No.10「まよなかのぼうけん(後編)」

 木村優香(きむらゆうか):
 主人公、五年生、セミショート、肌がきめ細やかで白い、深窓の令嬢風な容姿。
 窓辺で本を読むのが似合ってそうな外見とは裏腹に、男子と対等に遣り合えるクラス一強い女子。
 トイレ戦争で一番後回しにされる損な役回りからか、粘り強い性格となるも、一人で問題を抱え込む事も。
 母親のおかげもあってか、腸の状態は良く毎朝快便である。
 木村美空(きむらみく):
 妹、二年生、セミロングのツインテール、年相応の幼い顔立ち。
 トイレ戦争で良く負ける(漏らす)敗残兵のため、何事にも忍耐力のない甘え上手な、姉と正反対の性格になりつつある。
 やや下痢ぎみであり、おねしょもたまにするのが母親の悩みの種。

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『まよなかのがっこう』

 結局優香は、学校のトイレを使えるかもという儚い希望的観測を胸に、満の誘いに乗った。
 正門をよじ登って乗り越え中へと侵入する。悪い事をしているというドキドキ感は、しかし新しく訪れた波に塗りつぶされる。
 お腹に響かないようにゆっくりと飛び降りたはずだった。足から地面までの距離はわずか15センチほど。しかしその振動が確実に優香の腸内を揺さぶり、濁流を復活させる。
(だめ……だめ……出ないで……っ!)
 コートを着たままの状態で袖から器用に両腕を抜くと、パジャマの上からお尻の穴を押さえ付ける。
 もはや精神力で耐えられる限界はとっくに超えており、物理的に押さえ込むより方法が無くなっていた。
「さっさと行こうぜ」
 満がこっちに手を伸ばしてきた。それは優香の手を取ってエスコートするという意思表示。普段では決して見られない満の態度に、優しくされて嬉しい気持ちと、出来るだけ構わないで欲しい気持ちが優香の中でない交ぜになる。
 しかし今の優香には満の手を取るという選択肢はない。抑えをなくせば優香の中の濁流が噴出すのは火を見るより明らかだった。
 気まずい沈黙。
「……まあ、いいけど」
 幸いにしてお尻を抑えている事には気付かれなかったが、拒否をしたと受け取ったようだった。
 この時頑張って手を取っていれば、優香の運命はまた違ったものとなっていただろう。
 優香はお尻を押さえた不恰好な姿勢のまま、そろりそろりと満の後を追い始めた。
 校舎は一瞥して扉も窓も閉まっている事が確認でき、黒いシルエットの威圧感さえ感じる佇まいには一縷の隙もなさそうだった。
 出来れば近寄って開いてる場所がないか確かめたかったが、満には目的の場所があるらしく迷いなく、しかしスローペースの優香を気遣ってかゆっくりと歩いていく。
 優香はさっき手を取らなかった罪悪感から、黙って着いてゆく事しか出来なかった。ただそこにトイレがある事ばかりを祈って。
 もはや優香のこの状況ではもう一度正門を乗り越える事は不可能であり、すなわち学校の敷地内に閉じ込められてしまったも同然だった。
 そして真夜中の冒険はもうすぐゴールに辿り着こうとしていたが、そこが優香にとって望ましい場所である可能性は限りなく低そうなのだった。

