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静かな世界で。
「ママ――?」
目覚めると同時に、朝香はふんわりとそうつぶやいた。
「……おかあ、さま……」
が、すぐに訂正した。
その言葉は、すでに三年前に卒業したからだ。
(わたし……? どうして急に、ママだなんて……)
同時に戸惑いだした。
自分が小学六年生にもなってそんな幼い言葉を口にしてしまった理由も、またいずれにせよ母を呼んだ理由も分からなかったからだ。
何か夢を見ていたような気もするが、もう思い出せなかった。
ただ、体が温かくなっているのを強く感じた。何か優しく抱かれていたような気がする。
夢の中で幼くなって、母に抱かれでもしていたのだろうか――。
「あ――」
(そうだ……わたし、帰ってきたんだ……)
それからすぐにここが自室だと気付くと、その強い知覚に溶かされ、儚い疑問は掌上の雪のように消えた。
両手で力いっぱい体重を支え、傷付いた体をそっと起こし上げる。
広い部屋のあちこちに並んでいるたくさんのぬいぐるみ。幼稚園時代からのお気に入りのみみながうさぎさん。綺麗に使われて今でも新品状態の白い壁紙。毎日座っていた女児用学習机。可愛らしい薄ピンク色のカーテン。
――そう。ここは自分の家、自分の部屋だ。帰ってきたのだ。
(わたし……おなかめちゃくちゃになって……入院してたのよね……)
ぼんやりとした瞳で、今は薄暗い部屋の中を眺める。
時計は五時を指していた。外はどこまでも静かで、すぐに午後ではなく午前だと分かった。
同時に、昨日の午後に退院したことを思い出す。タクシーで家に帰って四日ぶりに母の手料理を食べ、それから懐かしい自室に戻ってベッドに横たわり、――そしてあっという間に安堵に包まれ、甘く深い眠りに落ちてしまったのだった。十五時間ほど眠っていたらしい。
(……腐った卵にあたって……下痢して……)
切ない表情でベッドの側にあるうさぎさんに手を伸ばし、そしてぎゅっと抱きしめる。
眠りなれた自分のベッドは気持ちがいい。病院のそれよりも、ずっとふかふかとしていて優しい。
(うさぎさん、嘘だって言ってくれる?……言ってくれないよね……)
こうして穏やかなぬくもりに包まれていると、あの悪夢は本当に一夜の悪夢にすぎなかったのかもしれない、とも思えてくる。
しかしゆっくりと覚醒してゆく意識は、あれが紛れもない現実であったことを朝香に教えていた。
(……ひどい下痢……水みたいなウンチが、まったく止まらなかった……)
入院してから三日三晩、鬼のような下痢が続いた。
完全にシャーシャーの水。内臓ごと外に出てゆくかのような壮絶な下痢だった。暴れ狂う腸と肛門。胃が潰れて腸が挽肉にされるかのような、気違いじみた内臓の苦しみ。朝香は泣きながら汚物を垂れ流し続けた。腹痛が酷すぎて、そうでなくとも体を動かす体力を喪失して全くベッドから動けず、入院中は常におむつが便器だった。特に初日から翌朝にかけての間が酷く、朝香は苦痛のあまり眠ることもできず、ほとんど一晩中うめきながらおむつの中へと排泄を繰り返した。……まさに地獄だった。
(あんなにおなかが壊れる、下すことがあるなんて……)
止まない下痢。二十四時間暴れ狂う大腸。二十四時間激痛を発する下腹部。
ようやく症状が快方に向かい始めた三日目の朝まで、朝香は本当に二十四時間常に肛門から水を出しているような感じであった。何回排泄をしたかなど想像もつかないし、おむつを替えてもらった回数も数え切れない。小六になってから四日前に至るまでの約半年の間にしてきた回数よりも多く、朝香はベッドの上で大便をした。
(……もうあんなのは二度といや……、もう、卵なんて二度と食べたくない)
ああいうのを本当にピーピーと言うのだろう。
今でも朝香はおむつをしている。退院できただけあっておなかはだいぶ落ち着いてきているが、まだ普通のパンツでは不安だ。
(食あたりなんて……。あんな地獄のような下痢は、もうぜったいに二度といや……!)
――悪夢の記憶。これ以上無いほどに言葉に忠実におなかを壊した朝香。
愛を求めるかのようにぬいぐるみを抱きしめ、唇を噛んで脅えと屈辱に打ち震える。
(……なにが……サルモネラよ……悪魔)
朝香の壮絶な食あたりは、サルモネラという食中毒菌によって引き起こされたそうである。肉や卵などで中り、激しい下痢と腹痛の症状を呈するらしい。――まさに朝香の症状だ。
ただ、朝香の場合はその症状の酷さや潜伏期間の短さが明らかに一般のケースと異なっており、国内でも診療例の少ない、限り無く亜種に近い珍しいタイプだったそうである。……よりにもよって、とんでもないものに中ったものだ。
「はぁ……っ……」
そして朝香は泣き声にも近いため息をついた。
その頬は冗談抜きにげっそりとし、顔色は蒼白くてまさに病人のそれであった。
体の節々がぎしぎしとしているのを感じた。痩せやつれているのが自分で分かった。
限界を超えた下痢、悪夢のような食あたりの結果、朝香の体重は事件のあった日の朝と比べ実に五キログラムも減っていた。下ろされた黒髪の艶が鈍っている。指先が乾いていて、目は大きく開かない。ただでさえ無駄な肉がなくて痩せ気味の朝香。今の彼女はガリガリである。
(痛い……動かない……まだ……)
さらに、左腕がじくじくと痛む。
点滴の痕があるのだ。入院と同時に始められ、退院の瞬間まで外してもらえなかった。
朝香の胃腸は、入院初日は流動食さえ受け付けなかった。そのため、たび重なる猛烈な下痢嘔吐で酷い栄養失調を起こした身体を守るには、点滴での栄養補給が必須だったのである。二日目からは何とか食べられるようになったが、やはり点滴は重要な栄養補給源として続けられた。
十五時間前に食べた母の手料理もおかゆなどの病人食である。いま消化力の要るものを食べたら戻してしまう。荒れに荒れた大腸同様、退院こそできたが、彼女の胃が真に健康を取り戻すにはまだ二三日はかかるだろう。
「…………」
ぬいぐるみを胸に押し当て、無垢な瞳でぼんやりと正面の白壁を見つめる。
(……おしりの穴、かゆい……)
わずかなのち朝香は右手をおむつの中に差し込み、丸いおしりの中央ですぼまっている肛門へと指を伸ばした。
すぐに湿り腫れた粘膜の感触を得ると、それを人差し指の先でくにくにと擦り始める。
「んぅぅ……」
痛がゆい――。
