜々として受け取る面々の中に、難色を示すメンバーがいた。
 風邪を引きずっている澪と、恥辱に塗れた食中りを体験した律。
 気分の悪そうな表情で押し退けられたアイスを代わりに食したのは、他ならぬ唯。
 キンキンに冷えたカップアイスを3つ、驚異的なスピードでたいらげたのだった。
 いかにアイスクリーム好きの彼女であろうとも、デリケートな女の子のお腹が過剰な冷菓の冷気に耐えられるはずもないし、唯もお腹を壊す事態になるとは思っても想像もできなかった。
 なにしろアイス3個の同時食いは初めて。家では憂が食べる量を管理していたし、サクサクのコーンに段々とアイスを積み重ねるそれだって、先のカップアイスには量も及ばない。
 本来は唯のお腹でゆっくりと絞られ、固まるはずの不純物は緊急事態に揺り動かされて腸内を激しく行き交う。
(トイレ、トイレしたいよ〜)
 唯のお腹で便意が渦巻く。
(うんちしたいっ!)
 特に恥じることもなく、明快な便意に明瞭な思いを募らせる。
 不調に従順な宿主に気を良くしたのか、アイスに急かされた大便の唸りが、
  ギュ〜グルグルグルゥー
 お腹のドラムから鳴り響いた。
「唯センパイ、もうお腹空いちゃったんですか?」
「そ、そうかもねー。ははは……」
 正直にお腹壊したとは言えない唯。梓の静止を振り切ってアイスを平らげている。そんな無茶をした手前、素直に告白できるはずがない。
 ギターの音色すら乱しかねないお腹の乱れは、排泄欲をみだらに増幅させていく。
(やっぱトイレ行かせてもらおっかなー……。あずにゃんだって許してくれるよね)
 と、言葉を放とうとした時には既に遅く、全員が楽器の準備を終えてしまっていた。とても「ちょっとトイレ〜」なんて言える雰囲気じゃない。
(ま、いっか。演奏終わったら行かせてもらお。もう高校生だし、うんちくらい我慢できるもん)
 稚拙な決意を胸に、短針3歩分の苦闘が幕を開けた。
 まだお腹の痛み始めた前半はともかく、サビがひどかった。
 演奏を止めるには至らない小さなミスであったものの、それが連続して続いていた。普段の律なら合奏を中止させてやり直しただろうが、肝心の彼女もまた調子が悪い。自分のパートに精一杯なのもあるし、何より自分自身もミスを多発している。
 如実に『失敗』が尾を引いているのだ。
 締まりの無いラストのサビの後。この状況を厳しく指摘できる者はいなかった。先生は演奏途中に用事を思い出したのか帰ってしまったし、いつもは口うるさく説教を始める梓すら口を閉ざしている。
「もー休憩しようぜー。つらいー。さむいー」
「そ、そうだな……。わたしもなんか熱っぽいし」
 閉口する梓もどこか顔色が悪そうだ。元気なのはお腹の栓を空にした紬だけだ。
(やっとおわったよぉ)
 今か今かと下手っぴな演奏と我慢をこなしていた唯はギターを壁に立てかけ、そわそわしながらドアへと駆けていく。それに目敏く気付いた紬が、
「唯ちゃん? どうかしたの?」
「んと、ちょっとトイレ!!」
 と一言、音楽室を出て行ってしまった。
 その後姿を憂いげな瞳で見つめる誰かを、知らずに唯はフェードアウトしたのだった……。


 恥ずかしいというより、かっこ悪い気持ちが強かった。
 トイレしたくなるのは仕方ないし、我慢してたら身体に悪いし。
 お腹痛いままだったら心配かけちゃうし。
 おもらしするよりはマシだから、恥ずかしくないよ?
 でもね、ちょっとかっこわるいよね。


 本来は腸内でゆっくりと絞られ、固まるはずの不純物は緊急事態に揺り動かされて腸内を激しく行き交う。
  キュルキュルゴロゴログピ〜〜ッ!
(はやくトイレしたいよ〜)
 演奏中に催した便意は最高潮のサビで大波を迎え、素人目にも判別できる不協和音を鳴らしてしまっていた。もう一つの雑音が騒音にかき乱されて聞こえなかったのは、幸いだった。
  グギュウゥ〜〜ゴポゴポゴポ!
 いかな音響設備でも奏でられない耽美な音色がお腹から発せられる。それは泣き声。甘味で終わるはずだった食物が劇物へと変わったことへの嘆き。或いは悲鳴。
 そうやって駆け足気味で階段を駆け下り、2階へ。階段を降りたすぐ近くに、目的の場所はあった。
 そこは数十分前、和と紬が激闘をこなした西側トイレだった。
 音楽室のある3階にもトイレはあったが、なまじ音楽室に近いがために唯は駆け込むのを躊躇った。演奏以外の音が聞こえてしまうのはかっこ悪いから。
(早くトイレしたかったけど……。うんちしちゃうのは恥ずかしくないけど、かっこ悪いよね)
 自業自得とも言える結末に恥じる唯。普通の女の子とは顔を赤くする理由が異なっていることに本人は気付かない。
  ギュピィ〜〜ッ!!
「ふぅあぁ……」
 大便の暴走が早足を止める。内股になって立ち止まり、お腹を守るように抱える。セーラー服の裾が皺を寄せた。
(とっ、といれっ! うんち、でちゃいそぉ……)
 直腸はパンパンに詰まり、うんこの先端は拡がりかけた肛門から頭を出しかけている。決壊寸前のダム穴をスカートとパンツ越しに指で押さえ込んでしまう。
 ぬる……と下着と便が触れ合うのも気に留めず、トイレへと歩を進める。
 少し波が引いた瞬間にお腹をさすりながらトイレに駆け込み、空き具合を一瞥、すぐさま奥の洋式の個室に入る。使うトイレにこだわりはないが、考えるまでも無く自然に洋式へと足が向いていた。
  キイッ バタンガチャン!!
「う、うぅ〜!」
 開けた隙間に潜り込み、すぐさまに施錠。
(うんち、うんち!)
 もう誰かの便臭は微かに残るのみで、濃くは残留していない。
  キュルゴゴゴゴォ〜!
(やば、でちゃう!)
 無造作にスカートへ手を差し入れ、下着を下ろしながら着座。
 大親友の和が排便に興じた場所とは露知らず、便座の無機質さを味わいながらパンツを足首まで下げる。花柄のパンツは紐をねじれさせながらも素直にずれた。
(やぁーっと、うんちできるぅ〜)
「ふんっ――うっ!」
  ミチミチミチニュルニュルニュリュルュリュ〜〜ッ!!
  ブリブリブリッ! ブリミチュニュルルルブリブリブビッ!!
 溢れるのをギリギリまで耐えていた蕾が花を――汚泥が彩る糞の花弁を散らしていく。固まりかけた軟便は萎びれた茎のような脆さと細さで、活けられそこねた造花のように水面へ打ち捨てられていく。
 若々しい女子が大量の大便を吐き散らす様は、実に刺激的な一面としか言いようがない。恥ずかしさもおくびに出さない、真の自然の姿と混在して排泄の『本来あるべき姿勢』と錯覚させられてしまう。
 底見える花瓶だった便器も、唯の容赦知らぬ肛門開花で底見えぬ沼の一角を模した壷と成り果ててしまった。波打つ壷の表層は崩れた豆腐のような便が占め、偽物の透明を映していた溜め水は黄土を吸って穢れてしまった。
「う、うぅん」
  ミチッ ミチュミチュ ブリブビビチビチビチッ! ブビブビッ!
「くふぅ……か、はぁ」
  ビチチッ! ブリブババッ……ブボボッ ブバビチチチヂッ!!
「ふぅ〜〜〜〜……?」
 直腸が実体のない圧力で盛り上がる。
「んっ!」
  プゥ〜〜〜ッ! ブボォ――ッ! ブッ!!
 甘い喘ぎと立て続けに鳴る三階音が閉ざされた陶器のアンプで反響する。それは僅かな熱と臭いと伴って下痢の沼を厚く包み込む。
(うんち、でたぁ)
 幼児のような笑顔で安堵を滲ませる。空気を打ち振るわせる一発で腹痛は大分和らぎ、直腸の渋滞も嘘のように解消された。若干の便意と痛みはあるものの、ひどく苦しむほどではない。
 唯は大股を開いて背中を蓋に預ける。
  ププッ プスゥー
 自然と緩んだ花から花粉混じりのガスが漏れる。大胆に開いた股の隙間から悪臭が立ちこめ、個室に毒々しい粉が蔓延していく。
(朝うんちしたんだけどなー。いっぱい出ちゃった)
 玄関前で最大値を観測した尿意と一緒に健康そうな便も吐き出したのだが、出し切れなかったらしい。おしっこのついでに催したから出してみた、程度の突発的な便意だったので、本格的な排便ではなかったのだ。
 お腹をさすさすと擦りながら、便器を覗き見る。湧き上がる激臭に鼻を摘みつつ目を凝らすと、糞の蓮が浮かぶ湖沼が見えた。
(うわ、びちびちだ)
 改めてお腹の調子を考えさせられる光景だったのは間違いない。
(まだうんちしたいかも)
 便意を内包した腹痛は収まっていない。激痛の名残か大便健在の証拠かイマイチ掴めない。代わりに膀胱がうずうずしてくるのを唯は感じた。
(おしっこでそう)
 倒していた上体を持ち上げ、汗ばむお尻をやや後方へと運ぶ。きゅうっと膀胱が締まる。尿道が熱を帯びる。
「おしっこぉ……」
 うわ言のように呟き、ぶるっと全身を震わせた。
  ちぃ――――じょろじょろじょろじょろ〜〜〜
 未熟な毛に隠された未発達のスリットから、一条の黄金水が放たれる。妹に劣る生え揃え陰毛を濡らしながら、黄土色の蓮ごと水面に弾ける。
 尿が切れた辺りで腹痛はさほど残っていないのをいいことにトイレットペーパーを巻き取り出す。もううんこは出そうにないと判断したのだろうか。
 雑に畳んで一拭き、紙一面に黄土色がこべりつく。それを落として新たな紙を巻き取り……6度ほど紙を汚してようやく拭き遺しはなくなった。最後に股間の雫も拭い、唯は自分の汗に湿った便座から腰を上げた。
 むあっと便臭が拡散する。しわくちゃになったセーラーのスカートを直し、コックを捻る。勢いよく水が渦巻き、軟便をぐちゃぐちゃにしながら奥底に流れていった。残念にも臭いばかりは流してくれなかったが、唯はさして警戒していない様子だ。
 陶器の節々、特にトラップ周囲は粘性のある大便がこべりついており、白に悪く映える茶と黒がありありと存在感を示していた。
「っふー。すっきり〜」
 しっとりと汗ばんだお尻を便座から離し、丸まってだらしない下着をずり上げる。偶然にも布に染み付いた粗相には目がいかなかった。
 もみくちゃになったスカートをさっさと整え、施錠されたドアを開けると、
「はぁ……はぁっ」
「あ、あずにゃん」
 ちょうど梓が――お腹を顕わにしたコスプレ姿で駆け込んできたところだった。
「え――唯センパイ!?」
 青ざめた表情に驚きの色をにじませる。
 案の定、華奢な指先は外気に晒されたお腹を抉るようになぞっていた。心なしか、ぶるぶると震えている。
「もしかしてあずにゃんもトイレ?」
「え、えぇそうですけど……うぅ」
「ふーん」
 でも……と唯は、
「急いでるなら3階のトイレ使えばよかったのにー」
「う……」
 切羽詰っているなら3階のトイレに入ればいい。しかし梓も唯とちょっと似たような心情で辛苦となる階段を駆け下りてきたのだ。
(そ、それはセンパイたちと同じ階でうんちできないから……)
 とは言えない。わざわざうんこしに来ました! と吐露することに等しい。
(それに……)
 3階のトイレで下痢ができない理由は他にあったが、それは更に告白できない。
「せ、センパイだってわざわざこっち来てるじゃないですかっ」
「え、そだねー。あはは」
 誤魔化すような浅い笑い。とりあえず梓は事情をうやむやにできた。
「お腹壊しちゃって、音聞こえるかな〜って」
「もう、アイス食べ過ぎるからそうなるんですよ! ……んぅ」
「あずにゃんに注意されたのにね〜。あれ、トイレしないの?」
「え、えと、しますけど……」
(そう思うならどいてくださいっ!)
 梓の鮮烈な叫びは届かない。
(センパイっ……早くトイレ譲ってぇ!)
 ちらと隣の個室を見るが、そこに入ろうとは思わない。
 唯の、唯がさっきまで使っていた場所でなければ、だめなのだ。
  ギュルルルル……
 梓のか弱そうなお腹が鳴る。うんちをしたいと唸る。
(もう、でちゃうよぉ……)
「じゃ、じゃあセンパイ、そこをどいて――」
  キュゥ〜〜〜グルルルル〜〜〜〜
「あ」
 梓とは比較にならない悲鳴をあげる、唯のお腹。
「またうんちしたくなっちゃった……今から音立てちゃうけど、ごめんね!」
 かっこ悪さを誤魔化す予防線を張り、個室へと踵を返す。
「え、そんな……」
  ガチャン! バサバサ ガタン―――― ビィ〜ッ! ビチビチビチッ!!
 張り裂けるような音。
 苦しげな声。
 ずんと色濃く香る臭い。
  ギュゴボボボ……
「ひぅっ!」
(と、といれ……。もう、下に行くしか、ないっ)
 梓は無言でトイレから立ち去った。

