No.10「茶色い予兆」

 凛堂 朝香 (りんどう あさか)
 11歳 私立礼徒女子学院初等部6年A組
 身長:149.3cm 体重:38.6kg 3サイズ:69-53-74
 純白のリボンで結ばれた漆黒のポニーテールが美しい、凛とした女の子。

 ヒロインの物語開始直前一週間の日別排便回数(←過去 最近→)
 1/0/0/1/0/0/1 平均:0.4(=3/7)回 状態:健康

<1> / 1 2 / Novel / Index

「――ですから、二学期においては、みなさんはいっそう――」
 体育館の壇上で、聡明な雰囲気の熟年の女性が演説をしている。

 まだ残暑厳しくも、風がゆっくりと秋の匂いをまとい始める九月の一日。
 この日、私立礼徒女子学院初等部では、校舎中央にある体育館に於いて、二学期の始業式が執り行われていた。
 私立のお嬢様学校という特殊な組織ではあるが、その式の在り方は一般の公立小学校とほぼ同じものである。ミッション系の学校であるため途中に賛美歌を歌う時間があるが、明確な違いと言えるのはおそらくそれぐらいであろう。
 そして今は初等部理事長――いわゆる校長先生の話の時間であった。

「そして次に勉強のことですが――」
 校長先生の話の凡庸も一般の小学校と同じで、いつもと似たような内容の退屈な話が続いている。
 しかしさすがに育ちの良い子女の集う学校だけあり、学年クラス別に乱れなく並んでいる少女たちは、わずかな私語さえもしようとはしない。その姿勢もみな一様に美しく、どの娘も白く細い両手を体の前でぴたりと重ね合わせて、一直線に壇上を見つめていた。
 彼女たちが身に着けている夏季用の制服は、襟に紅いリボンが通された白いブラウスに紺色のスカートという、シンプルで清潔感のあるデザイン。無垢な少女たちの着衣はどれも汚れ一つなく、きっちりと体に合っていた。
 それに加えてその制服からか、あるいは彼女たちの身体そのものからかは分からないが、甘い石鹸の匂いが一面からふわりと漂い、館内全体の空気と飽和している。その穏やかな香りに彩られた静かで美しい始業式の様相からは、どこか神聖な気配すら感じられた。
 まさにお嬢様学校だと言うべきか。生徒である女の子の一人一人が、麗しく高貴なプリンセスであった。

 ……が、そんな美しい空間に於いて、一人だけ周りと違うことをしている少女がいた。
  クギュルギュルギュルゥゥ〜〜……
 濁った汚らしい音――文字通りの不協和音が、静かな生徒たちの中に響く。
 それは体育館の後方、六年生の列の中での出来事だった。
 音の出所は、一人の青ざめ震えている、長い髪を赤いリボンで結んだ少女の下腹である。最上級生の列だけあって殊に周りが微動だにしない中、一人だけ足の爪先をもじもじと動かしている、明らかに様子のおかしい少女だった。
 すぐ横からは、その険しく苦しげな表情と、ときおり頬を伝う汗の雫も見える。よく見ると手と手も絶え間なく擦り合わされ続けていて、姿勢も周りがぴんと背筋を張っている中、一人だけ、わずかではあるが腰が曲がっていた。

 ……情けないことに、彼女は下痢をしてしまっているのだ。
 体調を崩して腹を下し、肛門に押し寄せる軟らかい圧力に悶え苦しんでいるのである。
 今すぐ先生に許可をもらってトイレに駆け込み、おしりを出して苦しみを吐き出したいが、勇気がなくて列から離れられないのだ。近くから見ると明らかに周囲から浮いている少女だったが、これでも必死に平静を装っているため、かえって遠くにいる先生には異常を気付いてもらえなかった。
 だから勇気を出せない以上、彼女はただひたすら、式が終わるまで猛烈な便意を抑え続けるしかない。
 一人のお嬢様を突然襲った不幸。本来なら周りの生徒たちと同様、乱れの無い姿勢で式に参加していたはずである。
 可哀想な少女は独り、食い入るようにして壁の時計を凝視し続けていた。

  キュゥゥゥ〜〜……ゴロゴロゴロゴロ……
  ……ブゥピ……ッ……
 おなかを鳴らしながら、体を震わせて小さなおならを放つ。
 人前で放屁するなど礼徒の子女にとっては禁忌もいいところであるが、もう肛門を制御できなくなりつつあるのだ。
 そしてすでに、彼女がいたしてしまったのはこれが初めてではなかった。音が漏れてしまったのは初めてだったが、これまでに何度もすかしっ屁をしていて、その体の周りには明らかにそれと分かる硫黄の臭いが立ち込めていた。

(あの子、だいじょうぶかなあ……)
(くさい……そんなに苦しいなら早くおトイレ行きなさいよ……)
(こんな時にゲリしちゃうなんて、かわいそう……)
(はしたないわね……)
(早くおトイレ行きなさいよ……)
 周りの生徒たちはみな、無様な姿の彼女が腹を下してしまっていることに気付いていた。
 もはや誰がどう見ても、下痢をしている……下痢を我慢しているようにしか見えない。
 始業式が始まってすぐに様子がおかしくなった彼女だが、もうあれから実に三十分は経っている。
 便意は相当に激しいものになっていることだろう。周りの少女たちの多くは、下痢に苦しむ恥ずかしい彼女のことが不安あるいは不快で、壇上から聞こえてくる退屈な話などにはいっそう耳を傾けることができなかった。


