No.10「駆け込み寺」

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 初夏らしく晴れわたった空の下、まぶしい歓声がこだまする。
 鉄筋コンクリートの校舎前に広がる校庭で、めいめいに体を動かす生徒たち。
 とある公立中学校の、ありふれた昼休みの光景である。

 しかし、そこには一つだけ他と異なるものがあった。
 校庭の隅にひっそりと佇む古びた木造の建物。
 薄暗く黒ずんだそれを、遊びに夢中な少年少女たちは誰一人としてかえりみることはない。
 もうだいぶ前に役目を終えたであろうその建物は、今はただ静かに子供たちを見守っているように見えた。
 ――その学校にはまだ、旧校舎が残っていた。


「え? 旧校舎ですか?」
 机でお茶を飲む担任教師の前で、二人の女生徒の片方が驚いた様子で声を上げた。

「うん。古屋先生は、昼休みはいつもあそこの二階の教材室にいるんだ」
「え〜〜……行きたくないなあ……」
 もう一人の女生徒が、嫌そうに表情を崩す。
 彼女たちは社会科係で、次の歴史の授業で配布する冊子の場所を聞くために来たのだった。
 歴史の先生は、退職間近い老齢の男性教諭であった。

「係なんだから仕方ないだろう。ほら、行ってこい」
「はあ〜い……」
「やだなあ、幽霊とか出たりしないかなあ」
 少女たちはしぶしぶと重い足取りで職員室を出ていった。


「うわあ……暗……」

 廊下の突き当たりにあるドアから外に出て、光の当たらないじめじめとした校舎裏をしばらく歩いた先に、旧校舎の入り口はあった。恐る恐る中に入った少女たちは、さっそく物々しい表情で体をすくめあった。
 校舎内は明かりもなく、昼とは思えないほどに暗かった。
 窓から差し込む光が廊下を照らし出しているが、その半分ほどは固く閉ざされ、端の方はほとんど何も見えない。真っ黒い天井、古びた木造の独特の雰囲気が、いっそう気味悪さを増していた。昭和五十四年と書かれた、色あせた卒業祝いの掲示がそのまま壁に貼られていた。

「やだ……わたし、帰っていい?」
「だめ、ほら行くよ!」
 それでも人がいることを示すかのように、階段には小さな電灯が一つだけついていた。
 二人は身を寄せ合い手をつないで軋む段差へと足を踏み入れていった。
 そのまま紫色の空につながっているようにさえ思われた。


「……ふう」
 用事を済ませ、安堵のため息と共に階段を下りてゆく。
 暗がりに目が慣れ、先生との会話で気分もだいぶ楽になっていた。

「うう……おしっこしたくなってきた……」
 片方の少女が唇を噛み、もじもじと手で前を押さえる。
「あそこのトイレでしてきたら?」
 廊下の奥にうっすらと見える扉をもう一人がいたずらげに指し示す。
「ぜったいイヤ!」
「うそうそ。はやく戻ろ?」
 少女たちは駆け足で校舎を出ていった。

 まるでお化け屋敷のように扱われている旧校舎。
 その中でも、いちばん奥にあるトイレは、生徒たちにとって恐怖の的であった。
 場所に加えて汲み取り式のため近づく者など誰もおらず、個室で首を吊って死んだ女生徒の霊が出るだとか、穴の中から死者の手が伸びてくるだとか噂されており、この学校の生徒たちが怪談をするときには決まって最初にそこが話題に上がるのだった。

「もう大変だったよー」
「あははは、災難だったね」
「もう二度と行きたくない」
 明るく陽の差し込む教室で、戻ってきた少女たちはさっそく話に興じていた。

 暗闇の奥で時間に取り残されたボットン便所。
 だが、ある状態の者たちにとって、それは必要な場所だった。


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 気温の変化が激しい六月中旬の、ある曇り日のことだった。
 いつものように騒がしい昼休み、旧校舎の廊下をひとり歩いている女生徒の姿があった。

 暗がりでもはっきりと顔立ちの分かる、美しい少女だった。
 淡い桜色のリボンで飾られた黒髪をゆらめかし、整った姿勢で歩いてゆく。
 少女は華道部の部長で、地元の名士の娘だった。穏やかな性格で多くの同級生に慕われ、学業も優秀な、絵に描いたような優等生だった。誰もが憧れる存在で、男子から想いを告げられた回数もはかり知れない。

