日本の気候からして、クリスタの体には合わなかった。
オランダで生まれ、オランダに適応してきた彼女にとって、初めて訪れた日本という『世界』はとても息苦しかった。
知らない世界に興味を持つよりも、知っている世界から離れた不安が大きすぎて。
初めての土地、知らない人、分からない文化、解らない言語、慣れない環境、未知の食べ物、そして謎の多い生活空間。
日本の家屋が独特で、中毒的だというのは何かの番組で聞いたことがあった。クリスタの父親はきっかけが仕事だったにしろ、その毒に冒された一人だった。海外赴任して一週間後、用意された社宅を抜け出し、手付かずだったボロ屋を買い取ったのだという。
だけど知らないものをクリスタはひどく苦手としていた。興味が湧く、試したくなる、欲しくなる、気になるなんてことはない。慣れるために、わかるために、適応するために知りたいとだけ思うのだった。
日本ではたらく父に呼ばれ、クリスタと――姉のエーファは訪日した。10歳と11歳の夏、海を越えた。二週間の間寝食を共にする家は、埃っぽい木造建築。父曰く、「これが日本の伝統的な家屋だ」らしいが、いっそホテル住まいの方が楽だった。
『ラーメン』という食べ物は、美味しく食べることができた。
日本に来て七日目、今日の昼食は家族四人で外食をすることになり、クリスタの父がえらく気に入っている『ラーメン屋』に訪れたのだった。
最初は知らない見た目の食べ物だと牽制をかけながら口にしていたクリスタだったが、一週間も経った今では様子を伺うことはすれど、食わず嫌いをすることはなくなった。スシ、テンプラといったテンプレートじみた有名な料理を母の手作りなり惣菜なりで食し、日本食を受け入れるようになったからだろう。
未知の食事がまずいとは限らない。むしろ知らない味付けと食材だからこそ、クリスタはエーファよりも貪欲に日本食を楽しむようにはなっていた。少しずつだが、馴染んできていた。中々寝付けなかった『布団』という寝具も、蒸し暑い気候もなんとか肌に合ってきているようだ。
「〜〜行きたい」
エーファはフォークを置いて早々に父に問いかけ、指差された方へと向かっていった。
クリスタはまだスープに隠れている麺を懸命にさらっている途中で、姉の背中を一瞥して自分の食事に戻った。
どこか羨ましげな瞳を伏せて。
のれんで申し訳程度に区切られた洗面所内横のドア。
男性を模した青と女性を象った赤のピクトグラフ。
2回ノックし、反応がないのを確認して、それが掲げられた木製のドアに手をかける。
中は芳香剤と消臭剤と古いアンモニア臭が混在する、日本の古き良き和式トイレだった。
鼻をしかめながらツマミ型の鍵をかけ、便器と対面する。
おー、とエーファは短い感嘆を漏らす。なんか段差の上に便器がある、と脳内でひとりごちた。
(多分洋式じゃないと思ってたけど、知らないしゃがむトイレだ)
昭和の香り色濃い共用トイレとしては普遍的な、段差のある和式トイレ。男子小用と男女大用を兼ね備えているが今でこそ洋式便器がその役目を取って代わり、改築されていない古い建物でしかお目にかかれないタイプだ。
エーファが日本に滞在して一週間、足が痛くなるしゃがみトイレはもう見慣れたが、高くなっているものは初見らしい。
段の下に排泄ができそうなものはなく――掃除用の排水口はあるが――、便器からペーパーホルダー、水洗タンクまで全て段の上に備え付けられていた。
エーファは段上に上がってしゃがみ、用を足せばいいのだと察する。オランダのトイレは水洗方法が場所によってかなりバラバラで、水を流す紐やレバーを探すだけに時間を費やすことも少なくはない。そのためトイレの造りや使用方法を理解するのは早かった。
便器の後方の一部が段からはみ出ているが、とても座ってできそうにはない。衛生的にもどうかと思う。
何も和式トイレで排泄をするのは初めてじゃなかった。
何しろ父の住まう木造住宅には、男子用の小便器と和式トイレしかないのだ。女子であるエーファは必然的に和式トイレで用を足さざるを得ない。
飛行機や日本の空港のトイレは洋式だったので、日本に着いて二度目の尿意――家に招かれておしっこをしにトイレのドアを叩いたとき、エーファはひどく困惑したのだ。そこには見慣れた椅子型の便器はなく、とても座れそうにないお皿のような陶器が床に埋まっていたのだから。