 目の前には目指していた扉が、便器が、個室があったのに。
 求めていた形はそれじゃない。
 私は、座ってうんちがしたいの。
 じゃなくて、そうじゃないと――できないの。


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「先生、おトイレ……行ってきます」
 耐えていた腹痛と、とある意欲に押し負け、とうとう保健室の先生に断って廊下に出る。放課後の廊下はひっそりとしていた。
 憂はその足ですぐ近くのトイレ――職員専用だが先生から許可を貰っている――に入り、洋式の個室の鍵を閉めた。職員室にも近いここは、校内に数少ない洋式便器の備えられた場所の一つだ。和式での排泄で足を疲れさせており、トイレの選択を迷わなかった。
 ショーツを膝まで下ろし、憂はお尻の感じていた違和の正体を見つける。
(やだ、拭き切れてないよ)
 憂は最初の排便の時に休み時間の終わるチャイムに焦って下痢の飛沫を拭き切れていなかった。清楚なショーツには散り散りになって乾いた黄土色の点がこべりついていた。
 失態に目を背けながらスカートをまとめてから着座する。
(ん、つめたぁい)
 ひやっとした便座の感触が不快感を伝える。風邪のもたらす寒気と相まって憂の不調を際立たせた。
「さむいなぁ……」
 下半身を盛大に晒し、冷え切ったトイレと冷たい便座。駄目押しとばかりに風邪っぽい。早く済ませようと、お腹に力を込めた。
 先の排出で赤く疼いた肛門の蕾が虫のようにうごめき、火山口のごとく突き出た。そして、溶岩流が――
「んんっ、うぅ」
  プピッ プピピピピピッ! ブプッ!
 軽く締めていた肛門の緊張をほぐすと、水っぽいおならが炸裂した。さっきから憂が我慢していたのは下着を汚しかねないおならであった。すかそうものならショーツの後ろに染みを作ってしまいそうだと、内側からあふれる熱さで感じ取っていた。
「ん、ふぅ……あぁ」
  きゅるきゅるぐるる〜
 おならの放出に感化されて腸内の液体が流動を始める。針で刺すような痛みに耐えかねて上半身を前のめりに倒す。するとお腹が圧迫され……
「やっ……」
  ブボッブリブリブビブビ! ブババビビィ――――ッ!!
  ビチビチビチチチッ ブジュジュジュジュブビブビ――――ッ!!
(す、すごい音……)
 誰かに配慮しなくてもいいと音消しをせずに排泄しているので、自分のひり出す下品な音がリアルに感じられる。肉の壁と擦れてかき鳴らされる弾けた爆音と、液体同士がぶつかりあう大音量。
  ブビッ ブベチャベチャベチャチャチャッ
 便器の底の水溜りに憂の汚物が叩きつけられ、濁った水滴を跳ね上がらせる。外気で冷え切った尻たぶに付着し、ビクッと震える。
「はぁ〜」
 一時的に便意が引いていき、じゅくじゅくと響いていた腹痛も大分和らいだ。
「……んっ」
 便意とは対照的に尿意が……あふれてきた。憂は倒していた姿勢を立て直す。すると、
  チ――――チュイィ――――ッ ジョボジョボジョボッ ジョロロロロ〜〜〜
 生え揃った陰毛の奥、穢れを知らないスリットからま真っ黄色のおしっこが放射されたのだ。乱れ気味の曲線が陶器を叩いていく。
(おしっこ、黄色いなぁ……やっぱ下痢したから……)
 足を大股に開いて便座の隙間から自らの放尿を覗き込んだ。かなり汗や下痢で水分を飛ばしていたために、その分おしっこは量に反比例して色が濃い。濃密な放尿は数秒ほどで終わった。
(寒いし、早く戻ろう)
 暖房の効いている保健室が恋しい。それに自分の汚物の臭いが蔓延したトイレに長居はしたくない。ここで先生が来たら不快に思うだろうし、許可を貰ったとはいえ鉢合わせた先生に事情を説明するは恥ずかしい。
 憂は紙をいつもより多めに巻き取り、手前から手を差し込んでスリットの部分を拭き始めた。優しく、押し付けすぎないようにおしっこを拭い、紙を裏返してもう一度拭く。
 その紙を便器に落としたその時だった。
 荒々しい足音が近付いてきたのだ。
(え、先生?)
 憂は休み時間の恥辱を思い出し、紙を取っているのを放棄して水洗レバーを倒した。臭いの元はたちまちに流されていったが、トイレ中に充満した悪臭は消えてくれない。
 そして足音は憂のいる個室の前で立ち止まった。バタバタと地団太を踏みながら。
 ドアノブがガチャガチャと、乱雑に回された。
(え、誰っ?)
「うそっ、そんな……」
 洋式が使われていると気付いてか、焦ったその女性は驚きの声を漏らした。
(あれ、この声って先生じゃなくて……)
 外の先生、否、少女はそのまま憂の隣の個室、和式便所に一瞬だけ躊躇うように立ち止まってから駆け込んだ。乱暴に施錠し、憂が唖然としている時にはもう壮絶な爆発音が響いていた。
  ブビブビブビビビビッ! ブビィ――――――ッ!! ボジョボジョッブビッ
 壊れた管楽器でも吹いたような甲高いおならだった。その少女は途切れ途切れに唸りながらどろどろの内容物を噴出させていく。
  ボタボタベチャベチャベチョッ!! ボトボトボトボトン!!
「うぅーん。お腹痛い……っ」
  ビチビチチッ ビビビィッ! ブゥ――ッ!
 憂は声の主を知っていた。憂は恥ずかしさもなく、無意識に問い掛けた。
「もしかして……梓ちゃん?」
「ッ!!」
 明らかに狼狽した声、だった。
  プピピピピッブリブピピ……プチュッ ポチャン ポチョッ…… プピ
  ぐるぐるぎゅう〜〜
「え、憂、なの?」
 水道管のバルブを閉めたみたいに排泄音が止み、代わりに少女・梓が恐る恐る聞き返す。
「うん。どうしたの、梓ちゃん?」
  がらがらがらっ
 憂はペーパーを巻き取って尻拭きを再開させながら尋ねた。
「もしかして、憂もお腹を……ううっ」
 もしかして、と言うのはトイレに駆け込んだ時の悪臭から察したのだろう。二人の少女は同じ目的と似通った欲求を抱えてトイレで邂逅したといえよう。
  ぎゅる〜〜〜
 いかにもお腹を壊してます、といった腹鳴りが仕切り越しに届いていた。恥ずかしさが先立ってか、梓は排泄を我慢しているらしい。
「わ、私はちょっと食中りしたみたいで」
(梓ちゃん、我慢してる。私がいるから)
 憂は肛門の汚泥を拭うテンポを少しだけ速めた。自分みたいに誰かがいると排泄に臨めない気持ちをよく味わったから。
「梓ちゃんもお腹壊したの?」
「うん、突然ぴーぴーになっちゃって。憂も大丈夫?」
「だいぶ、よくなったかも……。ごめんね、今出てくから」
 憂は梓が露出の激しい服のせいでお腹を壊したなんて知る由はないし、その破廉恥な姿を目撃していない。
「そっか、憂もげりぴー……。もうお腹はいいの……?」
「お、おトイレ終わったし、大丈夫っ」
 梓の口からげりぴーなんて言葉が出てくるなんて。妙なショックを覚えつつ七回、八回と念入りに尻たぶまで拭いて立ち上がった。
「そういえば唯先輩もお腹壊してましたけど……どうしたんですか? ……んうっ」
  キュルグルグルル〜〜
「え、やっぱりお姉ちゃんも!?」
「す、すごいげりぴーでした」
(やっぱりお姉ちゃんも卵に中っちゃったんだ……どうしよう…………)
 憂は案の定姉をも巻き込んでいることに頭を抱えたくなった。実は食中りではなくアイスの食べすぎでお腹を壊したのだが憂は知る術を持たない。
 さっきまで便器の中は崩れた豆腐のような便の滓で埋め尽くされていたが、排泄物のほぼ全ては、駆け込んできた梓を気にして流していた。今は泥に染まった紙ばかりが浮いている。しかし水流のさらっていかない側面なんかには、休み時間の時以上の水っぽさがもたらした斑点が見え隠れしている。
「うぅん……」
  ぷぴっ ぷぴぷぴっ ぽちょん
 梓は未だに根性よく排泄を抑えていた。ガラガラガラと紙を巻き取る音がしたが、憂はさして気にしなかった。
 憂は下痢の雫の乾いたショーツを渋々穿き、スカートを整えてから二度目の洗浄を行い、鍵を開けた。同時に隣の梓も水を流した。
 もう我慢できないから音消しでもするのかな、と憂は思ったがどうやら違うらしい。憂が個室の外に出ると、とても苦しそうな声で、
「う、憂ぃ……そっち行っても、いい?」
 何故かばたばたと足踏みする音がする。
「どうしたの?」
「うんち……したいの」
「えっ?」
「うんち! すわってうんちしたいのっ!!」
「う、うんいいけど……」
 声色に圧倒され憂が辟易しながらも答えた途端、梓のいた個室のドアが開け放たれ、血相を変えた梓が飛び出した!
 憂を省みず空になったばかりの洋式便所に飛び込んでいく。梓は憂がそっとショーツを穿いている時に簡単に大便を拭き、外に出る準備をしていたのだ。
 そう、梓は憂がいたから排泄を抑制していたのではなく、もう憂が出て行くとわかったから我慢していたのだ。最初洋式のドアを開けようとしていたように、梓はどうしても座ってうんちがしたかったらしい。
 そして案の定、憂は目撃してしまった。梓のあられもないコスプレ姿を。
(すごい格好……)
「だめ梓ちゃん! まだくさいよ……」
  ガタガタガタンッ!!
 憂が締めた便座の蓋を急いで起こし、下着を下ろしながら着座する。そして半ばでかかっていた内容物は、座りきる前に……
  ブビジィッ!
 便座に飛散したのも関わらず着座する。
「んんっでるっ!」
  ビシャビシャビシャビシャシャッ!! ブリブリブビブビブビビビビッ!!
  ビヂヂヂヂヂッ!!! ブビビィ――――ブボブバババッ!!
(すごい音。梓ちゃん、そんなにお腹が……)
 散々我慢していた分の反動は凄まじく、梓の排泄は憂が驚くほどの大音量を伴っていた。
「はぁ〜〜〜」
 解放感から梓の気持ちよさそうな感嘆の声がする。
(梓ちゃん、さっきまで私がうんちしてたところでおトイレしてる。下痢してる……)
 憂は言いようのない感動、いや感想を抱いた。嫌悪とも不快感とも取れないような、名状しがたいものであった。手を洗いながら憂はそんなことを感じていた。
「梓ちゃん、私もう行くね」
「うん、ご、ごめんね……ううっ!」
(すわってうんち……梓ちゃん、頑張って)
 何故か憂は梓の一言を反芻させ、後ろに下痢の炸裂を聞きながらトイレを後にした。