「――それでは、これで話を終わります」
 そうこうしている内に、ついに理事長の話が終わった。と同時に、全校生徒が気をつけの姿勢をとり、深く礼をする。
 号令を要さずとも自発的に一連の儀礼を行えるように教育されているのだ。
 理事長がゆっくりと壇から降りて椅子に座ると、今度は音楽教師がすっと立ち上がってピアノへと歩み始める。
 生徒たちだけでなく、式の運びもまた美しく洗練されたものであった。

 だが、下痢に苦しむ少女の姿にはもうそんな上品さは感じられなかった。
 周りが起立の姿勢を取るやいなや、どさくさに紛れて右手をおしりへと回し、そのまま指の腹で肛門を抑え続けている。
 礼の角度も周りの半分以下。おしりがぎゅっと押さえられているせいでスカートの形がいびつに崩れ、しかもそれが全身の震えで波打っている。……もう、見ていられない有様であった。

 音楽教師がピアノの前に座り、鍵盤へと手を伸ばした瞬間、

  プウッ!!

 かん高いおならの音が、静かな体育館の中に響きわった。
 教師の体の動きが止まり、生徒たちも絶句して体を硬直させる。
 多くの者にとって、それは信じられない事件だった。
 神聖な式典の最中に、よりにもよっておならのような行為をしでかす生徒が礼徒の中にいる。
 ――あってはならないことだった。学校そのものへの侮辱にも等しい。ここは、そのような下劣な人間の居て良い空間ではないのだ。

「――――!!」
 もちろん、おならをしてしまったのは下痢をしている少女である。
 必死に力を引き締めているが括約筋は緩む一方で、ついに大きなガスの塊を漏らしてしまったのだ。
 屁を放つやいなや、少女は真っ赤になって右手をおしりから放し、乱れていた体勢を整えなおした。

  ピーーゴロゴロゴロギュゥゥーーッ!
「っ……っ……!」
  ブビッ! ……プピピィィ……プピ……ブッ!
 だが、おなかの鳴る音は隠しようがない上、さらに肛門が緩んで生暖かいおならが次々と下着の中へ漏れ出た。
 肛門の感覚がなくなりつつある。もうどうしようもなかった。尻に力が入らない。
 また、耳まで真っ赤になった顔色も、頭で考えて元に戻せるものではなかった。
 放屁と同時に染まった頬。このままでは、「私がおならをしました」と言っているようなものだ。
  ……プスプス……プシュ…………プリ……ッ……
 必死に血を引かそうと頭から命令を出すが、顔はますます色紅く染まり熱くなってゆく。
 しかもおならが止まらない。少女はスカートの裾をぎゅっと掴んで腹痛と羞恥心に悶えながら、うつむき惨めな放屁を続けた。

 一方、目付きの厳しい女性の音楽教師は全校生徒をきっと睨み付けたまま、その動きを止めていた。
 どうやら相当に不快な思いをしたようである。もはや、ピアノを弾くような雰囲気ではなかった。
 ただでさえ、絶対にあってはならない、式典への下品極まりない侮辱である。美意識が殊に洗練されている芸術教科の教師にとって、それはまさに堪え難いほどに不愉快な事件であったのだろう。

 ……音楽教師は、ただ何も言わずに生徒の方を睨み続ける。

 表情は信じられないものを目にしたかのような驚愕と、そして怒りに凍りつき、――それはまるで目の前で子供を殺された母親の顔のようにさえ見えた。
 体育館中にぴんとした鋭利な緊張感が張り詰め、生徒はもちろん、他の教師たちも全く体を動かすことができない。
 ただ必死の思いで肛門を締め続けている下痢少女だけが、一人苦しげに体を震わせ続けていた。

(こっちまで恥ずかしくなってきちゃった……)
(早くお手洗い行きなよ……)
(あの子、そろそろおトイレ行かないと……このままじゃ……)
(本当におなか痛そう……かわいそう)
 そんな重苦しい空気が館内を満たす中、彼女の周りの少女たちはいっそう気が気でなくなっていた。
 これまでも彼女の姿は相当につらそうなものであったが、いよいよその気配はただごとではなくなり始めている。
 体育館中に音が響くほどの激しい放屁。その後もちびちびと放たれる小さなおなら。ますます大きくなってゆく体の震え。
 ――限界が、目に見える形で着実に迫りつつあった。

  ギュルギュルギュグウウゥーーッ!
 そしてまた、彼女のおなかから激しい下痢のうなりが響いた。
(もうほんとにお手洗い行ってよ……見てられない……)
(やだなあ……こんなところでしちゃったりはしないでよね……)
 下痢を我慢している少女がもしトイレの外で限界を迎えてしまったら、待っている結末は一つしかない。
 ……おもらし。便器ではなくパンツの中に脱糞してしまうという、人として最低の行為である。
 純潔を宗とする礼徒の子女が人前で大便を漏らして下着を汚してしまうことなど、放屁以上に絶対にあってはならない、まさに禁忌に他ならない。が、このままでは本当に惨事が起こりかねない気配だった。それほどに少女の具合は酷そうで、もう、見ている方までおなかが痛むほどだった。