きっと家のトイレが段差のあるタイプで尿意が切迫していたなら、飛び出た便器に座って排泄していたかも知れない。
エーファはすぐさま母に尋ね、便器を跨いで用を足すことを知って事なきを得たが、しゃがんで用をした経験などそうあるわけでもなく、初出の尿を便器の縁にひっかけてしまっていた。いつか野外で放尿した時と違ってちゃんと排泄するための枠があるのを意識していなかった。排泄後、ちゃんとできたか待っていた母に見咎められ、その場に妹を呼んで『和式トイレの使い方』を母の実演によって学び、それ以降、ひっかけることはなくなった。
(便器を跨いで、前に足を置いて)
若干の抵抗を感じながらも、段を上がり便器を跨ぎ、一歩全身。両指でショーツごとショートパンツを膝まで下ろす。
膝を折り、若干焦り気味にしゃがみ込む。
(えっと、まっすぐの姿勢になって)
姿勢をまっすぐに整え、しっかりと足を開く。
便器の底に薄く張った水面に、白い臀部と綺麗な恥部が映り込む。排泄を待ち望むようにめくれ気味のスリットと、ぽっかりと口を開く陰部がぴくんと動く。今まさに晒された下半身からは老廃物が放たれようとしている。
エーファは姿勢に注意し、股間を便器のトラップに向ける。そして浮かない顔のまま、息を吐くように緊張を解す。
ぷしゅううううううううう…… しゅ〜〜〜じょろじょぼぼぼぼぼぼぼぼ
黄色がかったおしっこが放射線を描く。はじめは緩く手探りに、溢さないように。それから徐々に勢いがついていってアーチの着地点は便器の底を奥へと滑ってトラップの水たまりを叩く。おしっこの勢いを調節して、失敗しないようにしたのだろう。
しばらくしてアーチが途切れ、橋になれなかった残滓が雫となって数滴落ちる。
エーファは軽く腰を振り、残尿を振り落とす。だがエーファは出しきった、という顔をしていなかった。
ぐるるるる……
空腹――ではない。むしろ満腹だからこそ、刺激されてお腹が蠕動した。顔をしかめる。
ふと体を捻り、後方――というよりは僅か下方を覗き見た。
(ちゃんともう一歩ずつ、前に)
姿勢を戻すとしゃがんだまま左足を一歩、右足を一歩。更に一歩ずつ前へと詰める。金隠しと股間の距離は彼女の指先と手首ほども空いていない。
これで、大丈夫だよね? と不安げに何度も振り返る。
うるさく換気扇の回る中、エーファはお腹に力を入れる。
中心へとシワの寄っていた肛門が隆起した。
(うんこ、出る)
プーッ! ブリ、ビュリリリリリリリリリリ!!
ふやけたティッシュのような軟便が薄桃色の唇から吐き出される!
連なる軟いうんちはエーファの肌より白い便器にべちべちと積み重なり、飛び散っていく。
健康とは言い難い、消化不良気味の大便だった。
膝に所在なく置かれていた右手でお腹をさする。
ビュリビュリビュリ! ブリッブリッブリッ、ブリチュッ!
細切れな軟便が控えめに開く菊門から放たれる。
ぶりみちゅみちゅみちゅ……
休む間なく吐き出されていた軟便が途切れ、汚れた肛門が一回り小さく閉じる。
エーファは最初からうんこがしたかったのだ。空きっ腹にラーメンを流し込んだことでお腹が蠕動し、消化しきっていない老廃物が一気に大腸に来たのだ。おしっこなど排泄のついでにすぎない。
昭和から続く個人経営のラーメン屋の寂れた便所で、絵に描いた西洋人形よりも美しい金髪の異邦人が排泄を、それも黄金めいたうんこをしている。
お小水をちょろちょろと済ませるだけならお人形さんみたいでかわいらしい、と彼女がトイレに行くのを見た温厚そうな老人も微笑んだことだろう。だが幻想も覚めるようなくさいうんこをしていると知れば、何と思うことだろう。
(はぁ、まだ出そう)
切羽詰まっていた便意がにわかに落ち着いたところで、息を吐く。だがお腹の痛い感じは収まるどころか、これからが本番だと言わんばかりにきりきりと強まってくる。
グルルルル……ギュルルルル!
「んぅ!」
お腹が激しく鳴る。空になった直腸が泥っぽい便で満たされていく。
「あ……あ」
ぷすす ブリリリリリリッ! ブゥーッブリビチビチッ! ビュルルルルルッ!!