朝香の肛門は痔になってしまっていた。言うまでも無く、滝のように続いた下痢便垂れ流しの結果である。
排泄のたび看護婦たちはおむつを替え薬も塗ってくれたが、それでも入院中、彼女の穴が炎症を起こすのは止められなかった。わずか数日の間に、未消化の極みである極酸性の水便を大型ペットボトル十数本分も垂れ流したのだから、さすがにどうしようもない。物事には限度というものがある。
(ううう……おしりの穴がかゆい……なさけない……)
……むしろ、この程度ですんでいるだけでも、彼女たちに感謝すべきだろう。
肛門に関して、これよりも遙かに酷い痔獄を経験ずみの朝香にとっては、この程度の痛痒は可愛いものだ。
むずつく肛門。指が動くたびにひくひくと収縮する。
肛門を掻くという行為への羞恥で、朝香の白い頬はわずかに紅く染まっていった。
(食あたりなんて、すごくなさけないことで、たくさんの人に迷惑をかけて……本当に恥ずかしい……)
――それからまたため息をつくと、恥ずかしいおしりの穴の粘膜を刺激しながら、朝香は自答を再開した。
(……あの中等部のひとにも……)
なぜか、悲劇の日にトイレで出会った中等部の少女のことを急に思い出した。彼女は朝香の入院中にお見舞いにやってきたのだ。入院生活三日目、退院前日の夕方のことである。
確か、ベッドの側で自己紹介などをしていた。が、そのとき朝香は脱糞の最中であったため、迷惑以外の何物でもなかった。もちろん垂れ流しを途中で止めることなどもできない。やつれた顔を他人に見られたくもなかったため、朝香は布団を頭までかぶり、外から真剣そうな声が聞こえてくる中、羞恥に悶えながらおむつの中にピューピューと水便を放ち続けることになった。
やがて、看護婦が病室にやってきておむつ交換の旨を告げると、彼女は慌てて帰っていった。
救われた思いだったが、おむつを使っているということを知られたわけで、これもまた恥ずかしい。わざわざお見舞いに来てくれたことは感謝すべきだろうが、正直、もう会いたくない。――ただ、花瓶に挿していってくれた一輪のカーネーションは気に入ったので、これだけは嬉しい。
……ちなみに、優美は本当は一日目の夕方にすでに来ていたが、事実上の面会謝絶で追い払われた。
もちろん朝香はそのことを知るよしもない。
(本当に恥ずかしい……わたし。食あたりで……下痢で入院していたなんて……)
優美の記憶を頭から追い出そうとするかのように、羞恥の理由をすり替える。
他にも色々な人が来たような気がするが、こちらは不思議とあまりよく覚えていない。優美の記憶だけが強すぎるからだろうか。お花や果物などはどんどんと増えていったようであるが。
(恥ずかしいよ……!)
いずれにせよ、羞恥。
身体が震え、目尻に涙が浮かび始める。
(下痢を漏らしてしまったことも、お父様に、お母様に、みんな知られて……)
朝香は目をつぶり、細いふとももを擦り合わせ、今は力が入らない右手で布団をぎゅっと掴んだ。
(……本当に漏らしちゃったんだ……。わたしは下痢を我慢できなくて……電車の中で、人前でうんちをした。下痢のウンチを漏らした……六年生にもなって、それもウンチを漏らしちゃったんだ……)
今度は電車での悪夢が脳裏に再生されて激しい自己嫌悪に陥る。
(わたし、最低だな……最低。最低の人間。死にたい……死んじゃいたい……)
そしてカサカサになった唇を小刻みに震わせ、小さな肩をわななかせて痛ましく思い詰める。
しかし、すでに入院中に、心臓の潰れるようなこの回想をそれこそ何千回と繰り返してきたので、心の叫びこそ依然として過激であるものの、今はいくらか冷静に捉えられるようになっていた。
あるいは悲しみが麻痺してしまったのかもしれないが。
(もうやめよう……知らない。もう考えるのいや……)
ガサ、ガサ、ガサ……ファサ……
こうしているとどんどん思い詰めて胸が苦しくなってゆく。
朝香は再び眠りに戻ろうと思い、自己逃避的に布団の中へと上半身を潜らせ直した。
頭まで徹底して潜る。小さく可愛らしい身体を、高級感あるデザインの布団がすっぽりと包み込んだ。
そして再び静寂。
……バサッ!
(やだ……わたし……)
だが、一分も経たない内に朝香はいきなり体を跳ね起こした。
(……もうずっと、おふろに、入っていない……)
新しい不快感――全身が汗でべとべとになっていることに気が付いたからであった。
それは当たり前であった。朝香は事件前夜の入浴を最後に、もうまる四日間も体を洗っていないのだ。――その恥ずかしい事実を、今になって思い出したのである。
下痢があまりにも酷くて、入院中、朝香はとてもではないが入浴などできる状態ではなかったのだ。
もし無理してそんなことをすれば、浴室、最悪の場合は湯船が黄土色に染まってしまっていたことだろう。
(や……くさい……)
すぐに汗の臭さが強く感じられるようになった。
思春期を迎えた少女の発汗特有の甘ずっぱい臭いがすえて漂っているし、また、もう数年前から薄れ始めたはずのミルクのような幼い臭いまでもが、朝香の未熟な肉体から放たれていた。髪を撫でてみるとべったりしていることに気付く。
(だめ、ガマンできない。おふろに入ろう……)
ただでさえ大量の脂汗を……電車で我慢している最中はもちろん、その後の苦悶に於いても大量に垂れ流してきたというのに、それを全く洗い落としていない自分に鳥肌が立った。
……不潔。
今の腹具合同様、清潔好きな朝香にとって、普段ならば絶対的にありえないことだ。
朝香は一気に体を起こし、ふらつく足に鞭を打ってベッドから床へと降り立った。
ガタンッ!
「――っ!」
床の上に立つと同時にバランスを崩し、慌てて右手でベッドの縁を掴んだ。
足ががくがくと震えた。あまりに筋肉が力を失っていて、立っているだけでも一苦労なのだった。
まさに病み上がりの少女である。繊細で愛らしい肉体は下痢をしすぎて疲れきっていた。
グロロゴロゴロゴロゴローー……ッ
「ぅふ……っ!」
そして、言うまでもなく、まだ朝香の下痢は治まってはいない。
約十六時間ぶりにきた。便意だ。帰りのタクシーの中で脱糞して以来の、重い腹痛を伴う強い排泄欲求。
起床による心身の覚醒が、腸をも活性化させたのだろうか。
おそらく昨日食べたお粥である。さらにドロドロに溶かされて直腸へと流れ込んできた。
(ダメ、おトイレ……、もうおむつの中はいや……!)
