No.18「鍛えられぬもの」

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「――最近ノロウイルスが流行っているけど、」
 澄み渡った冷気で満たされた格技室に、大きくまっすぐな声が響いていた。

「幸い、わたし達の中にはまだ、一人も欠けるものが出ていない」
 克己と書かれた額の前に、二十人ほどの少女たちが、白い道着に身を包んで座っている。
 みな女子ならぬ凛々しい顔つきをして、美しく背筋を伸ばして正座していた。

 彼女たちの前には、ひときわ背の高く精悍な顔立ちの少女が立っていた。
 逞しく磨かれながらも清明に女性らしい体躯で、整った目鼻に短い黒髪が似合っている。
 きゅっと唇を固め、自分を真剣な眼差しで見る部員たちを眺め直すと、彼女は再び口を開いた。

「これは、日々の鍛錬の賜物だと思う。来月の練習試合まで、この調子で誰も欠けずにいこう」
 公立中学ながら名門で知られる女子柔道部の、放課後、練習前の光景であった。
 第二十四代部長の武田明日香は、いつものように部員たちに訓示をしているところだった。

「よし、じゃあ今日も組み手から。練習、始め!」
 力強く号令がなされると、応えて咆哮が室を揺らした。
 部員たちは、いっせいに声を出して練習を始めた。


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 練習が始まり数分ほどが経ったころ、監督をしていた明日香は格技室の外へ向かって歩きだした。

「部長、どこに行くんですか?」
「ちょっと先生の所に行ってくる。すぐに戻るから」
 他にも上級生が何人か歩き回り助言にあたっていたので、彼女の動きは目立たなかった。気付いた一年生に少し尋ねられただけだった。

 裸足で素早く上履きを履くと、明日香は足早に廊下を歩きだした。
 格技室から見えないほどに離れると、しかし彼女は職員室へは向かわず、ひとけのない部室棟へと歩いていった。

 様々な運動部の部室や用具室、あるいは更衣室の並ぶ廊下は、部活動の始まった今はひっそりとしていた。
 教室のある棟よりも古い造りで、くたびれた天井で切れかけの蛍光灯が明滅している。
 その端にあるトイレへと明日香は向かっていった。軋んだ音を立てて女子便所のドアを開ける。

 中に誰もいないことを確認すると、明日香は眉を大きく傾け顔をゆがめた。
 それまでの堂々とした様とはうってかわって、腹に手を当て、背中をくの字に折り曲げる。
 並ぶ個室の先端へと、彼女は唇を押し合わせて入っていった。

 静かに戸を閉め、鍵をかける。
 薄暗い個室の中央には、古びた和式便器が鎮座していた。
 腰を下げまたぐと、明日香は帯をほどき、道着の裾をまくり上げ、そして下の衣類ごとズボンを一気に膝まで掴み下ろした。大きく肉の厚い、しかし真っ白に張り詰めた乙女の尻が露わになる。

 すぐさま明日香は大股を開いてしゃがみ込んだ。
 尻肉の塊が空を圧して突き出され、震える肛門が便器を捉える。

  ビュチュウウウウゥゥゥゥーーーーーーーッッ!!!
  ブピピピピピピピピピピピピピピ!!

 黄土色の水流が、その底から物凄い勢いで噴出した。
 喘ぐような重い吐息が、個室の中に低くくぐもって篭りわたる。

  ジョオオオオオオオォォ!! チュオッ!!
  ビュビッ!! チュビビビビビビ!! ビューーッ!!
 立派な尻に合わぬものを、明日香は赤く膨れあがった肛門から水鉄砲のごとく連射した。
 えぐるような水便が飛沫を撒き散らして迸り、激しく跳ね返って尻を汚す。
 乱れた破裂音をかき鳴らして大量の水が出たり止まったりする様は、スプリンクラーにも似ていた。

(まさか、私が、やられてしまうなんて……)
 腹にこぶしを押し付けて固く目をつぶりながら、明日香は鋭く下唇を噛み締めた。


 流行を続けるノロウイルス。
 教室での空席や、休み時間に誰かが激しい音を立てて下痢をしている光景も、珍しいものではなくなってきた。
 しかし、こと明日香にとっては、感染など考えられぬことだった。
 男子顔負けの磨き抜かれた心身。常に清潔に保たれた体。彼女には、誇りと自信があった。

 明日香の体に異変が起こったのは、四時間目の授業が始まってすぐのことだった。
 ふいに下腹で始まった、しくしくとした嫌な感覚。それは十分もする頃には、灼けるように烈しい腹痛へと変わっていた。

 二十分が経つころには、明日香はもうトイレのことしか考えられなくなっていた。
 まずい、お腹が痛い、我慢できない、ウンコがしたい……。下痢をするのなど、十年近くぶりのことであった。
 狂おしい便意に身を悶えさせながらも、名門たる女子柔道部長としての矜持がその行動を許さない。