  ……ピブッ!
(またあの子、おならした……)
(がんばって……ウンチなんかもらさないで……)
(気持ちは分かるけど、がんばっておトイレ行かなきゃダメだよ……)
 今にも下痢を漏らしてしまいそうな少女。
 あまりにつらそうなその姿に、多くの生徒は同情の眼差しを送り、心配で胸を圧迫されていた。
 もちろん、神聖な式典の最中に下痢という情けない理由で体を震わせ放屁をし、独りで場の統率を乱している――そんな彼女の存在が不愉快なものであることに変わりはない。が、それでも彼女の苦しみは深く共感できうるものであった。下痢をしているにも関わらず、恥ずかしくてトイレに行くことができない。……その気持ちは痛いほどよく解るからだ。

(勇気出してよ。本当に、このままじゃ漏らしちゃうよ……っ!)
(ほんとつらそう……きっともう限界なのね……)
(……もう見てられない……)
 実際、周りの少女たちの多くも、彼女と同じ状況に陥った時に堂々とトイレに行ける自信はなかった。
 やや状況は異なるが、授業中に下痢をもよおしながらも便意を訴える勇気を出せず、休み時間まで必死に我慢した経験のある少女も少なくはない。
 高貴で慎み深いお嬢様たちは、やはり普通の女の子よりも羞恥心が強いのだ。
 今は清楚な姿で甘い香りをまとっている彼女たちだが、誰もがおなかを壊し、ドロドロに溶けた下痢便を排泄してしまった苦い経験を持ち合わせている。下痢をしている時の腹痛と便意の激しさ、それを我慢することのつらさを知っている。
 だから、哀れな少女は、その行為の汚らしさにも関わらず礼徒の子女たちの同情対象となれたのだ。

(もう……。はやくおトイレに行ってきなさいよ……!)
 しかし、依然として彼女の下痢を咎め続けている生徒の姿もあった。
 一人挟んで彼女の真後ろに立っている、すらりとした体躯のひときわ美しい少女――凛堂朝香である。
 少女の異常に気付いた時から彼女は不快と心配が入り混ざった切ない表情を見せていたが、今でもそれから不快の要素は少しも消えてはいなかった。
 とは言っても、朝香は決して心の冷たい少女というわけではない。
 彼女は潔癖症なのだ。大便というものを病的に忌避している。幼少期に母親の実家でぼっとん便所に落ち、幼い心に強い恐怖を塗り付けられたのが原因だった。彼女は今、いつ目の前にそのおぞましい汚物が現れるか分からないこの状況に、脅えているのだ。

  ……キュルゥゥグウウゥゥゥゥッ……
 静寂の中、再び大きく苦しげな腹のうなりが響く。
 少女の肛門から放たれた濃密な屁の臭いは、すでに朝香の鼻腔にまで達してきていた。間に立っている娘は鼻を曲げていることだろう。
(早くおトイレ行って……お願いだから……!)
 朝香は両足で床を強く押さえつけ、ひとり激しい心の不快に悶えていた。
  ……プッ……プスプス、プス…………ピプゥ……ッ……
(やだもう……ひどい臭い……早くおトイレに行ってっ)
 下痢に苦しみ放屁する惨めな少女の存在を、軽蔑にも近い想いでひたすらに拒絶し続ける。
 下品な理由で下品なことをしている少女の存在が、朝香は嫌で嫌でたまらなかった。

 と、その時、それまで生徒の方を睨み続けていた音楽教師が、ようやく顔の向きを変えて鍵盤へと手を伸ばした。
 ……だが、それと同時に。

  プウゥゥッ!!

 最悪にも、再び大きなおならの音が体育館中に響いたのである。
 もちろん犯人が誰かは言うまでもない。下り腹の少女は、頬を真っ赤に染めてぶるぶると震え続けていた。
「誰ですか!? さっきから……下劣な行いを繰り返しているのはっ?」
 再び動きを止めた音楽教師は、今度は椅子から立ち上がって生徒たちを大声でどなりつけた。
 固く握った両手をわなわなと震わせ、完全に激昂している。少女の二回目の派手な放屁は、まさに最悪のタイミングであった。

「あのようなことをして!! 礼徒の子女として恥ずかしくないんですかっ!!?」
 音楽教師がヒステリックに叫び続ける。
 犯人を知っている――犯人の周囲に立っている生徒たちは、みな重い表情でうつむいている。
 下痢少女は今にも泣き出しそうなほどに顔を歪ませ、目を固くつぶってやはりうつむいている。
 呼吸は荒く、震える両手はスカートの裾を握り、一回目の放屁の直後に正された背筋も、再び曲がり始めていた。今度はもう、その曲がりを正すことさえできないようだ。

(本当に恥ずかしい……、どうしておトイレに行くことができないの……?)
 朝香は顔をしかめ、いっそう不快げな眼差しを少女に送った。
  ゴロギュルグギュルルルゥゥゥゥーーッ!!
 その時、また少女のおなかが鳴った。これまででも一番激しい、本当に苦しげな音だ。
(――っ!?)
 その音が消えるやいなや、朝香は驚愕した。
 時と共に体の震えが激しくなってゆく眼前の少女。――その両膝が、突然がくがくと大笑いし始めたのである。
 いよいよ身体が限界を迎え始めたのだ。もう下痢を隠すどころではない。周りの生徒たちも驚き顔を上げ、目を丸くして少女の姿を見つめだした。
(や、やだ……先生気付いてください……)
 朝香はそれまでになく心を乱し、遠く体育館の隅で椅子に座っている担任教師を慌てて睨み付けた。
 もう本当にクラスメートが下痢を漏らしてしまう。そんなのは嫌だった。