もよおすと同時に、朝香は部屋の外へと急ぎ向かった。
これまではもよおすと同時に出していた朝香であったが、三日ぶりにそれを拒絶した。
おむつの中が濡れて温かくなるのは、もう嫌だった。
ゴロゴロゴロゴロ……ギュルッ!
「あぁあぁあぁ……」
しかし、まだまだそう簡単にはいかなかった。足がふらふらでうまく前に進めない。
便意に余裕があるのでトイレまで間に合うと考えたが、肝心の足が満足に動かせない。
――そうだった。この二階の自室に来た時も、階段を上れなくて母に抱きかかえて運んでもらったのだった。
「だめっぇぇ……おトイレ……」
おなかを抱えて情けない声を漏らしながら、へなへなの足に鞭を打って必死に前へ前へと進んでゆく。
いちおう、走っている状態であった。
内股中腰で、両手で肛門を押さえつつ、痩せこけた下半身をかくかくと動かして小刻みに歩を進める。
……その姿はあまりに無様で情けなくて、もはや滑稽でさえあった。
キュルキュルキュルキュル……
「あっあっあっあ……!」
プッ! プスゥゥーー、プウッ!
廊下に出ると、もう目の前にトイレの入り口がある。
しかし最悪にもそれと同時に便意が膨らみあがり、
ブッ! ブリリブリブリブリブリブリ!!
ビュブブブブブゥゥゥゥッ!! ブピッッ!
「あぁぁぁ……」
あっさりと、朝香は我慢できなくなっておむつの中に下痢便を排泄してしまった。
駄目な肛門。股の間に軟らかい泥の感触が一気に拡がり、おしりの下が重くなった。
ビュルルビュビュビューーーッ……
それからさらに完全に液化した下痢が音も無く溢れ出し、水粥便の隙間を埋めていった。
ああ、やっぱりまだおむつがないとダメだ……。
おしりの周りが暖かくなってゆくのを感じながら、朝香は唇を固めて赤面し、惨めな思いに震えた。
「……はぁ……っ……」
そして肛門が閉じると共に、尻肉に触れるぬるつきを感じながら力無くため息をつく。
いつのまにか朝香は足元に崩れ落ち、和式便器で大便をする時の姿勢でその場にしゃがみ込んでいた。
グゥゥゥーー……
(まだ出る……)
「んぅぅぅぅ……!」
しかし、それで非自発的な便意の噴出は収まったが、まだおなかの中に残便感があったので、朝香はさらに残りを出すべくおなかに力を入れた。
「んっ! んんはぁぁぁ……」
……ブッ、ブリュッ! ミュルミュルミュルミュルミュルッ
ミュルブリュリュリュプチュ……コポッ
ほとんど水に近い、しかし粘性を保ったゆるゆるのうんちが静かに溢れ出し、おむつの中身をかき回した。
肛門は熱い流体が飛び出てゆく感覚を強く感じているが、便が軟らかすぎて音は全く聞こえない。
最後に空気が潰れた音が、かろうじてかすかに耳に届いたぐらいであった。穏やかなおもらしである。
「っふぅぅぅ……」
ぐちゅぐちゅ、みゅちゅぅぅ……っ……
(やっちゃった……おトイレでおしり拭かなきゃ……)
パジャマの上からおしりを撫でてみる。
ドロドロの軟らかい排泄物がおむつの中一面に拡がっているのが分かった。
さらに肛門とたてすじの中間に手の平を当てて軽く押し上げてみると、泥が肌の上を舐め滑ってゆく感触を覚えた。水っぽい。ぐちゅぐちゅのうんち。おむつの底がたぷたぷとしている。
ゴポッ、クポポポ……プリュ……
わずかに放心したのち、朝香はふらりと立ち上がり、明かりをつけてトイレへと入った。
三日ぶりのガニ股歩きであった。
緩みっぱなしの肛門からさらにガスが漏れ出し、おむつの中から小さな破裂音が一つ二つと放たれる。
ガチャッ
早朝の暗く静かな廊下に、乾いた鍵の音が響く。
そのまま朝香はしゃがみ込み、まずはパジャマのズボンを脱いで個室の隅に置いた。
そして、おしりをほど良く床から浮かせると、ためらいなく両手でおむつを下ろし始めた。
「んぅぅぅ……」
するするという紙ずれの音と共に、痩せ細った白いおしりが姿を表してゆく。
あまりに中身を出しすぎて、抜け殻のようになった可哀想なおしり。
そしてすぐに、丸い双球の谷間にべっちゃりと付着している軟らかい黄土色も見え始める。
ひくひくと収縮を続ける肛門を中心に、前の方まで幅広く粥状の下痢便が塗りつけられていた。
おむつとおしりの間に茶色いぬるつきが糸を引いてゆく。言うまでも無く、おむつの中は下痢まみれだ。
(ぅぅ……くさい……。うんち……)
わずかなのちに、悪臭がむわっと漂いだした。
元がお粥なだけあってそれほど強烈なものではないが、やはり下痢便ならではのきつい未消化臭である。
入院生活二日目以降、朝香は無臭のお湯ばかり排泄していたので、この濃密な便臭はいっそう強く感じられた。
ブビッ!
