No.17「静寂の海で(前編)」

 岩崎 真雪 (いわさき まゆき)
 10歳 みそら市立下里第一小学校4年1組
 身長:132.7cm 体重:27.5kg 3サイズ:61-47-65
 透明感のある長めのおかっぱが可愛らしい、内気でおとなしい女の子。

 ヒロインの物語開始直前一週間の日別排便回数(←過去 最近→)
 1/2/1/1/8/15/11 平均:5.6(=39/7)回 状態:下痢

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 冬の朝。

 優しいひかりに包まれながら、真雪は柔らかく目を覚ました。
 目を開けると同時に無限の白い輝きが飛び込み、しかしそれは静かに溶け薄れてゆく。
 ふわりと身体を起こした真雪は、ここが自分の部屋ではないことに気が付いた。
 違う風景、ベッドではなく敷布団の上に寝ている自分、傍のベッドの上では母が寝ている。
 そして、昨日のことを思い出した。

 真雪は時折、闇が異常に怖くなって、夜、一人では眠られなくなる。
 それが昨日だった。こういう時は、いつもこうして母の部屋で寝ているのだ。
 支度をすませ、すでに布団の敷かれていたこの部屋に入り、しかし甘えを求めて母のベッドに潜り込み、そこで記憶が途絶えている。どうやら、そこで甘くなって眠ってしまったらしい。真雪は今夜は悪夢を見なかった。時間が飛んだ感覚、目覚めが神秘的であったのは、眠りが深かったからだろう。安らぎに抱かれて寝つけたおかげだろうか。

 時刻は目覚ましの一時間前だった。
 カーテンの隙間からはまぶしいばかりの光が射し、外では穏やかに鳥の声が聞こえる。
 真雪はそっと起き上がった。
 腰から下が鈍く痛み、足元がふらふらした。
 寝る直前まで下痢が続いていたせいだ。昨夜の記憶よりは楽になったが、体が重いことに変わりはない。

 光を求めて窓に進み、真雪は小さくカーテンを開いた。
 外は一面真っ白に染まっていた。それが朝日に照らされてきらきらと輝いている。
 どうやらまた雪が降ったらしい。街は眠りに包まれたように静かで、こうして見る雪は真雪も好きであった。部屋は暖かい。下痢が治まらない真雪を心配し、おなかを冷やさないように暖房を入れ続けてくれたのだろう。

「真雪?」
 そうして雪を楽しんでいると、後ろから母の声が聞こえた。
「どうしたの? 目が覚めちゃったの?」
 何も言えずに真雪は振り向く。おかっぱ髪が柔らかに揺れる。
「……下着、大丈夫? 汚しちゃってない?」
「だいじょうぶ」
 そしてようやく声を発した。寝糞のせいで目覚めてしまったのでは、と美由紀は考えついたようだった。昨夜のひどい下しぶりから考えれば、無理もないことだ。一昨日にやってしまったことも、結局告白することになった。しかし真雪はそう考えてほしくなかった。

「……そう。じゃあ、まだ早いんだから。横になって、少しでもたくさん休んだ方がいいわ」
「うん……」
 真雪は小さく答えると、ゆっくりと自分の布団に戻った。
 が、横になることなく、すぐに再び起き上がると、今度は母の布団の中に潜り込んだ。
「だめでしょ、真雪。もう子供じゃないんだから」
 すぐにしかられたが、真雪は答えなかった。
 それから静寂が始まると、やがて真雪は母の大きな体にぎゅっと抱きついた。

「ねえ真雪、学校で親しい子はできた?」
 何も言わずにいた美由紀は、少しすると、優しい声でそう尋ねた。
「…………うん……」
 真雪は、ほとんど聞こえるか聞こえないかの声でそう答えた。
 転入からもう二ヶ月が経っているが、娘が友達を家に連れてきたことも、友達と電話をしているところも、友達の家に行くところさえも、美由紀は見たことがなかった。

「おかあさん」
 そのまま何秒か美由紀が言葉を閉ざしていると、今度は真雪が口を開いた。
「どうして……そんなこと聞くの?」
 声が震えていた。
「真雪に、たくさん友達ができてほしいから……」
 美由紀はそれだけ答えると、真雪の頭をゆっくりと撫でた。
 真雪は無垢な瞳でじっと母の体に抱きついていた。

 ちょっと悪いタイミングでおなかを壊してしまったせいで、なにもかもを失ってしまった可哀想な娘。
 ぬくもりを求めて頬を擦り付けてくるその身体に、美由紀はそっと手を伸ばした。
 抱きしめられる真雪。
 腰に回された母の手に最初はくすぐったさを覚えたが、すぐに幸せで気持ちよくなった。
 そして胸が温かく鼓動し、やがて真雪は静かに眠りの世界へと戻っていった。


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「もしまた具合が悪くなったら、無理しないですぐに帰っていいんだからね」
「うん……」

 開かれたドア。雪に包まれた玄関の外を見つめながら、真雪は弱々しい表情でNマークのバッグを背負った。
 今日も塾に行く時間がやってきたのだ。
 十二月三十日。冬期講習五日目。今日が、ことし最後の授業である。

「大丈夫? 寒くない?」
「だいじょうぶ……」
 外気を浴びて小さく震える真雪。空は青かったが、気温はだいぶ寒かった。
 足を覆い隠す紺色のロングスカート、生地の厚いクリーム色のコート、薄ピンク色の愛らしいマフラー。さらに同色の手袋。――いかにも暖かそうな防寒着で身を包んでいる真雪だったが、すでにこれだけの寒気を感じてしまう。下着も上下共に重ね着をしていると言うのに。彼女にとって冬の寒さというのはまさに天敵であった。
「本当に大丈夫? おなかにカイロでも入れていく?」
「おかあさん、わたし、だいじょうぶだから……」
 美由紀はいつになく心配そうな表情をしていた。
 昨夜多めに飲んだ下痢止めが効いてくれたのか、今朝の真雪のおなかは落ち着いている。が、ほんの半日前の酷い下痢の姿、おなかを抱えて部屋とトイレとを往復する娘の姿が、心に焼き付いてしまっていた。
 朝からピーピーになってトイレに篭り続け、四十分も遅刻する羽目になった昨日の今よりは遥かにましだが、それでも胸の不安は消えることがなかった。
「わたし、がんばるから……、おかあさんも、お仕事がんばって」
 いつになくはっきりした声調で真雪がそう加えると、美由紀はようやく言葉を止めた。

「……それじゃあ、いってらっしゃい。雪で転ばないように、気をつけてね」
「いってきます」
 瞳を力強くした真雪を見て、美由紀はついに娘を送り出すことにした。
 足元を見つめながら、真雪はゆっくりと歩き出す。
 小さな体がすぐにいっそう小さくなってゆき、雪の溶けるようにして真雪は母の視界から離れていった。


「はぁ……っ」
 ――しかし。
 手を振る母の姿を途中で振り返って見て、そっと微笑んでみせた真雪だったが、家から見えないほどに離れると、その表情は急に暗く切ないものに戻った。
 両手を口元に寄せ、悩ましげに白いため息を吹きかける。

(……行きたくない……)
 本当は、塾に行きたくなくてたまらなかったのだ。
 とは言っても、おなかの具合は落ち着いているから、体調不良が理由ではない。
 昨日、塾でしてしまった下痢。授業中に我慢できず便所に立ってしまったあの時のことが、真雪の心に深く闇を焼き付けているのだった。

 不運にも授業開始直後に便意をもよおし、ひとり顔を歪めて激しい下痢の苦しみに悶え震える羽目になった、あの社会の時間。……何もかもが、最悪だった。
 下しきった腹を抱えて震え、今にも爆発しそうな肛門を必死に締め付けて下痢を堪え続けるという、悪寒と脂汗にまみれた地獄。しかし猛烈な便意には抗いきれず、真雪は世にも惨めな行為を、人知れず、あるいは人前でしてしまったのであった。


 まず、真雪は教室で人知れず下痢を漏らしてパンツを汚してしまった。
 腹痛に耐え切れずついにおならをしてしまった時。同時に猛烈に膨らみあがった便意を我慢できず、彼女はブリュブリュと少量の下痢便を排泄してしまった。音がしなかったので周囲にはばれずにすんだが、真雪はひとり泣きそうな焦燥感に心を焼かれることとなった。直後にたまらず左手で肛門を強く押さえつけたため、穴の周りの泥をパンツに塗り付けることになり、これが致命的な汚れとなってしまった。

 そして羞恥。
 真雪の壊した腹が産み出した屁は凄まじい悪臭を放ち、それが辺り一面に広がって、彼女は女の子として最低の類の羞恥を味わうことになった。あまりにも屁が臭かったせいで大便の臭いには気付かれなくてすんだが、幸福だったとは言えそうにない。

 さらに恥ずかしみを通り越して恥辱。
 いよいよ限界を感じた真雪は、直後に男子が行ったおかげで勇気付けられたこともあり、それからすぐにトイレに行くべく立ち上がった。が、そこでまた悲惨な目にあうことになった。
 決死の思いで左手を肛門から離して立ち上がり、両手を握って腰に押し付けながら早歩きで先生のもとに向かい、そして震える早口で、「あの、……トイレに、行ってきてもいいですか?」と尋ねた。
 だが、その脂汗だらだらの病的な姿のせいで、吐き気をもよおしているのだと誤解され、「大丈夫か? 気分が悪いのか? 戻しそうか?」だの「一階にベッドがあるが、そこで休むか?」だのと、ありがた迷惑な心配の言葉でもって足止めをくらうこととなった。真雪は何も答えられずに膝をがくがくと震わせた。
 その最中、ぶぶぶうっ、と激しい音のおならが肛門から噴出し、連続してぶぴゅりと水気のある音を立てて真雪は再び軟らかいものを漏らしてしまった。
 それでようやく先生は気付き、「すまん、下痢してたのか、早く行って出してこい」というデリカシーのかけらもない言葉でもって真雪をドアへと導いた。教室のあちこちからクスクスと小さな笑い声が聞こえた。胸の痛みでそれこそ吐きそうになりながら、真雪は逃げるようにして廊下へとふらつき出た。

