No.29「月夜野由佳の腹痛」

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 体調は万全のはずだった。
 あいつの仲間になれたことが嬉しかった。
 あいつの前で格好いいところを見せたかった。

 それなのに……。
 どうして、こんな――。


 創立記念祭中の獅子堂学園。
 その祭の時間もいよいよ終わりを迎え、生徒たちは後夜祭に向けて、一斉に校庭へと集まりつつあった。
 校舎の一階は静かだった。
 少し前までは教室で喫茶店などを開いていた生徒たちが出入りして騒々しかったが、今ではときおり小さな足音が響くだけである。

 一階の女子トイレ。
 もはや訪れる者も少なくなったそのトイレの、入り口すぐ側にある個室のドアだけが、固く閉ざされていた。

「はぁっ……うぅ……っ……ううぅぅぅ……ぅっ……」
 使用中を表す赤い印。
 個室の中からは、苦しげなうなり声が聞こえていた。

  ジュボッ!
  ジョボボボボブリッ!

 水のようなものが洋式便器の水面に注ぎ込まれる音が響く。
 その状態特有の強烈な悪臭が、トイレ中に充満していた。

  ブリブリブビビビィィィ〜〜〜ッ
 水気に満ちたおならの音がそれに続く。
 ……どうやら、個室に篭っている少女はかなり腹の具合が悪いらしい。ピーピー状態のようだ。

「んふっ……!」
  ドボドボドボドボドボッッ!!
 わずかな間を置き、激しい音が鳴り響いた。
 そのとき、二人の女子生徒がトイレに足を踏み入れようとしていた。が、その音を聞き、悪臭に気付くと、無言で足を止めて引き返していった。

「……別のトイレ、行こっか」
「それより、先にイベント会場行っちゃおうよ。もう始まっちゃってる」
「でもぉ……」
「月夜野さんは一回戦に出るらしいから、それが終わってから行けばいいじゃない」
「でも、白鷺センパイのも見たいし……」
「センパイは三回戦だから、二回戦の間に行けばいいじゃない」
「あ……そっか」
「じゃあ早く行こう!」

 後夜祭特別イベント――「チーム白鷺VS阿鼻谷ゼミ、ダイス三番勝負」。
 彼女たちはそれを見に行くつもりだった。
 九百六十万円という大金を賭けて争われる大ギャンブル。ある意味で今年の記念祭のメインイベントと言ってもいいもので、生徒の多くは朝からこの話題で持ちきりだった。例年の同じ時間と比べても校舎が閑散としているのは、おそらくこれが原因だろう。
 チーム白鷺の先鋒である月夜野由佳は、彼女たちのクラスメートであった。

  ジョボボボボーーッ!

 つい先ほどまで校舎で後片付けをしていた彼女たちには、まさか想像もつかないことだろう。
 今、この個室の中で格闘している少女こそが、その月夜野由佳なのである……。

「……ぐっ……、くくっっ!」
  ブリッッ!! ブリグジュグジュグジュブピッ!

 下痢をしてしまったのだ。
 よりにもよって、大切な勝負が始まる寸前に。

 そして、我慢できなかった。
 猛烈な腹痛にたえられず、彼女は勝負を放り出し、ここに飛び込み、排便を始めてしまったのだ。

「はぁっぅ……ぅぅっうぅぅぅ……っ……!」
  ブビビビビビビビッ!
  ドボボドボボボボドボッッ!!

 個室から響く苦しげな音は、まるで止みそうになかった。


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 大勢の人の前に立つ仕事を志している者として、体調管理には自信があった。
 昨日の夜こそ勝負に向けて、今までに調べた世界中のダイスゲームについて復習をしていた為に寝るのが夜中になってしまったが、それでも朝の目覚めは良く、睡眠不足のような症状は少しも感じなかった。