「あふっ」
そして朝香の肛門。
痔を起こして恥ずかしく腫れている肛門、今は産み出してしまった下痢便にまみれている臭く汚らしい肛門から、下品なおならが放たれた。
プウウゥゥゥ〜〜
「っぁ……」
さらに粘膜が膨らみ、恥ずかしいおならが連発される。
無様に暴れる肛門。朝香のおしりの穴はこの数日を通し、常に惨めな恥態を晒し続けてきた。
意思に反して電車の中で開いてしまった情けない肛門。下痢に屈して公衆の面前で大爆発し、下着の中に下痢便をぶちまけた肛門。その後も汚物を垂れ流し、この四日間で山のような量の下痢を吐いてきた肛門。――この小さな穴から、全ての内容物が吐き出されたのだ。中を水にした大腸同様、下痢という悪魔から容赦なく陵辱を受けた。
(……早くおしり拭いて、早くおふろに入らなくちゃ……)
ガラガラガラガラーー、ビリッ
カサカサ、カサカサカサ……
朝香はすぐにおむつを脱ぎ捨て、その黄土色になった肛門を冷静に拭き清め始めた。
おもらしの後始末をしているのに、駅のトイレでした時よりもずっと平然としていた。
さっきのおもらしの直後におしりを撫でた時もそうだが、朝香は尻肉を排泄物が滑る感覚にそれほど嫌悪を感じなくなっていた。以前ならばありえない。――いわば、いくらか潔癖を喪失していた。この数日の間にあまりに尻を汚しすぎ、もう再生不能なほどに心の処女膜を犯しつくされたからだろうか。
……朝香は少し変わってきていた。
ガラ、ガラガラガラガラビリッ
カサカサカサカサカサ――
早朝の静かなトイレに、トイレットペーパーを巻く音と紙を尻に擦り付ける音とが交互に響いてゆく。
穏やかな後始末であった。
窓の外は青い世界が広がっていた。
朝香の家は東京郊外の静かな丘の上にあるので、外は本当に静かだった。
あえて聞こえてくる音は、新聞配達の自転車の車輪音と、時折外を通る車のエンジンの音ぐらいだろうか。
概ね静寂に包まれた早朝。時折遠くから聞こえてくるそれらの音に羞恥心を柔らかく刺激されながら、朝香は恥ずかしい作業を休まずに続けた。――新しい今日の朝を、新しい心で気持ちよく迎えるために。
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シャアアアァァァァァァーーーーッ
あれから約十分後、一階の浴室。
トイレでおしりを拭き終えた朝香は全裸になってタイルの上にしゃがみ込み、シャワーを肛門に当てていた。
大便をしたあとにおしりの穴を徹底的に洗う習慣。朝香は久しぶりにそれをするべく、体を洗うよりも先に肛門を洗浄し始めていたのだった。指でいじくる前にシャワーを当てて表層の汚れを洗い落とすこともまた習慣である。
シャアアアァァパシャパシャァァパシャ……
「はぁ……ぁあぁぁぁ……」
和式便器にしゃがみ込んでいる時と同じ姿勢。
おしりを丸めて肛門をつき出し、ノズルをすれすれまで近づけ、三十七度の水圧を敏感な陰部へとぶつけてゆく。
(おしりのあな……すごくきもちがいい……)
久しぶりに肛門を叩いてくるお湯の感覚に、朝香は恍惚として震えていた。
腫れた粘膜が柔らかい水流によって打ち揉まれるのが、わけが分からないぐらいに気持ちいい。
たまらず、朝香はいっそう激しくその恥ずかしい穴をひくひくと収縮させていた。皺が大きく蠢いている。刺激によって痔のかゆみまで発散され、その暖かさと相まり、まるで意識が天国に昇ってゆくかのようであった。全身が温もりに溶け、口元が緩んで閉まらない。疲れきった肛門が癒されている。――だから気持ちがいいのだ。
シャアアァァパシャシャァァァ……
(シャワーがこんなに気持ちいいなんて……きもちいい……)
一糸まとわぬ姿でひみつの乳首やたてすじを露にしている、甘く愛らしい少女の肉体。
つるつるの白い肌。細い四肢。薄い尻肉。膨らみかけの乳房。
ガリガリに痩せこけて汗の臭いにまみれていても、なお魅力溢れる未成熟な小学生の女の子の身体。
幼い薄桜色の乳首が、ぷっくりと湿り気をもって膨らんでいた。
シャパシャアァパシャァァパシャシャァァァ……
「……ぁ……ぁ……あぁ……」
チューチョロチョロチョロチョロ……
開放感のあまり尿口が緩み、朝香は腰を揺らしながら放尿してしまった。
いつしか大きく開ききっていた両ふとももの間――ぴっちりと合わさり一本のすじを描いている股肉の間から、勢いよく黄色い液体が飛び出してゆく。
朝香のおしっこ。ちょうどシャワーから出てくるお湯と同じぐらい温かい、少女の秘密の液体。
アンモニア臭を放つ恥ずかしいおしっこが美しい弧を描き、股下のタイルを次々と濡らしてゆく。
シャアアアァァァァァァァ……
「ぁぁ、ぁ……ぁぁ……」
(……おしりのあなへんになりそう……へんになっちゃう……)
瞳をとろんと潤ませ、ぶるぶると震えながら快感に悶える朝香。
口内で糸を引く唾液。汗まみれの身体から乳臭い少女の匂いを放ちながら、爪先を固めてぴくぴくと痙攣する。
全身が情愛に包まれ、体の中からも暖かさが広がってゆくのが分かった。
どこまでも気持ちの良い世界。眠りにさえ落ちてしまいそう……。
(……だめ……。おしりのあな、ちゃんと……洗わなくちゃ……)
けれど、いつまでも夢を見ているわけにもいかない。
朝香は放尿を終えるとすぐに蛇口を閉めてシャワーを壁に掛け、そして股を大きく開き肛門へと指を伸ばした。
じんじんと背筋が痺れている。その感覚に背徳を覚え、それを追い払うためでもあった。
「ん……っ、んん……」
グチュ……ッ……チュク……
指の挿し込まれている場所……朝香の丸いおしりの谷間から、湿り気のある音がくぐもり響き始める。
痔で赤く腫れている上にシャワーの刺激で大きく盛り上がり、朝香の肛門粘膜はつぼみが花開くかのように外に露出していた。そのぬるぬるとした繊細な秘所を、それ以上に繊細な指先で愛撫してゆく。
潔癖症にも関わらず、なぜかおふろでは肛門に触ることができる朝香。
大便を排泄した後はいつも肛門を洗いたい欲求が病的に強まり、背に腹を替えられないほどになるからだ。潔癖症が潔癖症を飲み込むのである。
……クチュクチュクチュッ……クチュ…………
「あれ…………」
――が、普段はそれほどに熱中するというのに、今はなぜか全くそんな気になれなかった。
それどころか、むなしさしか感じられなかった。
いつもは盲目的に、狂ったように肛門をいじくり乱し続けるのに、朝香はすぐに指を休めてしまった。
どういうわけか、燃え上がるような純潔欲求が生じないのだ。
石鹸を使っていないので、痔が沁みてひどく痛むというわけでもない。だいたい、普段なら痔になっていようが何だろうが石鹸を塗りたくらないと満足できないのに、今は平然と痔を理由に使用を控えてしまっていた。
(なんだろう……何かいつもと違うような気がする……。わたし、へんになっちゃった……?)
クチュ……チュクチュ……チュポッ……
尻を突き出し頑張って穴をこすり続けるが、やはりやる気が起きない。
いつもならシャワーだけでは絶対に満足できないのに、もう十分綺麗になっていると感じてしまえる。
指先の勢いからしていつものかき乱しとはまるで違うし、普段ならすぐに指の頭を第一関節まで肛門内にめり込ませるというのに、今は指の腹を当てる以上のことをする気になれない。
原因不明の感情の淡白。実は浴室に入った時からすでに感じていた。
(どうして……?)