 それから、今度は絶望と焦燥と羞恥の入り乱れた茶色。
 教室のドアが閉まると同時に両手で肛門を押し上げてトイレに突撃した真雪だったが、個室に駆け込んでパンツを下ろした瞬間、完全に限界を迎えて中腰で便器の外に下痢便を噴射してしまった。
 直後に全力でしゃがみ込んだので腸の中の全てを撒き散らしたわけではなかったが、タイル張りの床は暴発した肛門から叩きつけられた水泥で黄土色にまみれ、しかもセメントに吸収されてしまった下痢の色素はどうしても拭き取ることができなかった。
 加えてパンツにも大きな丸いシミができていて、とてもではないがペーパーでは拭き取れそうになかった。そのため、真雪は塗り付けられた未消化物だけ擦り取って冷たいおもらしパンツを穿き直し、汚れた床をそのままに、泣く泣く個室を後にすることになった。これから不特定多数にここを使われるのだと思うと、羞恥で胸が張り裂けそうだった。
 しかも、運悪く隣の個室にはずっと誰かが入っていて、真雪は恥ずかしい下痢の音を終始聞かれ続けていた。真雪の肛門が奏でたのは、「ブリブリビチビチ」という、絵に描いたような物凄い下痢の破裂音。おそらく、便器の外にやってしまったのにも気付かれたであろう。顔も知らぬ少女の軽蔑の眼差しを壁越しに感じ、真雪は羞恥に打ち震えた。
 なんとか治まったおなかをさすりながら、真雪は悪臭立ち込めるトイレから逃げ出した。

 そして最後に、とどめと言わんばかりに、再びの激しい恥辱。
 二十三分にわたって個室に篭り続けたのち、げっそりとした表情で教室に戻った真雪。
 先生の第一声は、「おい、ずいぶん長かったな」だった。真雪は赤面しきって何も言えなかった。さらに、「そんなに酷く下してたのか? 大丈夫か?」と続けられた。死にも等しく嫌な言葉だったが、先生が心配からそう言っているのが分かってしまえたので、真雪はただ黙っているしかなかった。
 さらに「すっきりしたか?」と先生が言うと、唐突にクラスは爆笑に包まれた。真雪はいたたまれなくなり、引き篭もるようにして自分の席へと戻った。先生を無視しての、いきなりの行動だった。
 笑いの渦は一分近くも収まらず、うつむき震える真雪の心を犯し続けた。まさに顔から火が出る思いだった。「おまえら、人の大便を笑うなと教わらなかったか?」と先生が注意したが、逆効果だった。一分が永遠にも等しく感じられ、真雪は泣くのを堪えるので精一杯だった。泣いてしまったらおしまいだと感じ、唇を噛んでただひたすらに耐え続けた。

 授業が終わると、真雪は今度は塾それ自体から逃げ出した。

 赤く腫らした目を潤ませながら、真雪は冬の街を家に向かって震え歩いた。
 心身ともにこごえきっていて、胸が凍りつきそうであった。
 帰り道の中ほどで、真雪はまた下痢をもよおした。物凄い腹痛、暴れ狂う下痢腹。惨めさと苦しさで泣きそうになりながら、真雪はおなかを抱えてふらふらと歩いた。が、やがて家の間近で我慢できないほどにつらくなると、真雪はなかば自暴自棄になり、欲求に身を抱かせてわざと下痢をちびりながら歩いた。
 そして、家のトイレで全てを吐き出しながら顔を覆って泣いた。自分の腸を怨み、声を漏らして泣いた。おしり丸出しで一時間近くも泣き続け、それで真雪は腹を冷やしきり、夜まで下痢を続ける羽目になった。


 ……だから。
 今日は塾なんて行きたくなかった。
 何よりも真雪の心を遠ざけているのは、教室で受けた恥辱である。
 再びあの教室に戻るのが怖い。これでもし今日もまた授業中に大便などと言うことになったら、もうどうなるか分からない。想像するだけで嗚咽を吐きそうになる。今日だけは、塾が嫌で嫌でたまらない。

(だめ……行かなくちゃ……)

 だがそれでも、真雪は逃げようとしなかった。
 幾度も幾度も立ち止まるが、そのたびに勇気を出して足を前に踏み出してゆく。
 何よりも、彼女は受験勉強に対して真剣だったからだ。

 裕福ではない真雪の家。にも関わらず高い月謝を払って親が塾に行かせてくれるのは、良い中学校に行けば、いじめなど起こらない恵まれた環境を娘に与えられると考えたからであった。
 二度と悲劇を繰り返させたくないという、切実な願い。その想いに真雪も気付いていた。
 だから、このぐらいで負けるわけにはいかない。
 二日目早退、三日目欠席、四日目遅刻。
 いずれも断腸の思いで貴重な授業を放棄した。もう、これ以上遅れるわけにはいかない。

(わたし、がんばらなくちゃ)
 淡く光に照らされた先を見つめ、白い雪道を歩き続ける真雪。

 お父さんとお母さんには、たくさん迷惑をかけて、たくさんの悲しみを与えてしまった。
 頑張って、頑張って、それを全て忘れてもらえるぐらいに安心させてあげたい。

 ――その健気な想いが、彼女の運命を変えることになった。


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「ねえ、あなた、岩崎真雪さんでしょ? 一組の」

 家を出てから一分か二分。
 早くもおなかが冷え始めたのを感じ、真雪は両手で下腹部を包んで足を速めた。
 そうしながら角を曲がった時、直後にいきなり後ろから澄みわたった声で名前を呼ばれた。

「Nバッグ、よく似合ってるね。こっちのクラスはA組だよね」
 胸が鳴り、はっとしておなかから手を離す真雪。未知の声がさらに続けられる。かなりしゃべるのが速い。

「あ――」
「こんにちは。――初めまして。わたしのこと、ご存知ですか?」
 そして振り向くなり、真雪は驚き固まってしまった。
 そこに天使が降り立っていた――あの白鳥窓風が羽を広げていたからだ。
 知らないことなどあるはずがない。模試で全国一位を連発する超天才少女。日能研下里校の誇り、そして下里第一小学校の誇りでもあった。かつ運動神経抜群、容姿端麗、何をやっても全て卓絶し、さらに家も学年一裕福であった。
 長く伸ばされた黒髪が雪明りに照らされてきらきらと光り輝く。高級そうなベージュのコートに包まれた、すらりとした体躯。相貌は貴族的な気品に満ち、殊に切れ長の大きな瞳が美しく印象的だった。肌は透けるように白く、粉雪のように繊細な質感は真雪のそれにさえ勝っている。
 ――転入した翌日にはすごい人として名前を把握することになった、いわば憧れの存在。
 これまで、目を合わせたことすらなかった。その窓風さまが、今、他ならぬ自分に声をかけてきたのだ。目の前で微笑んでいる。真雪はすぐには反応できなかった。

「……し、白鳥、まどか、さん……」
 数秒の後、声を裏返しながら、ようやく名前を紡ぎ出す。
「知っててくれたんだ。嬉しいな」
 すぐに窓風は心から嬉しそうに表情を輝かせた。
 そのゆかしいきらめきは、まさに美少女のそれであった。四年生にして学校中のアイドルと言われているだけのことはある。実際に勧誘も来たらしいが、興味がなくて断ったらしい。

「いつもは車で送ってもらうのだけれど」
 美しく間を空けたのち、即座に窓風はそう話し始めた。
「お車検で、今日はこうして歩いてゆくことになったの。最初は寒くて嫌だったけど、景色を楽しめたし、あなたとも出会えたし、今はとても満足してる」
 そして澱みなく言葉を重ねた。彼女はいかにも機嫌が良さそうだった。
「そんな……」
 真雪はそう応えるので精一杯であった。
「わたし、前からあなたに興味があったの。一組に転入してきたあなたを、偶然にA組の教室で見つけた時から。他に通ってる女の子を知らないから、お友達になれないかなって」
「え……、あ、あの……そんな」
 まるで台本があるかのように、すらすらと言葉を描いてゆく窓風。
 真雪は身に余る内容に赤面し、目を合わせられなくなってうつむいてしまった。
 窓風は重ね合わせた両手で美しい革の鞄を下げていた。背中には何も背負っていない。
「時々あなたのことを遠くから見ていたのだけれど。気付いてはくれなかったみたいね」
「っ、」
 うそ――。それは、むしろわたしなのに。
 窓風は微笑みながら続けてゆく。まるで不思議な夢でも見ているかのようだった。

 ここで会話が途絶えた。
 真雪が返事らしい返事を返せなかったからだ。
 憧れの人。嫌われるのは怖い。真雪は何かしゃべろうと焦ったが、そう思えばそう思うほど、混乱して物事を考え付けなかった。焦燥感が膨らんでゆく。

「わたしのこと、怖がってる?」
 わずかの後、窓風は心配げな声色でそうつぶやいた。真雪はびくっと震えた。
「そんなに固くならないで。答えるのが難しかったら、黙っててくれても気にしないから。わたしは、あなたとのお話を楽しみたいだけだから」
 そう言いながら、窓風は真雪の肩をさすった。真雪が気持ち良さそうにすると、今度は頭を撫でた。窓風の体はすごくいい匂いがした。真雪は気が楽になって微笑んだ。

 そしてまた静寂。
 が、今度は頑張って真雪から口を開いた。

「あ、あの、髪の毛……リボンで結ぶことにしたんですか?」
 自分よりも十センチほど背が高い窓風を見上げ、愛らしい瞳でそう尋ねた。
 今になって気が付いたことだった。普段の窓風は髪を束ねていないが、今日は白いリボンでポニーテールにしていた。いつもはさらさらと広がっている黒髪が、今は一束として穏やかに風になびいていた。
「いいところに気が付くね」
 褒められた。真雪は恥ずかしそうに頬を染めた。
「このリボンね、先日うちでクリスマスパーティーをした時に、いとこの娘からもらったの。彼女が使っているのとおそろいでね、それで嬉しくて毎日使っているの」
 窓風は微笑み嬉しそうにそう続けた。が、言い終わると同時に、わずかに表情を暗くして、
「知り合ったのがあと一週間早ければ、あなたもお誘いできたのに」
 と残念そうに重ねた。
「え、わ、わたしなんて……」
 真雪はただ恐縮するしかなかった。