 朝食も、昼食も、いつもより多く食べて栄養をつけた。
 気力、体力ともに充実していた。
 頭が冴えわたり、体中に力がみなぎっていた。
 絶対に勝ってやると思った。


 満員の観客が見守る会場。舞台への花道は中央にあり、その左右が生徒たちで埋め尽くされていた。
 時はすぐに来た。

「まず最初に入場するチームは――『チーム白鷺』ッ!!」
 司会を務める水原のコールと共に、スポットライトがまぶしく光り輝く。

「先鋒『美少女マジシャン』月夜野由佳ッ!」
「次鋒、手芸部所属、秋野めぐみッ!」
「そして大将は『エクストリーム・ギャンブラー』白鷺杜夢ッ!!――以上の三名です!」
 はじけるように歓声が上がる。その中を、三人は白鷺を先頭にゆっくりと前に進んだ。
 その大きな背中を見つめ、絶対に勝ってやるぞと由佳は改めて強く思った。
 胸を張って歩いた。

 いざ舞台に立たんというとき、後ろから突如ざわめきが上がった。
 甲高い馬の鳴き声と地震のような振動。阿鼻谷だ。他にも二人。まだコールさえされていないというのに。あの極悪教師は、あまりにもふざけきった方法で会場に乗り込んできた。

 こっちに向かって、ものすごい勢いで突撃してくる。

「きゃあーっ!!」
 阿鼻谷はわざとぶつかる寸前のタイミングで手綱を引き、三人の目前で馬の前足を跳ね上げさせた。
 秋野さんがたまらず叫び声を上げる。
 想像を絶する阿鼻谷ゼミの登場に、会場は騒然となった。

「ほめてやるぞ白鷺! よくも逃げ出さずに現れたな」
 阿鼻谷はその様子に満足したふうに口元を吊り上げると、いかにも愉快そうに白鷺を見下ろした。くくく、と不気味な含み笑いが漏れる。
「メンバーが一人足りないようだが? まさかオマエ自身が大将をつとめるとでも?」
 白鷺はあくまでも冷静だ。
「ヤツにそんな勇気はない。生徒を利用して己の地位を保とうとする卑怯者さ」
 調子に乗っているようなので、由佳はわざと鼻で笑い、思いっきり悪態をついてやった。
 ぎょろり、と阿鼻谷の眼が自分の方を向く。

「月夜野か……私の期待を裏切ったばかりか、白鷺に寝返った手品娘め。いずれそれなりの制裁を与えねばな」
 あのとき、白鷺が止めていなかったら、こいつは私の指を四本とも切り落としていた。
 この下種め。
 返り討ちにして、大恥をかかせてやる。
 由佳は阿鼻谷を力いっぱいにらみ返した。


 ここまでは、順調だった。


「やれるものなら……」
 口をついて反撃の言葉が出た――その時だった。
「うっ!!?」
 異変。鋭利な刃物で刺されたような鋭い痛みが、とつじょ由佳の腹を襲った。
 体が硬直し、たまらず言葉を止めてしまう。
 痛んだ場所に手を当てると、グルル、と小さく音が鳴った。

「ど……どうしました? 月夜野さん」
「いや……な……何でもない」
 それを見た秋野さんが心配そうに声をかけてきた。
 不気味な感覚を孕むのを感じながらも、由佳はとっさにごまかした。
 すでに阿鼻谷は目の前から消えていた。馬を連ね、ゆっくりと舞台に入ってゆく。

 その直後、傷口から血がにじむようにして猛烈な痛みが腹全体に広がった。
 静かに、しかし急激に、由佳の腹は下り始めた。


「そっ……それではこれより、ダイスゲーム三番勝負を開始しますっ!!」
 阿鼻谷チームが馬から降り、興奮状態の馬を乗馬部が慎重に連れ戻していって、ようやく勝負の開始となった。
 水原の司会のもと、双方のチームが一列になって対峙する。

 由佳の顔からは、それまでの血色の良さが失せていた。
 体のねじれるような激痛が腹を駆け下り、熱く軟らかいものが次々と肛門に押し寄せてくる。
 大腸は蠕動しているのが自覚できるほどに活発に動いていた。
 必死に平静を装い、涼しい顔を作って立っていたが、体中から脂汗が噴き出し、制服の下はべとべとになっていた。綺麗に直立しているように見えるが、その足は小刻みに震えていた。

 下痢をしてしまったらしい。
 それも、かなり酷く。

 まずい。
 どうしよう。
 我慢できない。
 トイレに行きたい……!

