No.02「おくすりはひかえめに」

 滝川 葵 (たきがわ あおい)
 10歳 みそら市立下里第一小学校5年2組
 身長:142.9cm 体重:35.4kg 3サイズ:65-49-70
 短く切りそろえられた黒髪が健康的な、元気で明るい女の子。

 ヒロインの物語開始直前一週間の日別排便回数(←過去 最近→)
 0/0/1/0/0/0/0 平均:0.1(=1/7)回 状態:便秘

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 日に日に増しつつある暑さが夏の本格的な訪れを感じさせる、七月のある暑い夜。
 自宅二階にあるトイレで、体中から汗を流しながら孤独な戦いを続けている少女の姿があった。

「すぅーーーー……」
「んんぅ! ……ぅん!…………んんぅうんんんっ!!」
  ブウゥゥッ!

「……はあーーっ、……はぁー……!」

 ――苦しげな息み声と、時折響く乾いたおならの音。
 この静かな連鎖が始まってから、すでに三十分近くが経過していた。

 音を紡いでいるのは、星模様のパジャマに身を包んだ、少年のように髪の短い女の子。
 その二重の瞳はぱっちりと大きく、顔立ちは愛らしく、この髪型でも性別を間違われることはない。
 泣き出しそうな表情で洋式の便器に座り込み、四肢よりも明らかに白いおしりを震わせていた。
 その小さく引き締まった尻は汗にまみれ、大粒の雫さえしたたっているが、それを受ける水面はいまだ透明である。

 彼女――滝川葵は、頑固な便秘に悩まされていた。
 必死の思いで腸内に溜まった大便を排泄しようとふんばっているのに、出てくるのはガスばかりで、肝心の大便はその頭すら見せようとはしない。
 最後のお通じから今日でついに五日。便秘自体はすでに恒常となりつつあったが、こんなにも長い間大便が出ないのは今回が初めてだった。

 五年生になった頃から兆候を表し始めた便秘の症状。
 それが時と共に徐々に重くなり、ついにここまで酷くなってしまったのだった。恥ずかしくて誰にも相談できずにいた彼女は、症状の悪化に歯止めをかけることができなかったのである。
 一見悩みなどとは無縁そうな、明るくて活動的なクラスの人気者のこの少女は、ひとり誰にも言えない恥ずかしい悩みと戦っているのだ。

「はぁ……はぁ……」
(もう、やだ……、どうして……)
 葵は今にも泣き出しそうな顔でうなだれた。汗が前髪を伝わり、未成熟な細いふとももへと滴り落ちる。
 体は長時間の全身運動によって疲労困憊し、心はいらだちと焦りと不安感に苛まされていた。
 昨日からとうとうおなかの膨らみがはっきりと目で見て分かるまでになり、全身の倦怠感もそれに呼応するかのように強くなっていた。食欲も大きく減退し、このままでは体の中に溜まった大便のせいで病気になってしまうのではないかとさえ思われた。とにかく気持ちが悪くて、本当に泣き出したかった。

(どうしてこんなにうんち出ないの……うんち出したい……)
 右手で平板な胸の肉を、左手でふくらんだおなかの肉を掴み、小刻みに体を震わせる。
 生体としての純粋な欲求が満たされない苦しみは、十歳のか弱い少女の心を容赦なく圧迫していた。
 うんちを出したくて出したくてたまらなかった。

「はぁはあ……すぅーー…………」
 今夜はもう無理なような気がしていたが、それでも葵は額に滲んでいる汗を拭うと、再びおなかに力を入れるために息を吸い込み始めた。
 体を前屈みにし、ふとももを両手でぐっと掴み、踵を浮かし足の爪先に重心を集め、歯をぎっとくいしばる。
 すぼまっていた淡い桜色の幼い肛門がゆっくりと開いてゆく。

「……ん!!うんぅんんう!」
 しかし、肛門だけがむなしく収縮を繰り返す。
「んぐぅうううんんんんっ!」
  プスウウゥゥーーー……
「ふん!!」
  ブオッッ!!
 必死に息むが、やはりガスしか出ない。
「……かはっ!はあっはあっはあっっ!!」
 葵は息苦しくなり、慌てて息を吸い込んだ。同時に肛門は閉じ、下半身の筋肉も弛緩する。

「はあ、はあ、はぁ……」
 葵は疲れきった表情で便器の蓋によりかかり、肩を上下させて呼吸を整えた。
 体全体が汗でべとべとして気持ちが悪い。短く切り揃えられた髪の毛のすみずみにまで汗が伝わり、お風呂から出たばかりのように濡れていた。
 小さな窓から時折わずかに流れ込む夜風が熱く火照った体を冷やしてくれて、いつになく心地良かった。

「……はあーーー……」
 葵は呼吸が収まると、今度は深くため息をついた。疲れと諦めと悲しみと怒りが混ざり合ったような、いたく切なげな表情をしていた。
(うんち出したい……! きもちわるい……っ!)
 極めて純粋な欲求が、ぐるぐると頭の中を回り続ける。
 大便の塊が肛門のすぐ奥にまで押し寄せていることは分かっている。これをあとわずかに押し出すことさえできれば、この耐えがたい苦しみから解放されるはずなのだ。――なのに、どうしてもそれができない。水分の完全に失われた硬質の大便は、いくら押し出そうと力を入れてもびくともしない。
 葵の心身はやるせない不快感に蝕まれていた。気持ちが悪くて変になりそうだった。おなかをかきむしりたかった。