「そうだ。その時のお写真があるの。せっかくだから見せてあげる」
 それから、窓風は鞄を開けると、美しい装飾の施された小さなロケットを取り出した。
「次に会う時に驚かせようと思って作ったの」
 そう言いながら、ぱちりと蓋を開く。
「わあ……」
 中を見るなり、真雪は感嘆のため息を漏らした。
 髪をリボンで結んだ窓風と、彼女とそっくりの外見をした美しい少女が、胸元で手を重ね合わせて微笑んでいた。
 高貴で美しい、絵画のような写真。どこか世界が違うのだと真雪は感じた。

「その娘、同い年のいとこの朝香ちゃんっていうんだけど、わたしとよく似ているでしょう?」
 同じリボン、同じ髪型の女の子。従姉妹だというのはすぐに分かったが、それにしても顔がよく似ている。
 そう感じるやいなやの窓風の言葉に、慌てて真雪は「はい」と答えた。
「実はね、お母様が双子なの。女の子って母親に似るものだから。――だから、よく似てるのね。きっと」
(きれい……、こんなことって……)
 夢のような話に、真雪は驚きを新たにした。
 なんとなく不思議でさえある、まるで奇跡のような現実。言葉が思いつかない。
 親密そうな二人の姿を、真雪は目を細めてしばらくの間見つめ続けた。


 そうして白い街並を歩きながら、少女は喜ばしい時間を過ごしていった。

 従姉妹がまるで中学生のように制服を身にまとっていることに気付き、真雪がそれを尋ねると、窓風は彼女が礼徒女子学院に通っているのだと教えてくれた。学校帰りにそのまま訪れたらしい。
 真雪はまた驚いた。名前だけは知っている、有名なお嬢様学校。さすが窓風さま。ご親族も華やかだ。
 本当に、何もかもが鮮やかな驚きの連続だった。

 しかしそういった悠久の差を感じさせない、優しくて親しげな窓風。
 温かな会話に甘え、頑なに他人に脅える真雪も、少しずつ心を開いていった。
 口数こそ相変わらず少ないながらも、心からの微笑みを絶やさず浮かべられるようになった。

 ……だが。そして穏やかに時が流れ、二人が出会ってから十分ほどが経った時のことであった。


「わたし、あなたのことが好きになっちゃった」
「っ」
 勉強方法のアドバイスをしていた窓風は、それが一段落付くと、ふいにそうささやいた。
 言葉と共に身体を寄せ、そっと手を重ね合わせる。真雪は胸をどきんと鳴らした。……が、
「親愛のしるしに、すてきなあだ名を考えてみたの。――まゆちゃんって。あなたのこと呼んでもいい?」
 次の言葉を聞いた瞬間、真雪はびくっと震え、反射的に手を引き離した。
「え……?」
「……あ。あ、あの、」
 驚き困惑した表情を見せる窓風。真雪ははっとして、謝ろうと口を開いた。
「ごめんなさい。あだ名で呼ばれるのは嫌いなタイプ?」
 それよりも早く、窓風は即座に謝りそう尋ねた。何かを感じ取ったかのようであった。
「……ごめんなさい……」
 一瞬遅れて、ようやく言葉を絞り出す。
 真雪はそれ以上は何も言えなかった。理由を言えないことへの謝罪も含めて「ごめんなさい」と言ったのだ。
 かつての友達から裏切られ捨てられたあだ名。触れてほしくない心の傷痕である。

 そして沈黙が始まった。
 真雪はもとより、ついに窓風までもがその唇を閉ざす。
 川の流れが氷結するかのような停滞。暖かかった空気が、急速に冷え込んでゆく。
 真雪は体をぶるりと震わせた。穏やかになりつつあった寒気の知覚が、再び一人だった時のそれのように冷酷になりだした。救いを求めたくなって自ら窓風に視線を送ると、彼女は真剣な表情で空の彼方を見つめていた。まさに全国一位を取りそうな聡明な眼差し。それまで忘れていた距離感が再生し、真雪はきゅっと胸が締め付けられるような痛みを覚えた。

 ……まるで、その痛みが響き伝わったかのようであった。

  キュウゥッ……
(えっ……)
 下腹部に冷たい違和感。
 胸と同じ、きゅっと締め付けられるような不気味な痛みを、真雪はおなかの中に感じだした。
  ……クリュルルゥゥ……
(う、うそ……、やだ……)
 その痛みが、どんどんとおなかの奥にめり込んでゆく。
 信じたくはないが、真雪は自身の身体に起こった異常をすぐに理解した。
 唇を固め、おかしくなり始めた自分の腹を見下ろす。おなかが押されて腸がぐねる感覚。脱力する下半身。猛烈に糞がしたくなる苦しみ。……下痢の感覚だった。
 よりにもよってこんな時に――。真雪は腹を下してしまったのだ。
  ……リュリュリュ、グウッ!
「ぅふ……っ……」
 一瞬遅れ、ずん、と大きな質量が肛門に押しかかる。
 今すぐに尻から出したくなるような、軟らかく気持ちの悪い圧力。そして便意をもよおしたのだ。
 肛門がひくつき始める。恥ずかしい皺が汗に濡れ、マグマのような灼熱が排泄器官を犯し始める。たまらず顔を歪め、真雪は股を引き締めて震えだした。

  グリュキュルルルゥゥ……
(や、やだ。トイレ行きたい……!)
 いきなり排泄欲求は激しかった。おなかがひどく緩い。
 最悪のタイミングで訪れたピーピーの下痢。こんな切ない空気の中で、最低の秘密を抱えてしまった。物凄い焦燥感。臭く汚い腹痛に悶えながら、真雪はひそかに膝と踵を擦り合わせた。
(……おなか痛いよ……。どうしよう……)
 おなかをさすりたい衝動を堪えながら、真雪は青ざめて窓風の様子を覗いた。
 彼女は、まだ何かを考えていた。鋭い集中力。おかげで真雪が放った下品なうなりには気付かなかったらしい。
 それは不幸中の幸いであったが、しかし真雪はなお泣きそうであった。塾まではまだ五分以上かかる。――その間、密かに下痢の苦しみを堪え忍び続けなければならなくなったからだ。おなかをなでることも、腰を曲げることも、おしりに触れることも許されない。下痢をしてしまったなどとは絶対に知られたくない。恥ずかしすぎる。こんなことに気付かれたら、確実に幻滅されると思った。
(だめ、うんちがしたい……! もう、どうしてこんな時に……っ!)
 こんなかけがえのない大切なときに――。
 自然を装って握りこぶしを腰に押し付けながら、静かに唇を噛み締める真雪。
 悪魔のような速度で急降下を始めた自分の腸を怨んだ。
 しかし彼女は本当は気付いていたのだ。刻一刻と自分の中で悪寒が広がりつつあったことに。事実が牙を剥くまでは、気付かないふりをして幸福感に逃げていた。

「ねえ」
「っ!」
 その時、いきなり窓風の声が脳に響いた。
 真雪ははっとして唇を戻し、こぶしを腰から離して起立の姿勢をとった。
「どうしたの? 顔が真っ青になってる。どこか具合でも悪くなったの……?」
「え、そ、そんなこと、ない……です」
 大きな瞳で心配そうに見つめてくる窓風。視線を真雪に戻すなり、顔色の異常に気が付いたようだった。
 真雪は下痢の苦しみに悶えながら、しどろもどろにそう弁解した。
「うそ。その顔色、普通じゃない。もしかして気分でも悪くなった? 恥ずかしがるようなことじゃないわよ」
「……!」
 しかし天才少女の洞察力はそれを許してはくれない。
 真剣な表情で顔を近づけてくる窓風。必死に肛門をすぼめながら、真雪はうつむいて強張った。
  ……グルルルル……
「さっきから時々ぶるぶる震えていたし、熱でもあるんじゃないの?」
「ちがいま、す、だいじょうぶです」
 圧迫する猛痛に腹を撫でられ、尻を焼く便意に肛門をひくひくとさせながら、真雪は震える声で答えた。
 下痢を我慢しながらの会話はつらい。自分の言っていることがよく分からない。
(いたい、おなか……、うんちしたいっ。うんちしたい……っ!)
 凄まじい本能の欲求に思考を縛られながらの理性的行為だからだ。
 下痢。おなかを壊すということ。少女の腹下し。粥のようにゆるく溶けた大便。それを吐こうと乱れ下って痛む大腸。爆発物と化したおしり。――大便がしたい。糞を出したくてたまらない。意識の全てが排泄に向かってゆく。まるで頭が回らない。
「……もしかして、」

  グウウウゥゥ〜〜〜ッ!
「っふぅ……っ!」
 その時、真雪のおなかから物凄い音が放たれた。
 巨大な蠕動が起きて大量の下痢便が蠢いたのだ。腹痛も酷く、まるで腹を殴られたかのように、真雪はうめき声を上げて下腹をへこませてしまった。直後にはたまらず両手をおなかに押し付けて悶絶する。
  グリュリュリュリュゥ、ゴポッ!
「っ、っ、っ……!」
 さらに激しい便意と腹痛の波。
 青白い唇をわなわなと震わせながら、真雪は股をくねらせ尻を小刻みに揺らした。
 それを見た窓風は一瞬驚いた表情を見せ、しかしすぐに表情を戻し、困惑げに右手を口元に当てた。