「付いたぜ」
 朝礼で先生などが立つ昇降台の上で満はそう言った。
 半ば分かりきっていた事だったが、目の前に突きつけられればやはり絶望を感じずにはいられない。
 今の優香にとっては昇降台は処刑台も同然だった。
 朝になれば全校生徒が注目するような場所になど好んで行きたい状況ではないし、勇んで行ける状態ではない。でも拒める言い訳が思いつく余裕もなかった。
 ゆっくり……ただ静かに……ステップを上がり、やがて先ほどより少し見晴らしのいい場所に辿り着く。
 目の前に広がる校庭に、朝礼の時には全校生徒が並ぶようなこの場所を、優香のトイレにするしかないのだ。
 もう一歩も動けそうに無いのだから、それしか結論の出しようが無い。
「あー。…………俺んち、おか……オフクロが死んでオヤジしかいないじゃん。それでさ…」
 そんな優香の状態を知らずに、自分語りをし始める満。
 だけれども今の優香にまともな応対は出来そうになかった。
 いや例え、腹痛に見舞われていない時だったとしても、優香にはかける言葉など無かっただろう。
(お父さんになぐられたんだね……でも私には何も出来ないよ……おトイレする事しか出来ないよ……おトイレしたいよ、うぅ……)
 お腹が熱かった。壊れそうなほどに。それは今まで経験した事のない、身体の悲鳴だった。
「あついから脱ぐね」
 誰にともなく言い訳めいた事を口にし、ボタンを外してコートを昇降台下に脱ぎ捨てる。お尻から片手を離すという危険を冒してでも脱がなければならなかった。
 なぜならこれからする事の邪魔になるから。
 後はパジャマとパンツを脱げば準備は万端。でもまだ脱げない。満が居るから。
 目の前の満さえいなければ。
(満さえいなければここはおトイレになる。……うんちできる)
 突拍子もない思考の飛躍。しかし正しいかどうかを判断する余裕はもはや無く、今の優香にとっての『昇降台』の漢字の読みは『おトイレ』だった。
 優香は必死に考える。満がここからいなくなるには、どうすればいいか。
 そして閃く。
 自分を嫌って貰えればいいのだ。そうすれば愛想をつかしてどこかに行ってしまうだろう。こんな所でうんちをしたがるような子は最低だと思うに違いない。だからうんちしたいって言ってしまえばいい。そうすれば誰にも気付かれる事なくうんちができる。
 もはや優香の思考は支離滅裂だったが、排泄する事しか考えられない状態なのだから、仕方が無いともいえた。
 今まで意図的に封印してきた、普段は忌避している『うんち』という単語を使って思考している事が、限界の証だった。
 そして優香は全ての勇気を振り絞りとうとう告白する。
「私ね……、今、すごく、お腹痛いの。もう、だから、……もうだめなの!」
 それは自分はこんな所で用を足そうする最低な人間、いや人間として最低なのだという精一杯の主張だった。
 『うんち』の一言はどうしても恥ずかしくて言えなかったが、両手でお尻を抑えながらそんな事を言う今の自分の姿は、どう見てもうんち我慢してるとしか思えないはず。優香はそう確信していた、しかし。
「あー、女の子が顔にキズとか作ると周りがさわぐもんな。でもハラとかひでぇだろ……」
 満はその告白を、家族から暴力を受けた痛みと勘違いしてしまった。
 優香の最後の希望が潰えていく。
 しかしだからといって満を責める事は出来ない。この話の流れで優香の痛みが便意である事を悟れという方が無理がある。
 また、すぐそばまで近寄らなければ顔色も良く分からず、ややシルエットな姿にしか見えない校庭の薄暗さも災いしていた。
 ここでこの勘違いを正せるほど優香が恥知らずな女の子ならば、そもそも遠回りな告白になるはずもなく。
 優香の昇降台トイレは全面使用禁止になり、優香の用を足せる場所はもはや無い。
 いや、たった一つ、パンツの中のみまだ許されている。でもそれはとてもトイレなどと呼べない、パンドラの箱に残された出してはいけない絶望だった。
 出してはいけないのだから、当然出せない。何で出せないのか、今の優香にはそれさえ良く分からない。
 満が何かを喋っているが、それも何を言っているのか言葉の意味が理解出来ない。いや、理解する余裕がない。
 きっとここは、家族に問題を持つ少年少女がお互い悩みを告白するような、そういうシーンなのだと唐突に優香は思う。
 とてもシリアスで、ドラマやマンガにありそうで、でも優香には真面目に話を聞く余裕も無く、ただお腹の具合に振り回されて、落ち着ける事に精一杯。
 無様な自分が悲しくなってきて、涙腺に涙が溜まっていき零れ落ちる。鼻を啜った音を満が耳聡く聞きつける。
「泣くなよ。泣いたら負けだぞ。はー、だから話すのイヤだったんだ」
 勘違いしている。
 満の話や境遇に同情してるから泣いてる訳じゃない。勿論優香の家庭にも何の問題もない。
 おそらく満にとっては下らない事、下したお腹が痛くて泣いているのだ。
 お腹が痛いことが悲しくて、お腹がいたいことしか考えられないことが悲しくて、おなかがいたくて、おなかがあつくて、おといれいきたくて、うんちがしたくて。