さっきよりも水気の増した、溶けたような汚物。下痢気味のうんちが飛び散った。
ポルノ動画でも早々お目にかかれない西洋の女児の生々しい排便シーン。板一枚の向こうでは異国のストレスでお腹を壊した少女が、生理現象と闘っているのだ。
「ん、うぐうぅぅ」
ぎゅるるるるる……
ビチチチチチ ブビッ ビチッ……
一気に下した分、お腹を渋らせて気泡混じりの下痢をちびちびと踏ん張るエーファ。お腹は軽くなって下痢特有の腹痛も大分和らいだが、まだ便意は完全に解消できていなかった。後始末をするにはちょっと不安と残便感のある具合だ。
「んっ、んーっ!」
ぶすー
エーファの不慣れな息みに合わせて薄桃色の肛門がぱくぱくと暗い奥底を開け閉めさせる。細い便か軟便が何とか通り抜けられるか、といった狭さだ。和式での大便もそこそこ様になってきたが、しゃがんで気張るのはまだ難しかった。
息を吸い、下腹に力を入れて気張るたびに全身がブルブルと震えた。まだ出ない。
おしっこならしゃがんでしよう、と思ったら自然に出て、最後にちょっとお股に力を入れれば出し切れるが、うんこはそうもいかない。お腹に力を入れないと全部出ない。お腹が痛いときはちょっと踏ん張るだけでどばどば出るが、それでもしっかり気張らないと便意はなくならない。
おしっこならすぐに済むからまだ疲れないが、エーファはうんこ――殊更に下痢を催した時はひどい疲れを覚えていた。
(はぁ、早く席に戻りたい。足痛いなぁー)
踏ん張るたびに便器を跨ぐ両足にかかる負担は、彼女にはとても重かった。日本の女性は毎日こんなつらい思いをしているのか、と思うこともあった。
ぶっ ぶぶびっ
「っあ」
ぶりぶりぶり…… ぶちゅっ
ぶっ ぷぅぅぅ〜〜〜〜!
「はぁん」
エーファが溜め息と一緒に頬を僅かに赤らめる。お腹のすっきり感と一緒に小さくてかわいらしいおならが鳴った。
(うんこ、出きった……)
膝に手をついて立ち上がり、足元を覗き込む。完全に消化不良の下痢便が便器の真ん中寄りにべっとりと積み重なっていた……。薄い黄土色で所々にくすんだ緑色や黒色が見え隠れており、臭いもオランダ人形のような愛嬌のある女児から生まれたものとは思えない、すえた悪臭だった。
食生活が日本食にシフトし、エーファのお腹から下される汚物も色から臭いまで若干ながらも様変わりしていた。
ガラガラガラ
エーファはしゃがみながらお尻を拭くのが苦手なので、というよりは疲れた足に負担をかけたままだとふらつくので、いつも立ち上がって汚れを拭っている。
ごしごし……
ただ完全に立ち上がってしまうと肛門回りの汚れが尻たぶに広がるので、中腰だ。膝を半折りにお尻を突き出して粗めのトイレットペーパーで拭く。折り畳めば拭くに十分な広さはあったが、エーファは汚れ具合を見るまでもなく直下の便器に落とし、新しい紙を五重にも巻いて取る。
三度目のお尻拭きでようやく紙の白い面積を確認する。紙越しに指で押し付けた部分に薄くうんちが付着していた。目に見える汚れがなくなってからもう二度綺麗な紙で拭って、ようやくエーファは水を流した。
(はぁ、すっきりしたー)
ショーツを引き上げ、ショートパンツを整えて段差を降りる。エーファの膝の高さにある便器は水が流れきって楕円形の黄ばみが波打っているだけだ。汚物は形もない。だが悪臭は色濃く残留していた。
便所内は篭る熱気と便臭で不快な一室と化していた。年季の入った換気扇では換気し切れないのか、それともエーファのうんこがそれほど臭うのか……。
「はぁ」
その嘆息は気持ちよかった、ではなく楽になった……という解放感めいていた。
1日1、2回のタイミングで訪れる熱い便意。それが終わったのだ。うんこをするのに羞恥心や忌避感は強く覚えないが、それでもお腹が痛くなるのや足が吊りそうになるのは嫌だろう。
ノブの鍵を外し、扉を開ける――前にお尻に痒みを覚え、衣服越しに肛門を掻く。爪を立ててかりかり、三往復。興味本位で指先を嗅ぐと、鋭いうんこの臭いがした。
外に出て洗面台で人差し指を重点に手を洗い、すまし顔でクリスタたちの待つ席に戻る。
時間がかかったことを心配されてかお腹の具合を母に問われたが、エーファはちょっとね、と言葉を濁して水を喉に流した。
(お姉ちゃん、やっぱりウンチだったのかな)
クリスタは誰からも見えないように机の陰でお腹を撫でながら、思考を張り巡らせる。