(次でダメだったらあきらめて寝よう……)
 もう限界だった。体が疲れ果てていた。この暑苦しい密室にこれ以上いたくなかった。冷房の効いた部屋に戻って、汗をタオルか何かで拭き取って、そしてベッドの上で手足を伸ばしたかった。
「すぅー……はぁー…………すぅーーーーっ……!」
 葵は深呼吸をすると、今までで一番たくさんの息を吸い込み、丸みのある頬を大きくふくらませた。
 最後に完全燃焼することにしたのだ。
 再び排泄体勢を整える。

「……ふんんぅんっ!!んくぅぅうぅぅっっっ!!」
 そして歯を食い縛り、残りの力を肛門へと振り絞った。
  ぐ……グググ……
(ぁ!)
 すると、必死の思いが今になってようやく通じたのか、便がわずかに腸内を動き始めた。
(……出せるかも!)
「うぅくうんぅぅううっ!!」
  プシュゥウゥゥーーーッ!
 葵はここぞとばかりに一気にふんばった。
 あと一歩でうんちが出せる――!

「うんぐっ!!ふんんんぅっ!!」
  ……ググ、グ、ググググ……
 便のでこぼこが蠢くたびに直腸の内壁が擦られるのがはっきりと分かった。
「はあーーっ! ううん!んぅぐうんんんんっ!!」
  プウ!プゥゥゥーッ!
 葵はおなかに力を入れたまま息を吸い込み、さらに獣のように息み続けた。
 おなかに入れる力をより強め、上腕をおなかに押し付けてこぶしを固く握り締める。
  ググググググ……! 
 便がゆっくりと、しかし確実に出口へ向かって進んでゆく。
 揺れる汗まみれの尻。逞しいガスの噴出と共に肛門が大きく開き、盛り上がる。

(あとちょっと!)
「んふぅぅううっっ!!ふんんううぅうぅ!!」
  ……ニチ…………ミチ……
 ついに肛門から便塊が頭を見せ始めた。目には見えないものの、葵自身も肛門の感覚でそれがはっきりと分かった。
「ふぅうんんぐうんぅうんんっっ!!!」
 待ち望んでいた瞬間に歓喜しながら、葵はさらに勢いをつけて物凄い声を出してふんばった。

 ――が、次の瞬間、
  ドンッ!
「ひゃっ!」
 突然ドアが粗雑にノックされ、葵はびくっとした。
 おなかの力がゆるみ、せっかく頭を見せていた大便が引っ込んでしまう。
 ぐぐりと後退する便に肛門と直腸の粘膜を荒く擦られ、葵は痛みと不快感に顔を歪めた。

「…………なに?」
 叩いたのが誰か分かっていたので、葵はノックの理由だけを訊ねた。
 下半身の気持ち悪さに、必死の苦闘の末ようやくたどり着いた排泄の瞬間を妨害されたことへの怒りも加わり、彼女の声と表情はこれ以上無いほどに激しく不快感に満ちていた。
 いつもの高く可愛らしい声からは到底想像のできない下品なふんばり声を聞かれたことへの羞恥もかなり強かったが、それさえも怒りの感情に飲み込まれていた。

「いつまで糞してるんだよ? さっさと出ろバカ」
 予想通り兄の健太だった。
 葵の三つ上の中学二年だが、いつもこんなふうにぞんざいな口をきくのだ。

「……」
  ジャアアアアァァァーーーーッッ……
 葵は何も答えず、黙って手をペーパーへと伸ばし、音を立てないように紙を巻き取って肛門を一回だけ拭くと、すぐにそれを水面へと落とし、水を流した。肛門はもちろん汚れていないから、気分的清潔感を求めての行動である。

「おしっこしかしてないよ」
 ショーツ、続いてパジャマのズボンを上げながら、葵はようやく言葉を発した。
「うそつくなよ〜」
 待ち構えていたかのように追求された。
 声の調子には半分笑いが含まれていて、からかい目的であるのが明らかだった。
「うそじゃないもんっ!」
 葵はドアを勢いよく押し開けると、自分よりも二十センチ背の高い兄を憎らしげに睨みつけ、声を震わせながらそう叫んだ。
 妹の機嫌が予想外に悪いのに健太は驚いた。
 何かにつけて妹にちょっかいを出す癖があるが、その結果としてこのぐらいに怒らせてしまうことは時々あるものの、いきなりここまで怒っているのは珍しかった。