 だが、彼女の様子は少しおかしかった。
 その表情はいやに険しく、廊下の奥の一点をにらむように見つめ続けていた。
 手指やつまの先が固くこわばり、足取りも普段よりいくらか速い。
 なにより、こんな場所に一人でいることが変だった。

 突き当たりに至った少女は、すぐさま女子便所と書かれたガラス戸を押し開けた。
 中はいっそう暗く、裸電球が一つだけ弱々しくついていた。奥の方は何も見えない。
 軋んだ音をさせて扉を閉めると、彼女は迷い無く側の個室へ入り戸を閉めた。錆びれた施錠の音がそれに続く。

 噂どおり、便器の底はまるごと漆黒の穴だった。
 色あせた小さなタイルがあちこち剥がれながら床を埋め、壁には黒ずんだ石膏が塗られている。
 ひんやりとした空気が漂い、底の見えぬ穴は、本当に中におぞましい何かが住んでいそうだった。

 少女は穴を見下ろして重い表情でため息をつくと、足を踏み出してそれをまたいだ。
 スカートの中に手を差し込み、素早く布地をたくし上げる。
 レースのショーツを下ろすと、白い、桃のようなおしりが露になった。

 崩れるようにしゃがみ込む。
 尻を震わせながら、わずかに足の位置を調節する。

  ドボボボボボボボボボボボボオオーーーーーッッ!!!

 次の瞬間、少女の尻は激烈な勢いで土石流を噴出していた。
 桃の割れるような勢いで、煮えたぎった泥の洪水が穴の中へと注ぎ込まれる。

  ブウーーーーーーッッ!!!

 一瞬でエベレストのごとく盛り上がった肛門から、続けて猛烈なおならが便槽の中に吹き放たれる。
 放出の衝撃で激しく揺れる尻。轟音が便所中に鳴り響く。
 彼女は、腹を下していた。

  ブリブリビチビチビチビチビチビチビチビチ!!
  ビチビチドボドボドボドボドボドボドボッ!!
  ボチャボチャボチャボチャボチャ!! ブボッッ!!
 それからは、ひたすら下痢便の滝だった。
 穴の中に向けて赤熱した噴出口からドロドロに溶けた内容物が機関銃のように撃ち込まれてゆく。
 大量に飛び散るしぶきが出元や便器の周りを派手に汚し、おつりも絶え間なく跳ね返ってくるが、少女の排泄は一瞬たりとも止まらない。

  ブウウウゥゥゥゥゥゥーーーーーーッ!!
 少女はただ固く目をつぶり、醜く顔を歪めて震えていた。
 膝に立てられた爪が肉をえぐり、眉間から大粒の雫が垂れ落ちていった。


 七月並の暑さだった前日とはうって変わって、この日はまるで冬のような寒さだった。
 特に朝は冷え込みが酷く、少女は起きたときからおなかに嫌な感じを覚えていた。

 一時間目のさなか、彼女は情けない痛みと欲求に震え始めた。
 腸が激しく蠢き、おしりの穴に熱く軟らかいものが押し寄せてくる。
 頭に浮かぶ下痢の二文字。治まってという必死の願いにもかかわらず、それはどんどん重くなっていった。
 黒板に向けていなければならない意識が肛門に貼り付き、白い陶器が脳裏を巡り始める。

 休み時間になる頃には、腹の中で暴れ狂うものをぶちまけたくてたまらなくなっていた。
 しかし、彼女にはそれをすることなど死んでもできなかった。
 腹具合からして水洗など刃も立たぬ爆音が発生することは確定的であった。強烈な臭いも漂うことだろう。
 ……それは、絶対にあってはならないことであった。

 そもそも、清潔を誇る彼女にとって、下痢をしてしまったということ自体が耐え難い恥辱であった。
 もちろん授業中にトイレに行くわけにもいかない。
 家に帰り着くまで徹底的に事実を隠蔽し続ける以外、彼女に選択肢は無かった。

 地獄を内に秘めて時間割を消化してゆく。
 休み時間には足の指をえぐり合わせながら、自分のことを慕ってくれる同級生たちと笑顔で話した。
 旧校舎ですることを思いついたのは三時間目。しかしあくまで最後の手段だった。

 彼女がもうどうにも我慢できなくなったのは、昼休みが始まって十分ほどが経った頃であった。
 全くめくっていなかった小説を閉じ、鞄からそっとポケットティッシュを取り出すと、ゆっくりと席を立ち、静かに教室を後にした。