 もうがまんできない

 限界だったなんてものじゃない。限界なんてとうに超えていた。ただ状況が、条件が、世の中の何もかもが、優香にうんちを許さなかっただけ。
 だから優香が、優香を許して、ゆっくりと両手を離した。
 女の子にとっておそらく一番人に見られたくないであろう行為が始まった。
 立ってややお尻を突き出した姿勢のままゆるゆると柔らかい物が肛門を通り抜けていく。
 腰に纏わり付いたパンツのゴムから、重たい物に引っ張られる感覚が伝わる。
 可愛らしい象さんのバックプリントの女児パンツはダボダボで隙間があり、しかし優香のお尻は大きく育っていたため、すぐにねっとりとした感触が肌に広がっていき、その感覚から自分が予想以上に大量のモノを吐き出した事に気付かされる。
 待ちに待ち望んだ解放の時間。けれど決してしたくなかった粗相の時間。
 相反する感情は優香の心をかき乱し、まるでその心を表すかのようにパンツの中はグチャグチャになってゆく。
 だが優香の不幸はこれで終わらない。始まってさえいない。
 無音のソレはまだ周囲に気付かせるものでなく、臭いはギリギリ衣服の下に抑え込まれている。
 恥はまだかいていない。これからかくのだ。
「おい、どうした。大丈夫か?」
(こな……いで……)
 俯いて様子のおかしい優香の姿に遅ればせながらようやく気付いた満が、しかし優香の声無き悲鳴に気付く事もなく、肩を掴んで顔を覗き込むという最悪のタイミングでその音は響き渡った。
 その音は例えるならば……いや、何も例えようがない、何の誤魔化しも出来ない、放屁と脱糞以外の何物でもない、勘違いしようのない音だった。
 校庭一面に響き渡らん限りの大音量なソレは、夜の静寂をぶち壊さん限りに存在を主張する。
「いや……いやあぁぁぁ……」
 次いで立ち上る濃厚な臭いも、これまた腹を痛めた下痢便のそれ。
 自宅に漂っていた美空のうんち以上に最悪な、精一杯努力して我慢したがゆえの濃縮された悪臭が優香と満の鼻腔を直撃した。
 優香自身さえ鼻を摘みたくなるほどの便臭だったが、色々と限界な彼女には身動き一つする余裕はなかった。
 ただ目の前の満が臭そうな素振りを見せていない事だけが、優香にとってささやかな救いだった。もしそのような類の忌避と嫌悪の態度をとられていたら、優香の心に消えない傷が残っただろう。
 でもここで傷付いた方が良かったのかも知れない。
 なぜなら優香の精神は羞恥心より排泄の快楽の方が勝り始め、やがて快感が全身を飲み込んでいってしまったのだから。
 これまでにないほどの近距離で男の子と見つめ合いながらであるにも関わらず、もはや少女にはそれがどうでも良くなっていた。
 目の前の男の子の驚いてる顔が、何となく面白くて、訳の分からない優越感が少し込み上げ、クスリと笑う。
(キモチいい……キモチいいのぉ)
 これまでうんちしてきた中で一番の悦楽が優香を包み込んでいた。
 快感にガクガクと震える足は体重を支えきれなくなって、その場に崩れ落ちる。
 何かに捕まらないと倒れてしまいそうだったから、ちょうど目の前に立っていた男の子の足に捕まる。
 重要なのは、気持ちの良いうんちを続けるための最善の方法、それだけ。
 奇しくも和式トイレでしゃがみ込んだ姿勢と同じ、もう止まらない、止めない、止める必要性なんてない、むしろ積極的に吐き出し始める。
 だって、パンツはグチャグチャで、パンツの中はネトネトで、パジャマはジュルジュルで、両足はベチャベチャで、我慢にはもう何の意味もないのだから。
 開き直って形振り構わず、呼吸を荒げて息む、息む、出す、出す。
 目の前の子が動かずにじっと自分を見ててくれるのが、優香には何だか嬉しかった。足を掴まれてるから動けないだけかも知れないけれど。
「いっぱいでる、でてる。もっといっぱいだすね」
 優香は一時的な幼児返りを引き起こしていた。
 母親に見守られながらオマルにうんちした幼き記憶が、この状況に想起されたためだった。
 出したらお母さんにきちんと教えないといけない。だから優香は現状を余す事なく言葉にする。
「おまたにまでうんちきてる。ぐちゅぐちゅしてきもちわるい。あとでふいて。ね、やって」
 普段は甘え下手な優香が、これ以上無いというほど愛くるしい笑顔で、聞き様によっては淫卑なお願いをする。
 それは肉体のお漏らしと比較するならば、精神のお漏らしと表現出来た。
 優香はあらゆる意味で漏らし続け、痴態を晒し続けた。
 報告され続ける対象である満は、ただただ呆然と立ち尽くしていた。その頬はなぜか薄っすらと赤く染まっている。クラスメイトの余りに恥ずかしい姿に同情したのか同調したのか、それとも――