「思いっきりふんばってたじゃねーか」
「ほんとにおしっこしかしてないもん!!」
 健太が気後れしながらも言い返すと、葵は間髪入れずに再び大声で叫んだ。声はさっきよりもさらに震えていて、表情もより険しくなっていた。小さな両手をぎゅっと握り締め、ぶるぶると小刻みに震わせていた。
 なぜこんなに怒っているのか、健太には皆目見当がつかなかった。
「おにいちゃんこそ、一階に行けばいいじゃないっ!」
 さらに葵は続けた。もっともな訴えだった。そしてこの訴えには、歓喜の瞬間を台無しにされたことへの強い怒りが込められていた。
「めんどくさい」
「……おにいちゃんなんか大っ嫌いっ!!」
 返事を聞いた葵は一瞬目を丸くすると突然うつむき、少し震えたのちに、顔を上げて今までで一番大きな声でそう叫んだ。
 健太はその声の限りなく泣き声に近い響きに胸をどきりとさせたが、同時に自身を恨めしげに睨みつけてくる妹の潤んだ瞳を見て、なぜかぞくぞくとした。
 葵はそれ以上はもう何も言わず、言葉を失った兄を尻目にすたすたと自分の部屋へ歩いていき、大きな音を立ててドアを叩き閉めた。

「なんだよ、あいつ……」
 健太は妹の部屋のドアを呆然としながら眺めた。どうしてこんなことになったのか分からなかった。
 普段ならべろを出すぐらいの茶目っ気を見せるはずなのに、今日はそれすらも無い。――異常な怒り方だった。
 まさか妹が便秘に悩んでいようなどとは想像もつかなかった。
 葵はやや前から、兄が部活で家にいない時か、家にいても入浴中で二階にいない時のみ大便をするようになっていたが、それ以前は毎晩ほぼ決まった時間にトイレに入り、ものの数分で出てきていた。そのため、その光景に見慣れていた彼の頭の中には、快便をしている妹のイメージしか無かったのである。

 葵が大便の排泄を兄に隠れてするようになったのは、もちろん恥ずかしさを感じるようになったからだ。
 が、思春期的な心の発達によってそうなったのではなく、全ては健太のからかいに端を発していた。

 半年前、冬の寒さでおなかを冷やしたのか、葵が珍しく下痢をしてしまったことがあった。
 その時に健太は面白がり、彼女がおなかを抱えてトイレに駆け込むたび、ドアの前に立って中から漏れ出してくる下品な音や臭いをからかったのである。
 葵は最初の内は嫌な顔をするだけでほとんど何も言わなかったが、何回目かの排泄の後に涙を流しながらトイレから出てきて、ちょうど二階に上がってきた母に抱きついて大声で泣き叫んだ。それで健太は妹が予想外に傷付いていたことに驚き、母からこっぴどく叱られたこともあって、それきり彼女の下痢を揶揄するのをやめた。
 しかし、そうして彼は理解し反省し、また謝罪もしたが、葵の心は兄の想像よりも遥かに深く傷付いていて、しかもその傷痕は癒えなかった。そのため、彼女は大便の排泄行為を兄に知られることに、恐怖にも似た激しい羞恥心を抱くようになってしまったのだ。

『ママぁ……! おにいちゃんがあたしがげりしてるのからかうよぉ……!』
 突然の悲痛な泣き声は、強い驚きに燃やされて今でも健太の脳裏に焼き付いている。

 葵の精神は、生まれつき極めて繊細にできていた。
 常日頃の明るい振る舞いからは想像もつかないほどに、傷つき壊れやすいのだ。
 健太はいまだにそれに気付いてあげられていない。それが二人のすれ違いの原因だった。
 今夜の彼女が兄の二階にいるこの時間に大便をすることにしたのは、心の痛みさえ犠牲にせざるをえないほどに排泄願望が高まっていたからである。

「ちぇっ……」
 葵の部屋のドアをしばらく眺め続けていた健太は、唇を尖らせて静かにトイレへと入っていった。


「…………っ!」
 部屋に戻った葵はベッドの上の布団をはねのけてうつぶせに横になり、枕を両手で掴んで何度も顔を擦りつけた。顔を濡らしている不快な汗を拭き取るためというよりは、やり場のない負の感情をどうにかして少しでも紛らわすためであった。
 だがその望みは全く叶わず、心の闇はさらに深く拡がってゆき、体の不快感と共に葵を切なく苦しめた。
 わずかにおしりを動かすたびに、便塊が肛門のすぐ奥にあるのが重さと直腸の異物感ではっきりと分かった。それがヒリヒリと熱い肛門の痛みと合わさり、大きな不快感となって葵を悶えさせた。せっかくの排泄行為を中断した代償はあまりにも大きいものであった。

 ――が、だからと言って再びトイレに行く気にはなれなかった。体力も気力ももう残っていなかったし、何よりも兄の顔を見たくなかったからだ。
 普段の兄は別段嫌いではなかったが、しばしば自分をからかってくるのだけは大嫌いだった。どうしてそんなことをするのか全く分からなかった。
 もちろんこの時は、兄のことを考えるのも嫌なほどに憎んでいた。
 それでも頭の中にさっきの会話が何度も浮かんできて、そのたびに葵は唇を噛み半泣きで体を打ち震わせた。