トイレに立った姉――エーファ時間のかかり具合からして、おしっこじゃなくて大の方だとは何となくわかった。それも、形の整ってするするとしたうんこじゃなくて、柔らかくてびちびちとした、うんち。
クリスタは知っている。エーファがお腹を壊して下痢をしていることを。朝や寝る前など、何度か姉の後にトイレに入ると普通じゃないうんちの匂いが残っていたからだ。自分の大の後に入られたこともあるので嫌悪感はあまり抱かないが、やっぱりストレスを感じているのだと不安を感じていた。
(トイレ、行きたくなってきた)
横目でエーファが向かって行った方を見る。あっちにトイレがある。場所の関係で入り口は見えない。
もぞ、とお尻を浮かせてきゅっと締める。
(わたしもトイレ行こう、かな。もうそろそろお父さんもご飯終わるし、今のうちだよね)
そう考えつつも、席を立とうとはしない。
クリスタがトイレに立たない理由。
単純に知らないお店で用を足すのに若干の恥ずかしさを感じるから。
簡単に説明すると知らない人にトイレに行くところを見られたくないから。
簡潔に言うと個室がいくつあるのか気になるから。
そして本心を語ると、どんなトイレなのかわからないから。
(もしもトイレが和式だったら、どうしよう……)
クリスタは考える。
このお店のトイレは和式なのか、洋式なのか。
それがわからない限り、トイレには行きたくなかった。
知らない人の使った便座に座りたくない、という潔癖からではない。
(今までしたくなかったのに、すごい、ウンチしたくなってきちゃったよぉ)
クリスタどうしてもウンチがしたくて、トイレに行くのを我慢していたのだった。
(ウンチ、したいなぁ)
(洋式だったら、いいんだけど)
万が一和式便器だったら、と思うと尻込みしてしまう。
オランダは洋式トイレが主流だし、母国の家のトイレも洋式だ。
トイレのことを知るにはトイレを使った姉に尋ねれば早いことだ。だけど家族の前で言葉にするには、クリスタにとってかなり勇気を有する解決方法だった。もしかすればトイレを気にすることぐらい、どうってことないと流されるかも知れないが。
(きっとウンチしたいこと、バレちゃうよね……)
ラーメンを食べ終わった辺りから、いやそれよりも前――朝トイレでおしっこを済ませた頃からウンチがしたくなっていたのだ。クリスタはこともあろうかラーメンをすすりながら、大便のことを考えていたのだった。その矢先にエーファがトイレに行き、彼女のお腹はうんこをすることしか考えられなくなった。
(きっと古いお店だから、多分和式かなぁ……。和式じゃクリスタ、ウンチできない……)
あの小さな便器にしゃがんで、ウンチ。おしっこするのも大変なのに、もっと時間のかかって疲れるウンチをしなくちゃいけないなんて。
(やだ、絶対にしたくない……!)
より強くお尻を引き締める。今にも便が閉ざした門を押しのけて、パンツの中に漏れ出しそうだった。
(洋式だったら座っていられるから楽ちんなのに、日本ってほんと不便だよ……)
そうこう悩んでいる内に父も完食し、お腹の波が引いた頃に会計が終わってしまった。
どこか洋式トイレのあるお店に行かないかと心の内で願うクリスタだったが、四人を乗せた車はそのまま家に直行してしまった。
便意と車に揺らされているクリスタの脳裏には一週間前の出来事が浮かんでいた。
母親に和式トイレの使い方を教えられて、クリスタはこの家のトイレにひどい嫌悪感を覚えた。
あまり使いたくない、嫌だ――と。
それは清潔感がないから、汚いからという意味ではない。
自分の知らない形のトイレだったから。
話からして姉がトイレをうまく使えなかったのはわかった。器用で何でもできる姉が失敗したんだから、どんくさくて不器用な自分がちゃんと使えるわけではない――そう思い込んでしまった。
実際、しゃがみ方だけを言われてすぐ実践した姉と違い、その時点ではまだクリスタは和式トイレを使ったことがない。正確に使い方を教わっているのだから姉よりも上手にトイレができるはずなのだが。
「クリスタ、今トイレ使ってみる?」という母の申し出――ちゃんとできるように見ていてあげる、という優しい言葉を「ううん、今おしっこしたくないから」という嘘で拒んだ。
できるだけしたくない。そう思ってクリスタは尿意を先延ばしにした。
そして、時は訪れる。
それは予期せぬ形で。それは予想していない瞬間に。それは予見できないほど唐突に。
家の案内も終わり、姉と一緒に父親のレトロゲームを漁っている時だった。