「はぁー、はぁー」
 どうして、こんなにお腹痛いんだろ……。
 破廉恥な姿で排泄に勤しんでいる梓は、お腹を冷やしただけでは考えられない異常に苦しんでいた。
(うんち、止まんない……! しゃーしゃーだよぉ)
 梓は憂の温もりの残る便座に腰を下ろし、もはや水となりつつある下痢便を吐き出している。
(憂、あったかいな……)
「んんっ」
  ブボバババババッ! ブビブリリリリ!!
(早く戻らないと、先輩たちにうんちだって思われちゃう……いや、もう遅いかも)
 なるべくお腹の異常を悟らせないように無表情を装いつつ、トイレに行ったのだが、唯と鉢合わせしていたのでバレているも同然だ。
(やっぱ洋式はいいな。楽におトイレできる)
 梓は断然洋式派であるのだ。自宅はもちろん洋式しかないし、外出先では衛生的に問題がありそうでも洋式をこぞって選択する。学校ですら洋式のあるトイレだったら憚りなくそちらに入る。回りの女子は公然と洋式を使うことに抵抗があるそうだが、梓はそれほどに抵抗を感じていなかった。
 とはいえども梓たち――一年生の教室最寄のトイレには和式しかなく、梓はおしっこの場合のみ和式にかがんでいた。別に使えない訳じゃない。
 だけどどうしても大便だけは、洋式でないと済ませられなかった。
 過去にも学校でどうしても大便がしたくなった時は洋式のある二階のトイレ――主に三年生の利用している――に行ったくらいだ。他には間に合いそうにない時に3度、職員トイレにもこっそり駆け込んだこともある。今日で4度目となってしまった。
 さっきは決壊寸前であったがために和式で排泄してしまったが、それは平生の排泄行為とは様相を違えていた。
 むしろ出そうとふんばってしまえば更に体調を崩してしまう予感があった。それに、ナイフ一振りの傷跡を心に刻みかねなかった。
 あんな排泄はもうしたくない。
 我慢できなかった分以上は出そうと思えなかった。和式でうんちをするのは何故か不快感がある。
 まさに拒絶反応。昔になにがあったかはさておき、梓は洋式以外での大便排泄にアレルギーのような拒否反応を示すようになっていたのだ。
 やっと落ち着いてトイレをしているその時だった。
 誰かがトイレに入ってくる足音がする。
「あ、梓ちゃん……っ」
「え、憂!?」
「だめ、おトイレ……ッ!」
 その人物とはさっきまで洋式にいた憂だった。トイレを出てから再び催し、慌てて駆け込んできたのだ。
 すぐさま洋式の隣――梓のいた和式便所に入った。
「だ、だめ! そこ入っちゃ――」
「我慢できないのっ!」
(だめ、だめなの! そこは……)
 もう隠せない。
(まだ私のうんちで、汚れてるのに!)
 梓も憂がトイレを終える気配を感じて仕方なく放置していたことだが。
 便器や周囲のタイルを下痢便で汚したままなのだ。
 洋式で大便ができない彼女が、粗相という最悪の事態を回避するためにとった行動、それは。
 ――立ちながらの排便。
 和式は使えない。……ただし、しゃがんでいれば、の話。
 《かがんで》《うんこ》をする、どちらか一つの枠が空白になれば梓のトラウマは排泄行為に干渉してこない。かがむという選択肢を当てはめなければ、丸はもらえなくても三角はもらえる。
 行き着いた答えが、立ってうんち。
 梓は施錠後、下着ごとビキニタイプのパンツを脱ぎ捨て、便器を跨いで排泄に及んだ。
 本当に我慢し切れなかった下痢便は暴発し、膨大な重力加速度を生み出して散弾のごとく、いや爆弾のごとく弾けた。棒立ちになってその惨状を見届けた梓は息を呑むしかなかった。
 狙いもろくにさだめなかったゲル状の爆弾投下。便器に収まったのは一部で、タイルに広がったり足に散ったりと散々な結果になった。
 直腸が数刻だけ空になった猶予で耐え切る寸法だったが、運良く洋式に駆け込むことができた。
 その代償に、親友は汚れた個室で大便を強いられている。
(梓ちゃん、こんなに汚してるなんて……!)
 憂はトイレに入るすがら、驚きとともに別の個室に移ろうかとも考えた。
 でもそれは梓を『汚い』と言っているような気がした。
 梓の嫌がる声が聞こえたから、それを大義名分にしてもよかった。
 しかし、それ抜きに我慢できなくて。
 結局梓のゲリベンを踏み締めて、憂は……
「ふぅぅぅぅ!」
  ブピビシャビシャビシャシャッ!! ブピピピピィ〜!!
 更なる絨毯爆撃を繰り広げている。
(うんち全部でたと思ったのに……まだうんちしたいなんてっ!)
 病的なまでに下った腹の調子は、勢いが衰えない。全身から水分を、保健室の先生からもらったスポーツ飲料の成分を根こそぎ絞って吐き出させてしまう。
 飲めばのむだけお腹を壊す無限ループ、しかし飲まねば脱水症状を引き起こす。
  ビリッ ブビブビブババババッ! ……プピチチチチィ!!
  プピピピピピッ ブブッ ブボババババッ!!
「かー、はぁー、くぅー」
 のしかかる疲労が足をがたがたと鳴き震わせた。
(くるしいよぉ……助けて、おねぇちゃん……)
 今も上の階で便器にしがみついている姉も、妹に助けを求めているのかもしれない。
  チュ――――ッ……トポトポトポポッ
 完全に水便と成り果てた摂取物の残骸が注がれる。色は薄っすらと濁っているのみで、いかに大腸小腸の機能を無視して流れ着いたかを容易に想像させる悲惨さである。
  ブチビビビビッ!
 隣の個室から爆ぜる音。梓だ。
(梓ちゃん、大丈夫かな……)
 背後の爆心地跡を見渡せば当然の心配が募る。
(それにしても洋式じゃないとトイレできないって……どういうことなんだろう?)
 そう言えば連れだってトイレに行った時も、洋式トイレがあれば必ずそこを使っていた気がする。一緒にショッピングセンターに出かけた時も、そうだった。
(がんばって、梓ちゃん……)
 その梓と言えば。
「ふぅー、んっ、ぬふぅ〜」
  ブリッ ブリビチビチビチチッ! ブボボッ
 妖艶な喘ぎ声と共に吐き出される下痢便。
 快感であるはずの行為には、一匙の不快感。
(おしり、べちゃべちゃしてるぅ……)
 着座する間際に放った下痢がべっとりと尻たぶに練りつけられているのだ。ぬるま湯のような熱っぽさのあったそれは今では冷えた汚泥となり、不快をそそる冷たさとなって梓のストレスを掻き立てていた。
  キュルルルル〜
  ブリッ ブリブリッ ビビビチッ ……ブリブリドバドバババッ!!
  ビビビビヂヂヂッ! ブビブビブビィ〜〜〜!!
 赤く腫れ上がった肛門から迸る泥、泥、泥。
 その飛沫はひどい勢いで跳ね上がってキュートなお尻に点々と汚れをつけている。
「ふぅ、ふぅー、ふぅ〜」
 激痛も一段落し、ひとまず洗浄レバーを倒す。
 悪臭の大元、ふやけたティッシュの群れのような軟便と下痢の山が流れ去っていく。壁面に水玉模様と、臭いを置き土産にして。
「寒っ」
 服装が服装だけに秋の寒さが身に染みる。できれば着替えてからトイレに来たかったが、そんな余裕もなかったから仕方が無い。
(こんな服装じゃなかったら、お腹も壊さなかったのにぃ)
 11月にお腹を露出させるなんて、普段ならしなかったのに。なんとなく流れに乗ってコスプレしてしまった。
 直にお腹をさするものの、じんとした痛みは消えない。
  ごぽごぽごぽ……
(うんち、まだ出るの!?)
 急き立つ便意。腸壁を擦る流動体が痛覚となって梓を苛ませる。
「ふあぁ……〜〜っ!」
  ビシャ――――ッビシャビシャビシャボジョボジョボジョッ!!!
  一直線に噴射される梓の水様便! 新たに注がれた水を穿ち、大きな波紋を立てる。
(おしっこみたいなの、出る……)
  チュ〜〜〜ボチョボチョボチョボチョ……ブチュッ ブチチッ ボプププスッ
「あー……おなか痛いぃ」
  トポポポポポ プチチチッ トポン……ポチャン
  プッ プスゥ〜 ブーッ!
「はぁ、はぁ、はぁー」
(うんち、出終わったみたい)
 便意はさっぱりと引いていた。じくじくと腹痛が点滅するかのように響いているが、演奏中の音の嵐、そして誘い合う津波と比べればさして辛くは無い。
  ガラガラガラガラ……
 紙を多めに巻き取り、お尻を浮かせて後ろから差し込む。
「〜っ!」
 そっと腫れた肛門に当てた瞬間、刺激的な痛みが走る。
 赤く腫れた少女の蕾は、多大な負荷をかける排泄に耐えかねていたようだ。
 慎重に、割れ物を触るように残便を拭き取っていく。もちろんたった一度拭う程度で清めきれるはずもなく、尻たぶの汚泥を払うまでに10回近く紙を巻き取る作業に追われた。
 よろよろと立ち上がり、便器を覗き込む。
「うあ……」
 海は一面、ペーパーの漂着物で埋まっていた。
 点々と茶色と薄い黄ばみを彩るトイレットペーパーがたゆたい、薄い色の水様便の彩が濁って見える。
 更に便器壁面は先の洗浄では掬いきれなかった場所に下痢が残っていたりと、見る人が見れば便意すら遠のく有様だった。
(早く後始末しないと)
 まずは2度目の洗浄。漂着物が海底へと渦巻いて吸い込まれる。
 便座のうんちを拭いてから上げ、厚く巻き取った紙で便を拭っていく。さすがに水に浸かっている場所まで手を伸ばす気にはなれないので、拭ける範囲だけキレイにした。
(まだおなか痛いけど、出よう)
 できればもっと腹痛が和らぐまで座っていたかったが、そういう訳にもいかない。
 ……隣の後始末も残っている。
「うん、んっ」
  ビチビチッ プリッ プピプピ……ブプッ
 断続的で小ぶりな排泄音。まだお腹の調子が悪いようで、渋った排便をしている。
  コンコン
「う、憂……?」
  ブビ……チッ プチュ……プッ
「梓ちゃん? なに?」
「ごめんね――汚い場所でトイレさせちゃって」
「え、うん、いいの……私も汚しちゃったから」
「後は私がキレイにするから、場所、かわって?」
 同じ言葉を言うのは2度目だ。
「で、でも……」
「もう私うんち出終わったし、いいの」
「う、うん」
  カランカランカラン……
 ガサガサと紙の擦れる音。掃除のために場所を譲る気になったらしい。
 そうして5、6回拭いてから洗浄音。数秒後にはためらいがちに、病的な顔色の憂が顔を覗かせる。
「憂、大丈夫?」
「うん、だいぶよくなったし……くぅっ」
  きゅるるるる〜〜
「くさいけど、ごめんね!」
 新たな下痢便精製の合図。憂は一目散に洋式トイレへと駆け込む。
  バタンガチャン! バサバサバサ―――― ブバッ!!
(くさいのは、私のだよ)
 一面に広がる爆撃跡を見て、そう思う。
「はぁ、はぁー、おなかいたいよぉ……」
(憂が弱音吐いてるところ、初めて見た)
  ビュチュボボボボボボッ! プリブババッ、ブビブビブビィ――!!
  ビシャビシャビシャ……トポポポチュゥ〜〜〜ッ!!
「憂、このことは2人だけの内緒、だからね?」
「そうだね、梓ちゃん……くはぁっ!」
  ビチビチビチッ! トポトポトポ、ポチャン ……ブゥ〜〜〜ッ!!
 2人の少女の儚い内緒は、それはそれは大きな傷跡でしか、ない。


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 梓と憂がトイレでデュエットを奏でている頃の、少し前。
 唯が駆け足になって音楽室を飛び出てから。
 なにもお腹を壊して悶えていたのは、唯だけではなかったようだ。
 その場の誰もが目敏く察していた。間違いなく唯はお腹を壊していることを。
 特に二人――梓と澪は、ほぼ等しく同じ状況に立たされている彼女らは、色濃く唯の苦悩を間接的に浴びて勘付いていた。