(……あ、)
 すると、いきなり先生が立ち上がった。
 同時に朝香と目が合う。緊迫した表情。ついに自分のクラスの生徒の異常に気付いたのだ。
 まさか想いが伝わったのか、それとも単に遠目にも分かるほど少女の姿が露骨に異常なものとなっていたためか。
 ともかくこれで彼女はこの場を離れてトイレに行くことができる。正しい場所で大便を排泄できるのだ。
 朝香は張り詰めた空気の中に小さな安息を感じた。周りの少女たちも同じ心境であろう。

(早く……はやくおトイレに連れていってあげてください……)
 必死に目で訴えかける朝香。先生は早歩きでどんどんと近づいてくる。
 あと少し……あと少しでようやくこの重苦しい空気から開放されることができる。
 朝香は目の前の汚らわしさから逃れようとするかのように、先生の姿を凝視していた。

 ……が、まさにその直後、眼前の光景にそれまでにない異変が起こった。
  グルギュルギュルギュルギュルウゥーーーッ!!!
 おなかから物凄い音を鳴らしながら、少女がいきなりおなかを抱え込む姿勢を取ったのである。
 急な行動だったが、その震える手の動きには勢いがなく、腰から腹部へと這ってゆくような感じであった。
 それと同時に、がく、がく、と体の重心が下へと落ちてゆく。
 体が縮み、おしりが後ろへと突き出される。
(ちょ、ちょっと……!?)
 まさか、と思った瞬間。

  ブリッ!! グヂュグチュビヂビチビチビチビチビチビチッッ!!!

 濁りくぐもった音が、少女のスカートの中から激しく響きわたった。
 凍りつく朝香。ついにやってしまった。彼女は今ここで脱糞を始めてしまったのだ。圧倒的な便意の前にとうとう肛門が決壊し、直腸の中の下痢便が爆発的な勢いでパンツの中に溢れ出し始めた。
 下着越しにも関わらず、トイレでのそれのように激しい、まさに爆発のような脱糞の音。周りの生徒たちは絶句し、すぐ側まで来ていた先生も目を丸めて足を止めてしまった。

  ブリュブリュブリュブピッ!! ブピビチビチビチブポッ!
  ブリブリビチビチビチビチビチビチビチビチ!!
  ビュリュリュビチュブヂュヂュッ、ブリュビヂヂビチブーーーッッ!!
 物凄い勢いでパンツの中に下痢便がぶちまけられる音。野蛮で汚らしい大便排泄の音が次々と溢れ響く。
 ドロドロに溶けた黄土粥が下着から流れ出し、少女の震える両足をぐちゃぐちゃに塗り汚し始める。
 その両足は少女の人生でもあった。嵐のような噴射と放屁。三十分間にも渡った健気の我慢の、無惨な結末。限界を迎えて力尽きた彼女の肛門には、もう理性の叫びなど届かないことだろう。
 そして強烈な便臭が少女の尻から漂いだす。まさに下痢便の臭いだった。しかし変なものでも食べたのだろうか、臭さが普通ではない。腐りきった生ゴミのような、おぞましい異臭が辺りに広がっていった。

「……ゃ……ぁぁぁ……、ぁ……」
  ブリュリュリュブビリュリュリュリュリュッ!!
  ブピチュブチュブチュビチュッ! ブリブリッブピピブピブピッ!
 腹を抱えこみがくがくと震えている少女。その尻が止まることなく腸の内容物を噴射し続ける。
 滝のような勢いで少女の足を伝わり落ち、そのかかとからどろどろと床の上に流れてゆく下痢便。
 長時間の我慢で、直腸の中は溜まりに溜まった泥とガスではち切れんばかりになっていたのだろう。ひたすらに下痢を嘔吐する肛門。いまだ少女の脱糞は爆発的な勢いを失おうとしない。スカートの中からの爆音も依然激しく、とても下着越しとは思えない有様であった。

  ブジュジュブブーーー……ボタッッ!! ベタベタベタボトッ!!
 突然、少女の足元に下痢便の塊が落下した。汚物が大量すぎてパンツから溢れ出したのだ。
 後ろに突き出され震えているスカートの中から、ビチビチの水泥がべたべたと床に垂れ落ち始めた。
「ぅぅぅ……、っふ……!」
  ボタッ!! ブヂュビヂヂボトッ!
  ……ビヂビチビチベタッ! ……ブボッ! ボトトトトブリッ!
 まるで溜められた下痢便が重すぎてパンツが破れてしまったかのような、異様な光景。
 水泥は床に激突するたびに四方八方に飛び散り、辺りに茶色い飛沫をこびり付けてゆく。避け遅れた周囲の生徒たちの上履きや靴下にまで、下痢色の斑点が付着してゆく。
 少女自身のそれは白い生地の部分が斑点と化していた。下痢まみれになった両足、靴下、上履き。彼女の足元は悲惨な状態だった。眩暈のするような物凄い悪臭が漂っている。こんなものを三十分間も腹に留め続けた少女の苦しみは、いかほどのものだったろうか。

  ビュルッブチュチブチ……ブボボボボボポッッ!!
  プボッ……! ボトボトボト、……ボタッ、
「あぁ、ぁぁぁぁぁ……」
 激しいガスの放出を最後に、悪夢のおもらしは終息に至った。
 スカートの中からぽたぽたと泥を垂らしながら、少女が顔を覆って崩れ込む。