恥ずかしい粘膜に触れさせたまま、指先を止めてうつむく。
なんだか急に頭がぼうっ、と重くなり始めたような気がする。
それが脳を揺らし、これ以上おしりを刺激したくない想いが膨らんでゆく。
何だか自分が変わってゆく。
少女の精神は困惑した。
グウッ!
「はぅっ!?」
しかし、その直後。
グウーーゴロゴロゴロォォーーッ!
(や、やだ……!)
またもやおなかが痛み始め、朝香は迷っているどころではなくなった。
下腹がぐうっとへこむ感覚。突然の水っぽい下痢便意である。
ブビビビッ!
「っ!」
(お、おトイレ――っ!)
便意はいきなり凄まじかった。
あまりの腹圧で、ほとんどもよおすと同時に肛門が緩み、中から熱いガスの塊が噴出した。
指に触れる肛門の形が変化する。
激しく収縮する粘膜を押さえなだめながら、朝香は慌てて立ち上がった。
ギュルギュルギュルギュルゥッ!!
「ぁ……ぁぁぁぁ……!」
だが、その瞬間に猛烈な腹痛が響き、朝香は再びしゃがみ込んでしまった。
同時に肛門がカッ、と灼熱に包まれる。
出る時の感覚。
(だ、だめっ、だめぇぇ……っ!)
即座にトイレまでは間に合わないと悟る。
しかしここはお風呂の中だ。おむつも穿いていない。
このままでは、むき出しの肛門から床のタイルに水便をぶちまけてしまう。
朝香はパニックになって周囲を見回した。――せめてはじっこにしゃがみ込もうかと考えた。
「――っ!」
すぐに、端に洗面器が置いてあるのに気付いた。
爆発一秒前。頭が白くなった朝香は本能的にそれを手繰り寄せ、肛門の下に滑り込ませた。
洗面器の中央が肛門直下と重なった瞬間、
ブシャビチビチビチビチビチビチビチブビッ!!
ブビチビチビチ! ビジュゥゥゥゥゥウ!ブボォッッ!!
大きく盛り上がった朝香の肛門から、大量の下痢便が物凄い音と共に噴射された。
クリーム色の洗面器の中が、一瞬で泥まみれの黄土色に染まる。
黒ずんだ固形物をわずかに含んだビチビチの液状便が、派手に撒き散らされた。
グウゥゴロゴロゴロゴロォーー……
「っぁあーー、……はぁー、はあーー……」
一気に大量を出したためか、早くも脱糞は途絶えた。
しかし便意と腹痛は依然として続いているため、朝香はおなかをさすりながら、さらに肛門に力を入れた。盛り上がった排泄口から黄色い便液がぽたぽたと滴り落ちる。
キュルルルゥゥ〜……ギュルッ!!
「うぅっっ!」
ブチュビチビチビチビチビチッッ!!
ビジャジャジャビジャブピッ! ブゥブブブブゥゥーーッ!
そしてさらに噴出。いっそう液化した便が洗面器へと叩き付けられ、野蛮な激突音が響いた。
激しく爆出した下痢便の一部が洗面器に収まらず、外のタイルに茶色い飛沫が付着する。
生臭い未消化の便臭が立ち上り、浴室の空気を冒し始めた。
「ん、んぅ、っぅぅう……」
ブピチッ!! ビチチビチブビッ!! プゥ〜ブビビッブビッ!
さらにおなかに力を入れると、残った水便がガスにまみれて飛び出した。
肛門粘膜が激しく振動し、水っぽい屁が連発される。つるつるの愛らしいおしりが汚く下品な音を奏でた。
「はぁーー……ぁ、……ふぅ……」
ブピッブピチブピピ、ブピ……、ブッ…………
幸いにしてそれで便意はほとんど収まり、それから軽く残便感を絞り出すと、朝香のおなかは落ち着いた。
痛みを伴う蠕動がゆっくりと治まり、大腸がすっきりとしてゆく。
「はああぁぁ……」
(やっちゃった……どうしよう、これ……)
股下に手を突っ込み、便器代わりにした洗面器をずらし出す。
想像通りのひどい汚れ。飛び散っていた。まるで下痢便を受け止めた和式便器のような、まさに便器に等しい汚れ方。
朝香は左手でおなかをさすりながら、涙目でため息をついた。
お母様にばれたら絶対にしかられる……。朝香は子供らしく脅えた。それも、よりにもよって洗面器に……。やってはいけないことをしてしまった。強い罪悪感が少女の胸を締め付ける。
(あとでにしよう……。今はとにかくおしりと体、きれいにしなくちゃ……)
しかし幸いにして両親が起きてくるまではまだ時間があったので、何とかばれずに後始末できそうだった。
とにかくまずは、また汚れてしまったおしりの穴を洗い、そして身体も綺麗にしよう。
朝香は悪臭を放つ洗面器をからっぽの浴槽の中に隠すと、再びシャワーを取って蛇口を回した。
「…………」
シャワーを肛門に当て終わった朝香は、痩せた尻肉を揉みながら悶えていた。
指こそそうしたがっているが、もはや全く肛門に挿入する気が起きないのだ。
(意味、ないよ……)
どうせまたすぐに汚れるのだと悟り、馬鹿馬鹿しくなっていた。
こんな想いは初めてである。この習慣が恒常化してから初めての本格的な下痢が、彼女に肛為の無意味さを悟らせることになったのだった。――肛門は大便が出てくる穴である。今のように重く下痢をしていれば、それこそ数時間以内に再び汚物まみれになるし、そうでなくとも、どうせ数日以内には必ず再び排泄物にまみれる汚い器官だ。
これまでの自分が、何だかものすごく無意味な行為をしていたように思え始めていた。
(そもそも、どうしてわたしはおしりの穴をいじくるんだろう……分からなくなっちゃった……)
何ヶ月にもわたって続けてきた習慣の拒絶。
すでにさっき肛門をいじっていた時点で止めたくなっていたわけであるが、その理由が、もうあの時点で無意味さを悟っていたからだと気付いた。
(紙でちゃんと拭いて、それでシャワーも当てれば、もう十分じゃない……)
もとより朝香は変わってきていた。
悪夢を通して何か達観を得たかのようだった。より具体的には、穢れに慣れてしまった。
やはり汚物にまみれたからだろうか。入院中に何十回とおむつの中に下痢便を垂れ流した朝香。おむつの中への排泄はすなわちおもらしであり、脱糞された排泄物は出元の臀部にべっちゃりと貼り付く。尻を犯す下痢便の感触を何十回と味わっている内に、彼女はそれをいちいち拒絶するどころではなくなったのだ。
(……そうよ。みんなだって……、普通は、紙で拭くだけ……)
――望まざるショック療法。病的な潔癖症がにわかに崩れ始めている。
大切な純潔部分は残したまま、無駄な外壁が剥がれ、空気へと溶け込みつつあった。
逞しくなった朝香。……これは、成長と言っても良いのだろう。
(……うん……)
実際、そうなのだ。
肛門粘膜までの洗浄は、真には脆弱な精神をごまかすための自己満足にすぎない。
意味の無い自己逃避であり、幼く愚かな少女的自傷である。
あまりに繊細すぎる心の歯車が、誤った摩擦を起こしながら、痛ましく空回りしている状態だ。
(……もう、やめよう。やめよう、こんなの……。おしりにさわるのは、もうやめる)
そして朝香は決心する。
なお肛門に触れたがっているわがままな右手をぐっと静止し、尻から浮かせて胸をぎゅっと掴む。
それまでの自分を喪失してゆくのは苦しいことだ。
しかし朝香はそのまま再びシャワーを出すべく蛇口へと手を伸ばした。
もうおしりは終わったから、身体を洗うために。
(恥ずかしいこと……やめるんだ……)
何かを振り払う。
――本当にもう、止めることにした。
シャアアアァァアァァァァーーー……
そっと立ち上がり、肋骨の浮かんだ細い身体にシャワーを浴びせ始める。
可愛らしい身長149センチメートル、白く柔らかい女児の肉体を、甘い水滴が流れ落ちてゆく。
シャアアパシャァァ……シャパシャアァーー……
「ぁぁ……」
おしり同様、四日ぶりの温水はどこまでも気持ちが良かった。
悩みから自身を解き放った喜び、そして肉体の快感に震えながら、朝香は優しい水圧に身をくねらせる。
汗の臭いを身にまとうほどに汚れているはずなのに、その身体はなお穢れなく美しく見えた。
どこまでもつるつるな肌。ガラス細工のように繊細な肢体。幸せに包まれてゆく。
卒業の時であった。
そして、
……パシャシャアァァーーシャパシャパシャァ……
ずきっ……
(っ……?)