 しばらくの間、葵はそのままもぞもぞしていたが、やがて枕から顔を離し体を起こすと、今度は棚の上にあったウサギのぬいぐるみに手を伸ばし、長い耳を掴んでぐにぐにと動かし始めた。とにかく何かしていないと、不快感に押しつぶされて気が狂いそうだった。
 十分ぐらいしてぬいぐるみを元に戻すと今度はベッドの上を転がり始めたが、下半身の不快感が刺激されるだけだったので、今度は一分も待たずに止めた。

「えうぅう……ぅうう……」
 体を止めた葵は少しの間ぼんやりと天井を見つめていたが、突然布団をかぶって泣き始めた。
 不快感がついに限界値を超えてしまったのである。
「……ひくっ!うぅぐ、ひくっっ!うぅぅううぅう……っ!」
 健太の部屋に届かないように必死に声を押し殺しながら、葵は体を小さく丸めて泣き震えた。
 涙がとめどなく溢れて布団を濡らしてゆき、押し付けられている葵の火照った頬を生ぬるく冷やした。

「ぅ……ううぅ…………ぅ、ふうう、はあぁ……はあ、はあ……」
 やがて嗚咽が落ち着いてくると、今度は呼吸を速めだした。
「はぁはあ、はぁぁ、はぁはぁはあ、はあはぁ」
 愛らしい瞳を大きく見開き、肩を激しく上下させた。
「ふぅううう!」
 そして葵は奇声を発して頭を枕に打ち付けると、いきなり布団に噛み付いた。
 膨大なストレスにやられて少し変になっていた。布団はかすかに塩辛かった。
「ふぅ、ふう、ふうぅ」
 布団を噛み締めている歯をぎりぎりさせながら、葵はパジャマをめくっておなかをかきむしった。
 すぐにその痛みに耐えられなくなると手の動きを止め、今度は両手を握り締めて尻たぶを打ち殴った。
 鈍い痛みが次々とおしり全体に伝わり、そのたびに肛門が敏感に収縮した。

「ふんぐううぅうんん!!」
 しばらく尻たぶを打ち続けたのち、葵は突然ふんばり始めた。
 ベッドの上であるにも関わらず、である。
「んんんぐぅん!ふぅん!うんぐぐぐぐぐ!!」
 自分でも異常なことをしているのは分かっていたが、それでも葵はふんばり続けた。
 これで出せるものなら、このままここで出してしまっても良いような気さえしていた。

「んはあぁ……ぁ……」
 しかし、もちろん実際にこんなところで脱糞するわけにはいかない。
 葵はすぐにふんばるのを止め、布団から唇を離し、手足を伸ばしてゆっくりと瞳を閉じた。

「あぁああ、あぁ……ぅうぁぁああぁ…………」
 そして再び泣き出した。
 ひっかき痕の赤く腫れたおなかの痛みが下半身の苦しみと混ざり合い、体中が気持ち悪かった。
 閉ざされた瞳からは再び涙が流れ出し、頬を流れてシーツに染み込んでいった。

 葵はしばらくそうしていたが、やがて強い睡魔に襲われて静かに寝入ってしまった。
 そのまま翌朝まで目を覚まさなかった。


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(葵ちゃん……)
 翌日の放課後、葵はいつものように親友の杉野綾香と一緒に下校していたが、この日は異常に無口だった。
 綾香は朝から葵の様子がいつになくおかしいことに気付いていて、二人きりで下校する時にそのことを訊ねようと思っていた。が、葵のただならぬ雰囲気に圧倒され、なかなか口を開けずにいた。
 ちらちらと様子を見て機会を伺っていたが、葵はそれには全く気付いていないようだった。
 いつもなら葵の方から積極的に話しかけてくるのに、この日はまるで一人で下校しているかのように静かだった。
 風の強い日で、綾香はリボンで結ばれた長い髪を時折大きくなびかせられ、そのたびに髪とスカートを押さえ、しばしば困った表情を見せた。
 一方それに対して葵は髪が短い上にそれの整っているかどうかに無頓着で、またスカートの代わりにスパッツを穿いていたため、どんなに強い風が吹いても超然としていた。その乾いたふるまいに、綾香は孤独感をいっそう強く刺激された。

「……ねえ、葵ちゃん」
 会話が完全に途切れてから三分ほど経って、綾香が意を決して口を開いた。声はかなり小さかった。
「……」
 だが葵は答えなかった。
 聞こえてはいるはずだが、頭に入っていないようだった。
「葵ちゃんってば!」
「え? ……あ、ごめん」
 自分がないがしろにされているような気がして少し腹が立ち、綾香は葵の手をぎゅっと強く引っ張った。
 それでようやく葵は弱々しく反応した。
「――なに?」
 そう言って綾香の方を向いた葵は眼差しに輝きが無く、顔色の悪さと相まってまるで病人のようだった。
 朝からそんなふうではあったが、この時は特に暗い表情をしていた。綾香はそれにぞくっとした。