 ……周囲は呆気に取られ動けなかった。
 突然、暴発のように脱糞が始まり、すぐに勢いが弱まったかと思った瞬間には、もう終わっていた。
 誰もまだ、この惨事の酷さを把握できない。三十秒足らずの間にいきなり目の前が汚物だらけになったという、信じがたい現実。体育館の床というものに排泄物が撒き散らされている異常性。知っているものではあるけれども、本来こんな所で漂ってくることはありえない、濃密な便臭。
(…………っ)
(わ……、っぁ……)
 清楚な少女たちの多くは、あまりにも汚らわしいこの惨状をすぐには受け止められなかった。
 朝香も依然凍りついていた。見開かれたその大きな瞳には、未消化物混じりのドロドロの下痢便が確かに映っている。目の前の少女の肛門から出てきた排泄物であることも分かっている。なぜ彼女がこんな形で排泄をすることになってしまったのかも知っている。……だが、やはりその現実はまだ悪夢だった。

「うぅぅぅっ……ぅぅぅ、うぅ……っ」
 小さな体を切なげに震わせ、少女は静かに嗚咽を上げ始めた。
 その姿は絶望的に悲痛なものであった。無理もない。地獄のような便意と腹痛に襲われながらも、こんなところでは絶対に漏らせまいと必死の思いで我慢を続けてきたのに。結局、自分との闘いに負けてしまった。全校生徒の前で、それも式の真っ最中に、腸の中の汚物を全て下着の中に出してしまった。脱糞に伴う恥ずかしい音を聞かれ、自身の排泄物を見られ、そしてその臭いまで嗅がれてしまった。
「ひっ……うぅっ……う……ううぅぅぅ……っ……!」
 耐え難い羞恥と自己嫌悪、さらには罪悪感。
 絶対にやってはいけないことをやってしまった。犯罪者も同然。もう礼徒の子女ではいられない。
 あらゆる負の感情が渦巻き、昨日まで美しかった少女の、その清楚な心をめちゃくちゃに荒し傷つける。
「……ぅぅぅあっ、ぁぁっあっ……!」
  プリッ……ブリビュリビュリ……ビピ……ッ……
 やってしまったという自覚。死にも等しい絶望に心を締め付けられ、少女は大粒の涙を流し続けた。
 その緩みきった肛門からはさらに微量の下痢便が漏れ出てゆく。もう括約筋が機能していない。
 下痢便を垂れ流して泣いている女の子。あまりにも惨めで、可哀想な姿であった。

「ちょっと、どなたか紙、トイレットペーパー持ってきてくださいっ!」
 と、それまで少女のすぐ前方――朝香のクラスの列の先頭で立ち止まり硬直していた担任教師が、はっとしたように後ろを振り向いて叫んだ。
 すぐに椅子に座っていた教師の内の何人かが立ち上がり、互いにわずかな会話を交わしたかと思うと、一人は体育館横の扉を開けて外に駆け出し、残りの数人が駆け寄ってきた。
「あなたたち、目を伏せてなさい!」
 担任教師が周りの生徒たちを見回して叫ぶ。すぐに走ってきた教師たちが到着し、下痢少女の四方を囲んで立ち、覆い包むようにして両手を伸ばした。
 惨めに汚れた少女の姿と、その足元に広がった汚物の沼を隠そうとしているのだ。それは少女の名誉をこれ以上傷つけないためでもあったし、礼徒の子女に汚らわしい光景をそれ以上見せないためでもあった。

 間もなく、紙を取りに行った教師が走って戻ってきた。トイレットペーパーを両手に持てるだけ抱え込んでいる。
 そしてさらに増援の教師が三人、四人と呼ばれてきて少女と汚物をより厚く取り囲み、その中で担任教師と他何人かがペーパーを巻き取って彼女の汚れた足を拭き始めた。
「とりあえず、保健室まで床を汚さず歩ける程度に、綺麗にできればいいですから……」
「足を拭いてあげて、それから靴下と上履きは脱がせるとして、下着はどうしましょう?」
「……できるだけ早く保健室に連れて行ってあげたいので、それはこのままで」
 教師ならではの落ち着いた会話が漏れ聞こえてくる。
 その直後に、また別の教師が青いポリバケツを持ってやってきた。
「これ、ゴミ箱がわりに……」
「はい……どうも」
「紙、足りますか?」
「じゃあ……あと一つ二つ、念のために」
「分かりました」
 それを最後に、教師たちの会話は途絶えた。
 黙々とした作業が続けられてゆく。彼女たちの口から慰めのような言葉は出なかった。輪の中から聞こえてくるのは痛ましく泣き続けている少女の声と、ペーパーをちぎるビリビリという音、そして紙同士が擦れ合う時のカサカサという乾いた音のみであった。

 ……生徒たちはただ黙ってその様子を見つめていた。
 爆心地のごく周囲にいて輪から離れるよう指示された者を除き、誰も自分の場所を動こうとはしないし、もちろん声を出そうともしない。しかし、止まっていた時が動き始めたことで心の方は麻痺から脱しつつあった。
(……あの子、本当にやっちゃった……)
(最低……信じられない……)
(……かわいそう……きっと、必死の思いでガマンしてたのに……それなのに……)
(くさすぎ……腐ったものでも食べたの……?)
(だから、おトイレ行けばよかったのに)
(わたしのくつした、汚されちゃった……)
(なにこの臭い……どうしてこんなにくさいの……?)
(……いくらゲリだからって、ウンチもらしちゃうなんて……最低……)
(くさい……気持ち悪い、吐きそう……)
 ある者は脅え、ある者は非難し、いずれにせよ茶色くおぞましい感情に取り付かれていた。
 吐き気をもよおすほどに強烈な悪臭が辺り一面に立ち込め、何人かの少女は実際に顔を青くしていた。
 飛び散った下痢便で靴下や上履きを汚された者も数名。爆発時に彼女の真後ろにいた少女にいたっては、茶色い斑点で靴下がまだら模様となっていた。これはもう捨てるしかないだろう。
 もちろん、式の方は完全に中断されていた。音楽教師は激怒を通り越して無表情になっていた。
 全校生徒のほとんどが猛烈な悪臭に顔をしかめ鼻をつまむか手で覆い、複雑な視線を後始末の輪へと注いでいた。