 三十分が過ぎたころ、陸上部に所属するクラスメートが手を挙げた。
 真っ青に歪んだ顔で声を震わせトイレを求めるその姿に、明日香は自分と同じ苦しみを見た。
 彼女が足早に教室を出てゆくと、明日香はよほど自分もあとを追おうかと考えた。目が回るほど悩み、意志は寸前まで溶けかけた。だが結局できず、明日香はひたすら震える穴を固めて堪え続けた。

 腹が下り始めてから四十分あまり。げっそりとした顔で彼女が戻ってきてすぐ、開放を告げる鐘が鳴った。
 先生が教室を出るや、明日香は机上もそのままに席を立った。
 そして校舎を一直線に横断してここに来ると、無我夢中で便器をまたぎ、爆音を鳴り響かせて堪え続けてきた苦しみを排出した。

 給食のメニューは、ご飯と豚汁とりんごだった。
 無理をして胃に収めると、再び明日香の腸は激痛を伴って蠢き始めた。
 昼休みになるやトイレに戻ってくると、次の鐘が鳴るまで彼女は粥のように溶けた便を放ち続けた。

 五時間目の音楽の時間、さっきの同級生は再び青い顔で教室を出ていった。
 昼休み中トイレに篭っていたと別の生徒が噂した。彼女はそのまま戻って来ず、授業の後クラスに帰った生徒たちはその鞄の消失で早退を知った。

 明日香がそれを知ったのは、六時間目の間際に急ぎ教室に帰ってきたときのことだった。
 全く同様の体調ながら、彼女に早退は許されない。
 授業が始まって数分も経つと、再び彼女の尻には情けない水気が集まっていった。


「んっふ……んう……っ!」
  ビュルッ!! ジュウウウウゥゥゥゥ!!
  ジュビーーッ!! ビッ!! チョオオオオォォ!!
 いっそう大きく股を開いて尻を便器に突き出しながら、明日香は下痢との格闘を続けていた。
 鋭利な黄土色の水流が、汗に満ちた尻から繰り返し注がれてゆく。
 その様はほとんど小便だった。屈強に引き締まった脚の間で、わずかにモヤシやニラ、あるいは海草のようなかけらが水面を泳いでいる。

「ぐっっ!!」
  ブーーーーーーーーーッッ!!
 激しい音を立てて飛沫が弾け、白いズボンの裾に黄色い斑点が付着する。

 息の塊を吐くと、ピーピーの尻を震わせながら明日香は細い眼で腹を撫でた。
 視界に自身の乱れきった排泄物が映りこむ。
 泣きかける子供のように唇をゆがめ、しかしその表情はけわしく締めて動かさない。

 これで、きょう六回目のトイレであった。
 これまでは、確かな空き時間で便意を処理してきた。これから二時間近く続く部活動こそ最大の試練である。自分が情けなく腹を下していることだけは、沽券にかけて隠さねばならない。余裕のある監督役は最初だけだ。下痢腹を抱えて組み手や空気椅子をするのは想像するだに地獄だった。

 すでに格技室を抜け出してから幾分もが経っていた。
 明日香は全開になっていた陰部を固く閉ざすと、紙に手を伸ばした。
 その尻は深い谷間の奥まで、水便で滴るほどに濡れている。明日香は紙を掴んで巻き始めた。

(……駄目だ、治まらない……っ!)
 しかし途中で手を離すと、再び明日香は股を開いて哀れな尻を突き出した。

  ビピーーッ! ピーーーーッ! ビピブピ!!
  ボチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョチョ!!

 冷たい静寂で満たされた女子便所に、無様な下痢の音色だけがこだまする。
 ひどくか弱く女々しい吐息が、ふるえながらそれに続いた。


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 翌日のホームルームで、生徒たちはにわかに驚いた様子でその光景を見つめていた。
 二つの空席。どちらも女子のものである。
 片方は昨日の時点で予想できたが、もう片方はあまりにも意外だった。

「沢口と武田は、急性胃腸炎――ノロウイルスだ。とうとうこのクラスでも感染者が出てしまった」
 出席を取り終えた男性教師が、名簿をしまいながら告知する。

「武田さん、きのう部活中に吐いたんだって」
「マジ……?」
「組み手の練習中に、いきなりマーライオンみたいに……」
 どこかで小さなささやきが聞こえる。

「これ以上増やさないよう、手洗いやうがいをきっちりやって、予防に努めるように」
 そう言ってクラスを見回すと、彼はゆっくりと教室を出て行った。

「で、そのあとトイレに飛び込んで、今度はもうすごい下痢だって」
「うわぁー……」
「我慢してたんだろうねえ……」
「武田さんでもノロウイルスには勝てなかったか」

 生徒たちはしばらくの間、あれこれと噂や憶測を話し合った。
 人気と冷気が溶け合う朝の教室。ぽっかりと空いた二つの席は、ただ静かにその主を待ち続けていた。


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