「……葵ちゃん、最近へん」
 綾香は声を絞り出してそう言った。聞いてはいけないことのような気がしていた。
「そんなことないよ……」
 葵はうつむいてそう答えた。
「ほんとに変だよ。どうしてずっと暗い顔してるの?」
「……」 
 葵はそれには答えなかった。――答えられなかった。
「給食だって、いつもはぜんぶ食べるのに、残してばっかりだし……」
 葵はうつむいたまま、顔をそむけた。
「体育のとびばこだって、いつもの葵ちゃんなら、あんなのかんたんに飛べるのに」
 葵は唇を噛んだ。
 綾香はそれを見て胸が痛んだが、追求を止めることはできなかった。
「お昼休み……バレーしないでどこ行ってたの?」
 葵はその質問を聴くなり頬を染め、切なげな表情を見せた。
 普段の葵は校庭で友達とバレーボールをして昼休みを過ごすのだが、昨日と今日は、中学年が使うトイレに篭って声を押し隠しふんばっていたのである。
「ほんとに、なんでもないから……」
 葵はうつむいたまま、かすれた声でそう言った。
 その痛いほどに切なげな様子を見て、綾香はついにそれ以上しゃべれなくなった。
 そしてそのまま二人は黙って歩き続けた。

「――じゃ、またね……」
 ついに二人はいつも別れる所へと至ってしまった。
 葵は綾香の方を見ずに小さな声でそう言って歩き出した。
「待ってよ!」
 綾香は離れていく葵をぼんやりと見つめていたが、すぐに大声で呼んで追いかけた。
「どうして? どうして何も教えてくれないの?」
 困惑した表情でそれを見つめる葵に、綾香は今にも泣き出しそうな表情で訊ねた。
 その声には悲しみと同時に怒りも含まれていた。
「わたしたち友達でしょ? どうしてなんにも相談してくれないの……?」
 綾香は葵の手をぎゅっと掴んで震えた。
 葵は動けなくなった。綾香の手はすごく暖かかった。――葵は心を動かされた。

「ごめん……」
「笑わない?」
 そのままそこに立ち止まった二人は、数秒の後にほとんど同時に口を開いた。

「――うん」
 綾香は自身の欲求の身勝手さに気付いて謝ろうとしたが、葵の言葉に告白の決意を感じ取ってすぐにそれに応えた。
 返事の真偽を確認するかのように、葵はいつになく真剣な表情で綾香の瞳を見つめた。
 綾香も葵をじっと見つめ、二人はそのまましばらく互いに視線をそらさなかった。
 耳まで真っ赤になっている葵を見て、綾香もつられて赤面した。
 胸が異常なまでに速く脈打って葵は息苦しかった。綾香はその音を聴いて切なくなった。

「…………あたしね、便秘、してるの……」
 そしてついに葵は告白した。綾香がごくりと唾を飲み込むのと同時だった。
 その様はまるで異性に愛を告白する少女のようであったが、実際葵の精神状態は極めてそれに近かった。
 葵は言ってすぐに押し潰されるような羞恥に胸を締め付けられて告白を後悔し、股下で重ね合わせていた両手をぐにぐにと擦り合わせて悶えた。風が短い髪の毛をなびかせるのがこそばゆかった。

「ぇ……」
 全くの意想外な告白に綾香は深く驚き、ぽつりと言うなりうつむいてしまった葵の顔を凝視した。
 ――実は、綾香もまた便秘に苦しんでいたのだ。まさか親友が同じ悩みを抱えているとは思わなかった。
「そうだったんだ……」
 綾香は葵に強い親近感を抱いた。
 以前に耐えかねて母に相談した時、小学生で重い便秘になるのは珍しいと言われたからだ。

「……あのね。……実は、わたしもね、してるの。便秘……」
 恥ずかしそうではあるが、しかしどこか嬉しそうな複雑な表情をしながら、綾香もまた告白した。
「……うそ……」
 葵は信じられず、目を丸くして綾香を見つめた。
 綾香はさらに頬を染めて「ほんとだよ」と言った。葵は無垢な瞳できゅんと胸をときめかせた。

「……だから、わたしでよかったら、相談に乗るよ?」
「――っ」
「あおいちゃん?」
 両手を重ねて胸に当て、少女の表情で綾香を見つめる葵。

「あやちゃん……っ!」
「きゃっ……!」
 数瞬の後、葵はいきなり綾香の身体に抱きついた。
「……こんなことって……」
「あ、葵ちゃん、おおげさだよお……」
 葵は真っ赤な顔で大きな瞳を潤ませていた。綾香が愛しかった。とつじょ体を擦り合わせたい衝動にかられ、それに素直に従ったのだ。彼女が抱いた親近感と同じ想いを、葵はさらにさらに強く感じたのである。
 とくん、とくん、と熱い鼓動が葵の胸から聞こえた。綾香は目を細め、そのまま柔らかく温もりに甘えた。
 何秒かの間そうしていると、葵ははっとして綾香から体を離し、そして照れくさそうに微笑んだ。

 それから二人の少女は苦しみを分かち合うかのように、その新しい二人だけの秘密についてささやき合った。

 まず葵に症状の程度を聞いた綾香は、その答えを聞いて心から同情した。綾香の症状はもう少し軽く、大体三日に一回はお通じがあったからだ。葵と同じぐらいに重かった時期もあったが、母に相談するようになってから色々と対策を採り始め、今ではだいぶ軽くなっていたのだった。
 それから綾香は葵に色々なことを尋ねながら、便秘を改善するための食生活の改善法や腸の動きを活発化させる体操についてなど、知っていることの多くをこと細かくアドバイスした。
 綾香の話を聴きながら葵も色々なことを尋ね、綾香が自分よりずっと前から苦しんでいたことを知って驚いた。