「岩崎さん……おなかの具合が悪いの」
 わずかな後に波が去ると、真雪ははっとして姿勢と手の位置を元に戻した。
 が、遅かった。窓風の質問はもはや語尾が上がっていなかった。
「……あ、あの、朝ごはん、食べなかったんです……だから、その、おなかすいちゃってて」
「うそ」
 かあっ、と頬を染めながらも、必死にごまかそうとする真雪。
 それを窓風が遮ると、小さな体をびくっと震わせた。

「変に隠すのはやめて。馬鹿になんてしないし、誰にも絶対に言ったりしないから」
 窓風は静かに、しかし強く続けた。まるで心を読まれているかのような言葉。真雪は口を閉ざしたままコートをぎゅっと掴んだ。
「私は心配してるだけなの。――それに、そもそも恥ずかしがることじゃないわ。生理現象でしょ、仕方ないじゃない」
「……ごめんなさい……」
 そして真雪が顔を上げると、真剣な表情の窓風と瞳がつながった。
 心から心配してくれているのだと一目で分かった。真雪は震えながら謝る。
 同時に複雑な温かさが心の中に生まれ、少女は心を潤ませた。
「かわいそうに……これから授業なのに、下痢なんてしちゃって……。お手洗い、校舎までは我慢できそう?」
 その温かさ――ぬくもりが、心の雪を溶かす。真雪は幼女のようにこくりとうなずいた。
 目の前の人がくれる慈愛に甘えたくなった。母性を感じる。同じ年齢とは思えない。
「この寒さだから、冷やしちゃったのかもしれないね。わたしも経験あるから分かるよ。お手洗いのあと、つらかったら帰った方がいいわ。歩いて帰るとまた冷やしちゃうから、親の人に車で迎えに来てもらうか、タクシーを呼んでもらうのが良いと思う」
 この人なら、わたしのことを裏切らないかもしれない――。
「おなか、さすって温めた方がいいよ。そうすれば、少しは痛みも和らいでくれるし」
 そう言いながら、窓風は体をぴったりと寄せ、自らの手で真雪のおなかをさすり始めた。
「横にだけ手を動かすのじゃなくて、こうやってぐるぐる円を描くようにするといいの。我慢がほんの少しだけ楽になるから。……あ、嫌だったら言ってね」
 温もりがおなかを巡り、コートから肌、肌から内へと沁みこんでゆく。
 中にはドロドロに乱れた汚物が。茶色い腐泥のような未消化物が詰まっている真雪のおなか。
 そんな汚いおなかなのに。窓風は優しく優しく撫でてくれる。
  ゴロゴロゴロロロ……
 そうされながら、また恥ずかしい音が鳴る。
 うんちがしたい音。真雪は痛みと切なさに目を細めながら、柔らかく動く窓風の手の甲を見つめた。
 つらくて苦しくてたまらないのに、真雪は幸福を感じた。真っ白な雪色の中で二人きり。雪に眠る朝の街で静寂に包まれて。人から愛される喜び。――もっともっと自分のことを愛してほしい。

 可哀想に下してしまった少女のおなかを、同い年の温もりが癒し包んでゆく。
 明日には溶ける視界の雪のように儚い、しかし永遠に忘れられないであろう奇跡の時間。
 ――だが、その穏やかな世界は。唐突にして崩壊の時を迎えることになった。


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 体を寄せ合い始めてから十歩も前に進まない内に。

「あーっ、白鳥さんだ。四日ぶり、元気してる?」
 すぐ目の前の角から、別の少女が姿を現した。
 長い栗色の髪を赤いリボンで結んでツインテールにしている女の子。遠くから顔を見たことがあるだけだが、真雪には見覚えがあった。二組の娘だ。窓風と同じぐらいに高級そうなコートに身を包み、裕福げな雰囲気を身にまとっていた。
「あら、サキサカさん、こんにちは」
 さっと手と体を離し、やや無機質な声で窓風が答える。
 少し困っているようだと真雪は感じた。……そうあってほしかった。
「こんにちは。そっちのコは、……えっと、このまえ転校してきた、」
「岩崎真雪さん」
「そうそう、岩崎さん。わたし、二組の匂坂千尋。よろしくね」
 無言で会釈だけする真雪。手が離されると同時に、おなかの痛みが鮮明になった。早くトイレに入りたい。
「二人とも、日能研に行く途中?」
「そう」
「ふーん。わたしは英会話の塾に行く途中なんだけど……、ところで白鳥さん、ちょうど良かった」
「え?」
 小動物のように脅えながらサキサカさんを見つめる真雪。
 窓風の体の後ろに隠れ、ぎゅっと手を掴んだ。自発的に彼女の体に触れたのは、これが初めてだった。
「あのね、みんなでいっしょに初詣に行こうって話が出てるんだけど、」
「ごめんなさい。わたしたち、いま急いでるの。夜にでも電話してくれるかしら」
「だいじょうぶ、途中まで同じ道だから。すぐに終わるから、ちょっとだけ聞いてくれないかな?」
「それならいいけれど……」
 そう答えながら、窓風は小声で「ごめんね」と真雪に謝った。
 こくりとうなずく真雪。こういう明るい人は苦手。窓風もそれを理解してくれたのだと思う。
「みんなが、窓風ちゃんも呼ぼうよ呼ぼうよって言っててね。あ、参加が決まってるメンバーは――」
 そしてサキサカさんが説明を始めると、窓風は真雪のことを見てくれなくなった。
 真雪は茶色い痛みと寂しさに震えながら、唇を噛んで窓風の手を握り続けた。しかし反応は無為で、強く握り返したりはしてくれなかった。わがままだと分かりつつも、真雪はそのことに傷付いた。

「……楽しそうね。いいよ。じゃあ、わたしも行く」
 やがて窓風が明るい抑揚の声でそう結論を出すと、真雪は彼女から手を離した。
「岩崎さん?」
 小声で見下ろす窓風。真雪はうつむいて唇を固めていた。
「一組のコはいまのとこ誘ってないけど、岩崎さんも来てみる?」
「…………」
 放っておいてしまったのを悪く感じたのか、サキサカさんは真雪にも声をかけてくれた。
 が、真雪はうつむいたまま少しも声を出そうとしなかった。
「ちょっと……、」
 窓風が急に深刻げに口を開く。――それと同時に、

  グギュルルグクゥゥ〜〜ッ!
「――っ!」
 再び、真雪のおなかから派手な音が鳴り響いた。
 同時に腸のねじられるような激しい腹痛と便意。大便をぶちまけたい衝動と共に肛門が膨らみ、真雪は険しい表情で赤面して握りこぶしを下腹部に押し付けた。
「……あのね、匂坂さん」
「岩崎さん、もしかしてゲリピー……?」
 直後に自分より大きな二人の言葉が重なる。真雪はずきりと胸を痛めた。サキサカさんの反応は思いのほか早かった。その言葉に、真雪はさっき窓風に知られた時よりもずっと激しい――心臓を殴られるような拒絶を覚えた。
「ごめん。だから急いでるんだね」
「みんなには秘密にしておいてくれる?」
「ゲリしたのが恥ずかしい、ってこと?」
「そう。お願いね」
 泣きそうになった真雪を見つめながら、二人は会話を続けてゆく。
 気持ちが良いはずの窓風の声までもが、今はざくざくと胸にささった。まるで、下痢に苦しむ恥ずかしい自分を二人がかりでおもちゃにされているかのような心の痛み。
「でもだいじょうぶ? 確か日能研って、ここからまだけっこうかかるよね。岩崎さん、けっこう限界っぽいけど……我慢できそう?」
 こぶしをぐりぐりと腹にこすりつけながら内股中腰で震えている真雪。いつの間にか、脂汗がはっきりと目に見えるほどに浮かび上がっていた。しかしそれを見たサキサカさんの心配の言葉には答えようとしない。最初に思い込んだよりもずっと優しい人だったにも関わらず。自分から窓風を遠ざけた彼女のことを、真雪は拒絶し続けていた。

  グウーー、グウウゥゥゥ〜
「ぅぅ……っ……!」
 さらに汚らしい音がうなり、ついに真雪はうめき声まで漏らしてしまった。
 おなかが痛くて痛くてたまらない。肛門がひくひくと震える。うんちがしたくてしたくてたまらない。
「本当。……もしかして、急にきちゃった? もっと近くで使えそうなお手洗いはなかったかしら……」
 サキサカさんに同調する窓風。もう、知らない人みたいだった。心が闇に包まれてゆく。
「ね、わたしのうちだったら、ここからすぐだよ。トイレ貸してあげる」
(え……)
 そして次にサキサカさんはそう提案した。
 今すぐに便器にしゃがみ込みたい真雪にとっては、夢のような話であった。
「大きい方でもゲリでも全然気にしないから。誰にも言わないし、うちの親も気にしないし」
(い、いや……そんなの)
 ――が、羞恥心の塊である彼女に、人様の家のトイレで爆音と悪臭を放つことなどできるはずもない。
 真雪は目をつぶって首を横に振った。
「そう……。だいじょうぶなら、いいけど……」

「借りちゃった方が良いんじゃないかしら」
「っ、」
「恥ずかしいのは分かるけれど、せっかく匂坂さんがこう言ってくれているのだし、甘えて早くおなかを楽にした方がいいと思う」
 しかし、窓風はそう言った。
 どうして、そんなことを言うの――?
 その言葉を聞いた瞬間、真雪は悲痛に胸を締め付けられた。窓風は深慮の末にそう言ったのだったが、切迫した下痢の苦しみと冷たい孤独感に心を乱され、真雪はそんなことには気が付けなかった。
「……だよね。本当に気にしなくていいから、うちのトイレですっきりしちゃいなよ。岩崎さん、見てるだけで、こっちまでおなかが痛くなってくるもん」
「本当に、その方が良いと思う。実際、もうおなか痛くて、お手洗い入りたくて仕方ないわけでしょ?」
 泣きそうになりながら、ぶるぶると首を横に振り続ける真雪。
  グピ〜〜ッ!
「ぅ、ふ……、」
 だが腹痛は激しく膨らむ一方で、彼女はまたもやうめき声を上げてしまった。
 大腸がしごかれる感覚。物凄い便意に、たまらず真雪は両手でおなかを抱え込んだ。
  クルルキュルルル……
(や、やだっ、おならがしたいっ……!)
 さらに屁意をもよおす。いきなり爆発的な空気圧が直腸で膨らみ、真雪は慌てて肛門をきゅっとすぼませた。