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『まよなかの……』

 時間が立って優香のお腹が落ち着き、次いで幼児化が抜けて理性が戻ってきた。
 自分が何をしたのか、何を口走ったか、覚えてなければ良かったのに、残念な事に優香の記憶力は正常に作動していた。
 初めての、人前でのお漏らし。でもこの初めてに何も素敵な事などなかった。
 一番弱味を見せちゃいけない相手の前で、邪魔しちゃいけない真面目な話の中で、小さな子どものように醜態を晒しきった。
 見下されて当たり前。怒られても文句は言えない。嫌われても仕方ない。
 何もかもが、あらゆる意味で、台無しになった。
「もう……死んじゃいたいよ……」
 それは思わず呟き漏れた優香の本音。
 普段は弱音を口にしない優香も、これまでの出来事で精神がすっかりユルユルになってしまっていた。
 さきほどの満から移ってしまったかのような陰惨で虚ろな瞳で、もう何処を見つめる事もない。
 神様にさえ見放されたかのような可哀想な少女がそこにいた。しかし彼女は一人ではなかった。
 大場満がその場に居た。
「あっはははははははははははははははははは」
 からりと晴れた太陽のような笑い声が、優香の心を優しく包み込み、陰鬱な気分を吹き飛ばしてゆく。
 満の大声で笑う姿が、優香の虚ろだった瞳に映る。
「な……、何がおかしいのよ。私の失敗がそんなにうれしい?」
 落ち込みから立ち直った優香にこみ上げてきたのは、失敗を見られた羞恥心と苛立ちだった。
 いつもならばここから言い争いになり、或いは取っ組み合いの喧嘩にまでなる。
 その諍いに大抵は優香が勝ってきたので、弱味を握った
 だが喧嘩腰の優香の態度を、満は余裕を浮かべて軽くいなす。
「クソ漏らしたくらいで死ぬなんて言うからだよ」
「だ、だって」
「大丈夫だから。なっ」
 優しく頭を撫でながら満は言う。普段とはまったく違う、由布が教室で漏らした時と比べると破格の応対だ。
 根拠のまったく無い満のその言葉に、しかし確かに安心を感じている自分を優香は発見する。
 そして漏らした恥ずかしさとは違う、別の恥ずかしさが沸き上がり、何となく反抗心が芽生える。
「で、でも、こんなに汚くて、最低な事しちゃ――」
「俺が拭いてやるから。いつだって、何度だって」
 まるで愛の告白のような答えが返され、何も言えなくなる。
 優香の顔が真っ赤なのは、お漏らしの羞恥心から来るものではないだろう。満は優香のお漏らしを全面的に受け入れて、そして平然としている。少なくともそのように見える。
「お」
 上を向いた満が何かに気付いたように声を出した。
「見ろよ、星空が凄い綺麗だぜ」
 そういって寝転がる。
(なぜかは分からないけど、今の満はイヤじゃない。それどころかそばにいると、いてくれると安心する。……あ)
 満があの怖い目をしていない事に優香は気付く。何を考えているのかさっぱり分からない、優香が苦手としていたあの目だ。同い年とは思えなくて、クラスメイトとは思えなくて、同じ人間であるかさえ疑ってしまいそうな――。
 しかし今、目の前に居るのは、普通の、ただの、平凡なクラスメイトだった。
 そこで優香は気付く。そう、何もかもがあらゆる意味で台無しになったのだ。満が抱えてた最悪な気持ちでさえ、何もかもが、あらゆる意味で、台無しに。
 もし自分が漏らさなかったら、目の前の素敵な笑顔は無かったのだ。
 優香は満と同じように隣に寝転がった。
 寝転がれば当然お尻のモノが潰されて広がる。みゅるんとした嫌な感触が太ももと背中に広がる。でもそんな事さえどうでも良くなっていた。
 だってこんなにも星空が綺麗なのだから、そんな事はどうでも良いに決まっている。
 出かける前の母親の台詞を思い出す。
『お漏らしは悪い事じゃないのよ』
 その言葉が理屈でなく、実感として沸いてくる。
(私には何も伝える言葉を持ってなくて、助ける事なんて出来なくて、でも私がもらしたから、今とても笑顔になってて、だから――)
 心臓の鼓動がはっきり聞こえる。自分はここに居る。生きている。彼も隣に居て、生きている。
 手を繋ぐのは自然な事のように思えた。
「「流れ星」」
 二人の声が綺麗にはもった。
 そしてどちらともなく笑いだした。