 何も知らぬ二人に左右を囲まれながら、由佳はひとり悶絶し、激しい焦燥感に唇を噛んでいた。

(治まれ……頼むから……頼むから、治まってくれ……っ!)
 荒れ狂う自身の腹を見つめ、必死に願う。
 しかし、由佳の大腸はおかまいなしに彼女を苦しめる。

 そんな中、舞台では阿鼻谷が水原のマイクを奪い取り、自ら勝負について解説を始めていた。
 どうやら、獅子堂学園理事会が所有する特製のダイスを使って勝負を行うつもりらしい。
 阿鼻谷が袖に向かって合図をすると、理事会長が直々にダイスの載ったテーブルを押して現れた。三種類のダイスはそれぞれ別々にガラスのケースに入れられ、まるで博物館の展示品のようである。

 齢七十歳を越えているであろう会長は老人特有の動きでゆっくりとテーブルを押し進め、丁寧に舞台の中央で止めると、生徒たちに軽く会釈をし、ダイスについて説明を始めた。

 その姿をにらむ由佳の顔は、もう真っ青になっていた。
 おなかが物凄い勢いで急降下している。怒涛のように猛烈な波が肛門に押し寄せてくる。
 激しい腸の内圧と下痢の灼熱にさらされ、由佳の肛門はついにひくひくと震え始めた。
 腹が潰れそうに痛い。できることなら、今すぐその場にしゃがみこみたかった。

「今回、阿鼻谷先生の要請を受け用意したこの三種のダイス。いずれも獅子堂コレクションが誇る、世界に二つとない逸品です」
 もうなんでもいいから早くしてほしい。
 一刻も早く終わらせてトイレに行きたい。
 出したい。楽になりたい。……うんこがしたい……!

「諸君も知っての通り、獅子堂学園創立者の獅子堂重吉氏は世界を股にかける貿易商でした。その重吉氏が収集」
 説明の最中、由佳の肛門はとつぜん激しく盛り上がった。
 慌てて全力で括約筋を締め付け、中のものが溢れ出すのを防いだ。

「――古くはギリシャローマ時代、ネパールやアフリカなど地域を問わず、歴史と伝統に彩られた貴重な品々の中から」
 再び肛門が盛り上がる。腹の中のものが凄まじい勢いで噴き出そうとしている。
 今度もなんとか抑えられたが、さっきよりもきわどかった。
 視界が歪む。猛烈な腹痛が我慢する精神力を飲み込む。もう限界だった。

 説明が後半に入る頃には、由佳はもうトイレのことしか考えられなくなっていた。
 重要な内容のはずだったが、もうまるで頭に入ってこなかった。


「どうだ白鷺!? いずれも世界に二つとない品ばかり! つまりそう簡単に不正やすり替えは利かぬという事だ。これなら文句はあるまいな?」
 説明が終わり、その内容を阿鼻谷がまとめる。
「ふむ……どう思う月夜野……!?」
 横を向いた白鷺は驚き口をつぐんだ。
 大粒の脂汗を流し、顔面蒼白で震えている由佳。
 同時にその下りきった腹を、全てを押し流すような巨大な波が襲った。

  グルグルルル!
「はうっ……!!」
 わずかにつなぎとめていた理性を断ち切る、傷口を焼いたナイフでえぐられるような腹痛。
  ギュルルル!
「あぐっ!!」
 それまでになく軟らかいものが、洪水のような勢いで肛門に流れ込んでくる。

「……ぐっ……、はう……」
 ついに由佳はおなかを抱え込み、体をくの字に曲げて悶絶した。
「月夜野っ!?」
「ど、どうしたのっ!? 顔が真っ青だよ!?」
 膝がガクガクと震え全身から力が抜けてゆく。肉体が便意を解放する準備に入った。もうだめだ我慢できない。