「すみません……ちょっとお手洗い行ってきていいですか……」
 一人の少女が先生にそう尋ね、許可を得てトイレへと走って行った。
 爆心地の右斜め後ろにいた少女である。顔面蒼白になり、皺ができるほどに表情を苦しげに歪め、手の平で鼻と口を押さえ込んでいた。トイレで何をするかは言うまでもないだろう。

(……我慢、できなかったのね。……可哀想に……、でも……)
 その中にあって、朝香はひときわ重い嫌悪感を味わっていた。
 苦々しい表情で輪から顔を背け、顔面蒼白になって鼻と口を手で覆っている。
 しかしそうしていても、眼前の床から立ち上っている強烈な悪臭は止むことなく鼻腔へと流れ込んでくる。普段自分が大便をする時でさえ便臭を嗅ぐことを拒み、水を流しながら排泄を行う朝香。普通の大便のそれなど非ではない猛烈な下痢便の臭いに嗅覚を冒され続け、肉さえ悶えんばかりであった。
(やっぱり、なさけないとしか言えないわ……六年生にもなって、おトイレに行けず漏らすだなんて……)
 目の前の恐怖から逃れようとするかのように、心の中で苦い想いを吐き出す。
 鼻のねじ曲がる悪臭に加え、彼女の足を下痢便が伝わってゆく光景が目から離れなかった。下痢色に染まった靴下や上履き、彼女の周りに広がる汚物の海――惨状の全てが、朝香の目に焼きついてしまっていた。
 惨事の間、朝香は目を見開いたまま固まってしまっていた。見たくなどないのに。目が離れなかった。
 まるで、テレビで恐ろしいホラー映画を観た日の夜のような気分。見なければよかったという後悔。忘れたいのに忘れられない。そして悪夢を見るのだ。
「はあ……っ……」
 重く苦しげなため息。
 朝香は前髪を払って額を押さえ、静かに悪臭に悶え続けた。


 ……それから五分ほどが経ったが、まだ輪の中の作業は終わっていなかった。
 足の汚れがかなり酷かっただけに、拭き取るのに時間がかかっているようだった。途中で何か大きな動きがあった時はあと少しかと感じられたが、それからもう二分は経っている。
 その間に、また一人青ざめた少女がトイレへと走って行った。さっきトイレに行った娘は戻ってこない。
 悪臭にやられたのは、やはり彼女のすぐ近くに立っていた少女である。普通でない異臭が辺りに充満していた。

  ブビブピピブビッッ!!

 いきなり、輪の中からおならの音が響いた。相変わらず肛門が緩みきっているようである。
 もはや礼徒の誇りも何もあったものではない。そこら辺の公立小学校でもまず考えられないような、恐ろしく下品な光景が展開されていた。
「もうすぐ終わるからね……」
 担任教師の声が聞こえた。
 声に精力がなく、疲れきっているのがはっきりと分かるものだった。無理もない。
 輪の周りの生徒たちも濃密な腐敗臭を吸い込みすぎて疲弊し、もう立っているだけでもつらそうだった。みな総じて顔色が悪くなってきている。朝香にいたってはふらふらだった。まるで毒ガス中毒のような有様だ。

「……はい、終わりました。……それじゃ、保健室に行きましょう」
 言葉通りそれからすぐに、ついに作業の完了が宣言された。
「すみません。それでは、あとをお願い致します……」
 言葉と共に、担任教師が少女の手を引いて輪の中から出てきた。
 その瞬間、輪に隙間ができ、中の様子――床に撒き散らされたままのドロドロの下痢便と、その傍に置かれた黄土色の上履きの姿が見えてしまった。もはや魔境であった。後始末に使われたトイレットペーパーは量が多すぎてバケツに入りきらなかったらしく、上履きの横に茶色く染まった紙くずがうず高く積み重ねられていた。
 少女は両足共に裸足になっていた。肌が見えないほどに塗りたくられていた下痢泥が、ものの見事に拭き取られている。汚れたパンツはおそらく穿きっぱなしなのだろうが、少なくとも見た目は綺麗になっていた。

 そして彼女は終始うつむき肩をひくつかせながら、先生に腕を引かれて体育館から出て行った。
 それから少しして、輪を作っていた教師たちも元の席へと戻っていった。
 ……露になった輪の中は一変していた。床の上にはペーパーが何重にも重ねて載せられ、彼女が出した汚物は完全に覆い隠されていた。床の掃除は時間がかかりそうなので後回しにしたようだ。バケツと紙くずの山までペーパーで覆い包むという徹底ぶりは、さすが礼徒の教師陣であった。