 これで物語の全てが終われば綺麗だったのだろうけど。


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『まよなかのあとしまつ』

 パジャマごとパンツを脱ぎ下ろすと、ねっとりと全面的に茶色に染め上げられた尻が剥き出しとなった。
 染めるというより塗りたくると表現した方が良いだろう、普通のお漏らしでは考えられないほどの量がへばりついていた。
 目に見えそうなほどに濃厚な臭いが下半身から立ち上る。その臭さたるや、家の廊下に脱ぎ捨てられていた美空のパンツの比ではなかった。
 これまで我慢し尽したが故に、凝縮されて練り上げられたモノがひり出されたのだ。ここがもし外でなくて個室の中だったとしたら、あっという間に充満しただろう。
 そう、ここは未だ外。優香は校庭の端にある水道に移動していた。
 水道は蛇口が4つほど並んだもので、手を洗ったり水を飲むのに適しているが、流し台が邪魔をして身体を洗うのには向いていなかった。
 しかしその横側にもう一つ水道があり、そちらは蛇口がやや低めに付いており、地面と同じ高さに格子フタが嵌められており、その下に空いた空間へと排水が溜まる仕組みだ。
 靴を既に脱いで格子フタの上に立っていた優香はまず上着を脱いだ。背中の感触からスソ部分が汚れてしまっているのは明らかだった。
 脱いでその目で確認すると、三分の一は茶色に侵食されていた。予想以上の有様に肩を落とす優香。
 だが落ち込んでいる暇は無かった。次いでズボンとパンツをいっぺんに足から抜き取り、引っくり返して中の物をその格子の下へと落とそうとする。
 しかし布地にベットリへばり付いてしまった汚物は生半可な事では落ちないようだった。
 仕方なくドロドロなそれを蛇口に下に置き、勢い良く水を流す。
「ふぎゃっ」
 加減を間違え強烈な勢いの水に直撃されたお漏らしパンツから汚水のハネが勢い良く飛び散り、避ける暇さえなかった優香の全身にまだら模様を作った。
 優香の抜けるような白い肌に点々と後を残すその様は、過剰すぎる汚らわしさを演出してしまっていた。
「どーかしたかー?」
 優香の位置から一番離れた水道でバケツに水を汲んでいた満が、ノンビリとした声を掛ける。
 その姿を優香は黒いシルエットでしか確認出来ない。つまり向こうからもこちらは見えていないはず。
「な、なんでもないから! こっちには来ないで!」
「拭いて欲しいんじゃなかったのか?」
 本気でない、からかい調子での返答。だけれども、そこまで読み取る余裕は今の優香には無かった。
 いつもの優香なら「うるさい」と言いつつ殴ってる所であるが、流石に今の姿ではそばに寄る事さえためらわれた。
 それに満は、彼女の“痕跡”をバケツの水で洗い流す作業をしてくれているのだから、感謝こそすれ文句など言えない。
「い、今、まだハダカ、だから、来て欲しく、ないの」
 水場から立って少々身体を出し、大げさに身振り手振りを交えて丁寧に伝える。
 自分の姿が分かりやすい位置にあえて優香が移動したのは、見られたくない気持ちと矛盾してると映るかも知れないが、暗がりだから近寄られさえしなければはっきり見られる事もないと判断したためだ。
「……言われなくても分かってるっつーの」
 満はそれ以上突っ込まずに作業に戻る。返答の前の奇妙な間に気付かずに、全裸以上の酷い有様を見られずに済んでホッとする優香。
 突然だが色に対する光の反射の性質をご存知だろうか。黒は光を吸収し、白はわずかな光も跳ね返す。
 つまり暗闇では白いものほど見えやすく、黒いものは見えにくい。
 優香の肌はとても白い。まるで彼女が自身が淡い光を放っているのかと錯覚するほどに。
 対して満の格好は黒い。肌は日に焼けて浅黒く、服装も黒一色だった。
 そして人は、己の価値観で他人を計ってしまいがちなのである。自分の見えてるものと他人の見えてるものは同じだと思い込む。