 行っちゃった……。
『唯センパイ、もうお腹空いちゃったんですか?』
 ついさっきのセリフが思い浮かんだ。すまし顔で言った冗談。
 本当はうんちのしたい音だってことは、わかっていた。だから、まるで自分を庇うみたいに茶化していたんだ。
 演奏の終盤から、きゅっとお腹の締まるような悪寒が続いていた。
 それとなくトイレを思い出すような、自然な感覚だった。本格的じゃない便意。きっと学校や外でならガマンしちゃう程度で、……お家だったら気分次第。
「さむい……」
 寒さも厳しくなりつつある秋の終わりにお腹を露出しているから、なんだか暖が欲しくなる。特にお腹は……。
「唯が来るまで休憩するか……」
 物憂げに言う律センパイに対して反論も肯定もする声はなかった。
 先刻の冗談が嘘から出た真になってしまい、いつもなら溜息になるはずが嘆息に変わってしまう。
 ……はぁ。だから食べすぎちゃいけないって言ったのに。
 今更。今更すぎるけど。
 センパイ、しばらくは戻ってこないだろうな。かなりつらそうだったし。
 かくゆー私も、ちょっとキツいかも。
  くきゅぅ〜
 なんかおなか、鳴ってるし。
 机の下からお腹を押してみる。……なんか、中でたぽたぽしてる気がする。そう言えばお昼、ジュース飲んだっけ、それがキてるのかも。
 休憩中だし、今のうちにトイレ行っとこうかな?
 でも、今トイレに立ったら時間かかるし、大だってバレちゃう。それに、行ってる最中にセンパイが戻ってきたらメイワクになっちゃうし……。
 でも、今の調子ならガマンできそう。そこまでしたいってわけじゃないし、だいじょうぶだよね?
 律センパイもお腹壊してたみたいだけど、もういいのかな? ずっと調子悪そうだったけど、今はだいぶ落ち着いたって感じだ。
 ムギセンパイは……下痢とかと無縁そうだなー。今日は軽音部で一番元気だし。
 澪センパイは風邪なんだっけ。度々お腹擦ってたし……あ、今擦ってたような? センパイもお腹、痛いのかな?
 やっぱ恥ずかしがりな性格だから、トイレとかこっそり行くタイプなのかな? きっとウンチするのが恥ずかしくて、ぎりぎりまでガマンしちゃうだろうな〜。バレバレな表情で適当にごまかして、トイレに駆け込むに違いない。人の目とか臭いとか気にして、逐一流すんだろうな。真っ青な顔で個室に入ったのに、出てくる時は真っ赤になってるセンパイか……。
 そういえば私、今年の合宿でもお腹壊してたっけ。
 バーベキューの食べすぎでだったかな。すっごいお腹張ってたし。たまたま夜中に催したからよかったけど、しばらくトイレから出られなかったなぁ〜。すごいピーピーで、ヤバかった……。だから朝もちょっとお腹痛くて、ご飯食べてすぐにトイレ行ったんだよね。ゆっくりウンチしてたら唯センパイが来て、『あずにゃんまだ〜?』って……。すごく焦ったなぁ……。
 そういえばセンパイ、トイレに辿りつけたのかな? 音楽室の近くにトイレがあるんだから、間に合ってるよね。様子を見るフリをして、トイレに行っちゃおうかな。でもそしたら唯センパイに大しちゃうってわかっちゃう! でも同じ状況なら黙ってくれるかな。
  ぎゅう〜〜っ
「ん……」
 やだ、お腹鳴っちゃった! き、きかれてないよね!?
 センパイたちは特に気付いたような素振りをしていない。
 う……やっぱトイレ行きたいかも。
 おしっこだったら気軽に行けるんだけどな……すぐに済ませられるし。
  ぎゅうっ
 どうしよ……早めにトイレ、行っておこうかな。
 休憩中に済ませないと、メイワクだもんね。
 でも、やっぱ恥ずかしいよ。
 あ〜〜〜〜! もう何やってるの私! もじもじしてないでさっさと行かなきゃ!!
  ギュルギュルギュルギュル〜〜!
「ひぅっ」
 す、すごい鳴ったぁ……。
 おなか、いたいっ。すっごくお腹、いたい……っ。ウンチ、しちゃいたい!
 私はそっと右手をお腹に回し、宥めるように縁を描き始めた。直にさするとあったかいけど、これ着替えてからじゃないと恥ずくてトイレにも行けないなぁ。
 先に着替え出したら変に思われちゃうし、トイレに行くことを伝えてから着替えようかな。言ってから着替えるのってけっこー恥ずかしいけど、仕方ないよね。
「梓寒そうだな〜」
「え、えっと、ちょっと寒いかもです」
 思い出したように言い出す律センパイ。
「さわちゃんには悪いけどさ、もう着替えていいんじゃないか? 身体壊してもどうしようもないしさ」
「そ、そうですねっ!」
「ムギも制服に戻っていいぜ」
「え〜。私はこのままがいいな〜。……でも冷えちゃうし、着替えよっかな」
 コスプレをしていたのはトイレに行っちゃった唯センパイを除いて私とムギセンパイだけだった。おっとりと立ち上がるセンパイに合わせて私も――
  ピ〜〜〜ゴロゴロゴロ〜〜!
「か……ぁ」
 ゴロゴロ……ってこんなに鳴るの!? やば、お尻が熱いっ。
 痛みに耐えかねて浮きかけた腰を戻した。痛い痛い痛い。両手で抱えたくなるやわなお腹を、見栄で机の下から右手だけで支える。あまりお腹壊してる姿って、見せたくないから。
「どうした?」
「なんでもないんです律センパイ……ほら、あの、えっと……」
 平気そうに振舞いながら何故か口が言い訳を練り始めた。
 もう! 別に余計なこと言わなくていいのに! なにか、なにか言わなきゃ――。
「足が痺れちゃったんです!」
 いやいやいやっ! 椅子に座ってたのに〜〜〜!
 さすがのセンパイもいつものテンションで返す体力もなく、「あ、そっか……」と困惑気味だった。
 どうすればいいの……。本当はトイレ行きたいだけなのに。
 立ち上がるのも辛い。
 お腹の中に熱湯が溜まってるみたいな灼熱感。もうびちびちのウンチがお尻の穴まで来ちゃってる! ちょっと気を抜けばおもらししちゃいそうです。
 何とも言い難い沈黙が漂う中、私をみつめる澪センパイは、
「もしかして梓――トイレ、行きたいんじゃないのか?」
 弱々しく、確信を持った口調で言い切った。
「梓、そうなのか? 別に遠慮しないで行っていいぜ?」
「梓ちゃん、つらいならおトイレ行ってくればいいのよ? 我慢しないでね」
 律センパイもムギセンパイも気付いていなかったみたいで、それぞれ私を促してくれた。
 もう、だませっこないや。
 堂々とトイレ、行ってこよ。
「は、はいっ。そうする……です」
 割れ物を掲げるような危うさで席を立ち、着替えをかけてあるソファへと向かう。だらんと背もたれにかけられた私の制服。
 澪センパイが私を見てる。
 きっと澪センパイが促そうとしないのは、自分もがガマンしてるからなのかな。私はあえて黙っておくことにした。
 私がうんちしに行くのを見て、きっと自分がもっと行きづらい状況になったとか思ってるのかもしれない。私と同じトイレでうんちすることを避けたいから、もっとガマンしなきゃならないとか悩んでるんだろうな。
 律センパイが私を見上げてる。
 今日のセンパイなら私の気持ちも分かるのかな。今も机に伏せてるし。
 机の目線で私を見上げ、トイレに立った自分と重ねてるのかもしれない。
 ムギセンパイが私を見つめてる。
 ちょっと困った顔をしてるけど、それは私もお腹を壊すことを知ったからかもしれない。私だって、下痢ピーになっちゃうんですから。
  キュルルルル〜〜
 立ち上がったせいか、本格的な便意が襲い掛かる。
 うんち、うんち……。
 早く着替えておトイレ!
 まずビキニパンツの上からスカートを穿こうとする。が……
  グポポポ……
 う、おならしたくなっちゃったぁ……。
 ガ、ガマンガマン。
 ここでしちゃったら、センパイたちに嫌われちゃう!
 それに一緒にうんちもでちゃう! 先生の服を汚しちゃだめです!
「く、あはぁ……」
 せめておトイレまで、耐えなくちゃ。
 しばらく立ったまま震えてると、ガスの塊が逆流していくのがわかった。すぅ、とお腹に一時の安らぎが訪れる。
「梓ちゃん、大丈夫?」
「だいじょうぶですっ」
 うそ。だいじょうぶじゃない。
 もう着替えることなんてできそうにないや。
 脱ぐのに少しでもかがんだら、もっちゃいそう。
 うんち、うんちしたい……っ!
 うんち出ちゃう! うんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちうんちっ!
 なんで早く「おトイレ行きたいですっ!」って言わなかったの!? すぐにおトイレ行きたいっ! トイレトイレトイレぇ〜〜〜!!
「センパイ! おトイレ行ってきますっ!!!」
 スカートを床に放り投げ、中腰になりながら駆け出した。
 うんちうんちうんちっ! 私のうんちもれちゃうですっ!!
  バタンッ!!
 乱暴に音楽室のドアの閉まり切る音だけが、私の背後で木霊した。