突然の便意がクリスタのお腹を襲った。それもとても激しく、キリキリとした痛みを伴うものだった。
(お腹痛い……。ウンチ、したくなってきた。それもビチビチの……)
(お腹こわしたかな……)
(最後にウンチしたのがオランダのお家で出発する前に、ううん、緊張して出なかったから、オランダの空港でしたくなって。お姉ちゃんと一緒にウンチしたんだった。あんまり出なかったから、今したくなったのかな)
(トイレ行かなくちゃ。でもお家のトイレって)
(ウンチやだな、我慢しよ)
姉は夢中になってゲームを探していて、クリスタの異常には気付いていなかった。
何とか波が引いて楽にならないかと、鈍い動作で姉と付き合っていたが、便意は鎮まるどころか時間が経つにつれて肥大化していく。
(もう、ウンチ、でちゃうぅ)
(我慢できてる内に、ちゃんと済ませとこ……)
(使い方習ったし、大丈夫だよ)
「お姉ちゃん、ちょっとトイレ、行ってくるね」
うん、いってらっしゃーい、と妹の顔も窺わず返答するエーファ。
お腹をさすって中腰で廊下を歩き、トイレに辿り着く。女性用は右側のドア。ノックする余裕もなくドアノブをひねって個室に駆け込んだ。
「うううっ!」
今まさにトイレをしようと無我夢中でトイレに来たクリスタだったが、いざ排泄しようという段階で足が止まる。
(やっぱこのトイレ使いたくないよぉ!)
脳裏をよぎるのは洋式便器。慣れたトイレが使いたい。でも地理のわからない異国の街で、わざわざ洋式トイレを探しに行ける勇気も度胸も、そして猶予もなかった。
(ウンチ、もれそう……ぅ)
わがままを漏らしている余裕はクリスタにはなかった。トイレで大便をしないなら、野外でするか漏らすしかないのだ。それならもう、トイレでする他ない。
(ええっとどうするんだっけこの便器をまたいでしゃがんでそれで)
便器を跨ぎ、パンツとスカートごと下ろしながらお腹を刺激しないよう、ゆっくりとしゃがむ。
(それでえっと一歩前に出て――もうダメっ!)
体はもう、排泄をする状態になってしまっていた。
慣れない姿勢に括約筋が緩み、ぼっかりと肛門が輪を描く。
ブリブリブリブリビチビチビチビチビチ!
ベタベタベタベタベタッ!!
ビジュビジュブジュブチュブリィッ!!
ベチャベチャベタッ!
形をなしていない下痢便が降り注ぐ。
「はぁ〜〜〜っ。うぅ〜んっ……」
我慢していた反動が押し寄せ、クリスタは便器への嫌悪感すら忘れてひたすらに踏ん張った。
お腹が痛いのを治すため。何より1秒でも早くトイレから出るため。
ビヂヂヂヂヂヂヂビジュッビチッ! ブチュチュチュブババババ――ッ!!
ベタベタベタベチャッ!!
「っっはぁ〜〜〜……」
(ちょっとだけ楽になった)
ふらふらになりながらも壁に手をつくクリスタ。鍵のかけられていない個室は解き放たれた下痢便の臭いに満ち溢れ、申し訳程度に置かれていた芳香剤の匂いをかき消していた。
(うっ、臭い。ひどく下しちゃった)
洋式便器と違って排泄物がかなり空気と面するため、立ち上がる臭気も比較にならない。鼻をつまむ手はバランスを取るために空いていなかった。
ブリブリッ ビチチッ
(でも、ウンチできてよかった……。なんだ、変なトイレだと思ってたけど、ちゃんとしゃがんでできたし、大したこと……)
クリスタはちびちびとウンチをしながら股下――便器を覗き込む。
(いっぱい出たと思ったけど、あんまり?)
クリスタに見える範囲でどろっどろの下痢が便器内に広がっていたが、やけに少ないように思えた。といっても完全に後ろの方は見えないのだ。
だからクリスタは腰を捻って後方を見た。
「あ……!!」
床一面に広がる、どろりとした下痢。
ピンク色のタイルを塗りつぶす、薄茶色と黄土色の水たまり。
(あああーっ! やっちゃったぁ…………)
前に踏み出す前に排便してしまったせいか、排泄した汚物の半分以上が便器からはみ出てしまっていた! 便器の後方の縁を中心に広がる、下痢の水っかす。白い便器を、桃色の床を、木目のドアにまで飛散した老廃物がクリスタの腹具合を、そして失敗を如実に表現していた。
「あ、ああ」
(そんな、ちゃんとウンチ、できなかったあ……ああ)
さっきまでの安堵と油断をひっくり返すような絶望と後悔がクリスタを襲った。
もっと早くトイレに来ていれば、我慢できずに噴射することもなかったのに。ゆとりを持って前に出ていられたのに。
ゴロゴロゴロゴロ〜〜!