「ダメッ……急にっ……も……もう……」
 肛門が開花前のつぼみのようにむくむくと膨らみあがる。限界だ。

「もうダメェエエ〜〜〜〜ッ!!!」
 由佳は腹を抱えたまま、さっき通った花道を猛烈な勢いで逆走しだした。


「どいてどいてっ!! どいてくれぇえっっ!!」
 まだ人で満ちている校庭。その中に頭から突っ込む。
 もはや恥も何もない。校舎への直線上にいる障害物を全て押し飛ばし由佳は疾走した。

 獣のような瞳で校舎の中に走り込む。

「ああぁぁっぁぁっ……!」
  ブリブビッッブビッブビッ!
 両手で肛門を抑えつけて弾丸のように由佳は女子トイレに突撃した。
 もうおならが漏れだしている。洗面台の前に何人かいたがそれどころではない。パンツを下ろしながら個室に飛び込む。便器。すわる――!

  ビチビチビチビチビチビチビチビチブボォッッ!!!

 それまで由佳の中で荒れ狂っていたものが、物凄い音を立ててぶちまけられる。
 間一髪だった。由佳の尻はまだ便座に接していなかったが、中腰の肛門から噴出した下痢便はぎりぎりで便器の中を捉えていた。あと一秒遅かったら、尻も便器も糞まみれになっていたことだろう。一瞬の硬直の後、由佳は崩れるように便座にすわりこんだ。

  ドボドボドボドボドボドボドボッ!!!
  ブウウブゥーーーブゥゥブビビビビビビッッ!!
  ブゥゥドポドポドボドボドボドボォォーーーーッ!!
 ようやく照準の合わせられた噴出口から、水を殴るような勢いで土石流が次々と便器の中にぶちこまれる。
 尻と水面のあいだの狭い空間で激しい放屁を伴って下痢便が爆発し、由佳の肉付きの良い尻と便器側面に泥が派手に付着してゆく。下痢の水面への激突によって大量のおつりも発生し、その美しい尻はあっというまに悲惨な状態と化した。

「はあっっ、はあっ、はあっぅっ……!」
  ブウウゥゥゥゥーーーッ!
 腹圧の合間を縫って、あえぐように息つぎをする。
 そうしながらも、全開になった肛門からは勢いよくおならが飛び出す。
 足の震えは痙攣に近いぐらいガクガクだ。視界がぶれて焦点を結ばない。

  ギュルルルググゥーーッ!
「いっ……、ふっ、う……っ!」
 むせ返るような悪臭が便器の中から溢れ出し始める中、少しも休む間なく猛烈な腹痛の波が由佳を襲った。
 由佳は腹をへこませて悶絶し、その身体は大きく前方に折り曲げられた。肛門がうず高く盛り上がる。

「ふうっっ!!」
  ドボッッ!!
 苦しみのあまり腹に指がめり込むと同時に、中身が勢いよく飛び出した。
「ぐぅっ、うぅぅぅっ……うーーっ!」
  ジョボボボボボボボボボボッ!!
  ドボブビジュボボボボボッ!!
  ジュビビビビビブウウゥゥゥゥーーーッッ!!
 再び大量の下痢便がぶちまけられる。
 肛門が苦しげに収縮するたび、男の人がおしっこをするような音が響きわたる。
 固く閉ざされ震える目尻から大粒の涙がこぼれ、雫が床のタイルに落ちてはじける。
 地獄の下痢。獣のように唸りながら苦しみを排泄する由佳の姿には、普段の誇り高さは見受けられなかった。

「……ああーっ……はあーっ……はあーっ……」
 真っ赤に盛り上がったままの肛門から、ぽちゃぽちゃと腸液がしたたり落ちる。
 出しに出したおかげか、わずかに腹圧が落ち着き、由佳は薄く目を開けた。
 しかし、その視界は滲んで何も見えなかった。腸の激痛で涙が大量に分泌されたうえ、滝のように噴き出した脂汗が、額から次々と流れ込んでくるのだ。

 由佳は手探りでスカートのポケットからハンカチを取り出し、そっとまぶたに当てた。
 その手はなお震え続けていて、満足にぬぐうことはできなかった。
 それでもわずかに視界が開け、それに伴い、便意に乗っ取られ暴走フリーズ状態にあった思考回路が、ゆっくりと元の動きを取り戻し始めた。