「ちょっと。もしかしてもう漏らしそうなんじゃないの? いいから早くうちに来なよ。案内するから」
「岩崎さん、わたしもいっしょに行くから」
 そして想いと正反対の方向に進んでゆく二人の意見。
 窓風までもがこんなことを言う。真雪の胸にすっぱい痛みがこみ上げた。どうして分かってくれないの――?
  ググゥゥーッ!
「ぅぅぅ……!」
 しかし急降下を続ける腹具合は、二人の考えが正しいことを真雪の脳に伝えていた。
 実際、もうかなりまずい。サキサカさんが現れてから一気に肛門を開きたくなった。物凄い腹痛が下半身をがくがくと脱力させている。今すぐに漏らしそうな域ではないが、直腸の中を渦巻く灼熱は、確実におしりの穴を溶かしつつある。わずかに括約筋を緩めたら、肛門が盛り上がってムリュムリュと泥が溢れ出すことだろう。
「ね、意地なんて張らないで。おなか壊してるんだから。咎める人なんて誰もいないんだから」
「本当に気にしなくていいよ。うちのトイレ、家のはしっこにあるし。音も臭いも他には届かないから」
(もういや……こんなの、こんなのやだよぉ……!)
 自分の下痢、自分がこれからしなければならない汚い行為について話されていることに耐えられない。
 無様に腹を下し、それで他人を心配させている。自分の存在が惨めで惨めでたまらない。
 いたたまれなくなった真雪は、あまりにも愚かな逃避を選ぶことになった。
「……ごめんなさいっ、」

  グキュルルグゥッ!
「っぁ!」
  プウーーッ!
「ゃ、あっぁっぁ」
  ブウッ! ププスゥゥッ! ブリュッ!
「――っ!!」
 だが口を開いた瞬間。猛烈な腹痛の波と共に腸の中でぐうっ、と圧力が膨らみ、真雪はたまらず肛門を開いて派手におならをしてしまった。最後には軟らかい湿り気が粘膜を通過する感覚。反射的に両手でおしりを包み込んだ真雪は、右中指の先で着衣越しに穴がぬるついているのを感じた。……やってしまった。ゆるゆるの下痢便をちびってしまった。
「かわいそうに……おなら、出ちゃったのね……。気にしないで。……大丈夫?」
 すぐに強烈な悪臭がむわりと周囲を包み込む。
 空気が黄土色に染まりそうな、濃密できつい硫黄の臭い。
 驚いた表情で固まるサキサカさん。窓風はわずかに顔をしかめてすぐに戻し、真雪に心配の言葉をかけた。真雪はうつむき鼻をすすった。そのせいで自身の猛烈な下痢屁の臭いを一杯に吸い込んでしまう。耐え難い自己嫌悪が生じ、真雪はその大きな瞳についに涙を浮かべ始めた。

「わた、し、家に帰ります」
「え!? ちょっと、岩崎さんっ?」
 そして直後、真雪はいきなりその場から全力で駆け出した。
 もう二人といっしょにいたくない。彼女は自分の家に逃げ帰って大便をしようと決意したのだった。
 ここからでは十分以上もかかること、今から家のトイレで大便などしたら、今日もまた遅刻になってしまうこと。――全て解っていたが、もう、そうするしかなかった。
 雪のように冷たく、氷のように固く、そして喩えようもなく厚い真雪の心の壁。
 せっかくのぬくもりを、彼女は痛ましく拒絶してしまったのだ。

  ギュルゥ、グゥゥゥゥ〜〜ッ……!
「あぁぁっ、はぁっ、はっぁ……っ!」

 走り出すと同時に真雪は泣き出していた。
 窓風は追いかけてこなかった。
 情けなくて情けなくてたまらなかった。
 やっぱり、これが現実だ。
 真雪は喘ぎ震えながら、下しきった哀れな身体を前へ前へと引きずり進めていった――。


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  プッ、プスッ……プスス……
「はぁっっ! はぁっ、はぁっ……!」
  ゴギュウゥーーッ!
「ぅぅ……っ!」

 おならを漏らしながら歩き、何度も何度も立ち止まって悶絶する。
 さっきまでは晴れていたのに、いつしか曇り始めた空の下。
 真雪は冷たい汗にまみれて震えながら、左手でおなか、右手で肛門を押さえ、ふらふらと雪道を歩いていた。
 荒々しい呼吸、涙で赤く腫れた瞳、歪んだ表情、溢れる脂汗、内股中腰の無様な姿勢、大きく突き出されたおしり、ガクガクと震えて定まらない両足、その身にまとう排泄物の悪臭。――あれからわずかに五分。真雪の尻と腹はもう、完全に限界の様相を呈していた。

  プピッ、プピピ……
「はぁーっ、はぁっ、はあっ」
 もはや危険物と化した尻をぶるぶると揺らしながら、何度も何度も臭い屁を放つ真雪。
 一目で漏らしそうな下痢だと分かる惨めで痛ましい姿。人とすれ違うたびに、哀れみと軽蔑の視線を送られていた。下痢腹を抱えながら必死に歩き続けのが、地獄のようにつらい。足を踏み出すたびに、おなかと肛門が揺れて中身が爆発しそうになる。
  キュゴロゴロゴロ〜
 最悪にも、家のトイレまではまだ十分、今の速度では三十分さえかかりそうだ。
(トイレ行きたいよ、トイレ、うんちしたいよぉ……! いや、もらす、トイレっ、トイレぇ……)
 これでおもらしなんてしたら情けなさすぎる。おもらしだけはいや……。
 その想いで必死に便意を堪え続けている真雪であったが、すでに半分絶望してしまっていた。
 素直にあの誘いを受け入れていれば――、それか、勇気を出して断って塾まで我慢していれば――。
 後悔してもしきれない。今すぐ便器に尻を向け、ビチビチに下した腹の中身を吐き出したいというのに。もはや彼方の自宅以外にトイレを使えそうな場所が思い当たらない。

  ……プリ、プリリ……
「あ、はぁっ、ぁぁ……」
 おしりの感覚はめちゃくちゃになっていた。
 二人の前で下痢をちびり、その後も二、三回少量をやってしまったせいで、もう、まるで肛門の感覚がない。脱力して緩みきった括約筋。おしりの穴が白くなっている。勝手に開いて灼熱のおならが出てくる。何度も何度も盛り上がり、そのたび必死に指の腹で押し上げる。わずかでも意識を抜いたら、一気に全てが出る感覚。本当にまずい時の感覚だ。
  ググゥゥゥゥッ!
(あぁあぁうんちしたい、うんちしたいうんちしたい、うんちしたいぃぃっ!)
 滝が轟くように下った腹。壮絶な腹痛。とにかく肛門を開いて糞をぶちまけたい便意。
 肛門が常にひくつき痙攣しているのが着衣越しに分かる。ビチビチの下痢粥が下りに下り、パンパンになった直腸に物凄い腹圧が生じている。下りきった大腸はなお猛烈な蠕動を繰り返す。あまりの排泄欲求で気が狂いそうだ。尻中から大量に脂汗が噴き出し、どろどろに湿り濡れてパンツがべとりと貼り付いている。その汗と水泥にまみれて肛門の感覚がおかしくなっている。穴が熱い。燃えるように熱くて熱くてたまらない。
  キュゥゥ〜グウウゥゥ〜〜ッ
「はぁ、ぁふ、っ……ぁぁあ」
 下半身が、排泄と消化に関する器官それだけが、今は全肉体の神経と理性とを狂わせている。
 哀れな真雪は顔面蒼白で重苦しく表情を歪めていた。口元には深く皺が浮かび、苦悶に細められた瞳は焦点を捉えていない。その視界はぐるぐると揺れ曲がっていた。もう、尻を出したくてたまらない。肛門をむき出したくてたまらない。いっそ、そこら辺でしてしまいたい。この異様な切迫こそが、まさに下痢の苦しみだ。

  グウウウゥゥゥーーッ!
「あっ、ぁ、ぁぁ、ぁ……っ」
 そうしながら下半身がぞくりと気持ち悪く震えた。いよいよおもらしをする時の感覚。
 ねじれる腹痛が全身を脱力させ、真雪はがくがくとしゃがみ込んでしまった。
  プッ、プヒプヒピピ……ッ!
「っあ、あ、ぁぁっ」
 汚穴が地面に向けられ尻肉が左右に広がると同時に、肛門が跳ねて生熱い水屁が連発される。
 痙攣する下痢尻。ほとんど水便を漏らしている感覚。情けなく切ない不快感が、真雪の充血した肛門を包み込む。
  グポグポゴポグキュゥゥゥ〜〜ッ!
(やぁぁ、だめ、ぁだめっ、あ、)
 そして尻がはち切れる感覚。一気に便意が暴発し、放屁で緩んだ肛門をこじ開けようとする。
  ブビッ! ブリリッ!
(だめっぇえっぇぇっ!)
 ついに漏れ始める下痢便。肛門の感覚でかなり水っぽいものだと分かる。
 真雪は目をつぶり締めて体を固め、歯をくいしばり全力で肛門を締めつけた。
  ビュルッ……ブピ……ッ……ムリュ、ムリュリュ、
(……っ、……っ!!)
 顎を膝に擦り付け、がたがたと震えながら大便を腸に押し戻そうとする真雪。
 壮絶な便意。喘ぎそうな腹圧。自分の乱れた大腸との闘い。足元がぐるぐる回って、背筋がびくんびくんと跳ねる。おしりが狂いそう。顔中にできた苦悶の皺を、脂汗の雫が流れ伝わってゆく。