「んんんんっ……ふうっ……!」
  ビュルルルブチュブチュブチュブチュブチュッ!!
  ボポポポポポポポブリッ!! ブピッ!!
  ブボボボブウウウウウウウウウ!!
 全身を激しく震わせて息み、汗と泥にまみれたすぼまりから苦しみを吐き出してゆく。
 便所中に鳴り響く巨大な排泄の音。空気を埋め尽くす鼻のねじ曲がりそうな臭い。
 自分の想像したとおりの光景を、彼女は作り出していた。

「んふ〜〜っ!」
  ドボドボドボドボドボドボーーーーーーーッ!!
 脱さんばかりに盛り上がった肛門から凄まじい腹圧で注ぎ込まれる下痢便の滝。
 ただ一つの許される場所で、彼女は全力で排泄行為に及んでいた。

  ブウウウゥゥゥーーウウゥゥーーーーッ!!
 入り口の戸を小さく開けて、凍りついた顔で中を覗いている少女たちの姿があった。
 二人とも目を丸くして固まり、口元を手で覆っている。

  ボピッ!! ボトボトボトボトボトッ!!
  ビリリリビイイィィィィィッ!!
 片方が手で素早く外を指し示すと、もう片方もうなずいた。
 二人は慎重にガラス戸を閉めると、足早に廊下を戻り始めた。

  ブーーーーーーッッ!!
 猛烈な音は、校舎の中ほどでもはっきりと聞こえた。

「どうだった? 見つかった?」
 外にはさらに二人の少女が心もとない顔つきで待っていた。
 出てきた二人は、気まずい表情で互いに目を送りあった。

「あのね……奥のトイレで、ウンチしてる……」
 しばらくの沈黙の後に片方が言うと、残りの二人は口を紡いだ。

「……うそ……」
「すごい下痢してる……おなかの調子が悪かったみたい」
 もう一人がさらに言うと、二人は理解して表情を憐れみに変えた。

 四人は今している少女の同級生で、その中でも特に彼女を慕っている、いわゆる取り巻きであった。
 昼休みになるといつものようにバレーボールを誘ったのだが、この日、彼女は笑顔で用事を理由に断った。
 その彼女が険しい表情で旧校舎の中に入っていくのを、転がったボールを取りに行った一人が目撃してしまい、様子を見に来たのだった。

「ね、見なかったことにしようよ」
 やがて華道部に所属する一人が口を開くと、残りもすぐに同意した。
 彼女たちは旧校舎から離れた場所に移動すると、再び元気にバレーボールを始めた。
 球が落ちてばかりになったのは、やむをえないところだろう。

「ふうっ……んんんんんん……!」
  ドポドポドポドポドポドポッ!!
  ブピピピブリッ!! ブーーーーッ!
 下痢をしてしまった一人の誇り高い女生徒。
 彼女は何も知らず、ただひたすら漆黒の穴に尻を突き出して腹の痛みと格闘を続けていた。

 腹の調子は相当に悪く、彼女は昼休みじゅう便所に篭り続けた。
 白い顔色で教室に戻ってきた彼女を待っていたのは、楽しそうにバレーボールのことを話す友人たちだった。
 不参加を詫びる彼女を少女たちは温かく受け入れ、次はきっと一緒にしましょうと声をそろえた。
 やっと気分が楽になった。午後の授業は集中して受けることができた。

 それが、彼女にとって人生で唯一の学校で大便をした経験となった。


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 連日のように雨が降り、じめついた空気があらゆるものを湿らせる。
 六月下旬の放課後。暗闇と静寂に包まれた旧校舎の便所には、雨音だけが聞こえていた。

 板を殴るような激しい足音が突然響く。
 物凄い勢いで連続するそれは一気に大きくなり、いなやガラス戸がはね開けられる。

  ブーーーーッ!!
 次の瞬間、真っ青な顔をした少女が個室の中に飛び込んできた。

「はぁぁぁぁぁっ!」
 穴をまたぎ鞄を放り投げると同時にスカートをまくり上げ、一気にパンツをひきずり下ろす。
  ボタボタボタボタボタボタボタボタ!!
 同時に少女の尻から一直線に泥が床を打った。
 中腰で噴き出したそれは便器を外れ後ろのタイルに激突していた。