 激しい自責と後悔の念が押し寄せる。
 私は、なんてことをしてしまったんだろう……。
 由佳は、唇を潰れるほどに強く噛み締めた。

 大切な勝負の日に……よりにもよってその開始寸前に下痢をしてしまい、我慢することができず、全てを放り出してトイレに駆け込んでしまった自分……人として、マジシャンとして、……一人の女性として……最低だ。
 あのときの自分の姿を見て、観客はみな、もちろんにっくき阿鼻谷も、……そして……白鷺も……私が腹を壊してしまったことに、間違いなく気が付いただろう。

 由佳の頬は燃え上がらんばかりに赤熱していた。
 こんなにも恥ずかしく情けないことをしてしまったのは、生まれて初めてだ。

 しかし、そこで負けないのが月夜野由佳である。
 一刻も早く戻らなければ――!
 このままでは不戦敗になってしまう。もうなっている恐れもあるが、誰が見ても下痢による排泄行為のためだとわかるあの退出を見て、少しの間なら待っていてくれる可能性も大いにあった。

 今すぐ戻れば、間に合うはずだ。
 左手でそっとおなかをさする。
 なお激しく荒れ狂っているが、その理性を完全に奪い取った先ほどまでの症状と比べれば、だいぶましだ。

 なんとか――勝負の間ぐらいは我慢できそうだ。――いや、しなければならない。
 由佳はトイレットペーパーに手を伸ばした。
 ガラガラと派手な音を立てながら両手で力いっぱい引っぱり、荒々しく千切り取る。雑に折り畳むと、すぐに尻の下に手を差し入れ、充血して固くなっている肛門にこすりつけた。ぬるりとした感触を覚えながら、水面に紙を落とす。
 そしてすぐさま両手を再びホルダーへと伸ばす。

  グウウゥゥゥゥッ!
 その動きが、びくん、と止まる。

「ぁ……」
 由佳は泣きそうな顔で自分のおなかを見下ろした。
 肛門がムリムリと膨らみあがり、体が再びがくがくと震え始める。

  キュゥゥォォォゴオォォォ〜〜ッ
 だめだ、だめだ、だめだ……!
 溢れ出そうとする本能に必死に抗い、肛門括約筋を引き締める。
 両手で腹の肉をひっつかみ、目をつぶり歯を食いしばる。

  グウーーーッ!!

 しかし……。
  ビュルッ!
  ビュルルルルッ!

「……くあああっ!」
  ドボドボドボドボドボドボドボォーーッッ!!
 下痢。由佳の乱れきった大腸には、理性の叫びなどまるで届いていなかった。

  ビュルルドポドポドポポッ!
「あつっ……!!」
 右手でハンカチを噛み締め、びくびくと震えながら熱湯を注ぎ込む。
 おなかとおしりが燃え上がるように熱い。痛い。

「はぐぅうぅ〜〜〜ッ!!!」
  ドバドボドボブウウゥゥゥゥーーーーーッッ!!!
 下りきったおなか。激烈な勢いで内容物を吐き続ける肛門。
 哀れな由佳は、当分のあいだトイレから出られそうになかった……。


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「……ふ、ぅぅ……ぐ……っぅぅ……」

 ひとけのない女子トイレ。
 鼻の曲がるような悪臭がまるで侵入者を拒むかのように満ちているそのトイレの、ただ一つ使用中の個室から、苦しげなうめき声が聞こえ続けていた。

 あれからどれぐらいの時間が経ったのだろうか。

  ジョボッ!
  チュボボポッ!
  ジュボボボボボボボッ!