「……はあっ、ぁっ! はぁ、」
 真雪は最後の自尊心で波を耐え抜いた。荒々しい呼吸で顔の前を白くしながら、一気にぐいと立ち上がる。
(やっ、ちゃった……!)
 そして機械のようにかくかくと歩きを再開しながら、下着をだいぶ酷く汚してしまったことを自覚した。
 肛門とその周りが、下痢でぬるぬるになっている。押さえつけたままの指先に、その不気味な軟らかみが伝わる。足を動かすたび、盛り上がりにパンツがベタベタと貼り付く。さらに強烈な下痢便の悪臭まで立ち上ってきた。
 不快感に悶え、真雪はすぐにふとももを開いてガニ股の姿勢をとった。――が、
  ブビュルッ!
「っ!」
 それと同時に限界の自覚なく熱湯便が噴出し、慌てて股を閉じなおし擦り合わせた。

  ゴロゴロゴログウウゥゥッ!
(もう、だめ……家までなんて、ぜったい、がまん、できない……!)
 そしてさらに止まず狂おしい腹痛と、全てを外にぶちまけたい激烈な便意。
 最中、ついに真雪は限界を自覚した。窮まった下痢。もうこれ以上、我慢できない。肛門を開きたくて開きたくてたまらない。耐え難い苦しみ。全部出して楽になってしまいたい。
  バフッ! ブブブォッ!
  グゥゥゥゥゥ〜ッ!
「あ、ぁぁ、ぁっ」
 物凄いおなら。再び膝ががくがくと崩れる。
  ブリュリュリュリュッ!
「や……っ!」
 また穴が緩みドロドロの下痢便が溢れ出す。
  ビリュッ! プビプビビビィッ!
(だめ、っだめ、もれる、もれるっ!)
 次々と灼熱が肛門を滑る。もうだめだ。とうとう排泄器官を制御できない。次の瞬間には全てが終わる感覚。
 ひくひくと震えるおしりの穴。儚すぎる。目の前が白くなる。下痢を漏らす。パンツの中に。
 完全に切羽詰った真雪は、下痢をちびりながら本能的に辺りを見回していた。

 刹那。その乱れた視界に小さな駐車場が映った。すぐ斜め前方。
 その奥に、茂みが見えた。――周りに、人の気配はない。

  ……ムリュッ、ムチュッ、ブリリ……
「っ、ぅぅぅふぅぅっっ……!」
 気付くやいなや、真雪は息を吸い込み、そこを目指して飛び出すように足を速めた。
 瞳を獣のように見開いて。理域を超えた排泄欲求が、真雪に本来ありえない行為を思いつかせた。
 あの茂みの中なら。おしりを露出しても、そして人前で絶対にできないことをしても、誰にも見咎められない。
 もう、あそこでするしかない……。
 ……真雪は、草木に隠れて下った腹の中身を出してしまおうと、――野糞をしようと思い立ったのだ。
  ギュルルルルルゥゥ〜〜〜ッ!!
「ぅぅっ……、ふぅっ、っふうぅぅ……っ!」
 両手で肛門を抑え、ガクガクと膝を震わせながら、這うようにして駆ける。
 もう、それしかなかった。野外排泄。トイレではない、本来許されない場所での脱糞。人として、何よりも女の子として最低の行為。どんなにおなかが苦しかろうと、普通なら燃えるような羞恥心が歯止めをかけるだろう。――それでも、真雪はもう野糞をするしかなかった。この壮絶な下痢。全て漏らさないためには、もはや考える余裕さえなかった。

 そして雪に包まれた真っ白な駐車場。
 真っ青な顔をして、がくがくと震える両足、ふらつく足取りで真雪はその敷地に踏み込んだ。
 その視線は奥にある茂みから動かない。これから、あそこで大便をする。あそこの中でおしりを出す。
  ジャリッ! ジャリッジャリッジャリッ!!
「はあっ、はあっ、はぁっ!!」
  ムリュゥッ! ブチュチュッ!
 未開の雪を踏みしめながら、全力で疾走する。膨らみ続ける肛門。あと少し。……だが、
  グウウウウウゥゥッッ!!
「はうっ!!」
  ブリュリュリュビュルルルルルルビーーッ!!
  ブピブヂュチュチュチュチュ!! ブブブウゥゥッッ!
(や、あっぁぁぁぁ……!)
 間に合わなかった。駐車場の真ん中で肛門が全開になり、真雪は大量の下痢便をパンツの中に出してしまった。
 鮮烈な排泄感と共に、肛門の周りに暖かいドロドロが広がる。おしりを包み込む両手には、下着の中を満たしてゆくぬるつきの感触。パンツがどっさりと重くなった。
  ビリビリビリブピピブビビビビッ!!
「〜〜っ!」
 やってしまった――。
 そう思う間もなく、さらに物凄い勢いの噴出。もう止まらない。おしりの穴が言うことを聞かない。押さえる以上の力で出てくる。――もうだめだ。まさにおもらしをしている。
 耐え難い腹痛と不快感の中から強烈な開放感が生じ、それが全身を貫き、真雪は足を止めてしまった。背筋が震えて視界が薄れる。何も考えられなくなる。

  ブブプボッ! ブチュリュリュリュリュ
「ふぅぅ、っ、うぅ……!」
  ジャリジャリジャリジャリッ!
 ――それでも、真雪の排泄欲求は、あくまで尻を出して糞をすることを選んだ。
 だが茂みに向かったら、至る頃には腹の中身は全てパンツの中だろう。真雪は下痢を漏らしながら、咄嗟にすぐ傍にある車と車の間の小さな空間へと飛び込んだ。
  リュリュリュリュリュ……ッ!
(はやくはやくはやくはやくっあぁっっぁぁ!!)
  バサバサッガサファサファサファサッ!
 そして肛門を爆発させながら、物凄い勢いでコートの裾をまくり上げ、さらにスカートを腰の上に掴み退ける。
 茶色く盛り上がって異臭を放ち、今もなお膨らんでいる最中の女児ショーツが露になる。
 それと同時に、真雪は両手で一気にパンツをずり下ろした。――その瞬間、

「あぁぁぁぁっっ!」
  ブビュビュブポポブポブブブブブウゥーーーーッ!!
 中腰でむき出しになったつるつるのおしりから、激烈な勢いで下痢便の濁流が噴出した。
 同時にビチビチのものが左横の車にべちゃべちゃと叩きつけられる。慌てて駆け込んだせいで、体が大きく斜めを向いてしまっていたのだ。ひんやりとした冷気におしりが包み込まれる感覚の中。合金に激突した水泥が弾け飛び、真雪のコートやその上のNバッグまでにぬるつく茶色が付着してゆく。外気にぶちまける鮮烈な開放感が全身に響きわたり、真雪は腰を痺れさせた。
「っあっ、あぁ、」
  ブブブブチュッブビブチュブビビブビュビュッ!!
 さらに間髪入れずに連続して機関銃のような下痢便の噴射。
 ふっくらと愛らしく丸い、しかし白い肌に黄土色の未消化粥がべったりと付着している可哀想な真雪のおしり。その中央の下痢まみれの肛門が暴れ狂って大量の軟便を撃ち出し、斜め後ろの白いサイドドアを見る影もなく汚してゆく。真雪は視界が真っ白になって気付かない。
「っは、ぁぁぁあっ」
  ブポッ! ブビビビブビブヒィィィッ!!
 ついに下着の外に解放した排泄器官。尻を出すという快感。胸が熱く鼓動して全身がびくびくと震える。
 全開の肛門から下痢を撒き散らしながら、真雪は崩れるようにしてしゃがみ込んだ。

「んうぅぅっ!」
  ビリュリュリュブジュビチチブポブポブポブビッ!!
 そして今度は足元の雪に向かっておなら混じりの壮絶な噴射。
 車のドアを垂れ流れる下痢便を背景に、同じく汚物の滴る双球から、黄土色の泥をブピブピと吐き出してゆく。
 音通りにビチビチに下った灼熱の下痢便が白雪をえぐり溶かし、白い湯気が漂って尻を包む。さらに股の間からは未消化物の強烈な発酵臭が立ち上る。壮絶な野糞の光景。しゃがみ込むなり両足が派手に痙攣を始め、足元の雪がじゃりじゃりと音を立てる。
「はあっはぁっはぁっ、」
  ビジュジュブピッ、ブポブピビチビチビチビチビチッ!!
(……わたし、こんな……こんなところでうんちしてる……)
 すぐに肛門直下の雪がおしりを冷やし始めると、真雪は思考の麻痺が治まり、瞳も焦点を結び始めた。
 同時に野糞の自覚。視界には左右を覆う車と、正面のブロック塀、そして地面を覆う雪。恐る恐る股の間を見ると、すでに大量の下痢便が飛び散り、白雪を削りながら黄土色の山を成していた。さらに眼前のパンツの中が見るに堪えないほど下痢でめちゃくちゃになっていることに気付く。やはり、完全にやってしまったのだ。……酷い臭い。おぞましい感情が膨らんで吐き気をもよおし、真雪はたまらず目を閉ざした。
  ……ギュルルゴロゴロゴロゴロ……
(もう、いや……はやく。はやく終わって……っ!)
  ジャリジャリッ、
「んんぅぅっ、……っぅぅぅん……っ!」
  ブビチビチビチッ! ヂュチュチュブビチュチュチュチッ!
 何よりも、自分が野外で大便の排泄行為を――駐車場という場所で野糞をしていることに胸詰まる羞恥を覚えた。
 たくし上げた着衣を肘で腰に押し付け、痛むおなかを抱えさすりながら、腸を搾るべくふんばり始める。
「ううぅぅーー……っ!」
  ブウーー! ブピッ!! ブピピッブチュブチュビピボピブピッ!!
 股の間から放たれる恥ずかしく汚らしい音。静かな駐車場の一角に下品な爆音が響きわたる。
 肛門が灼熱に燃え続ける一方で、おしりはどんどん冷たくなっていった。冷気が服の中に入ってくる。寒い。まさに雪の上で尻を出している感覚。蒼白だった真雪の頬は真っ赤に染まりあがっていた。耳まで灼けるような紅潮。こんな所にしゃがみ込んで、おしりを出して下痢をしている女の子。……わたしは今、野糞をしている。