 それが互いの距離感を誤解させ、時に仲違いを引き起こす。
 果たして満は何を“分かって”いたのか。
 ……これは優香を中心にした物語なので、そこは余り追求しないでおこう。
 やり取りの間も優香の下着には強烈な水流が直撃し続け、さすがのへばり付きも流れ落ちてしまったが、布地に染み付いてしまったものまではどうしようもなかった。
 これ以上の洗濯を諦め、お尻の汚れを確認しようと振り向いて、自分の後姿を初めて目にして絶句する。
 近頃急速に育ち始めた、優香のコンプレックスである大きなお尻が、一回り底上げされてしまっていた。茶色い毛糸のパンツを穿いているのではないかと思えるほどの有様だった。
(うう、よけーにお尻デブに見えてるよ)
 濡れたパジャマを慌てた感じで優香は退かすと、出しっ放しの水に今度は自分の汚れたお尻を突っ込んだ。
 やや強いともいえる水流があっという間に優香の失敗を洗い流してくれた。
 綺麗な大きい白いヒップがあらわとなるや、両手の腹を使って回すように撫で洗う。
 お尻を有る程度片付けたら、向きを変えて今度は前。さきほどのハネも拭うために、上半身から水を浴びる。
 お腹を濡らして冷やしたくはなかったので、軽く流して目に付く汚れが落ちればそれでお終いだった。
 最後に残った汚れは性器部分である。いや、女性器などと呼ぶには相応しくない、お尻に比べると余りに幼いただのスジ。これまで身体にかけた水滴が伝ってある程度は落ちていたものの、そこにはまだ茶色いものがへばりついていた。
 性知識皆無な優香だったが、お股は女の子の大事な所と母親に教わっていただけに、股の洗い方は大雑把には済ませなかった。
 とはいえ一番後回しにした事からもお分かりかと思うが、大事さの意味まではさっぱり知らず、スリットの表面を指でなぞるのを繰り返すだけ。中に入ってしまったかも知れないのに『開いて洗う』という行為は、優香の発想の中には無かった。
 ただただ念入りに、丁寧に、何度も何度も、繰り返しなぞる。じょじょに速めたり、たまに押したり、ひたすら股を弄る事に熱中する。
 頬が上気し、息が荒くなっても優香の指が止まらないのは、それだけ大切な箇所だと思っているからであって、それ以外の意図は何もない。ないはずである。
「コート持ってきたぞー」
「うひゃぅ!」
 突然の満の言葉で優香の行為は中断した。
「……お前さあ、ほんと何やってんの? そっち行っていいか?」
「なっなん、」
 否定しようと出した自分の声のトーンの高さに優香は気付いて、慌てて低く調整する。
「何でもないよ〜あはは」
 なぜだか理由は分からないが、そういった声を聞かれるのは恥ずかしい気がして笑って誤魔化した。
「まあ、ここにコート置いたから。んで俺はあっち行ってるから、ちゃっちゃと着れ」
 すたすたと暗がりへ行ってしまう満に、優香は何か説明の出来ない不満を感じる。
 それは明確に言葉にするならば『裸を見せたい訳じゃないけど、もっと興味を持って欲しい』だった。
 お外で裸になってるのを見られるのは恥ずかしい。だってそんなのは小さい子供みたいだし、自分はもうお姉さんなのだ。
(……おもらししないほど大人じゃないけど)
 そこだけは都合良く子供になる優香であった。防衛本能の為せる業である。
 思考の大半は子供なりの恥じらいで占めていたが、しかし何か別の感じもあって、上手く説明の出来ないモヤモヤは、腹痛とは別の感覚を伴ってお腹の辺りに溜まっている感じがした。
 正体が分からずモヤモヤしている、その優香の指が無意識に股を弄っていた。癖になりつつあるようだった。
「ックチュン」
 可愛らしいクシャミがそれを中断させ、ようやく自分が素っ裸で外にいる事を再確認し、コートを取りにいく。
 コートの上にはどこから調達したのかタオルが二枚置いてあった。手ぬぐいほどの大きさだが、今の濡れた優香にはとてもありがたく、重ねて満に感謝の念を覚えるのだった。