「校歌は歌えませんでしたが、式次の大筋は消化しましたので……これで始業式を終わりと致します」
 その後一分も経たない内に、副理事長――教頭先生がマイクを持ってそう宣言した。
 ついに悪夢のような始業式が終わったのだ。事実上の中断。文字通りぶちこわしである。
 実際は、彼女が下痢を漏らしてからまだ十分も経っていない。が、多くの生徒、そして教師たちにとって、それは始業式それ自体をも超えるほどの長い時間として感じられていた。

「それでは、まず六年A組から、退場してください」
 間を入れず、朝香たちのクラスが最初に退場するよう指示された。
 普通は低学年からのはずなので、異例の措置であった。
 理由は説明されなかったが、おそらく事故現場の周辺から一刻も早く生徒たちを隔離したいのであろう。
 何事にも美しさを求める礼徒に於いて。式典中に生徒が大便を漏らしたなどという事実は、やはりあってはならないことなのだ。それでも起こってしまったことは取り返しがつかないから、いま重要なのは一刻も早く生徒たちの記憶が風化することであろう。そのためにはもう、一秒さえ長く彼女たちの瞳に惨状を吸い込ませておくべきではないのだろう。

(やっと教室に帰れる……)
(早く外に出て深呼吸したいな)
(だいじょうぶかな……明日からもちゃんと学校に来れるかな……)
(わたしまでゲリしちゃった……早くおトイレ行きたい……)
(疲れちゃった……)
(早くして……吐きそう……)
(……よかった……もうくさいのはいや……)
 そんな大人の事情を知るよしもないA組の少女たちは、先生の指示を聞いてただ安堵していた。
 ため息をついている者も多い。ついに地獄から帰れるという発想。みな、一刻も早くこの異常な悪臭から逃げたかった。清浄な空気を吸いたかった。長時間にわたって毒ガスに体を包み込まれ、少女たちの肉体は限界を迎えつつあった。
 ほとんどの者が顔色を悪くし、口に手を当てているものも珍しくなかった。
 痛ましい光景。まさにクラスメートの一人一人が、彼女の排泄行為の犠牲者であった。
 彼女たちが逃げるような早足で体育館から去っていったのは、それからすぐのことだった……。


<2> / 1 2 / Novel / Index

 二時間目に割り当てられていた学級活動の時間は、完全な自習となった。
 担任教師が事件の後始末に追われ、教室にいるどころではなかったのだ。
 沈んだ空気の教室。生徒たちはクラスメートの下痢おもらしについて静かにささやきあっていた。

「でも本当にびっくりしたよね……」
「……うん。おなかを壊してるんだなっていうのはずっと分かっていたけど」
「いきなりだもんね……最初、何かと思ったよ……」
 本来ならば口にしたくもない、汚らわしい惨事のはずである。
 しかし、彼女たちのひそひそ話は教室中から聞こえてきていた。
 多くの者にとって、同じ年の少女、それも顔や名前まで知っている同級生のおもらしを見たのなど、今回が始めてである。しかも小便ではなく大便。それも物凄い下痢便。――女児たちはその事実の異常性に、子供らしい好奇心を刺激されてもいたのだ。

「――それにしても、ほんと……すごい臭いだったよね……」
「うん……気持ち悪かった」
「腐ったものでも食べたんじゃないかなあ……? それならおなか壊したのも分かるし」
「あ……わたしと同じこと考えてる……」
 彼女の脱糞は何もかも異常なものだったが、殊に大便の臭さが異次元的であった。
 その物凄い臭いは文字通り毒で、すでに式典中の二名、体育館から出るなりトイレに駆け込んだ者一名、そして教室に着いてからトイレに行った者一名、――合計して実に四名もの生徒が、彼女の肛門から出てきた未消化物のあまりの臭さに胃を乱され、朝に食べたものを便器の中にもどしてしまっていた。内二人はまだ保健室から帰ってこない。教室に戻ってきた二名も、まだ横になっていた方が良かったのでは……と思えるほどに青ざめてぐったりとしている。
 生ゴミの詰まった袋を一週間放っておいてから開封したかのような、異常な質の悪臭だった。基本的には硫黄や腐った卵を連想させるような下痢便独特の臭いであったが、確実にそれを超越した何かがあった。暴力的な悪臭。自分と同じような姿かたちをした同級生の体からあのようなものが出てきたという事実が、少女たちには信じられなかった。

「わたし、まだちょっと信じられない……」
「うん。分かる……」
「何の音かと思ってふりむいたらあれだもん……」
「……わたしが見たときはもう……床、ぐちゃぐちゃだった」
「足もすごかったね……」
「やだ……思い出させないでよ……」
 もちろん汚物の臭いだけでなく、そのドロドロとしたおぞましい形状も、彼女たちの感情を煽り立てるものであった。
 まさに下痢といった質感の、ビチビチの水泥。わずかに混ざった未消化の食べ物のかけら。トロトロと足を流れ落ちてゆくお粥のような物質。それがさらに床へと広がってゆく。――クラスメートの排泄物。

「……でもほんと、すごかったね……あの床とか、誰が掃除するんだろ?」
「先生じゃないの?」
「……先生かわいそう」
「あんなの掃除するなんて、地獄ね……」
 彼女たちの多くは同情を感じていたが、やはり相応の嫌悪や軽蔑も感じずにはいられなかった。
 やはり大便おもらしである。彼女たち同級生はもちろん、先生、そもそも学校自体が事件の被害者であった。
 会話の内容に、どうしても彼女の下痢を侮蔑する表現がちらほらと表れてくる。