  ボタボタボタボタボタブヒッ!!
 開いた肛門から限界を撒き散らしながら、音を立ててしゃがみ込む。

  ドボボボボボボボボボボボボーーーーーーーッッ!!!
  ドブボブボブボブボブビィーーーーーーーッ!!
 穴の直上に達した瞬間、少女の肛門は窮まって内容物を開放していた。
 激しく降りてゆくすぼまりから下痢便が雪崩のごとく便槽へと注ぎ込まれる。

  ドボドボドボドボドボドボドボーーーッ!!
  ドボオオボボボボオオオオオオオーーーーーッ!!
  ボボボボボボブウーーーーーーーーッ!!
 噴出させながら少女は尻を接さんばかりに穴の中へと突き出した。
 パンパンに膨らんだ肛門から膨大な量の下痢とガスがぶちまけられてゆく。
 少女の腹具合を語るのに言葉はいらなかった。肛門がめくれるほどの猛烈な排泄。充満した便意ではち切れそうな尻から、ただひたすらに暴れ狂っていたものを吐き出してゆく。

  ビィィィィィィィイーーーーッ!!
  ボチャボチャボチャボチャボチャブボッッ!!
  ドブウッ!! ボビッ!! ブウウウウゥゥーーッ!!
 泥飛沫が壮絶に飛び散り、まるで尻が破裂しているようだった。
 さらに数本の滝を噴射して、ようやく肛門が静かにひくつく状態となる。

「ふーーっ、ふーーっ、ふーーっ、ふーーっ」
 少女は大きく肩を震わせて息を継いだ。
 滝のように流れる汗が制服から滲み出し、揺れる前髪から音を立てずに便器の中へと落ちてゆく。
 厚ぼったい髪型で前髪の長い、地味でおとなしい印象の少女だった。ややふくよかな体つきでおしりがべったりと照り、玉のような雫が伝っている。少女は澄んだ瞳を苦しげに細め、じっと穴の中を見つめていた。その両手は腹にえぐるように押し付けられている。泥と脂にまみれた二つの丸みは剣呑に震えながら、直下を捉え続けていた。

  ドボボボボボボボボボボーーーーーーーッ!!
 幾秒もなく、再び下痢便の洪水が注ぎ込まれる。

  ブーーーーーーッ!!
  ブウウウウゥゥゥゥゥーーーーーッッ!!
 続けて少女は大砲のように放屁した。
 激しく揺れる尻肉の底から、便槽を満たさんばかりに大量のおならが吹き放たれる。

  ビヂビヂビヂビヂビヂ!! ブボッッ!!
 地獄の腹痛に少女はもだえ、唸っていた。
 便器から尻を離すことなど、当分できそうになかった。


 朝食べた、おにぎりの味が変だった。

 前の晩から降り続ける雨と高い気温のせいで、むしむしとしたひどく不快な朝だった。
 共働きの両親がこの数日忙しく、この日の彼女の朝食は、前日に母が買ってきてくれたコンビニのおにぎりだった。

 大好物のねぎとろがたっぷり入ったおにぎり。
 その味が少しおかしかった。消費期限までは時間があるが、いつもと何かが違う。
 しかし、鳴り響く欲求には抗えず、三つ全てを平らげてしまった。

 六時間目のさなか、彼女は猛烈な腹痛に震え始めた。
 腹と背がくっつくような、息もできないほどの激痛。体中から脂汗が噴き出す。
 同時に狂おしい欲求が生じ、またたく間に軟らかいものが満ちて肛門がひくつき始める。
 下痢。それもかつて経験したことのない凄まじいものだった。
 中ったのだ。長くは留めておけそうになかった。

 朝とは逆の理由で下腹が音を立て始める。
 すぐに授業どころではなくなった。体をくの字に曲げ、視界を先生の顔に固定する。
 だが彼女は動けなかった。内気な性格で羞恥心の塊のような彼女にとって、授業中にトイレに立つというのは、人前で裸になるほどに勇気のいることだった。大便ならなおさらである。結局立つことはできず、授業の後半二十分間を彼女は悶絶してすごした。

 そして授業が終わっても動けなかった。
 もう、便意で目が回り、肛門は激しく震えて限界の様相を呈し始めていた。
 それでも、人前で爆音を鳴り響かせてしまうであろうことを思うと、足がすくんだ。
 もしかしたらそれが原因でいじめに合ってしまうかもしれない。
 何度も立ち上がろうとしたが、どうしても足を動かすことができなかった。