 凄絶な意思宣言は、いっそ清々しい切迫感に満ちていた。
 恥じらいに溢れた宣告は、もう隠すことなく堂々と行動へと移れる切符のようなものだったのだろう、梓にとっては。
 わざわざ告げるまでもない事実を敢えて先輩に突きつけることで、自らの正当性を主張するような――とにかく梓は「お腹痛いからおトイレに行きますけど、何か問題でもありますか?」と言いたかったのかも知れない。
 小さく縮こまった後姿を澪は見送りながら、また自分にも遠からず訪れる瞬間でもあることを悟っていた。
(うぅ……おなかいたい)
 紬を除いた4人はいずれも身体の不調から来る腹痛にうなされ、便意を催している。(それこそ紬の便秘も身体の不調と言わしめるまでの重症ではあったが、慢性的な症状なのでいささかニュアンスが違ってくる)
 律は食中り、唯と梓はお腹を冷やして。そして澪は風邪による消化不良。
 健全な状態ならば障害もなく腸を通過し水分やミネラル分を吸収され、直腸へと至るはずの食物が、体調不良による消化機能の低下で硬さのある排泄物へと成り切れない状態だ。
 朝起きがけにトイレに駆け込み溜まっていた軟便を下痢で押し流すように排泄。一回目。
 朝食中に催し、急いでトイレへ。ごく少量の渋った便を出す。二回目。
 熱っぽさを振り切って玄関を出た途端に便意が来る。制服を乱しながら着座し10分間トイレに篭る。三回目。
 授業中に催すもずっと我慢。休み時間になっても羞恥心が先立ってトイレに行けなかった。昼前の体育の授業が始まってからトイレに行き、びちびちの排便。体育は見学することにした。四回目。
(お昼は調子よかったのに……)
 弁当の半分もたいらげられず、ずっと安静にしてきたが、ここに来て薄れかかっていた便意が盛り上がってきた。実は部活中もずっとじくじくとした痛みがあり、予感はあった。
「唯も梓も行っちゃったかー」
 部室に残るのは3人となった。律の独り言が淋しく消える。
「今日はみんな不調だなー……。元気なのムギだけじゃん?」
「そういえばそうね〜」
 本人は1日中張ったお腹と溜まった大便に悩まされていたのだが、表面的にはわからないのが幸いだった。
「しゃーない。2人が戻ってきたら今日は帰ろうぜ」
「そうだな……」
(早く帰りたい……おうちでおトイレしたいっ! 絶対に学校でうんちなんかしたくない!)
 悲痛なメッセージの隠された同意。
 羞恥の塊のような澪が、大便排泄を――それも小さな集団生活の場である学校で、並の女子のようにできるだろうか。
 人である以上は回避できない便意があり、それが生活の半分を占める学校生活と重なることはおかしくないし、よくあることだ。そんな困難に陥った回数は幾度とある。だが澪は急いで家に帰る、ずっと我慢する、人気の無いトイレを探す、人のいないタイミングですぐに済ませるなどとにかく同級生に排泄を知られることを拒んできた。できるだけ恥ずかしくない選択肢を選ぼうとした。
 今日四回目の排泄もそうだ。混雑するトイレでうんちができればどれだけ澪は楽だったろうか。結局は次の授業が体育であることを利用し、授業が始まってから無人のトイレで便器にしがみついていた。遅れて体育館にいって休む旨を言うときは罪悪感が募ったが、排泄音を聞かれることに比べれば瑣末に過ぎなかった。
(うんちしたい……おトイレ行きたいよぉ)
 澪はある一定の思考と行動未遂を繰り返していた。
 私もおトイレ行ってしまおうか。
 唯や梓と立て続けていってるから、私もうんちだって思われちゃうな。
 でもお腹痛いのイヤだし……。
 行ったら唯や梓と同じトイレで……やっぱ恥ずかしくないか?
 ……よし、次にすごくお腹痛くなったら、おトイレ行こう。
 がまんできなくなったら、律たちに断って。
 ぜったい、次痛くなったら行く。
 ……。
  ぐるるるるっ
 んっ、これくらいなら、がまんできる。
 まだおトイレ行かなくても。
 はぁ〜、おなかいたいよぉ。
 ………………。
 …………。
 ……。
 う。
  キュゥ〜グルグルグピ〜〜〜!
 やばっ、おなか痛い!
 う、うんち!? すごいしたいっ!
  ゴポポポ……ゴポッ
 おなら!? で、でそう……。あっあ…………ふぅ。
 おトイレしたいよ……。行かなく、ちゃ。
 ほら、「トイレ行ってくる」って。それだけ言えばいいんだ。
 何か言われても無視してトイレいっちゃえばいいんだ。
 律だってお腹壊してたんだし、何も言ってこないって。だから、今言おう。
 せーのっ……。
 ううっ、だめだ恥ずかしい!
 よし、あと5秒経ったらぜったいに言おう。
 5、4、3、2、いち……。
 や、恥ずかしい!
 じゃあ、次こそ、次にきつくなったら……。
 という無限ループをもう何回繰り返しただろう。
 澪は授業中にも反芻しており、その時は「手を挙げて、トイレ行きますって言おう」という先ほどと同じような問答をずっと繰り返していた。律は数回で成功させていたが、澪は終点に行き着く見込みがなかった。
(あぁ、うんちしたい……。うんち、うんちうんちうんち)
 2人が何をしていたか思い出せない数十分を過ごし、ようやく2人が帰ってきた。
 先に戻ってきたのは唯だった。
「ごめんね〜、すっごいお腹痛くってさ〜〜」
 行くときは見せていた羞恥も、もう開き直ったのかどこにも見当らなくなっていた。
「アイスの食べすぎでお腹壊すとか子供かよー」
「りっちゃんがアイスくれるのが悪い!」
「ひでー!」
 それからだいぶ時間がかかったが、梓も部室に帰ってきた。
「ごめんなさい……お待たせしましたっ」
 カミングアウト済みなので開き直る必要もないが、女の子らしい恥じらいを見せていた。
 梓は排泄にそこまで時間はかからなかったが、憂との後始末にかなり時間を割いていたようだ。汚物を拭い、掬い、拭いたその両手は気付かない異臭と汚れを未だに秘めている。
「今日はみんな調子悪いしさー、もう帰っちゃおうぜ」
 部活が解散するには早い時刻ではあったが、誰も文句は言わなかった。最近練習量の少なさに不満のあった梓でさえ、有意義な部活の時間の暇に批判は持てなかった。
 各々が帰宅の準備を始める。
 唯と梓はギターをケースに詰め込み、紬は出しっぱなしの食器類を食器棚に片していた。澪だけは動きも鈍く、そわそわとしていた。そんな頼りない姿を律は物憂げに見つめている。
(トイレいきたいんだろうなー)
 思わず茶化したく――いや後押ししたくなる小さな小さな背中だった。しかしながら相手が隠そうとしていることを無闇に暴くようなカタチで諭すことはできない。「トイレいってこいよー」と言えばより便意を隠そうとするのは火を見るよりも明らかだ。
 どんなに遠回しな理由をつけようとも、たとえ誰にも告げずこそこそとトイレに行こうとも、自発的な行動で済ませてもらうことが最善の方策なのだ。
 だから律は、大親友の苦痛を和らげてあげられない。
 むしろ自分が促してしまうのは、より痛みを増す行為なんじゃないかとも、自虐的にかつ痛切に感じていた。
 だから。
 なるべく早く部活を終わらせてみた。
 一刻でも早く1人の時間を設けてみようと。
 解散してしまえば何とかトイレにいけるんじゃないかと。
 澪なりの下手くそな嘘で、便器へとたどり着いてくれると信じて。
 他の3人は気付いていないのか、はたまた気付いて気遣っているのか澪のお腹の具合を訊こうとはしなかった。尋ねるとしても風邪の具合について。これが幸いして澪はまだ腹下しがバレていないと思っているはずだ。
 見れば見るほど歪んでいく形相、そして本人なりに隠そうとしている様が不憫でならなかった。
 音楽室から玄関へ向かうひとときも、澪の様子は他の部員の様子と比べてかなり浮いていた。
 唯は完全に下しきったのか、それとも余波を感じないのか様子は元気そのものだった。階段を降りるテンポは上がり調子だ。
 梓は職員トイレでの出来事が尾を引いているようで、精神的な疲れが見え隠れしていた。いつものキツい口調も今ばかりはなりを潜めている。
 律も断続的にあった腹痛を乗り越え、澪を気遣う程度の余裕を持てるようになっていた。しきりに澪を見やっているのには誰も勘付いていない。
「なぁムギ」
「どうしたのりっちゃん?」
 唯と梓が漫才めいた掛け合いをしながら先へ行ったのを見計らい、隣の紬に声をかけた。ちなみに澪はかなり後方から着いてきている。
「ムギってお腹壊さないのか?」
「私? ん〜、調子はいいほうよ?」
「そっかー……」
「今日はみんなお腹壊してるから、気になった?」
 みんなには澪も含まれているらしい、紬は気付いていたようだ。
「ま、まぁ……」
「実はね」
 え、と律。小声で紬は語りかけた。
「私もね、今日、したの……大きい方」
「え〜っと、ムギ……?」
「りっちゃんたちだけじゃないから、ね?」
 私も仲間だよ、同じだから。そう思わせる言い方だった。
「ほら、放課後遅れてきてたでしょ?」
「あ、うん。もしかして、便秘?」
 紬はにわかに赤面して小さく頷いた。
「みんなとはちょっと違うけど、恥ずかしくてつらいのはわかるの。だから、澪ちゃんを助けてあげようね」
「お、おー」
 思わぬ増援。
 やはり女子同士、通じるところがある。
 そんな思いがけないカミングアウトから数分。玄関でのことだった。
「あ、あの…………」
 遂に、頑なに思いを閉ざしていた澪が口を開いた。
「ちょ、ちょっと、わたし、先生に用があるから……っ、えっと……」
 用事を告げるだけにここまで恥らう必要があるだろうか。ぼそぼそとした声で、うつむきがちで、弱々しい澪。
「よし、ならば行ってこーい!」
「……律?」
「職員室いくんだろー? 早く行ってこいって!」
「で、でも結構時間かかるから……」
「じゃあ私たち、先に帰ってようかしら〜?」
 律に続いて紬が言う。
「唯―、澪が赤点の説教もらいに行くらしいから、先に帰ろうぜー」
「え〜! 澪ちゃん赤点なんだぁ〜。へー」
「唯センパイの言えたことじゃないような――」
 事情を知らない二人はまた漫才に移行しつつあるが、事情のわかる二人は澪を後押し。
「早く追いつけよなー」
「澪ちゃん、がんばって!」
「う、うん……そっ、それじゃ!」
 澪はたちまちに踵を返し、不安定な姿勢のまま駆け出していった。
「ほらほら〜、澪はほっといて帰ろうぜ!」
 このまま帰ることが、澪にとっての最善。
 そうわかっているのに。
 律はいつかの出来事が胸を過ぎって、真っ直ぐに帰ろうとは思えなかった。


