No.25「緊急事態」

<1> / 1 2 3 / Novel / Index

 閑静な住宅街の中にある、とある建築現場。
 五十坪ほどの土地に木組みが建てられ、三、四人の大工があちこちで作業をしている。
 そこに、足早に近寄ってゆく少女の姿があった。

「あ、あの、すみません」
 仮設トイレの側で建築図を広げていた中年の男性が、声をかけられて振り向く。

「あの、お、おトイレを、使わせてもらえませんか?」
 いなや少女は吐息の混ざった声でそう続けた。

 男性は少し驚いた瞳で彼女を見つめた。
 近くの中学の制服を着た、髪の長いまじめそうな少女。しかし、すぐに様子がおかしいことに気が付いた。
 少女は青ざめた顔で額に脂汗をいっぱいに浮かべ、腹を押さえ膝をこすり合わせて震えていた。鞄ごと後ろに回された右手。そうしながらひどく険しい表情で彼のことをじっと見つめていた。

  プス……プリッ! プウッ……!
 揉み合わされる桜色の唇。湿った破裂音が小さく響く。

「どうぞどうぞ。空いているから、早く」
 聞くや少女は小さく会釈をしてトイレの中へ飛び込んでいった。
  ガチャッ!!
 慌しく扉が閉められ、大きな音がして鍵がかかる。

  ギュルルルルルルルル!!
「ふううぅぅぅぅっ!」
 少女は段に駆け上がると、投げるように鞄を立てかけ便器をまたいだ。
 熱く息を吐き、スカートをはね上げながらしゃがみ込む。
 ショーツが一気にずり下ろされ、山のように盛り上がって震えている肛門が露になった瞬間、

  ブリュリュリュリュリュリュリュリュリュブボッッ!!!
  ブリブリブリブリブリブリブビーーーーーーッ!!

 ものすごい音を立てて便器の中に下痢便がぶちまけられた。
 むき出された白く清楚なおしりが、一瞬にして暴れ狂う活火山へと変貌する。

  ボトボトボトブチャブチャブチャブチャッ!!
  ブボボボボボボビビビビビビブゥビッ!!
  ボチャボチャボチャブビイイイイイイイィィィッ!!
 震える汗だくの丸みから、ドロドロに溶けた内容物がえぐるように吐き出されてゆく。
 狭い個室の中に鳴り響く爆音。便器の内外へ派手に飛び散らかる茶色い飛沫。
 少女はひどく腹を下していた。あまりの調子の悪さに、家まで我慢することができなかったのだ。

  ブヒッピヒピヒピヒブーーーーーッッ!!
 激しい放屁でそれが途絶える。めくれた肛門が喘ぐように痙攣する。

「……はあっ、はあっ、はぁっ……っ!」
 長いスカートの裾を両腕でぎゅっと固めながら、少女は険しく息を継いだ。
 音を聞かれたであろうことへの鮮烈な羞恥が膨らみあがったが、どうしようもなかった。
 便器は浅い汲み取り式であった。がくつく股の間で穴の底に下痢便がべちゃりと広がっているのが見えた。

  キュゥゥゥグウウウウゥゥ〜〜〜ッ!
「はあっっ……!!」
 そして、まだ腹の潰れるような腹痛は収まらない。

  ビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチ!!

 直下の空気を貫き、すぼまりから便槽へと下痢便の滝が一直線に注ぎ込まれる。

  ブボッッ!!!

 巨大な破裂音と共に、尻が跳ね大量の泥飛沫が撒き散らされる。
 少女は唇を膨らませて、いっそう腰を落とし肛門を便器深くうずめた。

「っふっ……くくっ……!」
  ブピピッ! ブッ! ビュルルルルッ!!
  ビジューーーーッ!! ボピブピブピブピッ!!
 赤くひくつく肛門から、褐色の濁流が次々と真下の穴へ打ち付けられてゆく。
 ぐるぐると下腹をさする汗まみれの右手。給食のコーヒー牛乳が合わなかったらしい。
 漂い始めた強烈な臭気が、ぬるぬるのおしりをなさけなく包みこむ。

  ブウーーーーーーーッ!!
 それを吹き払うかのように猛烈に屁が放たれる。
 悪臭そのもののガスが溢れ出し、突き出された尻の底を熱湯のような灼熱で覆う。

  ビーーーーッ! ブビーーーッ!!
  ブリブリブピピピピピピピーーーーーーッ!!
 次の瞬間には、熱湯そのものが肛門からほとばしっていた。
 どうにも下しきっていた。腸の蠢く感覚、煮えたぎった便意が収まらない。
 滝のように汗を流し、目を固くつぶり唇を噛み締めて震えながら、少女は乱れた腹の中身を出し続けた。