「ひぃっ……」
お腹がきゅぅっと痛みを発する。
(まだ出るのぉっ!)
「う、うあ」
(前に、でなくちゃ――あ)
ブビィ――――――ッ!!
ビチャアッ!
左足をすり足で動かした瞬間だった。あまりにも勢いよく直腸に押し寄せた下痢の波は、クリスタの制動を突き抜けて噴射! 光線のような水便が便器の縁をかすめて床を穿った。
「もぅ、やだぁ……」
クリスタは便器にしがみつくように前進した。またウンチが、来た。
(ウンチ、でるぅ〜〜〜!)
ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリリッッ!!!
ビヂィ〜〜〜ッ ブチュッ ブチュチュチュチュチュッ! ブバッ! ブビッ! ブリュリュリュリュッ!!
「あっあっあっ、ふぅ〜〜ん、うーん、うぁ、んっ。うんちぃ」
第二波はギリギリ便器の中に放たれた。波打ち、跳ねて、飛び散り、白を肌を桃を汚していく。
(こんなトイレ、だいっきらい!)
数分後、異邦に響く泣き声によって、初めての失敗は露見した。
ストレスによるお腹が空になるような1回きりの下痢以来、クリスタはお腹を閉ざした。
毎朝の快便体質を呪い、我慢を繰り返す。
そうしてクリスタは滞在3日目にして遂に便意を感じなくなった。
完全な、便秘だった。
どうにもならない朝昼の小用以外、トイレは使わなかった。夜は湯船に浸かる前にシャワーで尿を流し、不快な便器から遠ざかった。
朝エーファがお腹を壊して羨ましい音を立てているのを聞いて思うのだ。
お姉ちゃんがドアを開けた時に流れてくる残った匂いを嗅いで思うのだ。
仕方なくトイレに入り、くすんだタイルの汚れを眺めるたびに思うのだ。
――今日はウンチが出そうにない、よかった。と。
家に着く頃には、ウンチはあまりしたくなくなってた。
それでもお腹はちょっと痛くて、すごい張ってる。トイレに入ればすぐに出せそうな感じがするけど、トイレに行きたいとは思わなかった。
お姉ちゃん、すごいなぁ。もう和式のトイレでおしっこもウンチもできるんだもん。私はまだダメ。たまにおしっこも失敗するし……。
おしっこはどうしても我慢できないから何とかできるけど、ウンチはダメ。
ママは前に詰めれば大丈夫、っていうけど……あんなに小さい場所に収めるのなんて、できないよぉ。
だってちゃんと前に詰めたと思ったのに……。
またウンチ失敗しちゃったらどうしよう。
ごろろろろ
「ん……?」
お腹、痛くなってきた……?
そこまでじゃないけど、ウンチしたくなってきた……。
トイレ、行かなくちゃ。でも和式……。
家の近くに図書館とか、洋式トイレのありそうな場所があればいいのに。回りは田んぼや畑だらけだし。
でももう6日もウンチ出てないし、お腹もぱんぱん。
下痢じゃないし、別にはみ出したりとかしないよね……。
読んでいた本を閉じて、レトロゲームをしているお姉ちゃんに気付かれないように廊下に出る。
エンガワ、っていう外に面した廊下の突き当りに、問題のトイレはある。
左側が男の人の立ってするトイレ、女の人のトイレは右の方。女の人も立っておしっこできればいいのに。あ、でも飛行機に乗るのに訪れたスキポール空港に女性でも立ってできるトイレがあったっけ……。なんだか怖くて、私は洋式トイレで用を足したけど。
不気味な軋みを上げる扉を引くと、ピンクのタイルが敷き詰められた床にボウルみたいな便器が埋まっている。私の大嫌いな、和式トイレっていうやつ。
どうしてお父さんはこんなに不便なトイレを使ってるんだろ……。去年改築して直したっていうけど、その時に洋式にしてもらえばよかったのに。
あ、でもこれの前はぼっとん、っていう水洗じゃないトイレだったんだっけ。便器の底がなくてすぐ下に穴が空いている、くみ取りトイレだっけ? それよりマシだけど。
誰もトイレに来ないのを確認して、スリッパを履いて中に入る。蒸し蒸ししてて、じめじめした空気。
ドアノブのひねる鍵をかけて、まずスカートを脱ぐ。片足だけスリッパを脱いで足をくぐらせ、もう片足も。それを四つ折りにして水洗タンクの上に置いた。
スカートとか履いたままだとしにくいし、足広げられないからパンツも脱いだ。こうしないとちゃんとおしっこが真っ直ぐ飛ばないもん。
小さい便器を跨いで、すとんと腰を落とす。もっと前に、行かなくちゃ。お股と便器の沿ってる部分が触れるぐらい、すり足で前に。このキンカクシって部分に近かったらおしっこがちゃんと入るんだよね。
今までは後ろにしゃがんで足も閉じてたからお尻とか便器とかびしゃびしゃにしてたけど、もう学習したんだから。
「んっ」
しぃ〜〜〜じゃぱじゃぱじゃぱじゃぱじゃぱ……
おしっこ、ちゃんと水たまりの部分にあたってる。うん、失敗してない。お尻にも伝ってない。
じょぼじょぼじょぼじょぼ
朝は汗かいたし、あんまり出ないかな。
じょろろろろ ちょぽぽぽ ちゅおっ
おしっこはちゃんとできたよ。後は。
「ん……ウンチ」
今日こそウンチしなくちゃ。
それにずっと我慢してたらトイレ詰まらせちゃうかも……。だって今まで出なかった分、全部硬いのでウンチ出るんだよね?