この最中、朝香は下腹にわずかな痛みを感じた。
しかし、場所が腸ではなく、そして痛みの質も違った。
肛門に何も起きない。中身を出させる痛みではない。――不思議な痛み。じゅくじゅくとした鈍痛。
キュッ、
(なにかしら……これ……)
静かに戸惑い、シャワーを止めたのと同時だった。
「――!」
ふと顔を下ろした朝香は、痛みの理由を理解した。
――ふとももを、紅い液体が流れ落ちていた。
胸がとくん、と鼓動する。血だ。しかし外傷による出血ではない。すぐに、それが自分のたてすじの中から出ていることに気付いた。
……ずき、ずき、ずき……
「わ、わたし……」
朝香は恋するように頬を染め、切なく恥ずかしそうに目を細めた。
子宮の痛みと視界の朱。不思議と温かく混ざり合い、意識に溶け込んでゆく。
朝香はちゃんとそれを知っていた。保健体育の授業で習った。――生理だ。
(来たんだ……わたしも、始まったんだ……)
「せいり……」
あまりにも唐突。胸がどくどくする。愛らしく困惑しながら、朝香は自身の発育をつぶやいた。
(赤ちゃんが、産めるようになった……)
まだ実感がわかないが、生きる喜びのように本能的に、嬉しくそして恥ずかしかった。
ぽたり、と落ちた雫が、濡れたタイルに紅い色を広げてゆく。
悪夢を乗り越えた少女の肉体に、新しい輝きが宿った瞬間であった。まるで神さまがご褒美をくれたかのように。
(ど……どうしよう、お母様に報告しなければ……でも)
まだ体は汚れていて、浴槽の中にはいけないものを隠している。
なんだか急に忙しくなった。悪い証拠は隠滅しないといけないし、この奇跡を、美しい姿で報告したいとも思った。
(……まずは、体を綺麗にしなくちゃ)
しかしまずは、やはり体の汗を落とすことにする。
朝香は蛇口をひねり、再び瑞々しい全身へと温かいシャワーを浴びせかけていった。
痛ましく痩せこけ傷だらけ――しかしそれでもなお力強い少女の肉体。
いよいよ朝が訪れ、窓の外がどんどんと明るくなってゆく。
ガラス越しに輝く光に照らされながら、朝香の心もまた深い喜びに満たされていった――。
そしてちょうど外が陽の光に包み込まれた頃に。
身にまとわりついた汗を全て洗い落とし終え、朝香は甘い香りと美しい髪の艶を取り戻すことができた。
後始末は思っていたよりも楽なもので、洗面器はすぐに綺麗になった。
全てを終えた朝香が二階へと上がった時、ちょうど母親が起きてきたところだった。
「お母様。わたし――、生理が始まりました」
真っ赤になって告白すると、母は喜び、目の前の小さな――しかしもう子供ではなくなりつつある娘を抱き、そして頭を撫でてくれた。朝香は目を潤ませて甘えた。
やがて父も喜び、その日は朝から夜までお祝いになった。
一人の女の子が女児から処女になった記念の日。
朝香はこの一日を通して一気に回復し、夕にはお赤飯を食べられるようになり、同時に下痢も止まった。
そうして夜には暖かいベッドで穏やかな眠りにつき、朝香は幸せな結婚を夢に見た。
微笑みが月に映る天使のような寝顔。朝香は誰よりも幸せになっていた。
苦しみは終焉を迎え、全てが良い方向へと向かい始めた。
そして、最後に。
願いどおり、この日の朝が、朝香が指でおしりの穴を洗った最後の記憶となった。
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「まだ病み上がりなんだから、気をつけるのよ」
「はい。でも、もう朝香は大丈夫です」
流れるように穏やかな休息の日々がすぎ、三日後の朝。
純白のブラウスと清紺のスカートに身を包んだ朝香は、母に見守られながら玄関で新品の革靴を履いていた。
今日から学校に復帰するのだ。いよいよ日常生活が送れるまでに回復したのである。
お赤飯をたくさん食べ、激減した体重も元に戻りつつあった。頬はまだ少しやつれているが、これもすぐに元通りになるだろう。今朝の多めの朝食も、残さずに全て食べることができた。
美しさを取り戻した朝香。痔も治り、昨日の夜には健康な形ある便が出ている。
「体育の授業はしばらく見学ってお伝えしてあるけれど、もし大丈夫そうなら参加してもいいからね」
「はい――」
そして靴を履き終わる。
新品だけあって少し固く、それでやや時間がかかってしまった。
「替えのナプキンはちゃんとランドセルに入れたわね?」
「……はい」
まだ生理が止まらず、朝香は下着の中に生理用ナプキンを挟んでいた。
ときおり体の奥がじゅくじゅくと痛むが、特に気になるというほどではない。
「それではお母様。行ってまいります」
「行ってらっしゃい」
扉の外は一面の青空。開けると共に、爽やかな風の香りが流れ込んできた。
九月中旬の早朝。白いリボンに結ばれた黒髪が、秋の風を受け柔らかく空を舞う。
朝香は穏やかに微笑み、翼を広げるようにしてスカートの形を整えると、その空に飛び立つように玄関を出た。
駅までは歩いて五分。
午前六時半。まだ眠りから覚めない静かな街並を見つめながら、朝香はゆっくりと前に進んでいった。
両手をスカートの前で併せての、おしとやかなお嬢様歩き。
しかしその歩く速度は、こころなしか、駅に近づくにつれて遅くなっていった。
喜ばしく家を発った朝香であったが、やはり、不安がないわけではなかった。
(みんなに……どんな顔をして会えばいいんだろう……)
恥ずかしかった。
朝香が食あたりで入院していたということは、すでにクラス中に知られている。
それはすなわち、入院せざるをえなかったほどに激しい下痢をしていたと知られてしまったことに等しい。
清楚な子女が集う礼徒女子学院にあっても、なお自身の純潔さに誇りを見出していた朝香。