 そうこうしている内にホームルームが始まる。
 その最中に彼女は旧校舎ですることを思いついた。
 強い不安と恐怖があったが、もう他に選択肢は考えられなかった。
 ホームルームは長かった。まるで一時間まるごと使っているかのように長かった。
 スカートの下に手を差し込み、盛り上がる肛門を必死に押さえ続ける。

 立ち上がって礼をした時、頭の中に便器が穴を開けていた。
 掃除当番でなかったのは幸いだった。
 暴発寸前のおなかを抱え、彼女は内股で氷を踏むように歩きだした。


「はぁ、はぁ、はぁ、ふう……っ!」
 悪臭でむせ返りそうな個室の中、少女は汗でべちゃべちゃになってしゃがみ続けていた。
 戸も閉めずに駆け込んでから三十分ほどが経っていた。
 その間、どれほどの下痢便を股の間の漆黒に注ぎこんだのか分からない。壮絶な下痢であった。堪えに堪えた果ての爆発的欲求は、いくら苦しみを出しても治まらないかに思えた。ようやく落ち着いてきたのはつい数分前のことだ。彼女の腹はべこりとへこんでいた。

 火山のごとく噴出を続けた尻は、大量に弾けた飛沫とおつりで、泥に浸かったようになっていた。
 コンプレックスのある大きなおしり。ひときわ多く噴き出す汗が汚物と溶け合い、みっちりと張った底からぼたぼたとこぼれ落ちてゆく。無惨な汚れ方だった。

  ビーーーーーーッ!!
 その底から水便が勢いよくほとばしる。
 ――それが最後だった。少女はペーパーホルダーへと手を伸ばした。

「あ……」
 今になって始めて気づいた。紙が無い。全く補充されていないらしく、芯さえもついていなかった。
 少女は鞄を開けてポケットティッシュを取り出すと、新品のそれを開けて暴れ狂った肛門の後始末を始めた。
 拭いているうちに、彼女の唇は膨らみ、眉はけわしく傾いていった。小さな喉のひくつきがやがていくつか続いた。

 彼女がうつむきながら外に出てきたのは、それから十分ほどした頃だった。
 ふらついた足取りで、周りの様子を小動物のように伺いながら、彼女は本校舎へと戻っていった。
 残されたのは、丁寧に拭き取られたタイルと、破滅的な悪臭だった。
 雨は相変わらず降り続け、節々まで湿った木造の校舎は狂おしいほどに蒸し暑かった。


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(どうしよう……どうしよう……)

 雨が減り、日に日に強まってゆく日差しが夏の訪れを感じさせる七月上旬。
 旧校舎は静寂に満ち、鳴き始めた蝉の声だけが遠くから聞こえていた。
 窓の外の青さに照らされ、漂う埃が白くきらめいて降りてゆく。

 その奥のガラス戸の向こう、薄暗い女子便所の、一つ目の個室が固く閉ざされていた。
 かすれた少女の吐息が、波を打ちながら聞こえてくる。
 だがそれは霊などによるものではない。

 下痢便まみれのおしりが個室の中で震えていた。
 その下には黄土色で埋め尽くされたタイル。
 後ろの壁一面にも汚物が飛び散り、ふとももから靴下や上履きまでがぐちゃぐちゃになっていた。無惨な姿になったパンツの縁から粥状のものが垂れ落ちてゆく。
 漏らしたのだ。

 しゃがんでいるのは、怜悧な目つきで髪を短く揃えて眼鏡をかけた、いかにも知的な印象の少女だった。
 あまりにも上下の半身が乖離しているが、事実であった。
 少女は潰れるほどに唇を噛み締め、険しい瞳で肩を大きくふるわせていた。
 前髪がピンで留められ、半分ほど出された額に、大粒の脂汗がびっしりと浮かんでいる。

 彼女はもう何分もそうしていて動かなかった。
 猛烈な悪臭が漂うなか、ただ抉るように膝を掴んで下痢まみれになった自分の下着を見つめていた。
 破滅的な状況を生み出してしまった肛門が、充血したまま情けなくひくついている。

 紙が、ないのだった。
 期末テスト初日の、二時間目と三時間目の間の休み時間のことだった。


 少女は、その見た目どおりの卓越した優等生だった。
 入学から今日に至るまで、無遅刻無欠席無早退、定期試験では常に学年一位。学級委員長をはじめ数多くの代表を務め、校内の誰からも畏敬の念を持って見つめられていた。誰よりも己に厳しい性格で万事を完璧に行い、教師でさえも彼女と対峙するときは緊張した。