やっぱり、今しなくちゃ。
しなくちゃ。
……。
ほんとに詰まっちゃったら、どうしよう。
だっていっぱい出るんだし。それもでかくて硬いから。
こうなる前に、早くウンチしておけばよかったかなぁ……。
「はぁ……」
やっぱり和式でウンチするの、怖いよ。
またあの時みたいに外しちゃったら、どうしよう……。
だって後ろ見えないんだよ? 洋式みたいに座ってれば絶対に便器に落ちるって限らないし……。
ううん、ちゃんと腰を落としてウンチすれば、大丈夫よね。
半歩だけ前に詰め、私はウンチをする覚悟を決めた。
他に掴む手すりなどもないから、すぐ目の前にある木目の壁に手を着いて姿勢を整える。
「ん……うーんっ」
遂に私は頑なに耐えてきたウンチをすることにした。
「ふぅ〜ん、うぅーん……」
お腹にウンチいっぱいある感じするのに、肛門のすぐ上にウンチ来てる感じがするのに、中々出てこないなぁ。
「うーん、うーん、んむぅ〜〜〜! ……出ないよぉ〜」
もしかしてクリスタ……お便秘に、なっちゃった?
今まで快便だったのに、ウンチするの我慢してたから……。
お腹痛いのに、苦しいのに、全然出ない。
「はぁ」
それから3分ほど息んでみたけど、ちょっところころのウンチが出ただけ。今は頑張っても無理みたい。
ぷしゅー ぷぅ〜〜っ!
乾いたおならが出たところで股とお尻を拭く。だけどお尻は全然汚れてなかった。
水を流してむせ返る暑さのトイレから出ると、
「あ……」
姉のエーファがトイレの入り口に立っていた。
片手でお腹をさすって。
「トイレ、終わった?」
「う、うん。待ってたならノックしてくれればよかったのに」
「いや今来たとこだよ。クリスタもお腹痛かったんでしょ? 入るね」
明らかに嘘だった。苦しそうに待っていたんだから。まだ放屁の匂い残るトイレに入っていくエーファ。かちりと鍵の入った音がした。
ビチビチビチビチ…… ブォッ!
「!」
(またお腹壊してる……お昼にもしてたはずなのに。可哀想)
だけど、羨ましい。
トイレでちゃんとウンチができるなんて。
クリスタは鈍い痛みを抱えたまま廊下を引き返した。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ん、何が?」
何がって……クリスタは言いごもる。
トイレでの邂逅から4分後、すっきりした顔のエーファが戻ってきた。
「ちょっとトイレしたかっただけだから、気にしないで。それよりもクリスタも大丈夫だった? お腹痛かったんでしょ」
臭いのせいでウンチをしようとしていたのはバレているらしい。
「ううん、出なかったから」
それから気まずい無言が続き、「ゲームしよ?」とエーファが提案したので二人でレトロゲームを始めた。
――。
クリスタのボタンを押す手が一瞬止まる。
お尻に押し寄せる圧力。強烈な便意。肛門がほんの僅か膨らんだ。
(ウンチ、したくなってきたぁ。さっきまで、何ともなかったのに。でも)
(今ならウンチ、できそう。ウンチしたい)
(トイレに行ってこよっかな。ウンチしに……)
グギュゥゥゥウウウウウウ〜〜〜!
さっきまでだんまりを決め込んでいたお腹が鳴り響く。ごぽごぽごぽ、とお腹の中で液体が暴れる感触。
ギュルルルルルルル!!