  ギュウゥギュルルグウゥゥ〜〜ッ!
「ぐっ、くっ、う、ぅぅぅ……!」
  ブビー! ブリブジュジュブリビチビチビチビチ!! ブピッ!
 凄まじい排泄が続く。便意も腹痛もなお治まらない。物凄い下痢だ。止まらない。
 えずきそうな腹圧がぐうぐうと腹をへこませる。乱れきった大腸が次々とその内容物を吐き出してゆく。
 汗と下痢にまみれ震えているおしりの下には、大量の未消化物の渦。黒いひじきのかけらが混ざっている。黄色い塊は全く消化されていないトウモロコシの粒だ。昨日の夕食が全部出ている。渦巻く下痢便臭がどんどんと酷くなってゆく。
  シュイィィィィィィーーーーーッ……
 さらに膀胱の方にまで欲求が生じ、真雪は静かにおしっこまで始めてしまった。
 下痢に埋まったたてすじの中から黄色い液体が弧を描いて放出し、前方の雪をシューシューと溶かしてゆく。
(おなかいたい、さむい、もういやくるしいよぉ……っ!)
「ふ、っぅぅぅ……、んぐっくぅぅぅ……!」
  ブチュチュ……ブヂュプポッ! ブチュ、ビピピブヂュチュブビッ……!
 顔を歪めて腹をぐるぐるとさすりながら、地獄の排泄に喘ぐ真雪。
 凍りつく寒気に全身を震わせ歯をかちかちと鳴らしながら、充血して真っ赤に腫れあがった肛門からブピブピと下痢粥を噴射する。前後の器官から汚物を排泄し、足元の雪を犯してゆく。性器の正面に縦長の溝ができていた。肛門直下には黄土色のくぼみができ、まるで雪造りの便器のようだ。少女の体温が雪を溶かしている。
「んぅーっ! んぅぅぅ〜〜っ!」
  ビピピッ、ブチュゥゥゥーーーーーッ!!
  ビジュピーーーッ! ……ビュルチュゥゥーーブブッ、ビピーーッ!
 激痛が渦巻くおなか。つぶった目尻に涙を浮かべながら、真雪は必死に苦しみを押し出そうと息み続ける。
 徐々に水っぽくなりつつあった大便が、ついに完全な液状に変化した。まさにピーピーのウンチが放水のようにして噴出し、泥渦の後方の無事だった雪面を貫き穴を開けてゆく。ここまで緩くなったのは、こんなところでおしりを出しているせいだろう。まるで肛門からおしっこをしているような感覚。

「ぅんっ! っくぅぅんん、……ふっ、ぅぅっ!」
  ……ブチュピーーッ、ブプゥッ! ププッ、ブプピッ、……ピュピーーッ、
 だが、ここにきてなんとか便意が静まってきた。
 涸れてゆく水道のように噴射が断続的になり、乾いたおならの音が目立ち始める。腸内の下痢便が全て流れきろうとしている。
  ブビヂプビビッ、……プジュッ、ブビジュブピピピ……
  ブプスブゥゥブウゥゥ〜〜ッ!
「、っはぁぁ、はぁぁ〜……」
 そして直後に派手なおならが噴き出すと、その汚らしさに胸が痛むのと共に、真雪は排泄欲求の充足を感じた。
 もう出せるものがなくなったという感覚。なお腹は痛むが、どうやら終わったらしい。
  グウゥ〜、グギュウゥゥ〜〜、
「ふぅっぅぅぅぅ……」
  ピピッ、ブプシュ、プスプスプスプピッ
 最後に、真雪は下痢腹を鳴らしながら小刻みに屁を放った。
 震えながら下痢ガスを吐き出す真雪のおしりは、もう疲れきったという様相であった。しかし、汚れに汚れたおしりの穴はなお充血してうず高く盛り上がり、ぱっくりと口を開いて下痢色の腸液をとろとろと垂れ流している。
「はぁっ……っはあ、はぁぁ……」
 行為を終えた真雪は肩を大きく震わせ、顔の前を真っ白にする荒々しい呼吸を続けた。


(……やっちゃった……)
 だが、休む間などない。すぐに凄絶な切迫感が心を焼き始めた。
 さしせまった欲求が収まると共に。激烈な羞恥と脅えと焦りの感情で、胸がどくんどくんと震えだす。心臓が締め付けられる感覚。冬の朝の駐車場はもはや完全に静寂に包まれていた。鼓動さえ人を呼ぶのではと恐ろしい。
(こんなところでうんち……だめ、はやく、ここから出ないと……)
 なんと言っても、野糞をしたのだ。駐車場に停まっている車と車の間に隠れて。こんな所で真雪は尻をまくって大便をしたのだ。羞恥心敏感な小学校高学年の女の子が。下痢の苛みに耐え切れず。冷たい外気に性器と肛門を晒して。
 しかも下痢を漏らしながら駆け込んだ。ドロドロの排泄物にまみれたおしりとパンツ。……べとべとのおもらし。最悪の相乗。いつ人が来るともわからぬ完全な野外でおしりを出している真雪。その小さく白い双球の間にたっぷりと下痢を挟みこんでいる。そしてむき出しの肛門。いま人が来たらおしまいだ。

 ――が、あまりに現状が酷すぎて、一刻を争うにも関わらず、真雪はすぐには動けなかった。
 とにかくまずは把握しなければならない。行為を終えた肉体を荒々しく震わせておなかをさすりながら、焦燥しきった瞳で股の間を覗き込む。

 改めて下着の中をまじまじと見る。……酷い。
 ビチビチに溶けた下痢便が、文字通りにぶちまけられていた。肛門の当たっていた場所を中心に、ぬるつく茶色がパンツ中に広がっている。くだけたトウモロコシの粒があちこちに貼り付いているのに気付き、真雪は反射的にもどしそうになった。昨日の夕食のコーンサラダのなれのはてだった。一度は便器代わりに噴射を受け止めたパンツ。まさに下痢おもらしである。外側のパンツにまで染みが広がり、もう二枚まとめて捨てるしかない。
 同時におしっこの穴から股の間にまで下痢便が付着していることにも気付き、真雪は嗚咽を上げそうになった。

 そしてさらに股の間から足元――より正確には、尻元の惨状を確認する。……酷すぎる。
 下したものが暴力的に撒き散らされていた。真雪が下す時にはたいていそうだが、ミートソースのようなドロドロの軟便が肛門直下にどっさりと吐き出されている。不健康な黄土色が白雪を溶かしている異様な光景。そして物凄い悪臭。まさに腐ったミートソースのような臭いだ。それが下着の中とおしりの下の両方から立ち上り、真雪の心に堪え難い不快感をもよおさせる。

 おしりがめちゃくちゃなのは、見るまでもなく分かる。
 漏らしたものと野糞の最中に飛び散ったもので、まさに爆心地にふさわしい壮絶な汚れ度合いとなっていた。脱糞したおしり。今は冷たい。塗りつけられている下痢便が寒気で冷え始めていた。

「はぁ……っ……、」
 こんな姿を見られたら死ぬしかない。
 自分の腹が産み出した悪夢を理解した真雪は、今度は脅えきって後ろを振り向いた。

 同時に目を見開いて凍りついた。

 下痢まみれになった車の存在に気付いたのだ。
「っ、っ、っ――」
  ジャッ、ジャリ、ジャリリッ、
 あまりのショックに声さえ出ない。心身におぞましい寒気がこみ上げて足が痙攣し、雪の擦れる音が脅え声の代わりをなした。
 サイドドアの下部に所狭しと粥状の黄土色が叩きつけられ、それがドロドロと流れ落ち、下の雪に染み込んでいる。泥団子を投げつけたような光景。しかし黄色い未消化物のかけらを見れば、それが疑いようもなく自分の肛門から飛び出した下痢便だと分かる。すぐに真雪はおしりをむき出した瞬間に思い当たり、唇を噛み締めた。

「……うっ、ぅ……っ、うぅ……っ……!」
 そしてドアから垂れ落ちる自身の排泄物を何秒か見つめ続けたのち、真雪は顔を覆って嗚咽を上げ始めた。
 絶望したのだ。自身のあまりの情けなさと惨めさに。一人のおとなしい女の子として。
 こんなところで大便を排泄するというだけでも非常識極まりないのに、よりにもよって、人様の車を、それも自分のうんちで汚してしまった。最低というどころの騒ぎではない。自分を殺したい。今すぐ消えてしまいたい。
(わたし、最低……わたし、最低……わたしさいてい……!)
「っぅぅぅ……、ひっ! ぅっぅうぅ、ふぅっ!」
 疲れきった瞳に大粒の涙が浮かび、肩が大きく跳ね、そのたびにおかっぱ髪が柔らかく揺れる。
 泣き声なんて出してはいけないのに。もう、抑えられない。
 どうして、わたしは、いつもこうなんだろう――。
 おなかを冷やして下痢をして。あれだけ我慢して、野糞までして、残ったのは絶望。奇跡のようなぬくもりを全て捨てて、自分の殻に篭った末がこの悪夢だ。後悔するだけで胸が壊れそうになり、もうそれさえも痛くてできない。
「ぅぅぅ……っ、う……。うっうぅぅ……!」
 野糞のままの姿勢で、下痢まみれのおしりをぶるぶると震わせながら。
 惨めさと罪悪感に胸を千切られ、真雪は熱い涙で頬を濡らし始めた。
 今すぐおしりを拭いてここから逃げ出さないといけないのに。もう、どうすればいいか分からない。そもそも、真雪はポケットティッシュさえ携帯していないのだ。