「はぁ、はぁっ、んんぅ」
 澪は真っ直ぐに職員室を目指している――はずが無かった。
 職員室とは真逆の方角へと走っている。
 行き先はもちろん――トイレ。それも比較的に人気の少ない西側だ。
 東側に教室が密集しているのに対し西側は特別教室などが多い。
 限界を突破しかけている澪にはトイレなど選ぶ猶予はないのだが、一階の東側は職員トイレなので立ち寄れる道理はない。(もっとも、本当の緊急ならばルールを遵守する理性など吹き飛んでいるだろうが)
(うんち、うんちしたい〜)
 やがて澪は一階西側トイレに辿り着く。
  ゴロゴロゴロ……キュルルルル!
(もう恥ずかしいとか言ってられない! もらしちゃう! おトイレ〜〜っ!)
 トイレ入り口の傍に荷物を立てかけようとした時、
「ちょっと、まだぁ〜?」
「えっ!?」
  グルグルグルゥ〜〜!
 お腹の高鳴りとは裏腹に、足の勢いは止まる。
(だれかいるの!?)
「早く行こうよ〜」
「もうちょっと待ってってば!」
 帰宅を急かす1人と、残存する尿意か便意かを振りほどけず出るに出られない1人。トイレに確実に2人もの女子がいて、その内1人は個室外に出ている。
(お腹痛い、おトイレ……)
 どうしようもなく顔を合わせてしまう。そうしたら状態を見られる。きっと個室に入る所を目撃される。間違いなく汚い音を聞かれ、臭い匂いを嗅がれる。
(早くしちゃいたい! 気にしてたらだめだって!)
 もし同級生だったら? もう顔合わせできない。
 もし下級生だったら? 格好悪い先輩の姿に幻滅するだろう。
 もし上級生だったら? 後輩の不始末に気分を害してしまう……?
(もうもらしそう……っ。すぐそこにおトイレがあるんだもん、いかなきゃ!)
 澪には最低最悪の破滅、窮地の脱出なんかよりも一際強く、羞恥心のメーターは振り切る事態をよりネガティブに脅威と感じてしまっていた。どうしようもない。
(ダメ! ここじゃできないっ)
 澪は下ろしかけた荷物を担ぎ直し、傍の階段をふらふらと駆け上がり始めた。
 本能は可及的な排泄を要求しているし、本人もトイレがしたくてたまらない。なのに本心だけは無駄に恥ずかしがっている。
(誰かいたら笑われちゃう! 二階のおトイレならっ……トイレトイレトイレっ!)
 話の内容からして時間がかかるのは明白だった。
 それまでトイレが空くのなんて待ってられない。個室に入ったまま出て行くのを待っていられる理性なんか残っていない。うんちをしたそうな様相を誰にも見られたくない。澪はあらゆる否定理由を導き出しては膨らませて消し、病的な蒼白を上書きするように頬を上気させた。
  ギュゥ〜〜ッ! グルグルグピ〜〜!
(うんちしたいよ〜。うんち、うんちぃ〜〜!)
 お腹を抱えていたいが、両手は鞄とギターケースで塞がっていた。
 途中激痛に襲われ、手すりによりかかりながらも、階段を踏破。すぐ近くにはトイレが待っていた。
(や、やった、おトイレ! うんちできる!)
 腹痛に苦しみ、便意に苦しみ、羞恥に苦しんだ。それを乗り越えて辿り着いた。それだけでなんか達成感、があった。
 しかし、澪は荷物を下ろすことができなかった。
 向こうの廊下の人影。それはこっちに向かって歩いてきていた。
(あれって、和!?)
「あら、秋山さん」
 いつか紬と排便の共演をした、生徒会役員の和だった。手には分厚い封筒を携えている。
「もう部活終わったの?」
「う、うん……」
 和もちょうど生徒会の活動を終えたようで、鞄を肩にかけていた。
「どうしたの、こんな所で――」
「唯を探してるのっ!!」
 苦し紛れとばかりに、澪は嘘をついた。ほとんど無意識の内に。
「唯? この辺じゃ見かけなかったけど……」
「じゃあ三階を探してみるからっ! んぅっ……ハァ」
  キュポポポッ……
 澪は腹痛と腹の高鳴りを隠すように遁走。和の死角になるまで爆発寸前のお腹を抱えてよたよたと走った。
  プッ プスー
「うっ、うー、出ちゃうぅ」
 締め続けた括約筋が綻び出し、いよいよ破滅を自覚する。
 置き去りにされた和は、
「どうしたのかしら? あんなに慌てて……」
 澪の意図する隠蔽も露知らず、小さな疑問を呈するのみだった。
 三階への道のりは果てしなくて、高すぎて、遠かった。
 いつもなら数十秒もかからないはずなのに。
 数十段の段差が高すぎる、絶望的。
 六畳くらいの踊り場が広すぎる、圧倒的。
 段差と直角で屹立する壁が行く手を阻んでいるようだ、強圧的。
 斜めに伸びる手すりすら掴もうとも不安定な気がして、危機的。
 澪にとってはトイレまでの空間そのものが道無き荒野に感じられる有様――驚異的。
 踊り場に達するまでに澪は段差の分だけ粗相をした錯覚に襲われた。
 一段上がる度に解放感に包まれ、立ち止まっては小さく縮こまる。それを繰り返して14回。いや段差以上の幻覚と戦って踊り場に達する。
  ギュボゴボボボッ!!
「ひぃ!!」
 最大級のハリケーンが荒れ狂った。澪は投げ出すように鞄とギターケースを壁に立てかけ、その場にしゃがみ込んでしまう。がた、と痛そうに壁を打つケース――の中身であるギターのヘッド。力なく横たわる鞄。
  キュルキュルキュルルルルッ!! ゴポゴポゴポッ!!
(でる! でる! いやぁああぁぁっ!!)
  肛門を槍のように激痛が突き立てる。直腸に雪崩れ込む爆弾をひたすらに抱え込もうとした。この爆弾の安全処理方法は1つだけ――白い陶器の中に、注ぎ込む。
(おしりあついよぉっ!)
「あっ、あぐぅぅぅ!」
  ププスッ! プフゥ プピッ!
(はやく……おトイレぇ……っ)
 がくがくと笑う膝を起こし、立ち上がる。情けない中腰で、か弱いお腹を両腕で締め上げて。ゆっくりと、ゆっくりと歩き出す。荷物は放置された。今持っていこうとすれば爆弾が爆発することは間違いない。
(お願い神様うんちさせてうんちうんちうんちさせてくださいお願いします! うんちしたいようんちしたいの何でもしますから!! 今すぐにおトイレいかせてください早く早くお願いしますうんちをさせてよぉ!! うんちなんか恥ずかしい!!)
 神頼み。入り乱れる排泄欲、本心、本音、本能。
(うんち……うんちしたいよぉ! さっき、しておけばよかったぁ……)
 誰かと同じ空間で下痢をしようとも。
 友達が見つめる中でトイレに駆け込もうとも、音と匂いと知られながらも。
 そして――仲間たちに恥ずかしがることなくトイレに行くことを伝えてでも。
 果てなく続いているような階段。猫の額のような段差。奈落のように踊り場。呑み込むように壁。手すりの置物。二階と三階のハザマ。試練の如くそれらがある。
(もうちょっとぉ……もうすぐだから)
  ぐるるっ
(我慢したんだもん、ゆっくりできるよね)
  ぷす ぷぷ、すー
(出ちゃう、でちゃうの。私の下痢ぴーうんち……)
  ぎゅるるるっ
(早くおといれ行っとけばよかった。どうして我慢してたんだろ)
  ぷすっ ぶぷぷ!
(……かみさま、お願い。わたしだけの、おといれたいむ、ください……)
  ゴロゴロゴロッ
(もしすんなり、もれちゃったら……そのあとは、どうにか、なる…………よね?)
  プリッ ブスッブブブッ!
(うそ、もらすの? ――やだやだやだうんちもれちゃう! げりぴーなの恥ずかしい!!)
  ギュゴゴボボボボッ!!
「や……だめ」
  キュ〜ギュルルル……グボグボグボッ!!
「らめえぇぇぇえぇぇっ!!!」
 ――…ちゃんって、……ないで。
  ブリッ
  ブチミチビチビチビチィィィッ!!!
「あっ――」
 双丘を包む縞模様が、薄茶色に染まった。
「でちゃった……」
 踊り場から段差を半分も登りきっていない時の出来事だった。
 限界に限界を設定した結果。
 澪はせき止めていた便意の解放感に優しく包まれ、絶頂にも等しい快感を浴びていた。
(うんち、でたぁ……、…………、………………。――イヤぁッ!!!)
「ダメッ!!」
 イっているような戦場的な喘ぎから一転、張り裂けるような悲鳴。
「おトイレえぇぇぇえぇぇっ!!!」
 澪は下痢便を我慢することも忘れ、がむしゃらに階段を駆け上がり始めた!
(うんちでちゃった早くおトイレいかなきゃぁっ!!)
 もう耐え忍ぶ必要はないとばかりに段差を飛び越える。躍動する都度、
  ブリブビビヂビヂッ!
  ブリブリブリッ!
  ゴボボボボボッ!!
 パンツの中で下痢便が炸裂する。
 数刻で遠すぎたはずの階段を登りきり、すぐそこには天国の門――トイレ。鬼の形相で駆け込む。
「トイレトイレトイレ!!!」
 入り口をくぐる。3室1列の個室群が左右に設置されている。その内左側の2室が閉まっていた。誰かいる。他のところへ? もうもらしてるのに?
「はぁぁ、ぬふぅ、ううぅぅっ!!」
 ――おもらし以上に恥ずかしいことなんて、あるの?
 澪は個室を一瞥、一目散に左側最前列の個室へ飛び込んだ。誰かの隣に入ることとなるのだが、右側の個室よりも数歩だけ近かったからという数分前の澪なら覆しそうな理由でそこを選んだ。
 一方で談笑しながらおしっこをしていた2人の女子は、鬼気迫った悲鳴と物々しい叫び声に得体の知れぬ恐怖を覚え沈黙してしまっていた。そして示しあったわけでもなく排泄を急いで、一刻でも早くトイレを出ようと決めた。
(え……なんなんだろ、早く出ちゃおう)
 左側奥の洋式便器に腰掛けていた少女――ジャズ研究会所属の1年生、鈴木純は見知ったような気のする声に驚きを隠せていなかった。
(あー、うんこしたかったのに、する気になれないや)
 今日の練習の成果について雑談していたところに闖入してくるのだから無理もない。用を足しながらも微々に感じていた便意を絞る気にもなれなかった。おしっこのついでにと寄り道気分の排便のはずが、今では遠出の旅行でもするような険しい行為にしか思えなかった。
 その隣の和式便器でずっと我慢していた尿意を解き放っていたジャズ研の1年生も、溜まったおしっこが出切らないことが歯痒かった。今すぐに股を拭ってトイレを飛び出したいのだ。とにかく彼女はバルブを両手で掴んで股間に力を注ぎ続けた。
「はぁっ、はあぁぁぁっ!!」
  ガタガタガタッ、ガチャッ!
 最低限の羞恥心を取り戻したかのように施錠。
 もうこれで、澪の恥ずかしい姿を直視できる人はいなくなった。
 もうこれで、澪の情けないお漏らしの姿を目撃できる人はいなくなった。
 やっと……澪は縋りたくて欲しくて恋しかった便器で、大便ができる。
  ブリブピブピブピッ! ブビビビィッ!!
 今もかくやと炸裂する粗相便。遂に下着の許容範囲を超えた下痢便が尻と布地の隙間から足を伝っていく。隙間からこぼれた便の滓がタイルに跳ねた。
  ゴロゴログボグボグボッ!!
「ふうううぅぅぅぅぅうぅぅっっ!!!」
  ビビビビビビッ!
 下痢を下着にぶちまけながら便器を跨いでしゃがみ込む。そしてまだ汚れの届いていない腰紐の部分に指をかけて下着をたくし上げた。詰まっていた下痢便が擦れて澪の尻たぶに容赦無く塗りたくられていく。太ももまで下着を上げる一挙動で、尻は真っ茶色に塗り潰された。もはや性器にまで及ばんとする勢いだった。
 ぼちゃぼちゃぼちゃっ……と下着から落下していく大便のなれの果て。強く便器に叩きつけられ、側面に縁に黒いソックスに跳ね上がった。
(やっと、うんちできる)
 隆起していた肛門が一段と伸び上がる。大便塗れの噴出口が最大に口を広げ、
(うんち、でるぅ――)
「――んんっ!! っあ……」
  ブリブリブリブリブリブリブリブリッッ!!
  ビチャビチャビチビチビヂビヂブジュジュジュブバッッッ!!!
「あんっ、あっ……はああぁぁあぁぁぁあぁ…………」
 火薬の炸裂のような激しい噴射が便器に飛び散る。ふやけたティッシュのような軟便と水様便のミックスがダムの放流もかくやという勢いで便器に噴きつけられていく。
 下半身を糞塗れにしながらもようやく辿りついた、爆弾を受け止めてくれる便器。澪の青く濡れた唇から仮初めの安堵を溶かしたような、絶頂めいた喘鳴がこぼれる。だがそれも激しい爆発音――下痢便の大爆発に圧倒され、マイナス100%の音色のみがトイレ中に木霊した。
  ブリッブババババブビビビッ、ブバチュッ!!
  ブジュブビビイィィィ――――ビヂヂヂッ!! ドブリボチャボチャボブビビビビ!!
 ひたすらに爆発、爆発、爆発。爆ぜた傍から菊花に密度の濃い大便が押し寄せ、吐き出されていく。澪に休む暇はない。ひたすらに我慢を重ねた結果、腸内から直腸まで押し込めるように貯蔵されてしまった未消化の汚物群。澪は含羞を取り戻したとして、この猛毒の塊の排泄を我慢することができるだろうか。
「ひゅ、はぁっ、んふぅ……んぐぅ」
  ブリブリブリブリブッ! ブビブビブビヂィッ!! ブジュ――――ッ!!
(やばい、止まんない、止まれない! なんで朝も昼もトイレしたのに!)
 もう排便以外、何も考えられない。いつもみたいに音消しをしようという力が出ない。全ての力が下半身に集中していた。だからありのままの爆音を間近で聞いていた2人の女子は、
(やば……ピーピーってレベルじゃないよ!?)
 純はただただ戦慄するのみ。どこまで下せばこんな音が出るのか不思議でならなかった。
(うそ、同じ姿勢でトイレしてるんだって、思えない)
 隣でかがんでいた女子もただならぬ下痢排泄に怖気を覚える。
 2人とも不快や悪臭を感じるよりも、駆け込んできた誰かが不憫でならない。
 非日常的な排泄。叫声と悲鳴と排泄音だけでそう思えた。ちょっとした下痢なんかもう日常的だ。
  グリュグリュグボボボッ……!
「ひぐぅっ!」
(誰かたすけてぇ……)
  ビシャビシャビシャビチビチビチッ! ビチビチビチビチブリブリブリ!!
  ブリシャブボボボボッ!! ブゥッ、ブボボッ、ブビィ〜〜〜!!
 便器を軟便の滓で埋め尽くし、茶色の雪崩で塗り尽くしても留まらない下痢。放屁交じりの下痢便が飛び跳ねては足や便器の縁、果てはタイルに水玉模様を穿っていく。
(ううっ、気持ち悪い……。早く楽になりたい。お腹すっきりさせたい。全部うんち出したい。座ってうんちしたい!)
 直腸が一時的に空になり、激痛に悶えながらひたすらに願った。
 そして純たちも排泄が終わり、同時に水を流して個室の外へ。トイレに充満する酷い悪臭に鼻を摘まずにはいられなかった。2人で顔を見合わせ、洗面台へ向かおうとした時、視線の下に、灰色のタイルに似合わない茶色を――
 広がる下痢便を、見つけた。
 間に合わなかった。その事実を突きつけられる。どちらも言葉を発せない。1つだけ閉まった個室を見る。扉の向こうでは、誰かが病的な排便を繰り広げている。
 彼女はもらして、間に合わなくて、今もお腹を壊している。容易に想像できる破滅。
 響き渡る排泄音を背後に手を洗った2人は逃げるようにトイレを立ち去ったのだった……。
  ブリッ ビチビチビチ〜〜〜ッ!!
(とんでいっちゃえ、おトイレにわたしの、びちびちうんち…………)
 ピュアに欲望を突き詰めた心の歌は、誰も救えない。


 澪をおちょくって、後悔したことが数回あった。
 どれもが澪の心の傷になって、数年以上経った今でもじくじくと膿んでいるのだろう。
 そして。
 その内の数少ない切り傷が、今化膿しているんだとしたら。
 私は、何ができるんだろう。