 汗と汚物が溶け合いぬるぬると茶色くぬめるおしりから、次々と灼熱の水が注ぎ込まれる。
 その肛門は痛ましく腫れ上がっていた。排泄のたびに激痛が走って肩が大きく跳ね上がる。
 それに続くのはか弱く可憐な少女の吐息。

 ハンカチを千切れるほどに噛み締め、由佳は涙目で排泄を続けていた。
 愛用のハンカチはよだれでべたべたに濡れ、生地が歯の形にえぐれていた。

 下痢が止まらない……。

「ぐっ……うぅ……、ふ……っ……!」
  グウ〜〜グウゥゥゥーーーッ……!
 焦燥感に胸を乱し、腹をさすりながら由佳は今にも泣きだしそうな顔をしていた。
 一時は不戦敗になってしまった自分に絶望して本気で泣いていたが、勝負に出る順の変更は必ずしも禁止されていなかったことに思い至ると収まった。白鷺ならその点をすかさず指摘し、自分の番を後に回してくれることだろう。
 ただし、あくまでリミットが少し伸びただけだ。あれからだいぶ時間が経ってしまっている。

 なのに由佳は、便器から離れることが、トイレから出ることができない。
 腹痛がどうしても治まらない。

 もう由佳は、昨日の夕食も、今日の朝食も昼食も、全て便器の中にしてしまっていた。
 朝食は吐瀉物のような状態で、昼食はほとんどそのままの形で出てきた。屋台で食べた焼きそばの麺が肛門にひっかかり、しばらくの間プラプラと揺れていた。おなかがクレーターのようにへこんでいる。体中の力がおしりの穴から外に流れ出してしまったような気がする。

「……ふぅぅぅぅっ!」
  ドボボボボボボーーーッ!!
 それでも下痢が止まらないのだ。まるで体中の水分を出しきるまで続きそうだった。
 肛門からの限度を超えての放水で、すでに由佳の身体は脱水症状を起こしていた。
 体中が脂汗でどろどろで、喉がひどく渇き、頭が発熱して重く痛み、眩暈さえした。
 水が飲みたくて飲みたくてたまらないが、その水分さえ、個室から出ないことには補充できない……。

「ぐくっ! ……くっ、……くくっ……!」
  ブボッッ!! ブビビビブビッ!! ブーーッ!!
 荒れ狂う下腹の上を、ふるえる左手が迷子のようにさまよう。
 トランプを魔法のように操る魔女の指も、こうなってしまっては何の役にも立たない。

「ああぁぁ、ぁ……」
  ドポポポポブゥゥビィィィィーーーーッ!
 全身が痙攣を繰り返し、下りきったおなかから、絶えることなく水便が吐き出され続ける。
 こんなに酷い下痢は生まれて初めてだ。小学生時代カキに中って寝込んだときでもここまで酷くはなかった。
 ……下痢。ただひたすら……どうしようもなく下痢だ。

「白鷺いぃっ……っ!」
 由佳は、喘ぐようにしてその名を呼んだ。
 助けて……苦しいよ。私、もう、どうしていいのかわからないよ……。


 その時だった。


 トイレのずっと外から、地鳴りのように、巨大な歓声の渦が聞こえてきた。
 由佳は目の色を変えて耳をすませた。――何を言っているのかはさすがに分からなかったが、遥か遠く特設ステージからここまで届いてきたその音は、舞台で何か大きな変化が起こったに違いないことを由佳に教えてくれた。

 たぶん、一回戦が終わったのだ。

 先鋒は自分に代わって秋野さんが出ているはず。
 そしておそらく彼女は負けた。暗算ができるだけで勝てるほど、阿鼻谷ゼミの連中は甘くはない。

 自分はまだここにいるのだから、次鋒は残る白鷺となる。
 そして、もし二回戦が終わっても、まだ自分がここにいたら……。

 このままでは取り返しのつかないことになる。
 尻を拭いたりするのだって時間がかかる。もう一刻の猶予もないのだ。

 負けたらだめだ!

 由佳は弛緩していた括約筋を思いっきり引き締め、垂れ流し状態だった肛門を力いっぱいすぼませた。
 それと同時に、新たに腸から送られてきた下痢便が押し寄せてくる。
 外に出せとばかりに、ものすごい力で肛門にのしかかってくる。激しい便意が脳を焦がす。