 そうして二人の会話は暖かく弾んでいった。

 が、そうにも関わらず、やがて葵の表情は再び光を失い始めた。
 悩みを相談できる存在と出会えこそしたものの、結局それによって今味わっている肉体的苦痛がすぐに解消されるわけではないからだ。綾香がしてくれたアドバイスは確かに有益なものであったが、どれも即座の具体的効果を期待できるものではなかった。

 ――実のところ葵は、もっと直接的な便秘の解消法、具体的には下剤の話題を綾香が持ち出してくれることを、彼女も便秘に悩んでいると知った時から期待していた。葵は便秘が本格的に重くなり始めた頃から下剤に興味を抱いていたが、何となくの恐怖感や薬局で購入する勇気が無いことなどから、いまだに手を出せないでいたのだ。
 だから、同じ悩みを持つ綾香が下剤を使った経験があって、さらにその時の効果を具体的に教えてくれることを期待していたのである。その際にはうまくお願いして一回分の量を分けてもらうことすら考えていた。
 しばしばテレビでコマーシャルが流れる有名な下剤があるから、様々な対処法を知っている綾香がそれを知らないはずはないし、知っているのなら一度ぐらいは試していてもおかしくはない。――そう葵は思い込んでいたから、綾香が全く下剤の話題を出さないことが歯がゆかった。

「あやちゃん。コーラックって、飲んだことある?」
 やがて会話の途切れに葵はとうとうそのことを尋ねた。
「…………あるけど……?」
 すると綾香は急に沈鬱な表情になり、ぽつりと小さくそう答えた。
 答えの内容は喜ばしかったが、急に綾香が表情を暗くしたので、葵は少し困惑した。
 綾香の様子は、まるでそれが話題に上るのを恐れていたかのようであった。
「効いた?」
 葵が質問を続けると、綾香はさらに表情を硬くして、何も言わずにうなずいた。
「どんな感じになるの? うんち、ちゃんと全部出た?」
「……」
 葵がさらに質問をすると、綾香は何も言わずに唇を尖らせた。
 それを見て葵はなんだか変なことを聞いてしまったような気がした。

「すごく効いて、ぜんぶ出るけど……」
「出るけど?」
「おなかがぐうーって、痛くなるの……うんちもゲリみたいになっちゃう。わたしが飲んだときは、おなかピーピーになっちゃった……」
「……そうなんだ……」
 綾香は思い切った様子で、自分がそのコーラックを飲んだときの苦い体験を語った。
 葵はそれを聞いてようやく綾香が下剤の話題を避けていた理由が分かった。
「飲んだ次の日に学校で効いてきちゃったから、わたしおなか痛くて早退したんだよ。その次の日は休んじゃったし……」
「え? いつのこと?」
 綾香とは今までずっといっしょのクラスだったが、葵は綾香が早退するのを見た記憶が無かった。
「今年の一月ぐらい。……その時は葵ちゃん、学校休んでたと思う」
「あっ……」
 それを聞いてすぐに葵はいつのことか分かった。ちょうど自分が下痢をして欠席していた時のことだった。
 翌日に遅刻して行った時に、綾香が腹痛で欠席しているのを知って同情したことを覚えていた。その次の日に学校に来た綾香に腹痛の原因を尋ねたものの、はっきりとは教えてもらえなかったことも思い出した。
 下剤を飲んでおなかを壊したなどとは、たしかに言えるはずもない。
 葵は改めて、綾香が自分よりもずっと長い間便秘に悩まされてきたのだということを実感した。

「……とにかくたいへんなことになっちゃうから。あれだけはやめたほうがいいと思うよ」
 綾香は重い表情で続けた。じじつ彼女は初回でこりて、それ以後一度もコーラックを飲んでいなかった。
「でも、ほかにすぐ効くのってないよね……?」
「……うん……ないけど……」
 葵の質問に綾香は歯切れ悪く答えた。
 本当は時々浣腸に頼っているが、こればかりは恥ずかしすぎて言えなかった。

「ごめんね、今日はほんとにありがと。またあしたね」
 うつむいてしまった綾香に別れの言葉を告げて、葵は家に向かって走り出した。
 できれば使っていない分を譲ってほしかったが、それはもう、あまりにも気まずくて言い出せなかった。

 ――結局、葵はついに下剤を買う決心を固めたのだった。他に方法が無い以上、もう下痢になってもなんでも良かった。とにかく何が何でもうんちを出したかった。友達も下剤を飲んだことがあるという事実は十分に勇気をくれた。
「……葵ちゃん……」
 遠ざかってゆく親友の後ろ姿を見ながら、綾香は葵がコーラックを飲むつもりでいることに気付いた。そして自身の苦い体験を改めて思い出し、恥ずかしがらずに浣腸のことを教えてあげるべきだったと後悔した。