大便の排泄を推察されるだけでも恥ずかしいというのに、よりにもよって猛烈な下痢をしている自身の姿を、クラス中の脳裏に思い浮かばせてしまった。……本当なら、今でも穴に入り続けていたいぐらいに恥ずかしいのだ。
(きっと、おなかのことを聞かれる……やだな……どうすればいいのか分からない)
実際、朝香の家にはたくさんのお見舞いの電話がかかってきたが、彼女は恥ずかしくて出られなかった。
下痢をしてしまった自分。
クラス中から浴びせられるであろう心配の言葉が、すでに朝起きた時から怖かった。
(栗原さんも……きっと話しかけてくる……でも。わたしは……)
そして、大好きなひとのことを想い起こす。
あの悪夢のあった日、まだもよおしてさえいなかった自分の目の前で限界を迎えて下痢便を漏らしてしまった、もう一人の食あたりの犠牲者。
あの時、朝香ははっきりと彼女に幻滅した。
が、次に楓のことを思い出した時――すでに全てをやってしまっていた時、朝香はもう彼女の行為を軽蔑することなどできるはずもなくなっていた。
それどころか、申し訳なく感じた。本当に酷くおなかを下した時は、本当にどうしようもなくなることがあると、自身の地獄の様な我慢の果ての脱糞を通して理解したからである。下痢を漏らしてしまうのは真に可哀想なことで、行為者を責めるのは絶対的にあやまちだと分かった。今なら、始業式中に漏らした少女の気持ちさえ思い描ける。
楓からも電話がかかってきたが、朝香は恥ずかしくて出られなかった。
他の娘たちとは違い、楓は時間を置いて二度も三度も電話をかけてきた。
それでも朝香は出られなかった。全て親に適当な理由を告げてもらってごまかし逃げ続けた。
だから、今日学校で出会った時にどうすればいいか――どんな顔をすればいいのか、どんなことを話せばいいのか、何もかもが全く分からなかった。自分は楓の秘密を知っている。けれど楓は自分の秘密を知らない。それだけでも、気まずいことはこの上ない。
――しかし、それでも。
立ち止まることはできない。
これ以上篭り続けるわけにはいかないし、そして何より、久しぶりの学校はやはり嬉しいからだ。
(だいじょうぶ。わたしは、もう大丈夫だから)
きっとどうにかなるだろう。――どうにかしなければならない。脅えるわけにはいかない。
わずかに足を止めて深呼吸をしたのち、彼女は再び力強く歩き始めた。
駅はやはり閑散としていた。
東京郊外の小さな単線駅。切符売り場にも、駅の入り口広場にも、人の姿はほとんど見られなかった。
定期で改札を通過した朝香は、その静寂を心地よく感じた。
そもそも彼女がこうして早朝に家を出ることにしたのは、あの悪夢が起きたのと同じ時間帯の電車に乗りたくなかったからだ。満員電車に、人で溢れた空間に、朝香は脅えを感じるようになっていた。
何よりも、自分が下痢を漏らしたことを知っている誰かには、もう二度と姿を見せたくない。
朝香は静かにホームへの階段を上った。
ホームもやはり人はほとんどいなかった。
音の無い空間に、柔らかい風が吹き続けていた。
残暑の季節なのに、今朝は少し空気が冷たい。
朝香はそっとスカートを押さえ、ランドセルの中の教科書がかすかに揺れる音を感じながら、ホームの中央へと進んだ。
その様はどこまでも美しく、まるで空から人のいない世界に降り立った妖精のようであった。
物憂げな表情は気品に溢れ、すらりとした体躯は硝子細工のように繊細で透明感があった。
殊に美しく印象的なのは、切れ長の大きな瞳。透けるように白いその肌は、粉雪のような繊細な質感をホームの端からでも感じ取ることができた。純白のリボンで結ばれた艶のある黒髪が遥か彼方からの朝陽を受けてきらきらと輝き、この光の質感もまた早朝の雪の輝きと似ていた。
そして襟に紅いリボンが通された白いブラウスに紺色のスカート。――シンプルで清潔感のあるデザインの制服が、どこまでも隙の無い魅力をたたえている少女の肉体を、さらに高い次元の存在へと昇華させていた。
――朝香は完全になっていた。
もう消化器官があるのかどうかも疑わしい。
そして後になって、その美しさは、きっとこの瞬間のために取り戻されたのだと気が付いた。
「凛堂さん――」
「――っ」
後ろから声が聞こえた。
音色が身体に響いた瞬間、それが誰のものか分かった。
嘘。こんなことって――。
「良かった……元気になったんだね……」
動けずにいると、さらに言葉が重ねられた。
何も見ずとも、心からそのことを喜んでいるのが分かる声だった。
胸がとくりとし、喉はごくりと鳴った。
一陣の風が、音もなく二人の間を舞う。
「……どうし、て?」
「心配で、たまらなかったから――」
そして朝香が振り向くと、栗原楓がそこにいた。
細い身体、けれど朝香よりも逞しい四肢、そして栗色の短髪。
両手を胸に重ね、嬉しそうに、しかし恥ずかしそうに、頬を淡く染めていた。
朝香はすぐに胸の鼓動を隠せなくなった。
「すごく、心配したんだよ……」
再び動きを止めた朝香。その右手を、楓は両手でぎゅっと掴んだ。
久しぶりに見る憧れのひとの姿。同じ制服、同じ黒いランドセルも懐かしい。
「何度電話しても、出てくれなくて……」
美しい楓の顔はもう目の前にあった。憧れの楓は少し痩せていた。
「せつなかった……嫌われたんだって、思ったんだ……」
唇を動かせずに震えている朝香。
その大きな瞳を、同じぐらいに大きな瞳で見つめながら、楓は本当に切なそうにささやいた。
「昨日の夜、に電話したとき、今日から学校に来るって聞いて、がまん、できなくなって――」
その声と唇がにわかに震え始める。楓の無垢な眼が、潤い輝き始めていた。
「だから、ここで待っていれば、きっと会える、って、思ったんだ。だから始発で」