「ぐっ……っ!!」
 由佳は全身を強張らせて本能のうずきに抗った。

 我慢。

 ほどなくして、下痢便は腸を逆流し腹の奥に戻っていった。
 そのままの勢いで由佳はトイレットペーパーに手を伸ばし、派手に音を立てながら尻を拭き始めた。


 大きな水洗の音と共に、ドアの表示が青に変わる。
 ゆっくりと扉が開き、由佳はついに個室の外に出てきた。
 踏み出した足がわずかにふらつく。満身創痍ではあったが、その瞳には力が残っていた。あれだけ下っていた腹も、奇跡的に落ち着きを見せ始めていた。

 きっとトイレの出口を見つめる。
 だが、次の瞬間その視線は洗面台へと移り、わずかな惑いの後、吸い込まれるように歩み寄った。
 震える手で蛇口をひねり勢いよく水を出すと、その下に顔を押し込み唇を開く。

 恍惚の表情で水を飲み始める。
 脱水症状が激化し、喉の渇きは意識が壊れる寸前にまでなっていたのだ。
 水がこぼれて衣服が濡れるのもおかまいなしに、喉をごくごくと鳴らし、次から次へと飲み込んでゆく。全身の細胞が蘇ってゆくような気がした。下痢で大量に失った水分を肉体が欲していた。早く行かなければと思うも止められない。由佳は途中でついに蛇口に直接くちをつけ、取り付かれたように冷たい水を飲み続けた。

「げっ! ごほっ! げほっ!」
 さなか激しくむせ、由佳は蛇口から顔を離した。
「はぁっ……はぁっ……」
 荒々しい呼吸のまま、目を細めてため息をつく。
 生き返った……。
 全身が潤い、狂おしかった喉の渇きも消えていた。どろどろになっていた頭が冴え、体が軽くなり、気力が充実してくる。

「げぷっ……」
 重みを感じおなかをさわってみると、冷たい中身がたぷたぷと揺れた。
 ペットボトル一本分は確実に飲んだことだろう。あるいは、二リットルか、三リットルか。
 ……勢い余って、少し飲みすぎたかもしれない。

(ばか……急がなければ……!)
 水を飲んだことに加え、下痢まみれの尻を拭き清めるのにもかなりの時間を使っていた。
 もう一度水を出し、素早く手を洗うと、由佳は急ぎ走りだした。

  グルルルゥ……

 だが、出口のところで急に立ち止まってしまった。
 ……凍るような腹痛。おなかがひやりと痛んだ。まるで氷を押し付けられたような、ひどく不気味な感触がした。

 全身に悪寒が広がり、ぞくり、と肩が震える。
 由佳は脅えに満ちた表情で自分の腹を見つめた。
 そっと、痛んだ箇所に手を伸ばす……。

  ギュルルルルルル!!
 その瞬間、由佳の腹を激痛が襲った。
 由佳はびくんと震えて目を見開き、両手でおなかを抱え込んで丸くなった。

「う、うそ……、ぁ……ぐ!!」
 腹のえぐれるような感覚と共に、いま飲んだばかりの水が物凄い勢いで肛門に流れ込んでくる。
 すぼまっていた肛門が一瞬でエベレストのように隆起する。
 まるで大量に浣腸をされたかのような暴力的な便意。
 全身から冷たい汗が噴き出し、それまでわずかに上気していた由佳の頬は、あっという間に蒼白になった。

 わずかな悶絶の後、由佳の足は勝手に歩きだした。
 膝をガクガクと震わせながら、ほとんど便座に座るような姿勢で個室へと進んでゆく。

 あと数歩のところで、由佳ははっとして立ち止まった。

 だめだ!
 今戻ったら、もう……!

 個室の中では、さっきまで自分が下痢便を注ぎ込んでいた便器が、口をあけて待っている。
 今あそこに戻ったら、もう離してはくれないことだろう。

 我慢しろ!
 我慢しなくてはだめだ!
 さっき舞台でできなかった分、今度こそ我慢するんだ……!
 固く目を閉ざし歯を食いしばり、由佳はそのままの姿勢で悶絶を始めた。

 その状態が、何十秒間か続いた。

 治まってくれ……!
 いま行けなかったら、もうおしまいなんだ!
 頼むから治まってくれ……!
 頼むからっ……!