「ぁ……」
(ウンチ、でも違う――お腹、痛い!!)
(お腹痛いよ……すごいきりきりするぅ)
(下痢、ゲリピーしちゃった……?)
ただの便意ではなかった。
猛烈なお腹のアラート。不具合を知らせる痛覚と危機感。
(ピーピーの、出そう)
(どうしよう……ウンチしたいけど、下痢ってことは、また床に漏らしちゃうかも)
(いやだ、したくない……!)
唐突にエーファがゲームのポーズをかけた。
「お姉ちゃん? っぐぅ」
「お腹痛いんでしょ。トイレ行ってきていいよ」
「ううん、大丈夫だから――んぅ」
「我慢したら身体によくないよ。ほら」
クリスタは我慢したかったが、限界を迎えそうだった。
「次こそはちゃんとできるよ」
「でもぉ」
ゴロゴロゴロ〜〜!
「……やっぱりトイレ、行ってくるぅ」
もう我慢、できなかった。
ちゃんと前の方で跨いで!
しゃがんだら真っ直ぐ前を向いて!
もっと前進して!
「ひゃぁっ!!」
ムチミチムチミチミチミチミチミチミチミチニチチチチチチッッ!!! ブリュッ!!!
とても太く硬く、そして長いウンコが便器の底を突いてなお途切れず、便器を横断してようやく尻尾を落とした。
トイレに駆け込んでからは躊躇する暇もなかった。
最初の日のように、便器を目の前にして我慢をすることなどできなかったのだ。
ただあの日と違うのは、余裕があったこと。
直腸すぐに下痢が来ていたわけではなく、しゃがんでも少しだけ耐えることはできたのだ。そのおかげで蛇のような極大便をタイルに叩きつける事態だけは免れたようだ。
「はぁー、はぁーっ」
(ウンチ、出たぁ)
恐る恐る、後ろを振り返る。
床はキレイだった。そして股下に、今までみたこともない質量の大便が横たわっていた。
(こんなにおっきなウンチしたの、初めて……。きもちい)
ギュルルルルルルルッ!!
「ふんんんんんん……っ!」
ブリミチミチミチミチビチュッ!
ミチチチチチッ ブリミチムチュムチュムチュムチュムチュッ!!
ビチビチビチビチブリブリ〜〜ッ! ブボボブリッ!
「はぁ〜、出たァ」
便器いっぱいに広がる下痢便を覗き見、クリスタは頬を染めた。
(やっと上手にウンチ、できたよ)
トイレ内は昼一番の熱気と臭気が立ちこめ、息も苦しい空間と化していた。
その中で一人、お腹の軽くなった快感と達成感に打ち震える初潮前の少女が一人。
「すっきりしたぁ〜」
床も便器の縁も何一つ汚れていない。
(これからはちゃんとキレイにウンチできるよ。お姉ちゃん)
「ん……」
ブシュ〜〜ッ ブリィッ! ブボッ!!
とびきり臭い放屁をかますと、クリスタの腹痛も便意も遠のいた。
(さてっ。お尻拭いてトイレ出よっと)
ばたばたばた ガチャッ
「きゃあっ!」
「クリスタ!? 何で鍵かけてないのっ! もういないのかと思ったのに」
お腹を抱えてドアを開けたのはエーファだった。
「お腹痛くってついっ、お姉ちゃんまたトイレ!?」
「まだ、大丈夫だから……うわ、でっかいうんこ」
「見ないでぇ! ちょっと出ててよ!!」
ドアが閉められたのを確認してから慌ててお尻を拭き始めるエーファ。急いで紙を巻き取り、汚れまくった肛門をぐしぐしと拭いていく。
「クリスタずっと便秘してたんだ」
「うん。ウンチ出てこなくって」
「今度はちゃんとできてよかったね?」
「もう、言わないでよぉ!」ぷすっ
「どれだけ拭いてるの、まだ?」
「もう終わるから。――――今流すねっ」
クリスタがコックをひねると、便器の中身を呑み込むように水流がうなり――
「あれ?」
便器の下痢便と紙のみをさらって流れていった。
「まだー?」
「あれっおかしいなっ」
再び流しても、結果は同じだった。
「お姉ちゃん……ウンチ、流れない」
「ええーっ! それでもいいから変わってっ!」
「お姉ちゃんに見られるなんて恥ずかしいよぉ!」
「エーファうんこもっちゃう!! はぁくぅ!」
数十分後。
二人分の便臭が充満するトイレで母親が見たものは、トラップに浸かりかけたクリスタの大便。
「ウンチ、流れなくなっちゃった……」
二回目の和式トイレ排便も、結局失敗に終わったのだった……。