 三年生になると、彼女はいっそう勉強に打ち込んだ。
 家が裕福でなく私立に行けない彼女にとって、試験での成績は進路に直結していた。
 絶対に最難関の公立高校に行きたかった。
 できることなら、入試と内申点を合わせた上位数名のみに与えられる学費全免枠に入りたかった。

 中間試験学年一位。
 そして期末試験の範囲が発表されたとき、しかし彼女は心中穏やかではなかった。
 入試を見据え、主要教科の多くで出題範囲が一年から今までの全てになったのだ。
 中間も順位こそは一位だったが、それまで遥か下にいた何人かが急激に上がってきて、ケアレスミスが多かったこともあって二位との差はわずか一点にまで縮められていた。

 全範囲を完璧にして、絶対に一位を死守しなければならない。
 彼女は猛勉強を始めた。生徒会長や各代表の職務、病弱な母親の家事手伝いにも時間を取られ、勉強は毎日夜中まで、睡眠四時間足らずの日々がずっと続いた。すぐに食欲がなくなったが、脳に栄養を行かせるために三食ともむりやり詰め込み続けた。

 しかし、勉強すればするほど、逆に焦燥感は強まっていった。
 九割までは行けても、そこから一割が彼方に遠い。
 そうこうしている内に試験前日だった。
 初日の教科は家庭科と国語、そして社会。国語は今までに習った全ての漢字、社会は地理歴史、政治経済、さらに若干の時事も範囲に入る。

 まだ、満足できる水準にはほど遠かった。
 疲弊した身体に鞭を打って、机にかじりつき貪るように暗記する。
 彼女がなかば力尽きる形で床についたのは、夜も白んだ午前五時過ぎのことだった。

 そんな心身の負荷がたたったのか。
 朝からピーピーの下痢。
 ノートを抱えて三十分間トイレに篭り、規定の倍の下痢止めを飲んで登校したのだった。

 一時間目の家庭科は簡単な問題ばかりで、悩むことなくほぼ満点で終わった。
 その休み時間、彼女はじっと椅子に座って祈っていた。
 次からの二時間、どうかもよおさないようにと。世界中の誰よりも真剣に祈っていた。

 国語の試験開始からすぐに、彼女の腹は再び暴れ狂い始めた。
 内臓を抉り出したくなる苦しみと共に、尻の爆発しそうな圧力が肛門の中で膨れ上がる。
 トイレに立つという選択肢は無かった。一秒たりとも試験時間を無駄にしてはならなかったし、なにより彼女のプライドがその行為を許さなかった。狂おしい欲求に打ち震えながら、歯を食いしばって問題を解いてゆく。

 試験時間の半分が終わるころには、彼女はもうトイレのことしか考えられなくなっていた。
 二つ目の大問は、一つ目と違って教科書にない初見の文章であった。
 まるで未知の言語で書かれているかのように頭に入ってこない。問題形式は読解力を試す記述が大半を占めていた。読んで、理解しないといけないのに、トイレのほか何も考えられない。

 うんちがしたい……。うんちがしたい……。トイレに行きたい……。トイレ……、トイレ……。
 地獄というものがそこにあった。

 鐘が鳴ったとき、彼女の意識は肛門になっていた。
 人前ですることなどあってはならないのに、足が勝手に最寄のトイレに向かってゆく。

 中に入った瞬間、それは止まった。
 個室の前で友達と明るく談笑する女生徒。中間で二位を取った少女だった。
 踵を返し、旧校舎を目指して歩きだす。

 校舎裏に出たときには、もう視界が白く溶け始めていた。
 全身の力を肛門に集め、命を懸けて我慢する。

 しかし、すでに限界を迎えていた肛門は便器までもってくれなかった。
 あと一秒を彼女は堪えられず、下着を着けたまま尻を大噴火させてしまったのだ。

 しばらくの放心の後、戸を閉めて施錠し、そして彼女は気付いた。
 紙がない。
 ティッシュペーパーなど、持ってきているはずがなかった。


(どうしよう……どうしよう……)
  ぷうぅぅぴいいい〜〜〜〜

 我慢できなかった肛門が、嘆くように放屁する。

 花火のように撒き散らされたおなかの中身。
 壁に激しく叩き付けられた汚物は鈍く光り、昨日の夜食べたニンジンの赤いかけらが、しゃがみ込んでいる少女の頭より高いところにもいくつか見えた。