 激烈な腹痛に涙をにじませながら、由佳は必死に祈った。
 しかし便意は加速度的にその勢力を増してゆく。
 うめきながら必死に腹をさすりまわしたが、何の救いにもならなかった。
 体がぶるぶると冷たく震え、全身から力が抜けてゆく。

  グウウウウゥゥッッ!!
 由佳は……我慢できなかった。

  ビュルッ!
「ぁっ!」
  ビュッ! ビュルルッ! ミュルッ
「ぁ、ぁ、ぁっ」
 パンツの中に次々と生温かいものが放たれる。

  ビューーーーッ!
「ああぁぁあーー……!」
 由佳は両手でおしりの穴を押さえ、ガニ股で個室の中へ突進していった。

  ビシャビシャビチャチャチャーーーーーーッ!!!
 直後、個室の中で、恐ろしいことが起こった。

  ボヂャボチャボチャボチャボチャボチャボチャッ!!
  ジュボボボボボボボボボボボボ!!!
  ジョボボボボボボボボブウーーーーッ!!
  ブビビビビーーーブウウウウーーーーッ!!

 凄まじい音がトイレ中に響きわたる。
 それがひとしきり続いたあと、えずきがあり、震える泣き声が聞こえだした。


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 それでも由佳は出てきた。

「……はぁ……はぁ……はぁ……は……っ……」
 げっそりとやつれた表情で、水洗の音と共に開いた個室から倒れるようにして外に出る。
 結局、大量に飲んだ水は、全てそのまま出てきた。
 乱れきった由佳の消化器官は、突然の異常な摂取を受け入れられなかったのだ。いわば彼女は、肛門から嘔吐してしまったのである。

 由佳はもう拭かなかった。
 濡れた下着を冷たさに震えながら穿き直すと、残っていた紙を全て巻き取り、折り畳んで尻の下に敷いた。
 拭く余裕などもうなかったし、万が一のためでもあった。

 左手でスカート越しにおしりをさわり、びくんと震える。
 肛門が脱肛を起こし、露出した粘膜が紙とこすれて激痛を放っていた。
 もう痛み以外の感覚がなく、収縮のコントロールもできず、今も腸液が少しずつ漏れ出していた。
 おむつが欲しかった。

「はっ……はあっ……、は……っ……」
 せっかく摂取した水を全部吐き出してしまったことで、由佳は再び激しい喉の渇きに襲われていた。
 よろよろと洗面所に歩み寄る。

 欲求をぐっと我慢し、由佳はそっと蛇口の下に両手をかざした。
 その中に冷水が満ちると、一回だけゆっくりと飲みほした。
 とうてい満足には及ばなかったが、それでも全身に力が染み渡るのをはっきり感じた。命を飲んだ気がした。

 鏡に映ったその顔は、青ざめ、頬がこけ、唇がかすれ、髪が乱れていた。
 瑞々しく張り詰めていた肌が、今はしおれている。普段の美しい輝きは見られなかった。

 手の震えが止まらない。
 大得意のシャッフルさえ、今はまともにできる自信がない。
 こんなことで、これから強敵を相手に戦えるのだろうか……。

 だが、それでも。

 このまま逃げるよりはましだ。
 たとえどんなことになっても、最後まで力を尽くして戦い抜いてやる。
 もう、私は絶対に逃げない。

 そのとき、遥か向こうのステージから、再び激しい歓声が聞こえてきた。
 きっと、あいつが勝ったのだ。

 そうだ。
 あいつが待ってる。
 もし最後まで戻れなかったら、自分はもうあいつと話す権利を永遠に失うところだった。

 行かなければ。

 足を前に踏み出す。
 膝が、がくんと折れ曲がる。

 もう、由佳はいつ倒れてもおかしくない状態だった。
 精神力だけが、疲弊しきった肉体を支えていた。

 崩れかかる身体を、もう片方の足で必死に支える。
 待ってて、いま行くから。
 そして、絶対に勝ってみせるから。
 だから、待ってて。

 瞳を閉じ、そっと両手を胸に合わせて息を整える。
 どくどくと、熱い鼓動が身体を駆ける。
 大丈夫。大丈夫だ――。
 大きく目を開き、前を見据える。

 そして由佳は、力いっぱい走りだした。


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