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「お嬢ちゃん、何か探してるものでもあるの?」
 薬局の店主がレジから身を乗り出して怪訝な表情で葵に訊ねた。
 家に帰ってすぐに財布を掴んで薬局へと来た葵だったが、相変わらず下剤を購入するための勇気が出せず、もう三十分近く店内をぐるぐると回っているのである。コーラックの箱はレジの後ろの棚に積まれていたので、それを取ってもらうためにはどうしても多少の会話をしなければならず、葵はそれがいやだった。
 葵はびくっとして立ち止まり、何かを乞うような目で店主を見つめたが、すぐに何も言わず走って出て行ってしまった。

「はあはあ……、はぁ……!」
 葵は店から少し離れたところで立ち止まり、膝を曲げて荒い呼吸を繰り返した。
(なにやってんだろ、あたし……)
 せっかく意を決して薬局に入ったのに、いつまでも勇気を出せなかった自分がなさけなかった。
 レジの後ろなんかにあるからいけないのだと自分に言い訳をしてもみたが、自己嫌悪は全く収まらなかった。

(次のところで、絶対に買わなきゃ……)
 今の店にはもう二度と入れないと思ったので、葵はもう一つの知っている店へと向かうことにした。
 今の彼女はわずかに走るだけでも下半身が重くて息切れを起こしてしまう。
 この苦しみから解放されるためには、多少の恥ずかしさは越えなければならないのだ。

 次の店は、葵の家からはもうだいぶ離れていた。誰とも遭う心配が無いので、葵はかえって好都合だと思った。
「いらっしゃいませ」
 今度は中年の女性が店番をしていたので葵は少し安心したが、すぐにここでもレジの奥の棚にコーラックの箱が置いてあるのを見つけて愕然とした。
 葵は泣きそうな顔をして棚の上のピンク色の箱を見つめた。
「……どうしたの、お嬢ちゃん?」
 女児が一人で入ってくるだけでも珍しいのに、いつまで経っても唇を噛んで棚をにらみつけたまま動かないので、店員は不思議そうに尋ねた。
「そこにあるコーラック、ください!」
 それがきっかけになったのか、ついに葵は棚を指差して下剤を注文した。
 胸の鼓動はもとより速かったが、言った瞬間には心臓が口から飛び出しかけた。
 幸いにして店内に誰もいなかったことが葵に勇気を出させた。――いずれにせよ、もうここで買うしかなかった。

「60錠入りのでいいのかしら?」
 店員は予想外の注文に少し驚きつつも、落ち着いた様子で後ろにあるコーラックの箱を手に取って葵に見せた。
 葵はほとんどそれを見ないですぐにうなずいた。そしてそれからあとは一度も顔を上げなかった。
「――じゃあ、819円になります」
 店員がバーコードを読み取って値段を言うと、服の裾をぎゅっと掴んで震えていた葵は、すぐに財布から四つ折になった千円札を取り出して手渡した。

「これ……もしかしておじょうちゃんが飲むつもりなの?」
「……っ!!」
 しかしいきなり最も恐れていたことを訊ねられ、葵は体をびくんと強張らせた。
 目の前の女児がおつかいではなく自分で飲むために下剤を買いに来たことに、店員は気が付いてしまったのだ。

「……あ、あの……、お姉ちゃん、が……」
 頬から耳まで燃えるように赤熱しきった葵は、消え入りそうな半泣き声で必死に言い訳を始めた。
「その、便秘……で……」
「……」
 店員は困惑しながら、目の前の愛らしい女児の顔を見つめた。
 あまりにも稚拙で素直なごまかし。彼女が嘘をついているのは明らかだった。
 そうなると、今売ろうとしているコーラックの効き目はこんな小さく未熟な女児の身体には強すぎる。服用によって激しい下痢を起こしてしまう可能性が高く、できることなら売りたくなかった。……しかし、販売を断るためには嘘を指摘しなければならない。そんなことをしたら、この繊細そうな女児は泣き出してさえしまいそうであった。

「……分かりました。でも効き目が強いので、気をつけるように言ってあげてくださいね……」
 それで結局、逡巡のすえ店員は敢えて追求をせず事務的に対応を行ってしまった。
 女児が相当に便秘で悩んでいるのも必死そうな表情からよく分かったし、無理に他の薬を薦めてみても恥ずかしがらせ傷付けるだけだから、こういう時ばかりは仕方がない……。そう無理に自身を納得させた。

「――おつりです」
 店員は箱にシールを貼って袋に入れ、レシートとおつりを葵の小さな手の平に乗せた。汗でべっとりとしていた。
 葵は受け取るなり確認もせずそれを財布につっこみ、袋を掴んで店から逃げるように走り出ていった。
「やっぱり他のを薦めた方が良かったかしら……」
 店員はその可愛らしい後姿を見送ると、改めて深い戸惑いを覚え、自身の判断への罪悪感を強めた。

 コーラックは数多くある下剤の中で最も知名度が高いが、効果が劇的に強すぎるという欠点がある。
 そのため、しばしば便秘に悩む少女たちがその威力のほどを知らずに手を出し、結果として酷い下痢に苦しんで下剤を恐れるようになってしまうという、小さな悲劇の原因となっているのだ。