 私は1つだけきっちりと閉ざされた戸を、個室を見つめていた。
 漠然と雑然と騒然と感情が言葉が心情や後悔などが、電撃のように私の中を飛び交っていた。
 澪を呈よく見送ってから、やっぱり真っ直ぐ帰れなかった。
 嫌な予感のした私はムギの助けも得ながら残る面々を誤魔化し、校舎へと踵を返した。
 職員トイレである東側ではなく西側を使うと予想し、そちらへ向かったが澪はいなかった。代わりに相方がトイレに時間をかけ過ぎていたことに文句を垂らしながら、2人組の女子がトイレから出てきた。
 どうやらこの女子がまだトイレにいたので、そこは回避したのだろう。きっと澪ならよほど我慢できない状況ではない限り、人気のないトイレを探してしまう、はず。
 二階へと向かう道すがら、生徒会室に行く途中らしい和と会った。トイレの前で澪と出会い、唯を探していると先を急いでいたらしいことを告げられる。
 二階西側トイレにもいなかった。トイレに入ろうとして和と出会い、思わず嘘をついたんだろう。話によると別に同じトイレに入ろうとしていたみたいではなかったが、トイレに入るところすら見られたくなかったのかもしれない。
 それで、三階へ。
 階段の踊り場にギターケースと鞄を見つけた。
 どちらも見慣れたものだった。
 階段を上がりきったところにあるトイレ。
 異臭。まだ辿り着いてもいないのに、とっさに鼻を摘んでしまった。
 病的な下痢の臭い。誰かがトイレで下している。
 火を見るよりも明らかに、澪はトイレで排泄できている。願っていた結末と半ば違う展開であったとしても。
 更に色濃く香る便臭を感じつつもトイレに入り、愕然とした。
 閉まった個室の前、その床に広がっていたのはどろどろのウンチだった。
 失敗。
(澪……やっぱ、もらしちゃったのか)
 ギリギリセーフで排泄は願っていた結末だった。こうあってほしいって思いだった。
 でも澪は、あの時みたいに。あの時を引きずって――もらした。
 洗浄音がトイレに浸透した。人の気配に気付いて流したのか。私は黙って立ち竦んでいた。
 悪くも激動的な回想は短くも圧縮された澪の失敗への軌跡だった。
 鳴り止んでから断続的な放屁と苦しげな唸り、お腹のピーピーという音が聞こえていた。我慢してる。まだ人がいると思って耐えている。
 やがて耐え切れなくなったのか、
  ゴッギュルルルルッ……!!
「っあ……!」
  ブリュブリュッブリブリビチビチビチッ!!
 排泄音。
(澪が、下痢してる……)
 認識したくなかった事実を突きつけられた。
  ブビッ……ブブッ ピチ、ポチャン……ポト、ポト、ポト……
  ブリッ、ブリ…………ドポドポドポビシャビチビシャッ! ビィィッ!!
 耐えては雫を滴らせ、堪えきれずに排便を繰り返す。
 一気にウンチがしたいのに、私がいるから楽にトイレができないんだ。
 あの時の澪も、そうだった。
 扉の奥で頑なに、お腹を壊していないフリをしていた。
「澪……」
 居た堪れなくなって、声をかけてしまった。そんなつもりは、なかったのに。
「りつ……?」
 驚きと助けをブレンドした声音。
 何も発せかった。
 声。
 嗚咽。
 慰めを。
 ため息を。
 おふざけを。
 選べる言葉は。
 全く、なかった。
 いま澪が一番喜び傷つかない言葉が全然思い浮かばなかった!
 遠回しに婉曲にさりげなく慎重に優しく静かにそっとかけてあげられる慰めなんか思い浮かばない!
 今までのどんな冗句の後のフォローにすら困らなかった言葉のライブラリーが、もっともよいなにかを持っていない!
 声をかけてしまった悔恨と、無力さにうちひしがれかけていたとき、聞こえた。
 すすり泣く声が。
「うっ、うぇ、うぁぁ……」
 恥ずかしいんだろう。
 悔しいんだろう。
 辛いんだろう。
 胸が痛いんだろう――いや、痛いんだ。
「みお……」
「言わないで」
 ぐしゃぐしゃのすすり泣きの中に混じった、涙声。

「赤ちゃんって、言わないで」


 多感な小学生の頃。
 季節も学年も覚えていないが、鮮明に思い出せる1つの事件。

 その日、澪は気分が冴えていなかった。
 唇の血色がよくない。友達らしく心配そうに原因を尋ねてみたが、何もないからの一点張り。
 何かある。その時の私はそう感じた。
 澪が頑固に譲らないとき。
 澪が知らないふりをするとき。
 澪が怒るとき。
 澪が震えおびえるとき。
 自分にとって恥ずかしい、怖いなにかがあると態度はそれのどれかに当てはまった。
 私は注意深く澪を観察していたが、特に澪が怖がるようなことは起こらなかった。
 決定的な原因を見つけることもなく迎えた放課後。
 いつものように「帰ろうぜー」と声をかけると、
「きょうは……きょうは先にかえってて」
 力なく拒む。
 具合が悪そうだ。風邪なんだろうか。
「ちがうの……熱っぽくもないから。学校に用事があるから、おねがい」
 いつもの澪でないと調子が狂う。強引に教室から連れ出すこともためらわれ、とりあえずは1人で帰るフリをして廊下に出た。
 澪は何かを隠している。
 私はクラスメイトに怪しまれるのも承知でドアの陰から澪を観察し始めた。
 用事と言ったくせに自分の席から離れる様子はなく、背中を丸めて座ったままだ。
 時折腕が2、3度動くくらい。
 誰かを待ってるのか?
 もしかして他の子と帰るんじゃないかと切なくもなったが、そうではない気がする。
 やがて教室も澪だけとなり、さすがは放課後、どの教室も人気がなくなっていた。しんと静かになった廊下。その頃には澪はしきりに貧乏ゆすりをしたり、腕を動かす周期や勢いを早くしたりしていた。
 何かに耐え切れなくなったのか、ガタン! と椅子を派手に押し退けて立ち上がる。焦った様子で教室から出て行こうとしていたので、慌てて観察を止めて廊下の柱に身を隠した。
 澪は教室を飛び出すと左右を確認し、早足で歩き出した。
 私はもちろん興味津々にその後ろ姿を、縮こまって弱々しい背中を追いかけた。
 一旦、教室傍のトイレで立ち止まる。地団太を踏みながら入ろうか入るまいか迷い、入る。
 なんだ、トイレがしたかっただけか。
 確かに澪はトイレを恥ずかしがっているようだし。
 家に招いたときも私が心配して声をかけるまでオシッコを我慢していた。
 学校でも1人でこっそりとトイレに行っている。
 その澪がすぐにトイレから出てきたのだ。
 あれ、オシッコじゃないのか?
 そこで済ませるかどうか逡巡しつつ、すぐ近くの階段を上がり始めた。
 目的はトイレじゃないの?
 ここまで皆目検討がつかなかった目的が、ようやく理解できた。
 トイレはトイレでも、大の方だ。澪は、ウンチがしたいんだな。
 どうしようもなく我慢できなくなってトイレに入ったが、誰かが来ると思うと恥ずかしくてできない。
 だから。澪は人気の少ないトイレを目指しているんだ。
 確かに3階のここよりも、4階のトイレはずっと静かだ。なぜなら特別教室しかないので、放課後は生徒がよりつくはずもないから。
 ばれないように追尾し、階段の陰から様子を伺う。
 入っていった! 廊下で左右を見渡しながら駆け足で女子トイレに入った!
 足音を立てないように階段を上がっていく。
 わざわざ私を邪魔ものにしてまでトイレに行こうだなんて、澪もずるっこになったなー。……ここはひとつ、からかってやろう。
 と私はいつもの調子で、澪を茶化してみようと思った。そう、いつもの調子で。
 階段の途中でドアをそっと閉める音がした。なるべく静かに閉めていたようだけど、ドアが古いのできぃー……と金属の擦れる音がどうしても出てしまう。
 抜き足でトイレに入る。一番奥の洋式トイレのドアが閉まっている。澪だ。わざわざ洋式に入ったんだ。確かに洋式の方がウンチしやすいしな。
 どうしてやろうか。下の隙間からのぞいてみようかな? 上からよじのぼって――はできないし、バカな男子みたいだからなぁ。声をかけるだけでも、いっか。
「やあぁぁぁっ!」
  ブリビジビジュボジュウゥゥッッ!!!!
 切羽詰った悲鳴とそして唐突に、排泄音がトイレ中を蹂躙した。
  ブリブリブリビジュボジュボジュッ!!!
 澪、ゲリピーじゃん!
 まさかゲリピーだとは思わなかった。そういえば青ざめてたし、お腹痛かったのか……。
「うっ、うぅ……はぁ、あぁ――っ!」
 苦しげで、涙声なうなり。相当苦しいんだな。
  ズゾッ、ズルズルッ!
  ボタボタボチャッ!!
 絹擦れと、やわらかいものの落っこちる音。……ん?
  ガタガタッ、ガタン!
 なんだろ、便座がガタガタ鳴ってる?
「ふぅぅぅぅぅぅぅうっっ!!」
  ブリブリビチビチボシャブシャブシャッ!
  ビジャビヂボジュジュジュジュッ!! ブビビヂヂブバチュウッ!!!
 ついに本格的な排便が始まった。
 相当下ってるっぽい。刺激的なウンチのにおいが漂ってきた。
 これはさすがに恥ずかしいよな。ウンチしただけで他の女子にはやされるのに、ゲリピーだったら……私もいやだ。
 昼休みに我慢できなくてウンチしたら、後から来た友達に、
「りっちゃんウンチしたでしょー」
 って言われたときは、恥ずかしかった。そりゃ、くさいウンチしたけどさ。
 それが怖くて澪もこそこそとウンチしてるんだ。そう思うと余計にいじりたくなる。
 いま澪は便器に座ってお腹をかかえながら必至にウンチをしている。ゲリピーしてる。ぞんぶんに恥ずかしい格好に違いない。
 にしても、あの床にウンチを落としたような音はいったい……? それに慌てて便座のフタを起こすような音も、ウンチをしてから上げているようだった。まさか!
 そうだ、私が最初聞いた排泄音はなんかこもってた。
 ま る で パ ン ツ の 中 で お も ら し た み た い に 。
 澪、おもらししちゃったんだ!
「ふぅ、ふぅ〜〜っ! はぁ、はぁっ!」
  ビシャビシャブリビチビチヂッ!
  ボチュチュッ、ビィ〜〜ッ! ビチビチビチビチィ――――ッ! ブバッ!!
 鳴り止まない雨にも似た、ひどいゲリピーの音。よほど限界でもないと、こんなに勢いよく出ないよね?
 私は澪のこもっている個室の前まで歩みを進めた。するとトイレの中の大音量が途端に沈んでいく。
  ビチビチビチッ! ビビッ、ブブブブッ、ブチュッ! ブッ、ブス……
  ゴギュゥ〜〜ッ
 私に気付いたみたい。誰かはわかってないだろうけど。
「よう澪〜。どうしたんだ? こんな淋しいところでー?」
 私はいつもの調子で。
「えぇっ!? りつっ!!?」
「澪がゲリピーしてる〜っ! お腹痛かったんならすぐにトイレ行けばよかったじゃーん」
「どうしてここにいるのぉっ!?」
 普段通りの口調で。
「だってぇ〜、澪がコソコソトイレにいくからさぁ、つい。もしかしておもらししてるんじゃないだろうな〜?」
 ばかにするように、言い放っていた。
「ししし、してないもん!」
「ホントかなぁ〜」
「してないよぉ!」
 嘘だ。私は調子に乗って、確信を込めて一言を。
「おもらししちゃうなんて、赤ちゃんみたーい」
 カミソリの仕込まれたような一言をぶつけた。

「してないもんっ!!」

 私は「自分が言われたくないことを人に言うな」という先生の常套句の意味を、初めて知った。
 今までで澪がこんなに声を張り上げたことがあっただろうか。
「してないもん! おもらしなんか、してないもん!」
 ガン、と脳の奥まで響く声。
「わたしはっ、うんち、したかっただけだもん……!」
 もう後悔したって遅い。
「言わないで! 赤ちゃんって――言わないでっ!」
 いつだって澪を泣かせるときは、私が悪い。
「赤ちゃんって、言わないで……!!」
 それからのことは思い出したくないし、澪も思い出されたくないだろう。
 ひどい泣き声を納めるのに、頑なにトイレから出ようとしないのを説得するのに、こっそりと持ってきた保健室の替えのパンツを穿かせるのに、どれだけ苦労したか。
 そんな苦労も澪に刻まれたトラウマに比べたら。ちっぽけすぎる。
 泣き止んでからの澪は言いたくはないけど、赤ちゃんのようだった。
 やけに従順、幼児に退行したような仕草。
 責任を感じて後始末を手伝っているときも、恥ずかしがらなかった。
 私にお尻を突き出して、自分では見えない場所を拭かせるのに含羞もなかった。
 なすがまま。
 便器に満ち満ちたウンチはすさまじかった。
 ドロドロの下痢便しか見えない。一気に流した時に注ぎ込まれた透明色がやけに美しく見えた。
 とにかく澪は、トイレ、それも大便に関してはもっと消極的になったのは確かだ。
 私といるときは、何が何でもお腹の不調を隠すようになった。
 そして私も、知らないフリをしてきた。
 それは2人にとって、澪にとって一番いいことだから。