 なさけなく震える下痢便まみれのおしり。
 彼女は今まで、どんな時でも己を律し、自分に打ち勝ってきた。

 人生で初めての敗北だった。
 最後の最後で己に負けてしまった。

 むせ返るような悪臭の中、少女はときおり眉を急激に傾け、喉を鳴らし、肩を大きく跳ねさせた。
 その唇からは血が滲み出していた。

(どうしよう……どうしよう……!)
 やがて、三時間目の試験開始を告げる鐘が、遥か遠くから聞こえてきた。
 少女はただ下痢便の海で虚空をまたぎ続けていた。


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 試験が始まってから二十分ほどが過ぎたころ。
 静寂に満ちた女子便所の中には、異様な物音が聞こえていた。

 くちゃりくちゃりとべたつきながら、何かやわらかいものを拭い取る音。
 拭い取られたそれと思われるものが、何かにずりずりとなすり付けられる音。
 その二つが、閉ざされた個室の中から、交互に絶えることなく聞こえていた。
 静かで冷たい呼吸が、共になって底を這う。

 ……少女は、みずからの手で自分の尻をぬぐっていた。
 ドロドロの未消化物で埋めつくされた二つの丸み。それを左手の平でえぐるように撫でては、べったりと移った汚物を横の壁になすり付けてゆく。

 すでに、壁はおぞましい状態になっていた。
 まだ下地の見えるところを求めては、ぬめり照る排泄物を塗りつけてゆく。
 それをする左手は指の間から爪の中まで黄土色にまみれ、中指の爪には潰れたひじきが挟まっていた。
 人生最低の行為。左手は、作業を続けながら震えていた。

 そして、拭けば拭くほど、深まるのは絶望だった。
 幾度同じことを繰り返しても、無限に汚物が手に付着してくる。
 汚物と汗が溶け合ってぬるぬるの尻は、まるで肌の木目まで泥だった。
 漏らしたものは尻の底から前にも大量に及び、ぐちゃぐちゃに絡み合った陰毛は、掴んでいくら梳いてもきりが無い。
 爆発的な勢いでぶちまけられた下痢便は、脚の裏一面を塗りつくして上履きにまで及んでいる。

 すべきだった穴の上でゆっくりと収縮し、指先が触れるたびにきゅっとすぼまる肛門。
 暴れ狂ってこの惨状を作り出したのが嘘のように、慎ましくふるえている。
 ちゃんと穴の中に全てを排泄できていれば、本当に、どれだけ幸せだっただろうか。
 自らの腹の中に在ったものでまみれた下半身を、それでも少女は拭い続ける。

「ふううっ!!」
 ふいに音の塊が喉の奥から溢れ出す。
 少女は全身を打ち震わせた。尻肉にぎりりと爪がめり込む。

「石田さん……大丈夫……?」
 その時だった。

「どうしたの? 具合が悪いの?」
 保健の先生の声だった。わずかに遅れて、そっと小さくノックがされる。

 沈黙。
 少女は尻をえぐったまま止まっていた。
 動悸が急速に跳ね上がる。

「……すみません……ちょっと……」
 何十秒かして、ようやく少女は口を開いた。

「そう……。まだ、出るのは大変そう?」
「……はい……」
「わかりました。外にいるから、何かあったら呼んでくださいね」
 軋んだ音が聞こえてガラス戸が閉まる。

 同時に少女は激しく息を乱した。
 初老の、おだやかでやさしい保健の先生。
 生徒会長として、インフルエンザ対策会議で何度も会話したことがある。
 徹底した対策を主張する自分に、たくさんのことを丁寧に教え、助言してくれた。

 心臓が縮み、喉の奥が熱くなる。
 それは、彼女にとって何よりの救いのはずだった。
 今、喉から手が出るほど欲しいもの。もしトイレットペーパーをくださいと言えば、きっといくらでも持ってきてくれることだろう。しかし……。

 少女は見つめた。
 下痢便まみれになった床。下痢便まみれになった壁。下痢便まみれになった下着。下痢便まみれになった尻。下痢便まみれになった脚。下痢便まみれになった靴下。下痢便まみれになった上履き。そして下痢便まみれになった左手。下痢便。下痢便。下痢便。下痢便。