 葵は家に着くと薬局の名前が印刷された袋をシャツの中に隠しながら二階へと向かい、布団の中に潜り込んで袋からガサガサと下剤を取り出した。コーラックと書かれたその箱を見て、改めてすごく恥ずかしいものを買ってきてしまったと思い、小さな胸を羞恥に悶えさせた。
 箱を裏返すと薬についての説明書きがあったので、葵はわずかに入り込む光を頼りにそれを読んでいった。
 最初の方に「おやすみ前に服用すれば、翌朝(個人差はありますが、目安として6〜11時間後)には効果があらわれます」と書いてあったので、葵はそれに従うことにした。朝起きてすぐに大便を出しきってしまえば、不安を感じることなく学校に行けそうだと考えたのだ。具体的には、葵はいつも九時間の睡眠をとるので、最も効くまでに時間がかかる場合を考えて、寝る二時間前の夜八時半に飲むことにした。
(きっとあやちゃんは飲んだのが遅くて、学校で……)
 葵はそう推測し、これだけ早く飲むことに決めたのだったが、これはまさにその通りであった。
 綾香は家族が寝静まる夜中まで待ち、闇に紛れて居間の薬箱から密かにコーラックを拝借したのである。

 飲む時間を決めた葵は次に飲む量を考え始めたが、これはすぐには決まらなかった。
 量については「通常、大人は1日1回2錠を就寝前または、排便期待数時間前に、かまずに服用してください」とあるだけで、子供は何粒飲めば良いのかが全く記されていなかったのだ。箱の中の説明書を隅々まで読んでもみたが、やはり小児の服用については記載がなかった。今までに飲んだことのある薬には必ず年齢別の服用量が書いてあったので、こういうことは初めてであった。
 葵はしばらく考え込んだが、自分の症状が何よりも重く、またピンクの小粒が文字通り小さくて一つだけでは頼りなさそうにも感じたので、大人の分量として記されている二粒を思い切って服用することに決めた。
 それは一応の納得を伴う決定であったが、やはり釈然としない不安感が残り、これは葵の中でいつまでも尾を引き続けることになった。

 葵は布団から出ると、コーラックの箱を机の引き出しの奥深くに隠した。
 そしてそのまま机に座り、苦手な算数の宿題を珍しく手早くすませると、ベッドの上に横になって夜の訪れるのをひたすら待ち続けた。
 トイレに行ってふんばることもできたが、どうせ出ないだろうという諦観があり、同時にどうせ明日の朝までには確実に出せるのだからという確信もあったから、この日はそれから夜まで、もう一切動こうとしなかった。


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 やがて夜が訪れ、葵は居間で家族と共に夕食をとった。
 この日の葵はいつにもまして少食で、しかも徹底的に無口だった。
 兄への怒りと、大きな秘密を抱えてしまった自身への後ろめたさが理由であるが、両親はそんなことを知る由も無く、心配してあれこれと細かいことを訊ねてきた。
 それが嫌だった葵は逃げるようにして二階へと戻っていった。

 八時になると葵はいつものようにお風呂に入ったが、この日は妙に長い時間湯船に浸かり、おなかをタオルで隠しながらショーツ一枚で自室に戻って来た時には、もう時刻は九時近くになっていた。コーラックを飲む予定の八時半をすでに過ぎてしまっていた。
 だが葵はもう一刻も早く下剤を飲まなければならないにも関わらず、パジャマを着ると、先に学校の準備を始めた。
 ……いざという段階になって、急に下痢への恐怖心が膨らみ始めたのだ。
『おなかピーピーになっちゃった……』
 綾香の言葉と暗い表情が、いきなり葵の脳裏に何度も何度も再生され始めた。
 今までずっと、大便さえ出せればたとえ下痢に苦しむことになってもいいと開き直り続けてきたにも関わらず。この時になって、突然葵の思考は愚かに反転しだしたのであった。半年前の悪夢の感覚まで生々しく下腹に生起してしてくる始末だった。情けない自分に嫌悪を覚えたが、それでも机の引き出しに手をかけることができなかった。
 葵はやや泣きそうな表情で、もそもそと教科書とノートをランドセルの中に詰め込んでいった。

 学校の準備を済ませると急に喉の渇きを感じたので、葵はまた下剤の服用を棚上げにし、今度は好物のオレンジジュースを飲むべく一階へと下りていった。

「あ……」
 葵は冷蔵庫の中を見て、声を漏らした。
 ペットボトルの中のジュースが、ごくわずかしか残っていなかったのだ。
(どうしよう……) 
 葵は迷い始めた。コップ一杯分ほどの残りをできれば全部飲みたかったが、そうすると明日の朝にジュースを飲めなくなる。甘いオレンジジュースを毎朝の楽しみにしている葵にとって、それはとても寂しいことだった。
 しかしいま体が強く甘露を求めているのも事実である。
 答えはすぐには出せなかった。

 しばらく悩んだすえ結局葵は――

 1、全部飲むことにした。
 2、半分だけ飲むことにした。
 3、飲まないことにした。


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