「もう澪は赤ちゃんじゃ、ないだろ」
 律はとっさにそういった。
「トイレに行きたいんなら、そう言えって。言えないんなら、澪は赤ちゃんだな」
「赤ちゃんじゃ、ないもんっ」
 違うんだろ、と訊くと小さく「うん」と返す。
「唯だって梓だってお腹が痛かったらトイレ行きたいって言えるんだし、澪だって伝えられたよな?」
「だ、だけど……」
「私のせいだよな、ごめんな。…………外にいるからさ、早く済ませなよ」
 律は足早にトイレを去った。
(もう赤ちゃんじゃ、ないもん)
  グルグルグル〜〜
「ふぅ、ふぅぅぅぅんっ!」
  ビチビチブシャボシャブチャッ、ブリブリブリ〜〜〜!!
(おなかいたいっ、はやく出し切りたい!)
 もう恥ずかしがる必要もない。
 律にばれちゃったんだから。
 それに、赤ちゃんじゃないもん。
  ブリッ! ビチビチッ! チュォ――――ッ! チュボボチュッ!!
 お尻からほとばしる水便がたゆたう便の海を貫いて便器を穿つ。浅い層を成していた便が泡立ち、穴を埋めるように波打つ。
 今や澪は肉体的には言うに及ばず、精神的にも荒んで不調だった。トイレに長時間篭っている息苦しさや腹痛、下痢をしているという不快感や生理的嫌悪はもちろん、律に下痢してることがバレたり……
(はやくおしりふきたい。なんか、カユい……っ)
 お尻をキレイにしたい。汚れた下着を脱ぎたい。着替えたい。こういった今は届かない欲求もストレスとなって繊細な心情に乾燥をもたらしていた。
「ふぅぅ、んーっ」
 足幅を大きく広げ、尻を突き出しきばる。若い肛門が収縮しては水様便を断続的に吐き出していく。腹痛とは裏腹に渋っているようで、なかなかすっきりとしないようだ。
 両腕をお腹の前で腕組みし、激痛をごまかすように身体を締めている。ちょっと力みすぎて体位を直すと、捲り上げていたスカートがずってしまう。慌てて汚れた肌に触れない内に内側へと折り曲げた。
 丁寧に手入れされた長い黒髪は汗ばみ、しっとりとベタついている。背中や肩を覆うように伸び散らばり、得も言われぬ味わい深さ――行為を際立たせるエッセンスを滲み出させていた。頭を前に落とせば便器の縁に達しそうな長さであるが故に、彼女は排泄の時はなるべく頭を上げるように気をつけていた。前面の壁に向かって力み、目を強く瞑る様はとてもそそられるとしか名状できない危うさがあった。
 人気のない廊下、閑静な女子トイレ。
 便器を埋める下痢便、濃密な便臭。
 排泄の音色、換気扇の作動音。
 色づいた吐息、滴る脂汗。
 震える両足、揺れる尻。
 唸るお腹、便の枯れない直腸。
 伸びる肛門、落ち行く水便。
 きつく締まる細い両腕、ぎりりとした腹痛。
 捲くられたスカート、晒される下半身。
 汚泥塗れの柔肌と、汚物に塗れた下着。
 閉じられた双眸は涙に濡れ、黒髪は汗で艶めく。
 1人の少女が放課後のトイレで独り、1つ閉ざされた個室で独り闘う。
 2人といない美少女がトイレでうんこをしているというだけで甘美であるというのに、下半身を汚して下痢を、下痢便を下している。粗相までしている。その手の好事家はこのシチュエーションだけで次元を超えた官能を体感するに違いない。現場に迷い込めば下品な劣情を催してもおかしくはない。
 彼女への慰めなどを考える理性は飛び、自分の慰めに勤しむことだろう。
  ゴロゴロギュルギュゥ〜〜
(まっ、まだ出るぅ……)
 5回目の大便なのに、便器をいっぱいに埋め尽くしたのに澪の大腸は留まるところを知らない。
「ぐぅっ、ふぅ! ふぬんんんんんぅ!」
  ビッ、ビチャッ ビリ、ボリュリュリュッ
「あ、はぁ」
(おしっこも……)
  プス プススッ…… プリプリ、ビジュボチョボチョッ…………ジョボボボボッ
  ジョロジョロジョボボボボボボボッ……ジュッ、ジュゥイィ〜〜〜〜ジョロジョボチョボボボッ
 おしっこのような下痢をしつつ、びちびちうんちのようなおしっこをする。
「く、かはぁ!」
  ヂュッ、チュィ――――ッ ヂュボボボボボッ!! プリリリリ〜! プシュッ……
「くふぅ」
  チョロジョロジョロロッ……チュッ、チョポッ
 水鉄砲の如き排便、そして最後におしっこを出し切って、脱力。
 腕組みを解いてお腹をさする。一挙に空になった内側は、じくじくとしている。
(もう出ない、かも)
 まだ便意のような腹痛が残っているが、じきに引きそうだ。
 ここで澪は股下から漂う激臭にあれ、と思う。
(いつもの私なら流しながらうんちするのに、ずっと流してない)
 小便の時も音消しとして流しながら放尿する性格なので、羞恥の対象を便器に残したまま排泄を続けていたのは極めて異例であった。
(流す余裕も、なかったのかな……?)
 澪は足元を覗く勇気も出なかったので、かがんだままタンクのレバーに手を伸ばし、倒した。一気にほとばしる水流が汚物の海を刷新していく。勢いに煽られ悪臭が吹き上がる。
 そろそろ片付けないと……そう思い慎重に立ち上がる。
(拭くまえに、ぬいじゃお)
 お尻を清めている最中にスカートを引っ掛けては台無しだと思い、脱ぐことにした。まずは内履きの靴と黒いロングソックスを脱ぐ。ソックスは黒いのでよくわからないが、下痢の飛沫が点々と染み込んでいた。汚していないタイルの上に並べ、
  ベチャボチャッ
 今度はパンツを下ろそうとすると、内側に溜まっていた下痢便が落下、便器を再度汚し上げる。足に引っ掛けないようにするする……と下ろし、脱ぎ切る。
(もう穿けない、よね)
 片手で摘み上げて紙を巻き取り、何重にも何重にも下着に巻いていく。不恰好なトイレットロールに成り果てたそれを一先ずはタイルに置いた。
 スカートも汚した肌に触れぬよう脱ぎ、タンクに畳んで乗せる。ついに澪は下半身すっぽんぽんになってしまった。
「さむい……すーすーする」
  ガラッガラガラガラッ、ビッ
 汚れているのは尻たぶと太ももの内側。澪はがに股になってお尻を清め始める。
 まんべんなく、丁寧にかつ必要以上に。
 千切って拭いて捨ててという動きを十回は繰り返した頃、
  ガラガラガラ、カララッ
「あ」
(うそ、なくなっちゃった!)
 トイレットペーパーが尽きてしまう。
(替えのロール……ない!)
 普段は貯水タンクに積まれているはずのロールは一個もなかった。
(ど、どうしよう〜。こんなカッコじゃ取りにいくのも……もう)
「り、りつぅ〜」
 普段なら迷い、考え、ためらい、言いあぐねて数分はかかりそうな救援を、さっと声にする。廊下にいた律が声を聞き届けトイレに入ってくる。
「ん、おわった?」
「かみ……」
「え?」
「紙、取って」
「お、おお」
 ロールは運良く掃除ロッカーに備蓄してあった。1つを取り、澪の篭る個室の前まで来るのだが……、
「どうやって、渡そ」
(上から投げるんじゃ危ないし、下のスキマからじゃ通りそうもないな〜。だからって、今の澪がドアを開けてくれるはずないし!)
「ちょっとだけ開けるから、ちょうだい」
「え、あ、うん」
 以外にも却下したアイデアが採用された。
 まもなくドアが押し開けられ、僅かに開いた隙間から手が伸びてくる。その手にロールを握らせると、サッと腕は引っ込み、ドアは閉められた。しっかりと鍵もかけた。
(澪の手、汚れてたな……。薄々予感はしていたけど、やっぱりもらしてるな)
 便の付着した指先、そして開いた隙間から見えた内履きとソックス。尻を拭くのに脱ぐ 必要があるだろうか? もしパンツを脱ぐのなら――汚れた下着を外すのなら、有り得る。
「じゃ、外で待ってるから」
「うん」
 ホルダーにロールをセットし、拭くことを再開。数分かけて拭ききってからはタイルにもらした下痢便を拭う。何重にも重ねたペーパーで便器に落としていく。
 便器に積み上げられた白と茶の残骸。便器の縁よりも高く、積もった紙、紙、紙。大便に代わりトイレットペーパーが便器を埋めようとしていた。
(もう、出よっかな……。でも、替えの下着ないし、の、のーぱん……で帰るのも……うぅ)
 不意にスカートがめくれたら……そんな想像をしてしまうと顔が真っ赤になる。
(誰かに見られたらどうしよう! そんなの恥ずかしい〜! もしかしたらうんちおもらししたってバレちゃうんじゃあ……。〜〜〜!!)
「澪っ」
「りつ?」
 律が再びトイレにやってくる。
「ちょっとスキマあけて」
「え、でもぉ」
「いいから」
 澪は言われるがままに鍵を開けた。そして隙間から極力下半身を見せないように顔を覗かせる。
「ほら、これ」
 ずい、と律はジャージを突き出した。
「今日の体育の。今日はこれに着替えて帰ろーう!」
「り、りつぅ〜! ありがと〜〜」
「ほら、さっさと着替えろって」
「うん!」
 ジャージ一式を受け取り、個室に引っ込む。
(そーいや体育のジャージあったんだよな〜。忘れてたわ。これがあれば私もパンツ気にしなくていいし)
 ちなみに今も律はノーパンだ。
(私も着替えよっと。……と、その前に)
 再び掃除ロッカーからロールを取り出して、乱雑に一まとめに千切る。
(せめてこんくらい、キレイにしますか)
 洋式トイレ前に広がる、下痢便。扉越しの絹擦れの音を聞きながら、澪に悟られないように拭って、隣の和式便器に紙を放り込む。水を流すと「え、なに!?」と澪が驚いていたが、
「べっつにー?」と適当にごまかしておく。やがて澪も何が起こったか理解したようで、
「ありがと……」
 と消え入るような声で、言った。
 その個室でついでに律も着替え、澪が紙を流した頃は着替え終わった。
「ね、律。今日のこと…………みんなには、内緒だよ?」
「あったりまえじゃん?」
「わたし、もう赤ちゃんじゃ、ないからね?」
「知ってる」
 駆け込んでから数十分。ようやくトイレから出てきた澪は、やつれていた。
「パンツは?」
「汚物入れに……入れてきた。律、制服持って。私がもったら汚しちゃうし」
「おう」
「律も着替えたの?」
「……しょうがないだろ、替えがないんだしー」
「あ、そっか、授業中に……。なんだ、律も赤ちゃんじゃないか」
「なんだとぉー。――りつぅ、赤ちゃんって、言わないでー」
「ま、マネするなぁ!」
 空は青、夕闇に夜の帳が降り切っていた。
 ジャージ姿の2人の影、ちょっとだけ、寄り添っていた。

 <Don't say "baby" 完>




<あとがき>

 高町です。
 何回にも分割してお送りしてきました『Don't say"baby"』いかがだったでしょうか。
 できるだけメインキャラの恥ずかしい姿を生々しく描写できるよう、やってきたつもりです。
 唯も律も紬も梓も憂も、そして澪も。一たびお腹を壊せば、便意を催せばただの女の子です。そんな女の子の知られざる秘密が少しでも感じられたのなら幸いです。

 この二次創作小説はタイトルの思いつきから始まりました。
 「赤ちゃんって言わないで」唐突に浮かび上がったのは、おもらしをして赤ちゃんのように泣き震える澪の姿です。
 そこから様々なシチュエーションな原因を盛り込んで、大きな1つの作品になった次第です。
 ちなみに、全章で42文字×36行で75ページの大作となっております。軽く薄いノベルが作れそうですね……。

 けいおん!!の放送に合わせ何とかお送りしてきました。時には何週も待たせたり、管理人のbrownさんに多大な迷惑をおかけしました。
 ここで謝辞を。投稿ページを作っていただいたbrownさんをはじめ、感想を寄せてくださった皆様、そして一目でも読んでくださった読者様、ありがとうございました!

 P.S. もしこの作品のイラストを描きたい、マンガにしたいという方がおられましたら、よろしくお願いします(笑)。

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