<2> / 1 2 3 / Novel / Index

 駆け込んだ時にはまるで耳に入らなかった蝉の音が、小さな空間の外を覆っている。
 三十分近くがたったころ、少女はドアに手をかけて立ちつくしていた。
 唇を押し合わせてうつむいて。もうずっとそうしていた。

 灼け溶けた鉄のような羞恥が、彼女の胸の中で煮え返っていた。

 縁もゆかりも無い建築現場でいきなりトイレに飛び込んでしまった。
 篭り、汚い音を響かせ続け、大きなおならも何度もしてしまった。

 ……下痢を、我慢できなくて。
 切羽詰っていたとはいえ、なんてことをしてしまったんだろう。
 行為のほか何も考えられない猛烈な腹痛と便意――苦しみの全てを体外に排泄したあとに残ったのは、身の悶えるような後悔だった。男性が人の良さそうなおじさんだったのがせめてもの救いだが、胸の灼熱に変わりはない。

 狭いトイレの中には、鼻の曲がりそうな悪臭が漂っていた。
 下痢特有の腐った卵のような凶悪な臭いが鼻腔にまとわりついてくる。

 少女は、ついさっきまで自分がまたがっていた便器を見た。
 その底の便槽は今、ぐちゃぐちゃの下痢便で埋め尽くされている。
 数多く落としたトイレットペーパーもむなしく、穴の上から見れば昨日の夕食までわかる状態だ。
 もし、自分が出たあとに中の様子をチェックされたら――。

 どういう顔をして外に出て、何て言えばいいか、何て言えばいけないか、彼女にはまるで分からなかった。
 貞淑なスカートに包まれた細足が所在なく絡み合う。
 大粒の汗を垂らしながら、熱気と悪臭の篭った狭いそこで少女はドアを見つめ続けていた。


 少女が意を決して外に出たのは、次にアブラゼミの鳴き声が聞こえたときだった。

 出るや少女は火の噴いたように赤面して首を折った。
 男性のすぐ傍に、さっきはいなかった若い大工が立っていた。
 二十歳ほどの顔立ちの良い青年で、少女の好きな男性アイドルとよく似ていた。
 トイレから出た瞬間、彼女は彼と目が合っていた。

 言葉にならない言葉と共に、少女は足早に建築現場を出た。
 胸の張り裂けそうな鼓動だけを感じながら、焦点の定まらない道路をひたすら外に歩いてゆく。

 さなか少女は一瞬だけ後ろを振り返った。
 若い大工がトイレの中に入ってゆくのが見えた。
 いよいよ少女は走り出した。


<3> / 1 2 3 / Novel / Index

「お姉ちゃん、算数の宿題で分からないとこがあるんだけど」
「あとでにして」
 姉の部屋のドアをノックした少年は、断られ残念そうに戻っていった。

「どうしても分からないところがあるんだよ、頼むよ」
「あとで」
 五分ほどして再びノックするが、またもや断られる。
 勉強の苦手な彼は、優等生の姉に宿題を見てもらうことがしばしばあった。そのたびに彼女はやさしく丁寧に教えてくれるのだった。

「お姉ちゃん、ちょっとだけでいいからさ」
 さらに十分ほどして部屋の前に来ると、彼は今度はドアを開けて中に入った。
 少女は制服姿のまま机に座っていた。しかし、その机上には何もなかった。

「暇なら教えてよ。ここが分からないとあとのも全部分からないんだ」
 傍によってノートを開く。
「もおーー!! うるさいよおっ!!」
 瞬間、少女は思いっきり立ち上がって彼の胸を押していた。
 ふいをつかれた弟は派手に転び、ノートと鉛筆が音を立てて散らばった。

「いって……」
 腰をさすりながら頭を上げ、彼ははっとした。
 自分を見下ろす姉の顔。
 それは、おとなしい彼女がめったに見せることのない、本当に怒っているときの顔だった。それでいて、今にも泣き出さんばかりに唇が張り詰めていた。

「ごめん」
 それだけ言うと、彼はすばやくノートを拾って部屋を出ていった。

 ドアが閉められると、少女は静かに椅子に座りなおした。
 木目だけが続く机の上を、じっと見つめる。
 それから彼女は両手で顔を覆い、嘆くようにため息をついた。
 蝉の音が、ひどくうるさく聞こえ続けていた。


- Back to Index -