その暖かい手の平も震え始めた。
初めてふれる、意外と小さな楓の手。もしかしたら、自分のよりも小さいかもしれない。
「でも、ごめん……めいわく、だよね、こんな、わたしなんか……」
そして楓は口を閉じ、そっと手を離そうとした。
「そんなこと、あるわけない――」
それよりも早く、朝香は楓の手をぎゅっと握り返した。
同時にうつむいていた。恥ずかしいからだ。
今度は楓が唇を動かせなくなった。
一秒の静寂。
(あ――)
ふと顔を上げてしまった朝香は、恋する少女のような楓と目が合った。
泣きそうな、美しい瞳。
その瞬間、たまらなくなった。
「――っ!」
朝香は楓の身体にぎゅっと抱きついた。
「凛堂、さん……?」
楓は真っ赤になって戸惑いの声を上げた。
朝香は静かに泣き出していた。
「……たいへんなおもい……したんだね……」
楓も、目を細めそっと朝香の身体を抱き返した。
「わたしもずっと寝込んでてね……おととい、ようやく学校に行けて、それで初めて凛堂さんのこと知って……。本当はお見舞いに行きたかったんだけど、毎日、お医者さんのところに行かないといけなくて……」
小さく小さく泣き震える朝香の頭を、自身も泣きそうになりながら、楓はそっと優しく撫でてあげた。
お姉ちゃんがしてくれるやり方を真似していた。自分も震えながら、楓は話を続けた。
「ぅっ……ぅぅぅ……っ、……ひくっ……う」
楓の甘い吐息、甘い身体の匂いに情愛を刺激され、朝香は溶けるように優しさを求めた。
赤く腫れた眼をして、楓の肉体を求めた。右手を繋ぎ合わせたまま左手で楓の背筋を撫で、そして頬を楓の首筋に添わせ、薄い胸の肉を楓のそれにこすりつけた。楓の乳房は朝香のそれよりも少しだけ膨らんでいたが、それでもまだまだ可愛らしいものだった。殊に胸の中央は平板だったので、朝香は胸骨を何度も何度も楓のものと擦り合わせた。
そして、唐突に唇を動かす。
「……わたし……」
「なに……?」
「もう名字なんていや……楓さんって、呼んでもいい?」
「いいよ。わたしも、朝香さんって呼ぶね」
楓の身体は柔らかい。手の平も柔らかい。そして暖かい。手の平も暖かい。……すごくきもちがいい。
「でも、二人だけの時だけだよ」
「二人だけのひみつ」
いつのまにか、楓も左手を朝香の背に回していた。
二人の少女は互いを強く抱きしめ合い、まるで恋人同士のようだった。
「わたし、楓さんのことが好き……大好き……ずっと、こうしていたい……」
それから、ついに朝香は告白した。彼女は本当に恋人のつもりだった。
「わたしも、朝香さんのことが好きだよ」
「ほんとに?」
答えを聞くと同時に、朝香は目を輝かせた。
「大好きだよ」
「うれしい……」
楓が自分と違う意味で言ったことぐらいは分かっている。
それでも、十分だった。朝香はどこまでも満足して、それ以上は求めなかった。
「楓さんは、いい匂いがする……」
「――朝香さんも」
「わたしも……? どんな匂い?」
「甘い石鹸の匂いがする」
「楓さんは、優しいお母様のようなにおいがする」
「それは、朝香さんも」
「そ、そうかな……?」
「うん」
そしてまたいちゃつく。無垢な少女同士の甘い蜜月。
二人の声はどんどんと小さくこそばゆくなってゆき、ますます恋人同士のようになった。気付いたら朝香も楓も泣き止んでいた。もう誰も、もう何も――結び合う二人の中には入れない。
――そうして二人は、もはや誰もいない二人だけの世界で、いつまでも互いを抱きしめ合った。
熱く暖かい想いに震えながら、朝香は世界はそんなに変わらないものなのだと気付いた。
むしろ、本当に変わるのは、こういうときなのだとも。
「楓さん……柔らかかった……」
「……朝香さんも」
やがて電車が来ると、二人の少女は手を繋いだまま乗車した。
ガラガラの車内。数少ない乗客は小さな二人をやや珍しい表情で見たが、朝香はただ幸せなだけだった。
胸をくすぐる恥ずかしささえも心地がいい。楓と二人だと何でも気持ちがいい。もう何も怖いものはなくなっていた。
そして再び気付く。
楓と出会い、心が一つになった瞬間、自分の中の悪夢は本当に終わりを迎えたのだと。
「なんだか……わたし、眠くなってきちゃった……」
楓と二人なら、学校に行くのも恥ずかしくない。
そう感じると共に緊張が完全に途切れ、朝香は急に眠くなった。もとより無理をして早朝に起きた身だ。
「それなら、中里駅まで少し眠れば? 見守っててあげるから」
「ね、わたし、お母様のお膝で眠るのが、小さなころ、好きだったの。……あなたのお膝で、眠ってもいい?」
楓の返事を聞くなり、朝香は子猫のように体を擦り付けてそんなことを要求した。どこまでも甘えたがる朝香。
「……ひざまくら?」
少し驚いたような表情で、楓は朝香の顔をのぞき込む。
「うん……」
朝香はもじもじした。
「いいよ。わたしのでよければ――」
「えへへ、うれしい……、やさしい楓さん、だいすき……今日はうれしいことがいっぱい」
二人はちょうど空いている座席の中央に座ったところだった。
返事を聞くとすぐに朝香は重いランドセルを下ろし、楓の膝の上に頭を乗せて目を細めた。
楓もランドセルを下ろす。そのふとももは、やはり運動部だけあって逞しく肉付きがよかった。
やがてすぐに朝香はぬくもりと気持ちよさに意識を包まれ、すうすうと寝息を立て始めた。
くすぐったさに悶えていた楓は、それを聞いてようやく朝香の眠りに気付いた。
見下ろすと、大切な女の子がどこまでも穏やかな表情で、自分の脚の上で甘えていた。
呼吸と共にゆっくりと動く身体。リボンで結ばれた美しい髪の毛が揺れ、窓からの光を受けて眩しかった。
そして楓はそっと口を開く。
「――おやすみなさい、朝香」