 ――その時だった。

  ジャリッ
「っっっ!!!!」
 すぐ後ろから雪を踏む音。
 心臓の止まるような衝撃で真雪は全身をびくんっ、と跳ねさせ、物凄い形相で振り向いた。
「、っっ!!」
 同時に胸を凍りつかせた。全身が焼けるように赤熱する。感情が渦巻き、視界ががくがくと揺れる。
 白鳥窓風がそこにいた。右手で口元を覆い、目を大きくして真雪の姿を見つめていた。

 真雪は反射的に両手をばっと開き、下痢まみれの尻と肛門を隠した。――だがそれより早く、
「怖がらないで」
 窓風の声が響いていた。
「誰にも言わないし他には誰もいないから」
  ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ
 そう言いながら近づいてくる。もう、悪臭も鼻に達していることだろう。
「嫌な予感がして、追いかけてきたの。少し遅くなっちゃったけど」
 そして真雪の右の傍にしゃがみ込んだ。真雪はおしりを隠したまま動けない。
「かわいそうに……こんなにおなかを壊して……あんな状態で家に向かうなんてメチャクチャよ」
 足下に広がった排泄物、下痢まみれのパンツ、小さな手ではとうてい隠しきれない、尻を包む下痢便、そしてドロドロになった車のドア。――壮絶な惨状を重い表情で見つめながら、窓風はそっと全てを産み出した真雪の肩に両手を乗せた。小さく愛らしい体がびくんと震える。
「でも、ごめんなさい。彼女のことが苦手だったんだよね。だから彼女の家のトイレは絶対に嫌だったんだよね。それなのに、わたしはあなたをトイレにばっかり行かせようとして――、だから、岩崎さん、家に帰ることにしちゃったんだよね。わたしのせいだね」
 出し終えた肉体。脅えと寒さと羞恥で震え続ける真雪の肩をさすりながら、窓風は静かに言葉を続けた。

「初詣、やっぱり断ったから。良かったら、二人で行ってみる?」
「うあぁっああぁぁあっ、」
 さらに窓風がそう続けると、真雪はいきなり顔を覆って泣き始めた。
「本当に、ごめんなさい。恥ずかしくてたまらないよね。こんなところを見られて。わたしなんていない方がいいよね」
 漏らした黄土色のおしりが露になり、ひくついているむき出しの肛門までもが、窓風の瞳にはっきりと映る。
「でも。どうしても、あなたのことが気になって……」
 びくんびくんと震える背中を、ついに窓風は抱きしめた。
 下痢に耐えられず野糞をしてしまった少女の体を。この野外で腸の内容物を全て吐き出してしまった哀れな体を。
「こう言ったらきっと怒ると思うけれど、ごめんね、何らかの形で、」
  ブウッ!!
「多分、こういうふうになってしまうと思ったの。だから、匂坂さんの家に行って、念のためにポケットティッシュをたくさんもらってきたから。岩崎さんも持っているかもしれないけれど、一つじゃきっと足りないと思う」
「ああっぁっああ、あぁっぁ……」
 優しく言葉を重ねてゆく窓風。泣き続ける真雪。途中で愚かにも緩みきった肛門から屁を放ってしまった。しかし窓風は気にも留めない。
「彼女もけっこう頭いいから、用途を悟られずたくさんもらうのに少し苦労したけどね」
 物凄い悪臭がむわむわと鼻腔に流れ込む中。窓風は話しながら、真雪の背中を何度も何度も撫でなだめた。
「落ち着いたら渡すね。嫌じゃなかったら、わたしもおしり拭くの手伝ってあげる。もちろん、嫌だったら、誰も来ないように見張りでもしてるから」
「あああぁぁぁぁぁーーーっっ!!」
 その最中、真雪は窓風の体に抱きついていた。
 窓風は切ない表情でさらに抱き返し、真雪の頭をそっと撫でた。
 そして真雪の嗚咽が収まるまで。窓風はいつまでも抱き合い続けてくれた。


 真雪は全てを受け入れた。

 やがて泣き終わり、言葉を扱う理性を取り戻すと、真雪は窓風にポケットティッシュを願った。
 そして尻を拭くのも手伝ってもらった。真雪は前方の性器の周辺を拭い、窓風は尻たぶにべったりと付いた下痢便を手際よく全て拭き取ってくれた。肛門も窓風が拭いた。他人の手でおしりの穴をいじられるというのはさすがに抵抗があったが、窓風は優しく優しく粘膜を拭ってくれて、真雪はむしろ気持ちよかった。
 その後、車にぶちまけられた汚物を二人でいっしょに拭き取った。その最中に、真雪はもうとっくに授業が始まっていることに気付き、窓風に謝った。窓風の返事は、「授業なんかより大切なことがある」だった。真雪はまた涙を流した。

 全ての後始末が終わると、野糞をした下痢便、五袋を超えて大量に消費したティッシュ、そして脱ぎ捨てたおもらしパンツを、二人はまとめて雪に埋めて隠した。それは不完全な処分だったが、今はこうするしかなかった。

 そして茶色が消えて何事もなかったかのように戻った駐車場で。
 同様に、見た目だけは家を出た時に戻った真雪に、窓風はさらに夢のようなぬくもりを与えた。

「私ね、冬はおなかを冷やさないように、いつもこうやって重ね穿きしているの」
 突然に「替えのパンツをあげる」と言うと、窓風は真雪の前でスカートをたくし上げてそう言いながら、穿いていた紺色の毛糸パンツを脱ぎ、「使って」と真雪に渡した。下には純白の、ごく普通のパンツを穿いていた。「四年二組 しらとり まどか」とマジックで書いてあるのが見えた。
「気に入ったら、返してくれなくてもいいから。これなら名前も書いていないし」
 重ね穿きしていたパンツを両方汚して捨ててしまった真雪は、スカートの中が裸であった。それを可哀想に感じ、窓風は自分が余分に着用しているものをくれたのである。真雪はそっと愛でるように窓風のパンツを穿いた。――すごく暖かかった。窓風の体温だけではない、それ以上のものがはっきりと感じられた。
「ありがとうございます……っ」
 ぬくもりに包まれ、真雪はまた泣きそうになった。


 そして、別れの時がやってくる。
 家まで送っていくことを提案した窓風だったが、真雪はもう大丈夫と答えて塾に行ってもらうことにした。これだけ多くのものを与えられたのだ。今度は自分もお返ししなければならないと考えた。
 二人は駐車場を出ると、反対の方向に進むことになった。
 けれど最後に、真雪はどうしても尋ねたいことがあった。

「ちょっと欠席したぐらい、簡単に挽回できるから。今日は何か消化の良いものでも食べて家でゆっくり休んで、元気になってね。何か分からないことがあったら、今度からはいつでも教えてあげるから」
 瞳を見つめ、優しく励ましてくれる窓風。初めての出会いから今まで、彼女は母のように真雪に優しい。
 その理由を知りたくて。言葉が止まった時、真雪は静かに口を開いた。
「あの」
「なに?」
 微笑む窓風。恥ずかしそうにもじもじとする真雪。
「どうして」
 小さくしゃべり、途切れて喉を鳴らす。
「白鳥さんは。こんなに……わたしに、やさしくしてくれるんですか?」
 そして瞳を離さず、一気に想いを伝えた。
 自分は何も魅力がない、それどころか、今日は世界一最低なことをたくさんした。普通だったら誰からも相手にされないし、軽蔑されきっていっそうされなくなるだろう。窓風のような美しく高貴な人なら、なおさらのはずだ。……それなのに、窓風はこんなにも自分を温めてくれた。――その答えを教えてほしかった。これまでのように優しく。
「あなたを、放っておけなくて」
 すぐに、惑いなく窓風はそう答えた。
「初めてあなたの瞳を見た時から、どうしてか気になるようになったの。――それが気付いたら、あなたを守りたい、抱きしめたいような、そういう思いに変わって」
 さらに続ける。真雪の胸はとくとくと高鳴り始めていた。今日の出会いは、降って湧いたような奇跡。しかしその奇跡が、おそらく現実の記憶に変わる瞬間であったからだ。
「でも、あなたはきっとそういうのが苦手な人だから。だからね、これまでは時々だけ見ていたの」
「……っ、」
 窓風が言葉を終わると、真雪は胸がきゅんと清漣な安らぎでぬくもるのを感じた。
 それは、なお夢のような返事、まどろみの延長であった。が、光り輝いた今朝のように、確かな朝の訪れでもあった。
「やっぱり、昔のわたしに似ていたからかな……」
「え……?」
 直後に、さらに窓風は何か続けたが、それは小さく速くて、真雪は内容を捉えることができなかった。
 儚く聞き返してもみるが、窓風はそれを口にしなかったそぶりであった。

「あ、あの、ありがとうございました」
 そして頬を淡く染めてお辞儀をする。窓風はまた、優しく微笑んでくれた。――これで、十分だ。

「それじゃあ、今日、塾が終わったら電話するね」
 そして甘く白い静寂の後、窓風はそう言って真雪の頭をなでた。
 二人でいっしょに初詣に行くことを、もう決めていた。電話は、それの段取りのためだ。
「はいっ」
 あの悪夢の最中からは想像もつかない、明るい笑顔を見せる真雪。
 おそらく一年前の悪夢が心を凍りつかせて以来、彼女がこんな表情を見せたのはこれが初めてだろう。
「声はもちろん、また会える時を楽しみにしてるから」
「はいっ!」
 輝く瞳。彼女の雪は、穏やかに溶け始めていた。

 そして互いに挨拶を交わすと、二人の少女はそれぞれ前に向かって進みだした。

 嬉しさに満ち溢れ、一点の曇りもない、夢を見る少女の瞳で道を進む真雪。
 空はいつしか再び晴れわたっていた。気温も昼に向かって大きく上がり、真雪はもう寒さを感じなかった。
 ぬくもりに包まれて。春の野原を駆けるような足取りで、白に包まれた冬の街を歩く。
 太陽の眼差しを受けてきらきらと光り輝く雪を、真雪は心から綺麗だと感じた。


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