「……凛堂さん、大丈夫?」
「ううん、あまり……」
「頭が痛いの?」
「うん……」
「吐き気とかは?」
「それは、だいじょうぶ……」
「……そう……もし何かあったら言ってね」
「ありがとう……ごめんなさい」
 朝香は教室の端の机にぐったりと上体を預けていた。
 胃腸が強いおかげで吐き気などは無いが、とにかく頭痛が酷い。もう少し重くなったら、保健室に行くかもしれない。

「――さん、かわいそうだったね……」
「うん……でも、ちょっと恥ずかしすぎるよね……」
「六年生にもなってねえ……可哀想だけど、やっぱり軽蔑しちゃう、かな」
「いくらなんでも、トイレに行けないでおもらしなんてねー」
 そして続けられてゆく会話。

「そういう言い方、やめようよっ!」
 そんな中、クラスのどこかから強い主張の声が聞こえた時のことであった。

  ガラガラガラガラガラ……
「あ――」
 三十分ぶりに先生が教室へと戻ってきた。その苦い表情は事件当時のままであった。
 同時に、クラス中がしんと静かになった。歩き回っている者はいなかったから、もうそれで完全に授業中の雰囲気であった。この辺りはさすがに礼徒の子女たちであった。

「――さんの、ことですが……」
 先生の声はよく聞こえなかった。元々声の小さい人だったが、今日はいつにもまして聞き取りづらい。
 やはりだいぶまいっているようであった。今まで彼女の猛烈な下痢便臭を吸い続けていたのだろうし、何よりも自分のクラスの生徒が下痢を漏らした――礼徒の子女としてあるまじき失態を演じてしまったというのは、教師として責任を問われることにもなるであろう。
「朝からだいぶおなかの具合が悪かったようです……理由は分かりませんが、本当に酷くおなかを壊していて……」
 先生は開口一番に少女の下痢について説明を始めていた。言葉を選びながら話している感じだった。
「……それで、式が始まってすぐ、もよおしてしまって……、それでも、ずっと我慢していたそうなんですが……下痢ですから、やはりどうしても我慢できなくなってしまって…………それで、ついに失敗してしまったそうなんです」
 淡々と事実が述べられてゆく。そんなことはクラス中の誰もがすでに知っていた。

「本当に、下痢でどうしようもなかったそうです。みなさんは、あのことを恥ずかしく汚いことだと感じたかもしれませんが、本当に下痢が酷いときは、自分でどうにかできるものではありませんよね……。みなさんも、おなかを壊したことはあるでしょうから、わかると思います……」
 そして先生の話は、案の定、彼女を擁護する方向へと向かっていった。
 下痢だから仕方がなかったと言うことである。「おなかを壊したことはあるでしょうから」と先生が言った時、何人かの少女は急に恥ずかしそうな表情になって頬を赤くした。何やら思い当たることがあるらしい。

「今日は腹痛が酷いのでこのまま早退することになりましたが、やはりだいぶショックを受けているようです。みなさんも、もし自分が同じ立場になったらと、考えてみてください。ですから、彼女がおなかを治して今度登校してきた時は……」
 結局、同情してあげてください、いじめないであげてください、と言いたいようであった。
 しかし、それはほとんど杞憂であった。こんなことを理由にし、面と向かい他人を嘲るような生徒は、この学校には存在しないはずだからだ。もちろん、心無い愚かな因子が存在しているのも事実だが、しかしそれは少数であろう。先生もそういった礼徒の誇り高い空気は分かっているはずなのだが、困惑しきって必要以上に心配性になっているのだろうか。あるいはごく少数への釘刺しかもしれないが。
 もちろん彼女が元通りにクラスの中での存在を取り戻すのはそう簡単ではないだろうが、結局それは彼女自身の努力次第ということである。

 それから幾度も似たような内容が繰り返され、先生の話は終わった。
 その後は何事もなく、淡々と始業式の一日が流れていった。もう誰も事件のことを話題に出さない。体育館の惨事それ自体が存在しなかったかのような有様であった。

 次の日から、下痢を漏らした少女は学校に来なくなった。
 やはり、あれほどのことをしでかしておいて、平然と学校に戻ってくるのは難しいようだ。
 いじめないだの受け入れるだのの以前に、本人が学校に来ないのではどうしようもない。無理に来させることはもちろんご法度なので、彼女の同級生たちは、いわば消極的にクラスメートの復帰を待ち続けることになった。少女は暗い性格で親しい友達がいなかったので、彼女を積極的に励ませるような者はいなかった。

 そうして、彼女の起こした事件とその本人の記憶は、根本を残しつつも、表層は徐々に風化していった。
 体育館の床も徹底的に掃除され、もうどこに下痢便が撒き散らされていたのかも分からなくなった。
 結局、あの日の事件はなかったことにされたのである。

 ――消し去られた悲劇と消えたヒロイン。
 学校中に悪夢を見せたその茶色い悲劇は、このようにして結果的には穏やかな終末を迎えた。
 しかし礼徒の子女たちが得た平穏は、あくまで一時的なものにしかすぎないのかもしれない。
 またいつ新しい悲劇のヒロインが生まれるかも分からないし、誰もがその悲劇のヒロインになる可能性がある。また何人かは程度の差こそあれ、すでになったことがあるだろう。

 下痢という病は、本当にいつ誰の身に起きるとも分からないものだ。
 そしてそれはまた、その潔癖症ゆえに病的に排泄を忌避する一人の少女、凛堂朝香にとっても同じことである……。


- Back to Index -