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『まよなかのかえりみち』

 結局の所、優香の象さんパンツは元より、パジャマも着れた代物ではなかった。
 洗い物が夜中に干してすぐ乾いてくれるはずもなく、お腹調子がまだ不安定な優香が、そんな腹具合を悪くしそうな物を着るはずもなく持ち運ぶはずもなく、今は満に持たせている。
 余すトコなく茶染めされたパンツだけはコートのポケットだ。これだけは幾らなんでも渡したくないし見られたくない。
 コートを予め脱いでいた事は不幸中の幸いと言えよう。
 裸にコート一枚という斬新なファッションは、なぜか優香の足をおぼつかなくさせるが、今は夜道を歩く心強い味方がいた。
 夜の町に慣れている風な満の姿は、優香にはとても頼もしく思えたし、満にとっても、これまで夜を彷徨ってた経験が優香の役に立っているという事で、救いになっていた。
 そこにあるのは幼い、しかしとても理想的カップルのそれなのだったが。
「あの……今さら言うのもアレなんだけど」
「何?」
「実はおれ、校内にしのび込めるぬけ道知ってるんだよね。だから当然便所も使えた訳でさ。だから言ってくれりゃあさ…」
 優香には、満の言った事がすぐには理解出来なかった。

(おトイレに……行けた?)
(学校のおトイレに?)
(用を足せた?)
(もらさずにすんだ?)
(でも間に合わなかったかも知れない)
(間に合ったかも)
(一つだけたしかなのは……実はすぐそばに使えるおトイレがあった……)

「な……何でそんなこと、今さら言うのよぉ!」
「そんなに怒ることかよぉ。つーか無理にしんにゅーするとか、なんかあの、あれで……」
 本当は校内を案内するつもりだったが、正門を越えた所で手を取るのを拒否されたから計画を変えたのだ、とは優香の剣幕に気圧されて言えなかった。
 今更言った所でどうなるものでもなかったし、言い訳など優香にはどうでも良かった。
 おトイレに行けずお漏らしした事と、おトイレに行けたのにお漏らしした事には、純然たる違いがある。
 後者の方が圧倒的に……優香の羞恥心が高まるのである。
 知らなければ幸せでいられたのに。
「ばかばかばかデリカシーぜろしんじゃえ!」
 お漏らし姿を満に見られた事を早くも後悔し始めながら、自分でも何がしたいかも良く分からずに満に突進をかける優香。
「うわ、ちょやめろ」
 二人は互いの腕を掴み合い、まるでダンスでもするかのようにクルクルと回る。蛍光灯が二人を照らすスポットライトのようだった。
 そして離れた際に何の拍子か優香のコートが脱げて。
 場所は計った様に、あるいは謀った様に、蛍光灯の明かりの下。
 結果、優香の身体が、全てが、余す事無く満の目の前に晒される。
 幼い、白い、裸身。日焼けの跡など確認できず、膨らむ兆しのある両胸の上のピンクのぽっちりと、ぷっくりしたお股の切れ目が、その平坦な身体に僅かながらのアクセントを加えていた。
 ぴたりと二人の動きが固まった。どちらも動かない、いや動けない。
 優香は声を出したい衝動と戦って必死で抑えていた。騒げば人に見つかってしまう。故に動けない。
 ゆっくりと優香の白い身体が朱に染まってゆくのは、羞恥か怒りか両方か。
 一方、満が何故動かないのかというと……惚けていた。
「すっげえ、きれいだ……」
 見惚れた満の呟きが耳に入り、恥ずかしさと嬉しさで頭が爆発しそうになり、声無き声をあげて優香はその場を走り去った。
 コートを回収する事もなく、全裸で全力疾走。
 この時の走りは、小学五年女子の日本最速記録を塗り替え兼ねないほどの速さだったと、後に満は語った。

 おしまい。

 余談ではあるが、優香が素っ裸で家に入る所を母親に見られ、朝まで説明を強いられたという。


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