 時は刻一刻と進んでゆく。

 少女はおよそ一分間、どこともない正面をにらみ続けた。
 それから二分間、物凄い勢いで尻を拭いまくった。
 相変わらずの無限。そして三分間以上ずっと、ぐちゃぐちゃの股越しに下痢便の海となった床を見つめ続けた。

 視界はただ茶色かった。
 長い時間がたった。

「具合はどう……?」
 やがて再び先生が来た。

「まだ大変? それから、トイレットペーパーとかは、ちゃんとある?」
 ぐちゃぐちゃのおしりが小さくゆれる。

 また沈黙。
 先生はそれ以上は何も問うてこなかった。
 ただ、扉の向こうで立っていた。

「先生」
 ふいに、少女は古びた扉を向いて口を開いた。
「下痢を、下痢が、我慢できなくて」
 胸が灼熱で満ちてゆく。

「我慢できなくて、大便を、漏らしてしまいました」

「せんせえ、どうしよう」
 声がうらがえる。

「どうしよおおおお〜〜〜〜〜」
 ただ、蝉の音だけが聞こえていた。


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 試験からおよそ一週間後の国語の時間。
 次々と生徒が教師のもとに呼ばれて答案を返され、教室の中は悲喜こもごもの声に満ちていた。

「はい、石田さん。……次からは体調管理もしっかりね」
 申し訳なさげな表情の先生から、点数の見えないようにして返される。
 少女はそのまま見ることなく答案を伏せ、静かに席へと戻った。

 平均点はすでに58点と発表されていた。学年最高は91点らしい。
 少ししてから、少女はそっと点数だけを見た。
 49点。彼女は即座に答案を鞄の奥にしまった。


 少女は一度も顔を上げることなく帰宅した。
 部屋に入り鞄を置くと、少女は床の上に崩れ込んだ。

 同じ日に、五教科の学年順位も発表されていた。
 廊下に貼り出された上位二十名に、少女の名前はなかった。
 国語の崩壊と涙を枯らして受けた社会が響き、成績表に記載された順位は五十三位だった。
 翌日からは持ち直したが、巨大なマイナスを補うことはできなかった。

 あの日、彼女は遅れて社会の試験を受けた。

 大量のウェットティッシュとトイレットペーパーを使って尻と性器、覆う陰毛、脚を拭く。
 汚れたパンツや靴下は紙で幾重にも包んでゴミ袋に入れ、替えのものに穿き替える。
 上履きは洗って返してもらうことになり、小さなビニールの袋に入れた。やはり無記名の新品に履き替える。
 深い葛藤の末、撒き散らし、塗りたくった排泄物は、先生に始末してもらうことになった。
 ウェットティッシュで雑に拭ってあった左手を、洗面所で皮膚の剥がれんばかりに洗い清める。

 状況を鑑み、保健室で時間差で社会の試験を受けることが認められた。
 大幅に遅れて始めた社会は、まるで覚えたことを尻から全て出してしまったかのように解けなかった。

 やがて少女は起き上がると、鞄から国語の答案を出し、机に座ってそれを開いた。

 ひどいものだった。
 いくつもある丸い染みは滝のように溢れていた脂汗によるもので、解答欄を滲ませているものも少なくない。
 文字はミミズが這ったように斜めに歪み、芯の折れた跡がやたらと目立つ。
 何より記述の解答は文章そのものが崩壊し、てにをはまで崩れ、単語の羅列のようだった。
 便意が頂点に達した大問二の後半はもう日本語にさえなっていない。

 それでも先生は少しでも良いところを目ざとく見つけ、あちこちに小さく丸をつけ点にしてくれていた。
 よく見ると、大問二の問三と問四の答える場所が逆になっていた。しかし先生はそれを見過ごしてくれていた。併せて6点。もし無効にされていたら、点数は……。

 地獄の苦しみに悶えながら受けた国語の試験。
 答案そのものが下痢をしていた。

 ぽつ、ぽつ、と、歪んだ文字の上に新しい染みができる。
 それがどんどん増え、机そのものが滲み始める。
 少女は静かに眼鏡を外した。

「っふ、う、ふうっ……っ」

 少女は顔を覆って泣きだした。
 大きく肩を震わせ、胸を吐くように嗚咽する。
 一生分の涙をつい先日に流したばかりなのに。止まらなかった。

 狭く日の入らない殺風景な部屋で。
 やがて病院から帰ってきた母に慰められても、彼女の涙は止まらなかった。

 その中学から初の最難関校、学費全免枠合格者が出たのは、それから八ヶ月ほど後のことである。


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